第13話 協奏
ジャムセッションと一口にいっても様々な形がある。
無論のこと突発的に即興をやるのが通例だけれども、端から「これがやりたい」とか「こういうジャンルをやろう」と相談されることだってある。
大抵はそれに頷くことの方が多い傾向にあると思う。
理由はシンプルで、さっさとエンジョイしようという空気があり、率先する人物の意見を否定する理由が見当たらないからだ。
曲の雰囲気を構成するのは初手にリフを刻む人にある。
それがどのパートからであれ、曲のテーマに入る寸前に数フレーズを弾くと、あとは皆がなんとなしに把握してセッションが始まる。
流れと呼べるものもあり、テーマがあればそれがスタートとなり、各パートにアドリブが回され、再度テーマに戻って終わるのが大抵のことだ。
店に入ってから早三十分程して、僕は店の雰囲気をある程度把握出来ていた。
存外にポップスの空気が強い傾向にあって、今し方終えたグループは古い歌謡曲をアレンジして披露してみせた。
熟練の域にある人物達の腕前に僕は食い入るように観る。
確定されたテーマがあるとはいえ、表現の手段や方法は各個人のセンスだし、仮に技巧的に優れていても場面にそぐわないとあれば、それは単純に〈外れている〉ことになる。
バンドというのはそういうもので、個人が飛びぬけていたらいい、という訳ではなくて、そこには空気が存在し、お互いがお互いをリスペクトせずにグループは機能しない。
(部長さんのいっていたことは一つの正しさなんだ。それは僕にもよく分かる……)
先日の出来事を思い返す。
軽音部で〈浮いている、レベルが合わない〉といわれた時、僕はひたすらに悲しかったし、拒絶された事実には顔を俯けるくらいしか出来なかった。
だが、彼の言葉は何も間違っていないと思う。
仮に実力や技量と呼べるものがあり、かつ、僕がある程度の位置にあるとすれば、僕という存在は今ある軽音部の空気を阻害するような異物に思えたかもしれない。
己が優っているか否かは重要じゃない。
肝心なのは彼等の理想とするペースや音楽の在り方と、僕の思うペースや音楽の在り方や価値観の差異であって、僕が軽音部に在籍するにせよ、いつかは互いにストレスを抱く関係にまで発展したかもしれない。
つまり、部長さんは軽音部を護る為に僕を拒絶した訳で、そこに悪意があるかどうかは別にせよ、それにより彼等の求めた世界は護られた。
僕としては悲しい気持ちは当然ある。
だが部長さんというのは名の通りに軽音部の代表者であって、今ある生徒達が現状の空気を求めている事実を知るからこそ、ある種は秩序を保つ為に止むを得ず僕を拒んだだけだ。
(それでも音楽はどこでも出来るし、こうしてサイコとセッションバーにだってこれたんだもん。悪いことばかりじゃないんだ)
先からニマニマと各グループを観ているサイコを横目で見る。
彼女はこの店の空気を大層気に入っているようで、拍手を贈ったり歓声を上げたりもしていた。その様子に僕も釣られて笑ってしまう。
時刻は夜の二十一時と遅い時間だけれども、罪悪感もなく、それよりも彼女と同じ空間で同じ音楽を共有出来ることに喜びが勝る。
「今のボーカルの人凄かったねぇ、アキラ。やっぱ歳を喰うと深みってのも増すのかねぇ?」
「あはは、どうだろうね。きっと、あの人はあの人なりに音楽を続けてきて、それが自信に繋がっているのかもね」
深いお辞儀をしたのはポップスを披露した妙齢の女性だった。
中域から粘り強く伸びる声質が顕著で、ついつい身を乗り出してしまうくらいに、その歌声は魅力に詰まっていた。
これを即興でやりきってしまうのだから恐ろしい。
