第10話 姉弟


 その人物は、僕にとっては憧れの内の一人であり、最も影響を受けた人でもあり、更には我が師とも呼べた。

 幼い頃から男児宛らに快活かいかつで、家の内であれ外であれ何かと騒ぎを起こしては注目を集めた。


「遅いぞアキラぁ! どこをほっつき歩いてたんだ! もう二十時近くじゃあないか!」

「帰宅早々にお叱りはやめてよ、お姉ちゃん……これでも急いできたんだよ!」

「急いできただぁ? ふん、どうだかな! 何にせよ飯だ、飯! 折角久しぶりに帰ってきたんだから食卓を囲むぞ!」

「はいはい、分かったよ……」


 帰宅と同時に玄関で仁王立ちしていたのは我が姉だった。


 金のセミロングヘアに鋭い双眸、背丈も百七十センチと高い方で、細い身体つきに大きな胸は、世の男を狂わせる魔性の美女に映るかもしれない。


 ただ、その感想は間違ってはいない。

〈いっそのこと事実〉なのは確かだけれども、僕は肉親であるが故に邪な気持ちを抱く訳もなく、彼女のお叱りを適当にいなしつつも誘われるがまま食卓へと腰を落とした。


「今日はハンバーグだぞぅ、お姉ちゃんの大好物だぞぅ! 見ろアキラ、お母さんったらまぁ素敵! 私が帰ってくるからってこうも巨大なハンバーグを作ってくれたんだ!」

「うわぁ、本当にデカイや……これ全部食べるの?」

「勿論!」


 食卓には大皿を埋め尽くす程の巨大なハンバーグが鎮座していて、それを前にして彼女は垂涎して目を輝かせた。

 最早待ちきれぬとばかりに彼女は食器を操作し、豪快に貪るものだから、果たしてこれを女性と呼べるのかと呆れの気持ちが湧いてくる。


 様子を横目で見ながらに僕も箸を操作しつつ、内容を口に含みつつ、大食漢宛らにご飯をかっ喰らう彼女へと疑問を投げかける。


「それにしても毎度急に帰ってくるよね。何で連絡の一つもしないのさ」

「そりゃお前、あれだ、サプライズさ! アキラだって私と再会出来て嬉しいだろう?」

「嬉しいには嬉しいけど、こっちだって予定とかあるんだし、せめて前日くらいには教えて欲しいんだけど……」

「それはお母さんには伝えてあるからいいじゃあないか!」

「それが僕の所にまで伝わっていないのが問題なんだよ……」


 本日の母は大忙しだったらしい。


 それというのも当日に娘が帰宅すると知らされ、更には巨大ハンバーグが食べたいと強請られ、こうなると当然に買い物にいって必要な食材を買い付けたりする訳で、そうなると僕に連絡をする暇もなく、当人は必死にハンバーグを練り続けていたらしい。


 やはり姉こそが諸悪の根源じゃないのかと思うも口に出来ず、不服な思いを抱きつつも、久しく会う憧れの人物に内心では嬉しい気持ちもあった。


「ていうか、そんなに食べて大丈夫なの?」

「おん? 何が?」

「いやいや、一応は見てくれも大事なんじゃないのかなって」


 大食いをする彼女に気遣うつもりでそういうが、彼女は「何の問題もない」とだけいった。


「そもそも脂肪なんてのは刹那で燃焼出来るしな。先ずを以ってこの巨乳を維持するにゃあ、それに見合う飯も必要なのだよ、ふふん!」

「いやいや自分でおっぱい揉みあげないで、恥ずかしいからやめてよっ」

「はぁん? 何を恥じらう、たかだか脂肪の塊だぞこんなもん。よくもまぁ世の男共はこんな肉塊に興奮するもんだと呆れすら覚えるね!」


 そういうが、彼女の豊満なバストや程よい肉付きのヒップは、勿論のこと魅力的だが、第一にその顔――美貌こそに世の男性達は酔いしれているんだろうと僕は思う。


 肉親であれども、彼女の美形の程は頷く以外にない。

 彼女が通りを歩けばそれだけで視線は集まったし、通り過ぎる人々の内、振り返るだとか目で追うだとかも顕著に見えた。


 そんな彼女の性格は男勝りどころかおじさんのようで、口調も荒いし態度も大きい。

 美貌が惜しく思えるけれども、それでも彼女の豪放磊落ごうほうらいらくな様子というのは、何も僕だけが知ることでもないし、それを知る人々も、最早彼女をお姫様のように見るだとか佳人かじんと呼ぶこともなく、どころか……大将だとか親分と呼ぶ人すらもいる。


