第7話 圧倒
「先輩……何でサイコと険悪なのかは分からないですけど、何にせよ……僕のギター、聴いて頂けたら嬉しいです」
先輩は戸惑った顔だった。
他の部員達も同じような顔だった。
先までの小馬鹿にした態度も掻き消えて、僕がギターを構えると、それだけである程度の空気は伝わったようだった。
僕の腕前は決して大した程度じゃない。
世を騒がせるような天才性もなければ突飛抜けたようなセンスというのもない。
ただ、それでも小学生時代から今に至る数年の間、僕はひたすらにギターと向き合ってきたつもりだった。
その事実だけは、絶対に、笑わせやしない。
「渋いじゃん、アキラ……ストレイ・キャッツ? それとも
サイコは笑んでいる。
それは先までの憤怒の表情とは打って変わったもので、かつ、瞳の中には昨夜のような
彼女は何故か確信したような顔だった。
まるで期待通り――そんな風で、僕は彼女の言葉に笑うと、手近にあるアンプへと歩み寄る。
「先輩。楽器は何を?」
「……ドラムだけど?」
「なら適当にジャムりませんか?」
「はぁ? セッション? 本気か? いきなり?」
彼の言葉に僕は首を傾げる。
「……? 出来ますよね?」
彼が何をいっているのかがよく分からなかった。
音楽は往々にして〈決めごとがない状態から始まるのが普通〉だからだ。
当たり前だが、コピーにせよ、共通の目的がある場合ならば楽曲を用意するし、必要であれば譜面も用意するし、ある程度の練習もする。
ただ、これはジャムの形だ。
セッションバーで偶々組みあがった人物達と即興するのと同じで、必要なのはキーだけで、後は〈適当にその場の空気でやる〉のがジャムセッションだ。
僕が不思議そうにしていると先輩は憤った表情を浮かべるけれども、スティックを荒々しく掴み、角にあるドラムの元へと歩み寄り椅子に腰を据えた。
それを確認し、僕はスタンバイ状態にあったアンプのパワースイッチを指で弾いた。
アンプはマーシャルのJCM2000。
どこにでもある、けれども王道を逸れぬ完成されたアンプだった。
操作性もシンプルで、僕は左手の指を泳がせながら出音を確認する。
室内の環境――あまり防音性能は高くないし吸音性も大した程度ではない。
中、低音域が宙で渦巻いて空回ると判断し、高域に振ったセッティングを組む。
次いでエフェクターのペダルを踏み、アンプに追従する程度の、抑え気味の設定にする。
「しっかし、グレッチねぇ? また似合わないギターなんか握っちゃってさ、誰に憧れたのかもしらんけど――」
先輩の言葉を遮り、僕は躊躇いもなく、当然のようにピックを滑らせた。
中耳に突き刺さる程に鋭利なディストーションサウンド。
得意のマイナーペンタを丁寧に、その日その瞬間のコンディションを自問自答するように、ギターと会話をするように左手を指板の上で走らせ右手のピックで弦を弾く。
腰溜めに構えたジェットの機嫌を確かめつつ、そして自分の感覚を確かめつつ、僕は普段通りのストレッチを含めてギターを掻き鳴らした。
「い、いやいや、嘘でしょ、あれ」
「何あれ、速弾きってやつ?」
「つーか音エグくね? 予想外すぎるんだけど」
空気がざわつくのを感じる。
様々な感想が生まれ視線が集まるのを感じる。
緊張感はなかった。
先までの焦燥感も不安感も全て薄れて、今、僕は僕という人間を証明すべくギターを弾いていた。
調子を確認し、納得となったら軽いチョーキングを挟み、コードを叩いて了となる。
「なあ。弾かないんなら退きなよ、あんた」
そんな最中だった。
僕の傍に立っていた筈のサイコはベースアンプの前で突っ立っていた一人の生徒にそういった。
既に彼女の手には剥き身のベースが握られていて、彼女は待ちきれないかのような表情で、そんな彼女と見合った生徒はアンプからシールドを引き抜くと即座にその場を退いた。
「ダメだよ、サイコ! あまり失礼なことしちゃあ……!」
「いうてもセッションでしょや? だったらさぁ、弾く素振りもねー奴よりかは、アタシみてーなやる気の迸る馬鹿に立たせた方がいいじゃんよ……違うかい、アキラ?」
「もうっ……」
彼女の足元には昨夜に見たものと同じボードが敷かれ、センドリターンでアンプへ接続されると、相変わらずの説得力と存在感のある低音がキャビネットから吐き出される。
軽く設定をする最中に彼女の左手の指が動く。
それもまた昨夜と同じく彼女の得意とするだろうキーから始まるペンタトニックで、その音を耳にして僕も同じ
それに彼女は笑う。つられて僕も笑みを浮かべ、それだけで互いの理解は完了した。
「曲で寄越せや、曲で」
「あ、す、すみませんっ……」
では何のキーから展開しようかと口にしようとした途端に部長さんが不機嫌そうにいう。