決まり事のような曲目はあるにせよ、当然のように対応出来る各パートも、それに頷いたボーカルの女性も、実に素晴らしい腕前だった。
「おーい、サイコ、アキラくん。ちょいといいかい?」
突然に名前を呼ばれ、振り向けばバーカウンターの内側で僕とサイコを手招くマスターの姿があった。
前のめりになった僕とサイコは彼へと接近し、何の用だろうかと疑問符を浮かべる。
「次いいかな? いい感じにセッティングが出来てね。君等合わせて三人なんだけども」
「え!? あ、はい! 分かりました!」
この唐突感。これがやはりジャムセッションの、いい加減にも思えるような、けれども「まあそんなもんだよな」と呆れつつも頷けるような適当感だ。
これが不思議と嫌じゃない。猶予もなければ暇も与えない訳だが、そんなものは入店前に済んでいるだろうとでもいいたげで、怖気なんて浮かぶ隙もないくらい、僕はギターで頭の中が埋め尽くされた。
「さぁて、どんな奴とやれるのやらねぇ。楽しみだぁね、アキラ?」
「う、うん……!」
僕とサイコは同時に抜き身の楽器を握り締める。
今夜のサイコもいつもの五弦ベースで、僕も相変わらずのデュオジェット改だった。
ある程度の大人達はジェットを見て「渋いねぇ、若いのに珍しいねぇ」と感想を呟く。目元は緩んでニヤニヤとしていて、僕も照れたように笑い頭を掻いてしまう。
それは厭味ではない。
彼等の言葉を適当に訳すなら「わかってんねぇ坊や」という賛辞だ。
ならば古めかしいロカビリーでも弾くか、いやさブルースだろう、いやいやパンクかもしれんしガレージロックかもしれんぞ、と複数の大人達は燥ぐ子供のようだった。
「ありゃ……こりゃまぁ、どうもぉ」
温かな空気を楽しむ最中、ステージにあがったサイコがドラムの人物に挨拶をした。
特に
「んん? ああ、なんだサイコかよ。相変わらず目立つよなぁ、お前」
「へっへ、まぁねぇ。毎度毎度の妖艶な美女、サイコ様とはアタシのことさぁ」
「なぁにが妖艶だ、阿呆くせえ……」
それはツーブロックヘアの、大柄で強面の歳若い人物だった。
ドラムの椅子に腰を落ち着け、自前の物だろうスネアを抱えている。
物はスチールで、銘にはラディックとある。
どこか眠たそうな瞳をしているが、声を掛けられて彼は静かに立ち上がり、サイコと真正面から見合った。
「で、でかい……!」
サイコの身長は百七十八センチとのことだったが、そんな彼女すらも見下ろす高身長で、目測は凡そ百九十センチ程に見える。
「え、うわ、小さいな君! なんだ、もしかしてサイコの彼女――」
「男です! 僕は男です!」
刹那で否定すると、やはり背の高い人物は驚いた風で「こうも女児と見紛える男子もいるものなのか」と呟いた。
「アタシの友達だよ、センパイ。いっひっひ……いやぁ、久しぶりじゃあねえの。最近はずっとここで演奏してるって?」
「なんだその呼び方、気色わりぃな……まぁ組んでたバンドも解散したしな。暫くは武者修行のつもりでセッションを中心に活動でもすっかなぁって」
簡単な会話だけれども、それを聞いているだけでサイコと彼が以前から付き合いのある関係性だというのを察する。
そういえばサイコには目的の人物がいたようだけど、それ程にこの場所に通い詰めているのかもしれない。
背の高い男性とのやり取りを横目に見つつ、そして機材のセッティングをしつつ、僕は周囲を見渡した。
(結局、テツコって人が誰だったのか分かんないや。未だ来店してないのかな?)
今夜はその人物と出会うまで延々とセッションを続けるつもりなのかもしれない。
それならそれで僕も付き合うつもりだ。今夜は遅くなると母には伝えてあるし、ある程度の自由はある。
(お姉ちゃんも友達と遊びにいくとかいってたっけ。よし、尚の事心配はないかな?)
