第12話 慧眼
週末、華やかな夜の喧騒の中に僕はいた。
相変わらず夜には不慣れで、人波に抗うように歩きつつも目的の場所を目指す。
「おーい、アキラ! こっちこっち!」
「あ、サイコ!」
漂う色香や目を惹くネオンに戸惑いながらも、僕は馴染みのある声に顔を跳ね上げる。
そこにはサイコが立っていて、背には相棒を納めたセミハードケースがあった。
私服姿の彼女はライブの折に見ているけれども、どこか新鮮で、普段の派手な制服姿と打って変わったようなロングスカートにパーカーの格好は何だか意外性を感じる。
名前を呼ばれて小走りに近寄り彼女と対面すると、自然と安堵の息が漏れてしまった。
「相変わらずビクビクと小動物みたいだねぇ。何をそうも夜を恐れてんだか」
「だって、やっぱり慣れなくてさ……」
「とはいえ無事に辿り着いたんだし、成長の度合いも伺えるってか?」
彼女の視線の先には目的地であるセッションバーの看板があって、それを見ると同時、鼓動が自然と早まる。
「こういう場所も初かい?」
「ううん、何度か足を運んだことがあるよ」
「へぇ、夜に不慣れで、ライブハウスにも然程通ったことがない割に、こういう場所には慣れてんのかい?」
「うん、家の近くに一件あってさ。流石に夜遅くまで入り浸るようなことはなかったけど、何度かお世話になったことがあるんだ」
「ほぉん……いやそうか、確かに先の軽音部でもセッションには慣れた風だったし、即興で組むバンドには然程抵抗はないわけね」
「そうだね。ああいうのって本当、一期一会というか、その場限りだから。羞恥よりも集中力の方が勝るっていうか、怖気ていたら置き去りにされるし、皆の迷惑になるしね」
「いっひっひ……中々に分かってるねぇ。或いはそういった経験も加味して、その腕前があるのかもねぇ」
面白そうに笑いつつ、唐突な賛辞に僕は何も答えず、ただ恥じ入るように視線を伏せた。
そんな様子を見てサイコは尚更に笑い「こうも謙虚が過ぎるといよいよ言葉の意味も失せるな」と再度揶揄うように呟いた。
「そんじゃ、ま。早速いこうかい」
「え、あ、うん!」
毎度の如く彼女は先導するように歩みを進め、それに追従する僕は彼女の背を見る。
高い背丈は変わらずに注目を集めるけれども、やはり彼女には普通とは呼び難い独特な空気感がある。
それを化け物特有のものと呼ぶか、ないし獣じみた野性味と呼ぶかは分からない。
だがそれが彼女であり、僕はそんなサイコの放つ空気を居心地よく感じている。
(似てるのかもなぁ、お姉ちゃんに)
我が姉は間違いなく化け物だが、それに近しい人物は久しく見たかもしれない。
そんな彼女に、僕は、未だにバンドの誘いが出来ないでいる。
先の勧誘未遂以降、改めて分かったこととして、彼女はとても忙しい身だと知った。
現状、三つのバンドを掛け持ちする彼女だが、どのバンドも精力的で、毎夜彼女は各バンドの練習へと向かう。
そうなると彼女との会話を確保する暇というのも少なくて、必然的にメッセージ等でのやり取りばかりが続いた。
ならば文面で伝えればいいと思うかもしれないし、或いは学校生活のふとした隙に伝えたらいいと思うかもしれない。
ところが僕は、それは違う物だと思ってしまう。
別にドラマチックな雰囲気を求めている訳じゃない。
ただ、そういうやり取りというのは、一寸の隙だとか、僅かな暇の合間に交わすものではないと思っている。
何を小僧が生意気なとか、所詮ガキのママゴト程度に馬鹿馬鹿しい等々思われても構わない。
これは僕が彼女に抱くリスペクトを意味するし、だからこそ面と向かって、ちゃんと誠意を以って伝えるべきだと僕は思っていた。
「どした、アキラ? 今更ブルってんのかい?」
「え? ああ、いや、そんなんじゃないよ。少し考え事をね」
