第11話 天魔


「そっちは中身、弄らないんだよね?」

「ああ、これはこれでいいと思ってるぞ! なんというか……多分、こいつは弄らなくてもいいと思えるんだ、その空気がある!」

「うん、そうだね。この音のハリもツヤも、とてもチャンバード構造から出るとは思えない劈くような歪みの質も、今の状態があってこそだと思う」


 ある意味、それは魔が宿るような、そんなギターにも映った。


 通常、セミホロウに近い形状のギターは強く歪まない傾向にあるけれども、彼女のペンギンは「だからどうした」といわんばかりに歪む。


 無論のことハウリングは発生するが、それも手元の弦アースやギターのボディを適当に操作するだけで掻き消える程度だ。その程度なら何の問題もないと呼べる。


 兎角、彼女の生み出すギターのサウンドというのは、恐らく魔の宿るペンギンならではというのも含まれるが、それを操作する人物の実力というのも無視出来ない。


「会う度に思うけど……どんどん音の深みが増してるというか、何というか……」


 はっきりいってしまえば、彼女の技量は僕の数十倍上にある。

 彼女の奏でるギターは、一言で現すとすれば〈ヒーロー的サウンド〉だった。


 例えば過去に名を馳せた著名なギタリストの多くは、各人でプレイスタイルも音の質も表現するジャンルも多種多様に渡れども共通することがある。

 それは誰が聴いても「あ、あの人のギターだ」と即座に頷けるような、象徴的なギタープレイを呼ぶもので、それは姉にもあった。


 設定としては高音に強く振り、中、低音域は同程度で、少し耳に刺さる感じがある。

 ところがペンギンに装備されるハムバッカーは中域を強く表現する性質を持つからか、程よくブレンドされ、故に耳に心地のよい、粒の際だった音質になる。


 技量は大味というか、ピッキングニュアンスは強い印象を受けるが、指先で操作されるピックは彼女の意のままで、狙い通り泳ぐピックは一音のミスもない。


 左手は対照的にとても丁寧な運動をする。

 不要に暴れるような動作もなく、どころか非常にリラックスした握りは縦横無尽に指板の上を駆け抜け、指先は無駄に力みもせず、いっそ何の力も籠めていない印象すら受けた。


 統合して、そこには剛柔の融和がある。

 高域に振っている気がするのにジューシーな中域を強く実感する程、ペンギンを操作する姉は己の編み出したギターの在り方を実演する。


 それは正しく〈ヒーロー的サウンド〉で、この特徴的な、不可思議を思わせる音の質感と、得意とするマイナースケールを主軸とした手癖が彼女を彼女と証明するギターだった。


「深みぃ? こんなもん適当だ、適当! あるだろう、なんかこの感じ嫌だなーとか、この音が好きだなーとか。それを一個一個やってったらここに行き着いて、んで、嗜好ってのはまた変化していく! 人の好みなんてどうとでも変わるんだから、来年、いやさ来月にはまたセッティングは変わるかもだぞ!」

「相変わらず理論とか抜きに、感覚だけでいうよねえ……テックの人、泣かせてない?」

「泣かすも何も、それがテックの仕事だろがい! そもそもだぞ、アキラには伝わるだろう、私の好み! だったら私に近くある奴等は全員共有出来る感覚であるべきだろがい!」

「いやいや無理があるよ、そもそも僕等は家族だし」

「でもお前は出来たじゃあないか!」


 そうだろう、と姉は僕を見つめる。


「だってそのジェットを弄繰り回して私の好みに仕上げたのはアキラじゃないか!」


 姉の言葉に僕は困った笑顔を浮かべ、手元にあるジェット改を見つめる。


 彼女のいったことは事実だった。

 このジェットを元の状態から今の改に至るまで、散々に弄繰り回したのは、当時、姉に我儘をいわれまくって仕方なしに頷いた僕だった。


 そんなことくらい楽器屋にでもいって頼めばいいのに、姉といえば「ダメだ信用ならん!」と一蹴し、これもまたギターの修行だからと僕にジェットを押し付けてきた。


「修行だっていうんなら自分でやればいいじゃないかっていってもさ……」

「無理無理、私そういう細かいのできねーもん! ハンダ付けとか配線とか覚えられん!」

「簡単だけどなぁ」

「アキラが慣れたからだろう? そりゃ世の中、自分で機材を弄る人間は五万といるけども、よもやモディファイにはまってあれこれ弄繰り回すとは思ってもいなかったぞ!」

「よくいうよ、まったく……まぁ、そのお陰かは分からないけれども、ギターの構造はある程度詳しくなれたけどさぁ……」


 実際問題、ギターの改造は簡単な部類だと僕は思った。


 シンプルにいうなら配線とハンダを扱えるなら誰にだって出来る作業で、ピックアップの交換やポッド類の交換、抵抗の追加だとか諸々を含め、然程難しいものはない。


 今時は配線図なんてインターネット上に幾らでも転がっているし、ポッドやコンデンサ等、抵抗の値段だって子供のお小遣いでも余裕で買える価格で販売されている。


 初めは姉の我儘に付き合う形で試行錯誤していたけれども、今となっては趣味にまでなり、時々はジャンク品のギターを安く手に入れて中身を弄ったりもしている。


「電装類で音は変わるか否か……例えばピックアップは別にしても、ポッド類やコンデンサを交換しただけで音は変わるかだが、実際問題どうなんだ?」

「うん、激変するよ。当然だけどね。ギターそのものを構成する木材はまた別にしても、極論をいっちゃえばエレキギターは名の通りに音を電気信号に変換して出力する楽器だもの。だから当然に変化するし、各メーカーだって、ハイエンド品には相応の部品が組まれてるし、ある程度のギターには、まあ……使える程度の部品が組まれてるよ」


