第8話 嘲笑


「ほらよ、アキラ」

「ありがとう、サイコ……」


 駅前で突っ立っていた僕は差し出された缶ジュースを受け取り、内容を口に含む。

 不思議と味が薄く感じて、ある程度咽喉のどが潤うと、僕は溜息と共に口元から放した。


「そうも落ち込むなって。大体よぉ、あんな連中と音楽やったって楽しかねーぜ?」


 彼女も同じ飲み物を口にしていたが、僕の様子を見て隣に立つと励ましのような言葉を口にする。

 それでも僕は頷くでもなく視線を地に落とした。


 時刻は十八時だった。

 結局、僕はサイコに引き摺られるようにして軽音部から出てきた形になったが、受け入れられなかった事実に心底悲しい気持ちだった。


「先ずを以ってして音楽性がちげーのよ。別にどういう気持ちでやってもいいさ、音楽は。ただな、他者を否定して、さも己等の在り方が正しいというような態度は糞でしかねーよ」


 サイコは不機嫌そうにいう。

 そんな彼女の言葉と共に先までのやりとりが蘇ってきて、部長さんに拒絶された時の会話が脳内で再生された。



                  ◇



「む、向いてないって、なんですか?」


 突然の台詞に僕は理解が追いつかなかった。

 周囲の困惑した雰囲気もよく分からなくて、僕は狼狽えて部長さんに訊く。


「はっきりいえばさ、君のギターの腕前って上手い部類だと思うよ。そもそも初のセッションでお互いのことなんて知らんし、周囲の茶化した空気にも負けず、どころか上等だって感じで真正面から音楽でぶつかってきたわけじゃん。それってすげーとは思うわ」


 けれども、と彼は言葉を続ける。


「〈それで?〉って感じなのね、俺等からすりゃ。あー上手いんだね、凄いねって。よっぽど練習熱心で、コピーしまくったり理論の勉強をしたりとさ、研鑽けんさんの程は滲み出る程に伝わるけどさ、それって別に俺達が求めてることではないし。そもそものレベルが違いすぎてさ、別の星の生き物かなって感想しかないんだわ」


 彼は呆れたような表情で、頭を掻きつつ眉根を寄せ「なぁ」と周囲の生徒達に伺う。

 そうすると皆は同調するように頷き、その光景を見た僕は尚更に意味が分からなくなった。


「で、でも、ここって軽音部ですよね? それに、楽器を皆さんやっていらっしゃる――」

「いや本気じゃねーもん、俺等」


 割って入るような台詞に僕は愕然として目を見開いた。


「いやいや当然でしょ。こういうのって気楽に仲良く輪を乱さずにやるもんでしょ。モテたくて始める奴だっているし、何となく入った奴もいるわけ。そんな中で突然にのっけからセッションを要望するとか、さも当然かのように耳コピにアドリブまで挟むような実力者にこられるとさ、そりゃ苦笑いしか浮かばんって」


 僕はサイコを見る。彼女は何もいわず、ただ黙々と機材の片付けをしていた。

 どうやら彼女は部長さんの言葉を聞くつもりがないようで、粗方の作業が済んだ彼女は僕の方へと歩み寄ってきた。


「アキラ。ギター、少し触るけど大丈夫かい?」

「え、あ、え」

「片付け。やっとくよ」

「あ……」


 彼女の瞳の内には、怒りと、それから……悲しみのような色合いがあった。


 それに僕は何もいえなくて、彼女が丁寧に僕のギターやエフェクター類を回収する様子を後目に、部長さんへと顔を向ける。


「……空気が読めていない、ってこと、ですか?」

「うん、そう。本気でやる人ってやっぱすげーとは思うよ。でも俺達はそうじゃねーの。こんなの適当でいいんだよ。生涯続けることかも分らんし、ちっとばっか演奏出来りゃさ、それで気持ちがいいんだわ。そんな俺達のところに君や野間さんみたいな実力者が入部してみなよ、あとは簡単な結果になるぜ?」


 考えてみろよ、と彼はいう。


「実力的に大きな開きのある人間同士がどうやって気持ちのいい関係性になれるんだ? 君等の腕前に追いつくまでにどれだけの練習を強いられる。或いは技量を責められはしないか、落胆されるんじゃないか、等々……パワーバランスが釣り合わないと、それまであった平均値や平穏な空間は崩れるんだよ。見て分かる通りに楽器を始めたばかりの人間もいる、聴くだけが趣味の奴だってうちの軽音部にはいるんだぜ。そんな中で君みたいな人間が入ってきてさ、いざバンドを組もうってなって……お互いに不満しか生まれねえって」


 彼の言葉に僕は何も反論が出てこなかった。


 互いの距離は等しくはなくて、仮に技量や実力と呼べるものがあるとすれば、彼等はそれを求めていないし、向上心と呼べるものも持ち合わせていないという。


 音楽は競争ではなく、競技でもない。

 プレイスタイルも十人十色であり、趣味嗜好も同じく人の数だけあり、精神性だけを考えても万人に共通するものはない。


 彼等は僕の思う音楽とは違う部類の音楽を求めている。

 それを目的としているし、初心者であっても気軽にバンドに参加出来るような、そういった空気を求めている。


 僕としては技術だの実力だのというのはどうでもいいと思っている。

 ただ、僕の思う〈どうでもいい〉と彼等の思う〈どうでもいい〉は全く違うものなんだと悟った。


「分かったかな? 君の考える〈普通〉は必ずしも他人の思う〈普通〉と同じではないんだよね。そんで俺等の思う楽しいバンド活動と君の思うバンド活動も違うのよ。仮に先の演奏に対して感想をいうんなら、うちの部員は口を揃えてこういうぜ」