「さて……おいアキラぁ! お前今夜はどこで遊んでいやがったボケこら!」


 散々の暴食を終えた彼女は息つく暇もなく、唐突のように僕へと振り向くと怒鳴った。


「遊んでなかったよ! 高校の軽音部に顔を出して、それから友達と話してただけだよ!」

「……あん? 軽音部ぅ? 何だお前、ついぞバンド活動しようってか! おいおいそうなら先にいえって!」

「いう隙も与えなかったのはお姉ちゃんでしょ!」

「あれ、そうだっけ? なーっはっはっは! すまんすまん、いやぁ、てっきりお前ってば、いよいよ楽器に飽きたのかと思ったけども……」


 一寸の間を挟んで彼女は続ける。


「まあそりゃ有り得んか。お前が楽器を辞める時なんてこないんだろうし。何にせよ行動を始めたのは事実って訳だ」

「う、うん、そうだよ」

「が……いい感じって訳でもないと」


 彼女の双眸に睨まれる。

 まるで明け透けにいうが、彼女の言葉は的中していて、僕は無言で頷くだけだった。

 それに彼女は一度頭を掻いて唸り、静かに立ち上がると僕を見つめる。


「何にせよ音出しだ、音出し。ギターの腕はあがったかぁ?」

「練習はかかさずしてるよ」

「どうだかなぁ? その腕前とやら聴かしてみろやい!」


 彼女の挑発とも取れる言葉に僕は上等だと頷く。


 たった二か月とはいえ〈三日会わざれば刮目かつもくして見よ〉というやつだ。

 大きな進歩はなかろうとも練習の時間は裏切ったりはしない。

 自分の腕前を大した風とは呼べないけれども、それでもサイコをして喜ばせた事実が不思議と自信に繋がる。


 僕はギターケースを握り締めると先を行く姉についていき、招かれた部屋へと踏み入る。


「いい母を持ったよなぁ、私達は。毎度帰宅して思うけど、こうも丁寧に掃除されてると、帰る度に感動するぞ!」

「機材類は僕が掃除してるんだけどね……お母さんも、よく分からないから触れ難いって」

「ああ、だろうなぁ……元よりメンテは全部お前の担当じゃあないか」

「テックではないんだけどね……」

「いっそ専属になるかね?」

「嫌だよ! 第一僕のそれは趣味みたいなもんだし、そもそもはお姉ちゃんが強制的に勉強させたようなもんでしょ!」


 姉の部屋は凡そ女性らしくない。

 十二畳と広い間取りだが、ベッドを残して家具類は一切ない。


 存在を誇示するかの如くアンプ類が複数居並び、部屋の隅には電子ドラムなんかもある。

 壁周辺はエフェクター類が陳列されていて、整列するハードケース類の中には全てギターが保管されている。


 その光景は宛らに小さな楽器店のようだった。

 普通の人から見て異次元のように感じるかもしれないけど、僕のような人種からすれば理想的で、電子機器の放つ特有の香りだけが部屋を満たしていて、尚更に居心地がよかった。


「アンプは? 相変わらずボグナーがいいって?」

「うん、エクスタシー。使ってもいい?」

「普段から使ってるだろうに。お前、その歳でハイエンドばかり弄ってると感覚狂うぞ?」

「でもいいアンプを使えって口煩くいってたのはお姉ちゃんでしょ?」

「まあなぁ……実際問題、一番重要視されるのはアンプといっても過言じゃないからなぁ」


 複数あるヘッドアンプのうち、僕は最上部にある筐体へとシールドを接続する。

 軽く音を出しつつチューニングを確認し、頷きと共にストレッチを挟みながらギターを奏でた。


「ほうほう。左手の動き、少しばっかアダルトな雰囲気になったかね。ようやっと」

「うん、ようやっとって感じだよ……音はどうかな?」

「さしてダメって訳ではないな。ピックのニュアンスも自然だし。ただ傾向は少し変わってるな、ドンシャリに振ってるのか?」


 中域を大きく削っている歪みの質感に彼女は首を傾げた。

 それに僕は頷き、気恥ずかしさを感じつつも、先日からの変化を口にした。


「その……昨日ね、友達になったベースの子がいるんだ。その子が結構、存在感のあるベースを弾いてて、それに影響されたんだと思う。兎に角、攻撃的なサウンドでさ、凄いんだ」

「ほほー、お友達か、お前にお友達ねぇ……それも音楽のか」


 何故だか不機嫌になる姉だが、彼女は決して気に食わんという風でもない。

 僕を誰よりも知るだろう彼女からして、新たな第三者の登場というのが少し鼻につくんだろと思う。


「上手いのか?」

「うん、上手い」

「……即答する程か。お前をして唸らせるのは中々どうして、面白そうじゃあないか」


 静かに立ち上がった姉はベッドの傍に立てかけてあったギターを手に取った。

 シールドを射し込むとエフェクター類も介さずに下段に位置するアンプへと接続する。


「やっぱり優美だね、そのギター」

「だろう!? そもそもはこれを模してそのジェットを弄ってたんだからな!」


 接続されると共に吐き出されるのは激しいディストーションサウンドだった。


 彼女の握るギターは恐らく、誰が見ても目を惹く程に独特な空気を醸していた。

 色味も装飾品も、全ては僕の持つデュオジェット改に酷似している。

 ソリッドのブラックカラーにエルボーガード、特徴的なキャデラックテールピースなんかはまるでアメ車を想起させる程に派手だ。


 それでも異なる点は複数ある。

 ヘッドは大きな形状をしていて、ペグボタンは矢の羽を模すようなインペリアルペグと呼ばれる物を装着している。

 また、各金属部分は全て金色で、ペグも、テールピースも、ピックアップや各コントロール類やエルボーガードの全てが金メッキ処理されていた。


 最大の特徴はヘッド部とピックガードだろう。

 スパークルゴールドと華美に誇示されたヘッドのメーカーロゴと、ピックガードに小さく居座るペンギンの姿こそが、このギターがフラッグシップ機であることを如実に語る。


「こいつを手にしてからもう三年だ、早いのやら短いのやらだな!」

「にしても……もう傷だらけになってるね、この子も」

「そりゃな! 何せ私の相棒なんだからそうもなる! そのジェットも同じくだろう?」


 その言葉に僕は頷く。


 ジェット改はかつて、僕の憧れの人物から激励の言葉と共に譲り受けたもので、その人物というのが、今、隣に座ってペンギンを構えている我が姉だった。


 彼女は長くジェットを愛用していたが、ある時を境にペンギンをメイン機として迎えた。


 てっきりサブ機にでもすると思っていたけれども「私は浮気はしない!」とのことで、彼女はメインは一本と決めていて、以降、ペンギンこそが彼女の象徴になった。

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