 事実をいうけれども、所が世の中には論理性を無視するようなギターがあったりもする。

 その奇跡を体現する魔が宿ったギターが今、我が姉の手の内にあった。


 優美なルックスに愛嬌を持つペンギンのインレイ。

 だが古臭い構造だし、中身だって大した風とは呼べないし、通常、僕と姉の手にするギターメーカーの生む音というのは〈イナタイ〉と揶揄やゆされることがしばしばだ。それが故に僕もジェットの中身を現代風に弄繰り回した。


 だのに、彼女のペンギンは現代風の音を平然と吐き出す。

 僕はペンギンに手を入れていないし、彼女が手にした時からこのペンギンはこの異様さだった。


 だからこそに彼女はこのペンギンをメイン機に据えた。

 魔の宿るペンギンに恍惚とした笑みを浮かべながらに、まるで同じ血の通った生物を見つめるように、彼女は瞳に狂気を宿しながらこういった。


『ようやっとみっけたぁ。我が半身に相応しい狂ったギターだぁ』


 あの時程に歓喜を恐ろしいと感じた覚えはない。

 だが以降、彼女の代名詞はペンギンになった。

 常に彼女とペンギンは同じ扱いにもされた。


 或いは〈彼女を語る世間の皆〉は、愛くるしいペンギンこそが彼女の狂気を霞ませると語るが、それは大きな勘違いで「実際はより増幅しただけだよ」と僕は心のうちで呟きもする。


 兎角、僕は久しく生で聴いた姉のギターサウンドに心底圧倒され、その深みや、或いは切れ味の鋭い音質に、やはり僕と姉とでは差が大きすぎると思うと同時、また別の思いが過る。


(やっぱりいいなぁ。凄いや、お姉ちゃん)


 嫉妬心でもなく、羨望でもなく、僕の胸中に生まれるのは感心と憧憬どうけいに等しいものだった。


 彼女の狂気性というのはこの瞬間には存在しない。

 だがその片鱗に触れると、それだけで僕の顔には笑みが浮かび、そんな僕を見る姉の視線は何故か鋭さを帯びた。


「相変わらずよく笑うよなぁ……アキラは。やっぱり同じ気質だな、私達は」

「んへ?」


 姉は唐突に手を差し伸べてきて、それに頭を撫でられると頓狂な声を漏らしてしまう。

 何か変だったかと疑問に思いつつも、彼女を見ると、そこには強い眼光があった。


「音楽仲間、よかったなぁ、アキラ。これでようやっと〈私に一歩近づいた〉な?」

「うん、嬉しいよ。本当に凄い子なんだよ。あんなベーシスト、見たことなかった」

「よっぽど惚れてるんだなぁ。バンドは組むのか?」

「分からない……でも、組みたいと思ってる」

「そうかぁ。他のメンバーは? 誰かアテはあるのか?」

「ううん、そういうのはないよ。でも、サイコと……彼女とバンドを組めたら、今はそれだけでいいと思えるくらいなんだ」

「そうかぁ、それ程にイかした奴が……ん? おい待てアキラ。今そいつのこと彼女っていったか? まさか女か!?」

「え? そうだよ? いってなかったっけ?」


 それまで不穏な空気を醸していた姉だが、唐突にその事実を知ると怒りを露わに僕へと詰め寄ってきた。

 何が彼女の逆鱗に触れたのかは不明だったが、そんな折、傍ににあった携帯端末が振動した。


 何事かと手に取ってみると、そこには話題の人物からのメッセージが新着で届いていて、中身を見た僕はついつい喜びのままに飛びあがってしまう。


「〈よーアキラ。よかったら金曜の夜、セッションバーにでもいかね?〉……だって、お姉ちゃん! ねえ見て、友達が誘ってくれたよ! それもセッションバー! これってきっと、また一緒に演奏出来るってことだよね!?」

「いやいや待てこら! おいふざけんな、女だと!? どこの馬の骨ともしれないどこぞのスケが何をアキラに媚び売ってんだこら、ダメだ断りなさいアキラ! そいつは絶対にダメだ、間違いなくアキラの貞操を狙ってる! そうに違いない!」

「うわぁ、楽しみだなぁ、セッションバーかぁ……! 久しぶりだなぁ……!」

「おい聞いてんのか!? 兎角、誰だサイコとかいうのは、そもそも本当に女なのか!? 何にせよダメだぞ、お姉ちゃんのいうことを聞け! おいってば!」


 興奮冷めやらぬままに僕は歓喜に騒ぎ、そんな僕の肩を掴んで必死に叫ぶ我が姉。


 間も無く、騒ぎを聞きつけて母がご登場召されると、二人して拳骨を喰らい、散々に説教を聞く羽目になった。

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