それに対する僕とサイコは、先に聴こえていたバンドサウンドを思い出した。
それは流行りのポップスで、ギターロックと称するならばそれに含めてもよい空気の曲だった。
「なら、さっき演奏していた曲をやりませんか?」
「は? 弾けんの、君等?」
「えっと、僕は大丈夫です……サイコは?」
伺うように問うとサイコは数瞬、空を見て思案する素振りをした。
けれども問題がないように頷くと、僕も同じく頷いて部長さんを見やる。
「……コピーしてたのか?」
「あ、いえ、さっき聴こえてたので。その、特に複雑でもないですし、ほとんどパワーコードですよね? キーは……ここだよね、サイコ?」
「ああ、そこでいい。ただ全体の展開わかんねーからワンハーフでいいんじゃねぇの?」
「うん、そうだね。そしたら、部長さん、カウントを」
部長さんは何かをいいたそうな表情だったけれども、彼は僕とサイコの様子を見ると諦めたように金物を叩きカウントを刻む。
滾るような火炎の熱は未だにある。
それでも今、四肢の隅々に至るまで甘い痺れがあって、それは脳の全体までをも支配すると、筆舌にし難いような
スティックが最後のカウントを意味する一打を放つ寸前、僕の全神経が指先へと集約された感覚に陥る。
堪え切れない貪欲な気持ちが「早く掻き鳴らせ」と僕にがなり立てる。
「そうも急くな」と爆ぜる血脈のどこかで弁が語りかけてくる。
けど、もう、刹那の後には音楽は始まるというのに。
ああ、冷静さなんてものは、きっと、ぶち壊す為にあるんだろうと、僕はピックを滑らせると同時に結論へと至った。
「ふ、ぅっ――」
息を吐くと同時に僕はコードを掻き鳴らす。
元の楽曲では歪みは抑えられた風で、僕のディストーションエフェクターのゲインレベルはほんの少し程度だった。
だが、それでもピックのニュアンスは鋭利で、弦の振動を拾うピックアップは一つの偽りもなくそれを電気信号に変換し、ギターサウンドがキャビネットから放出される。
一音――全てはここから始まる。
この一発目を躊躇ったが最後、その音楽は誰がどう聴いても糞になる。
だから戸惑いもせずに僕はピックを滑らせ、楽曲の通りにコードを弾く。
「はは、はははっ……やっぱだ。あんたいいわ、アキラ……」
サイコが見つめてくる。その瞳には昨夜と同程度の狂気がある。
だが浮かぶ笑みといえば堪えようがない風で、それを見て僕も笑ってしまう。
彼女の音はやはり圧倒的だった。
弦をタッチする右手の運動も、指板を行き交う左手の運動も、力の加減も、若干走り気味なタイム感も、彼女のらしさが前面に出ていた。
それに応えるようにギターを弾く。
楽曲のまま
アンサーするのはサイコだ。
時にトリプルフィンガーを挟み、ゴーストを小気味よく仕込み、生まれるグルーブに対して僕の中の興奮は絶頂に近くなる程の昂りを感じた。
(楽しい……楽しいなぁ。うまいなぁ、サイコ……部長さんも、怖い顔してるけど、ちゃんと叩いてくれてる)
部長さんは手慣れたようにドラムを叩いていた。
それもこれも普段から練習している楽曲なのもあるだろうし、ある程度の実力もあってか楽曲に対する理解度や、或いは僕達のプレイを見て対応するだけの地力が伺える。
気持ちがよかった。
僕にとってバンドスタイルは初めてのことで、一つの楽曲を自分達の演奏で出力している事実に感動していた。
曲はサビへと移る。マイナー調のそれらしく、切なく悲しい空気が醸されるけれども、楽曲を阻害しない程度の分散コードを挟み、より
それにサイコは反応し、僕のコードを目で把握すると追従するように左手を泳がせ右手を走らせる。
楽曲に対する
僕が思う楽曲のアレンジと、それを理解して対応するサイコの力量とに感無量で、僕はつい、本心を零してしまう。
「やっぱり、サイコと組みたいなぁ」
その言葉が誰に聞かれることはないにせよ、最後のコードを叩き演奏は了となった。
終わりを迎えた時、僕はサイコと自然と見合って笑みを浮かべ合った。
そうしてサイコが面白いものを見るような顔をして「やるじゃん」と呟くものだから、僕は赤面する顔を伏せて、小さな声で「ありがとう」と応えた。
「ああ、十分に分かったわ、君のこと」
そんな爽快感に浸っている僕に、突然に鋭い声色で部長さんがいう。
驚いて顔を跳ね上げた僕は、彼の表情に怒りがあるのが分かった。
「君の入部、拒否するわ。向いてないよ、うちの軽音部に」
「え……?」
僕は周囲の顔を見る。
今の今まで楽曲にのみ意識が向かっていた僕は、今、初めてこの場にある人物達の顔に浮かぶ表情を見た。
それはどこか強張っていたり困惑したような笑みで、彼等は皆、僕とサイコに対し、冷めたような空気だった。
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