「考え事だぁ? 何かイヤらしいことでも妄想してたんじゃねえの?」
「そんな訳ないでしょ、何いってんのさ、もう!」
店の扉を半ば開けた状態で彼女は僕を呼び、それによって意識が浮上した。
彼女に招かれつつ、店内へと踏み入った僕は真っ先にステージに視線が向かった。
今し方、オールディーズな楽曲を演奏しているのは壮年の男性達だった。
ある一名は今時には珍しいリーゼントヘアで、内の一人はオールバックだったり、ともすればドラムの人物はアフロヘアだったりと実に十人十色の出で立ちだ。
客席に座り音楽に耳を傾ける人々を見る。
恐らくは大半が演者の側だろうが、個々人はやはり統一された歳でもなければ姿でもない。
中には抜き身のギターやベースを手に持つ人々もいて、それらを観察しているだけでも十分に楽しめるような絶景に映った。
「いらっしゃい……おお、サイコじゃないか。久しぶりに顔を見せたね?」
景色を悦として見ていると、傍に一人の男性が歩み寄ってきてサイコの名前を呼ぶ。
軽くお腹の出た男性はこれまた独特な見た目で、肌は壮年な風だがドレッドヘアと中々にパンチの利いた風貌だった。
そんな人物にサイコが返事をして、彼に差し出された紙を受け取る。
「うん、久しぶりマスター。ちっとばっか顔を出したくなってさ」
「いいねぇ、もう高校生だっけ? バンドの方はどう? 上手くいってるの?」
「まぁボチボチって感じかなぁ。んなことよりさ、今日ってもう予約リスト埋まってる?」
「いや、まだ各パートは余裕があるけれど……そういえばそっちの子は? お友達かい?」
視線を向けられて僕は少々の緊張感を抱く。
けれどもサイコはそんな僕の背を軽く叩くものだから、自然と一歩が出てしまって、僕は男性に迫る形になってしまう。
「あの、今日はサイコのお誘いで、初めてでっ。セッション、出来たらなって、思ってっ」
「おいアキラぁ……そうもビビってたんじゃあ伝わらんぜぇ? 何をどうしたいってぇ?」
「サイコぉ……!」
まったくもって彼女の悪戯というのはお困りだ。
僕等のやりとりを見て笑ったのは件の男性で、マスターと呼ばれたその人は何となくで察すると、気持ちのいい笑みと共に頷いた。
「うんうん、成程ね。サイコも人が悪いよ、もう少し優しくしてあげないとさ。見た目は確かに可愛らしいけれど、この子、ちゃんと男の子だろう?」
「あれ? どうして分かったのよさ、マスター。こうも可愛い顔付きに華奢な姿を見て……」
マスターの
「そりゃ色んなお客さんを見てるからね、分かるとも。それに外観はどうあれ、この子は……中々に骨太の精神の持ち主に見えるよ?」
「……流石はマスターだねぇ。そこまで見抜けるなんざ、いよいよ人の域を越えたかぁ?」
「さてね、実は憶測だよ。何せサイコがここに人を連れてくるのは初めてだし、見た感じ、お互いの信頼関係は
「成程ぉ、マスター……もしかしたら探偵業が向いてるんじゃねぇ?」
「いいねぇ、暇があれば副業でやってみてもいいかもね」
中々の推理だと僕もサイコも同時に拍手をしてしまう。
それに照れつつも、マスターはサイコにも手渡した紙を僕にも渡してきた。
「こういう場所は初めて……でもなさそうだね。じゃあ、その紙の書き方は分かる?」
「あ、はい、分かります! 自分のパートと得意なジャンルを書いて、それをマスターさんに渡せばいいんですよね?」
「うん、そうそう。割り振られてある番号で指名するから、自分の番号、覚えておいてね」
こういったセッションバーは大抵が似た形式だから、僕は迷いもなく答え、渡された紙に担当パートと得意ジャンルを書く。
往々にしてこういった場所ではブルースやジャズが好まれる。