 呆れたままの瞳で部長さんは僕を見つめる。


「得意気に実力を見せびらかして、悦に浸ってるだっせー奴……なぁ、そうだろ、皆?」


 笑いが起きた。

 それは嘲笑に等しいものだった。


 果たしてそうも僕はナルシストな風に見て取れたのだろうかと自問する。

 そもそもは嘲笑に対してギターで応えたのが始まりで、そこにはやはり、僕にとっての矜持や強い信念が起因するものがあった。


 だがそれは〈場を荒らしにきた訳知り顔の、ギターに自信のある勘違い野郎〉に映ったのかもしれない。

 そう思うと急に羞恥心が溢れてきて、顔が赤くなって、涙が溢れそうになる。


「いいや。アキラは最高にかっけー、実にイかした男だったよ」


 そんな時だった。

 堪え切れずに涙が落ちる寸前に、僕の頭に手を置いたのはサイコだった。


 彼女は僕の機材を片付け終えるとそれを背負いながら、そして僕の背後に強く立ったまま、部長さんを鋭く睨み付けていた。


「思った通りだったぜ、アキラ。あんたぁ、いーい顔で弾くよねぇ……反応もいいし楽曲の理解力も高い。雑魚の技量を気にしつつもバンドとしての役割をまっとうにこなそうっていう気配りもあった。本当に初めてだったのかってくらいさ、楽しかったよ」


 雑魚、と呼ばれた部長さんは怒り心頭に立ち上がった。

 そんなままに彼は僕達へと接近しようとするが、それを見てサイコは


「対してどうだ、こいつは。周りの奴等は。何故にワクワクしない? 何故に簡単にベースを譲るんだ? 喰らい付いていこうとしねえし、手前等の実力の不足を自覚してるくせに見て見ぬふりして、自尊心を保つ為なら上級者に対して異常者のレッテルを貼りやがる」


 サイコは腕を伸ばすと部長さんの胸倉を引っ掴んで僕達へと引き寄せた。

 それに部長さんは驚きの表情で足元はふらふらと覚束ない。

 サイコは彼へと顔を寄せると、心底に見下したような表情をする。


「だからそうもいきどおる。簡単な侮辱の一つで顔を真っ赤にして詰め寄るしか出来なくなる。分かるかい、手前の内にある怒りの正体ってのが。それはな、手前自身が手前自身に落胆してるからさ。それの名前はな……劣等感っていうんだぜ、雑魚共」


 彼女は部長さんから周囲へと視線を泳がせる。

 それをまともに見ることが出来ない生徒達は、不服そうに、それでも視線を逸らすしか出来なかった。


「それが手前等だ。何が青春をより楽しむ為に皆でワイワイガヤガヤやりましょう、だ。アキラ一人の熱を前に圧倒されるような青春だって? そんなもんは青春じゃあねえ。単なる努力をしない為の言い訳だ。ただただ純粋に音楽を楽しんで、全ての音を逃すまいと必死になってギターを掻き鳴らすアキラこそが青春の姿だろうが」


 サイコは部長さんの胸を強く押す。

 それにより彼は尻もちをつく形で倒れてしまい、僕は慌てて彼を起こそうとするが、そんな僕の腕をサイコが掴んだ。


「そうやって言い訳を続けて正当性を叫び続けりゃいい。仲良しごっことは名ばかりの足の引っ張り合いを延々と続けてりゃいい。手前のことなのに、何で必死になるのを格好悪いだとか馬鹿馬鹿しいといえるのか、まるでアタシにゃ理解が及ばねえよ。手前の人生、そうも冷めてて、何が楽しいってんだ」


 サイコは僕を引きずりながら、最後にその言葉を残して音楽室を後にした。


 遠ざかる音楽室から楽器の音は生まれなかった。

 その後にどういった空気になったかは分からないけれども、一連の流れを思い出した僕は、虚しい気持ちのまま嘆息し、隣に立つサイコを見る。


「まーた溜息かぁ、アキラ……そうも嫌な思いだったん?」

「そりゃあ、嫌というか、その……誰かに否定されるのって、辛いもん……」


 サイコは僕をいっぱい褒めてくれたけれども、彼等はそうじゃなかった。


 大衆に受け入れられるからこそ正義だとは思わないし、僕は僕の音楽性というのは間違いなんかじゃないと信じている。

 それでも先の嘲笑や部長さんに面と向かっていわれた「だっせー奴」という言葉が胸に突き刺さっていて、それが故に僕は沈んだままだった。


「ったくさぁ、あんたぁ……なぁんでそっちにばっか意識が向くんだかね」

「え?」


 そんな僕を見て、サイコは実に不機嫌そうに、不満そうに僕を見る。


「アタシとセッション出来たの、そうもつまんなかったかよ?」


 彼女の言葉に、僕は今更ながら「ああ」と実感を抱いた。


 昨夜、僕は彼女に圧倒されるばかりで、そのプレイスタイルを前にして、彼女もまた化け物の一人だと思った。

 そうして彼女とバンドを組めたらいいなと、淡い願いすらも抱いた訳だが……形はセッションであれども、それでも憧れの人物と早々に音を重ねられた。


 彼女が僕を真っ直ぐに見てくる。

 その瞳が訴えてくる。


 嫌な思いがあったのは事実にせよ、己との共演はそれに霞む程度の昂りでしかなかったのか――そんな寂しそうな瞳だった。

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