偶には時間も気にせず音楽尽くしというのも悪くはない。
元より毎夜毎夜、就寝するまでギターを弾くのが日課だったし、結局、やることに変わりはないともいえる。
兎角、状況はセッションであり、そこには観衆の姿もある。
僕はセッティングを終えると振り向いてサイコと男性を見た。
「へぇ、グレッチか。見た目に反して渋い好みだなぁ、君。しかもジェット……ん、ジェットだよな、それ?」
「え? あ、そうです、ジェットです」
どうやらギターの知識もあるようで、男性は僕の構えるジェット改を見て驚いた顔になるが、違和感に目を細めてマジマジと観察している。
「キャデラックテールピースにエルボーガードって、まるでペンギンみたいな……それ、カスタムショップじゃないよな?」
「あ、はい、違いますよ。仰る通りで、ペンギン仕様にしてるだけで、あはは……」
「ははぁ、成程ね。そこまで愛着のある竿なのか。にしても、うーん、その仕様……〈まるでそっくり〉だなぁ」
唸る彼の零した言葉に少しばかり心臓が跳ねる。
まるで何かを思い出すような素振りだが、僕は遮るように言葉を紡いだ。
「そ、それより! 何をやりましょう?」
「え? あぁ、そうだな……君は、えーと……おぉ、ジャンルは何でも構わんと。中々に腕に覚えがあるってことか?」
「あ、そんな大したものじゃ! ある程度は多分、対応は出来るんじゃないかなって――」
そんなやり取りをしている最中だった。まるで我慢ならんとでもいうように隣のキャビネットから一つの低音が吐き出される。
相変わらずの厚みに説得力を思わせるベース音は、言葉を交わす必要なんてないとでもいわんばかりで、彼女は一度僕等へと振り向くと、特徴的なテーマを音として発した。
「あ……それかぁ」
「お、分かる、君?」
「はい、大丈夫です。のっけからベースソロって、やっぱりサイコらしいですね、何だか」
「ははは、だなっ……よっしゃ、次で区切りだ。テーマ、合わせるぞぉ――」
刻まれるファンキーなベースソロ。
店内の客も、誰もが聞いた覚えのあるフレーズに笑みを浮かべている。
やがてソロの区切りとなると、僕もドラムも、示し合わせたように同じテーマを弾いた。
「っしゃあ! 〈チキン〉だぜ、皆の衆ー!」
マイクに大きな声を叩きつけたのはサイコだ。
それに応えるように客席の皆は歓声をあげたり内容の入ったグラスを掲げる。
一般的に、ジャムセッションの王道として〈チキン〉と呼ばれる名曲がある。
ブルースの進行を軸にされるが味付けは様々で、時として今のようにベースソロから入るようなパターンだって珍しいことではない。
寧ろ彼女のファンク的な要素が共通認識を抱かせ、僕等は彼女の提示した意図に追従するように楽曲を演奏した。
(やっぱり上手いや、サイコ……即座に空気も作ったし、掛け声も絶好の潮だ。お客さん達、皆楽しそうだなぁ……うん、本当に楽しいし、サイコも凄い。凄いんだけど……)
聴き慣れた〈チキン〉をどう調理するにせよ、ある種はマンネリ化しているような楽曲とも取れる。
如何に初心者から上級者まで楽しめる内容とはいえ、有無をいわさぬサイコのベースソロとたったの一言が、いとも簡単に聴衆の耳目をかっさらった。
また、彼女の音の存在感だ。
基本通りのリフながらに音の質感は毎度のことながら存在感も説得力もずば抜けていて、単調に聴こえる筈なのに、ついついベースの心地よいグルーブ感に浸りそうになる。
だが、僕の注目はサイコの音よりも、背後から生まれる怒涛の存在感に向かっていた。
(上手い……凄いぞ、本当に。なんなんだこの人。このドラムの説得力といったら……!)
彼だった。
大柄な身体に強面の、サイコの友人と思しき人物のドラム。
僕の意識が先から向かうのはたった一つ、そこだけだった。
最初の一音、そこから既に普通とは呼び難い物を感じていた。
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