或いは今も演奏しているオールディーズなんかも好まれる。
ようは年季の入った人達が集まる場所であり、僕達のような若い世代はあまり足を運ぶ機会はないかもしれない。
僕達よりも長く生きている彼等というのは、単純にいって、それだけの歳月を楽器と共に過ごしたとも取れるし、それだけ演奏の技量や知識、他に哲学なんかも持ち合わせている。
それが超絶の技巧と呼べるかは分からないし、やはり誰もが皆、練習量や歳月に見合うだけの実力や知識を持つとは限らない。
それでも刻まれた歴史は誰にも否定のしようがないし、今に至るまでに辿った道のりを表現することは当人以外に出来やしない。
それに触れ、味わい、感じる場所こそがセッションバーだと僕は思っている。
黴臭いような、古臭いような、若い世代が好まないような場所かもしれないけれども、そういった場所にしか生まれない音というのも確かに存在している。
「書けたかぁ、アキラ?」
「うん、書けたよ」
「どれ……ほぉん、ジャンルは何でもオーケーか。いうねぇ、対応は幾らでもできるって?」
「そういうサイコだってオールジャンルって書いてるくせに」
「ひっひっ……そりゃ当然。これだけのジジイ共が集まる場所で簡単に勉強が叶うんだぜ? そうなりゃ当然全部を観て聴いて吸収したいって思うだろ。駄賃程度の金を払うだけでそんなことが実現出来るんだぜ、これ程に優れた知識の宝庫も早々ありゃしねえって」
セッションバーを宝庫と表現したサイコに、僕はまったく同じ感想だと満面の笑みを浮かべてしまう。
「おーい、マスター。これこれ、書き終えたぜぃ」
「はいはい、どれどれ……ははは、やっぱり二人は似た気質かぁ。まぁ、さもなきゃサイコが連れてくる訳もないだろうしねぇ」
「おうともよ。んな訳だから、アタシ等はどこにぶち込んでくれても構わんよ」
彼女のお誘いを受けてから、恐らくこういう状況になるだろうとは思っていた。
例えば無差別級の試合みたいなもので、今宵、僕とサイコは音楽道場に殴り込みにきたという訳だ。
店内に踏み入った瞬間と同等か、それをも越える程の熱が胸の内に宿る。
脈拍の度に血が滾るように、僕は自然と臨戦態勢へと感覚がシフトしていた。
「ああ、けれども、マスター」
「ん? どうかしたかい?」
ところが、サイコには別の目的があるようだった。
彼女はマスターの耳元へと顔を寄せると、小さな声量で言葉を紡ぐ。
「テツコの手が空いたらさ……アタシとアキラを問答無用でぶちこんでくれよ」
その名前に僕はまったく聞き覚えはなくて、想像するに、彼女の友人なのだろうと察する。
(テツコ……女の人かな? 結構、渋い名前だなぁ……凄く年上なのかも)
わざわざ指名する程の人物に僕は自然と期待に胸が膨らんだ。
果たしてその人物は何処にいるのだろうかと僕は視線を泳がせる。
名前からして女性なのは間違いないだろうし、サイコが指名する程となればかなりの実力者なのかもしれない。
ならば相応の空気感がある筈だと確信し、僕は店内を見渡す。
「……あれ?」
店内には確かに女性客もいるし、楽器をやるだろう空気を持つ人物も複数存在している。
ところが妙だった。
女性はいれどもその数は少なく、そしてその人物達は皆、独特な空気感を持っていない。
演奏をすれば一気に豹変するかもしれないが、しかし現状、サイコの浮かべる笑みの理由と、その期待を思わせる素振りにまったく合点が及ばなかった。
(きっと、僕に会わせたい人なんだろうけど……どの人がテツコさんなんだろう?)
首を傾げつつ、僕はカウンター席に腰かけ、今し方演奏を終えたオールディーズの即興バンドに大きな拍手を贈った。
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