第5話 決意


 サイコのバンドは激情系と呼べる、所謂はラウドな音楽だった。

 コアの要素を含む最も現代的なバンドサウンドと呼べるけれども、これは僕も好むジャンルだった。


 ライブの間、僕はサイコばかりを見ていた気がする。

 それ程に彼女の存在感や説得力というのは群を抜いているように映った。


 決して他のメンバーが技術的に劣るだとかキャラクタ性で劣るということではない。ただ、それでも耳目じもくを集めるのは彼女の持つカリスマ性が由来するのかもしれない。


 ステージ後の余韻は強く、僕は多くのオーディエンスが去る中、その場を動けずにただただ感動に浸っていた。


「いよう、アキラ。どうだったよ、アタシのライブは?」


 そんな時だった。熱を帯びた風と共に僕の隣にやってきたのはサイコで、未だ汗を滴らせる彼女は満面の笑みを浮かべて僕の肩を叩く。


 彼女の顔を見上げた時、そこには早朝に見た時の勇ましさだとか、先の楽器屋で見たような飄々とした空気はなくて、歳相応に無邪気な風だった。


「凄く格好良かったよ、サイコ! 演奏も上手だしパフォーマンスも抜群だし、とても同い年には思えなかった!」

「ひっひっひ。そうも褒められると流石のアタシでも照れちまうねぇ……あんがとさん」


 元より彼女が楽器をやっていることは知らなかったし、今夜のライブも偶々に彼女と出会い、誘われたから足を運ぶ形となっただけだ。


 それでも僕の心は充足感に満ちていた。

 彼女を知った切っ掛けからして不良だとか不真面目だとか野蛮人のように思っていたのに、そんな偏見は全て掻き消えていた。


「そいで、まだこの後もバンドはあるけども……時間は大丈夫なのかい?」

「え? あ、そうか、もうこんな時間なんだ……」

「元より無理矢理に近い形で誘ったからねぇ。無理に付き合わなくったっていいんだぜ」


 時刻を確認すると既に二十時近くで、僕はその事実を忘れていたことと、携帯端末に複数メッセージがあることに気がつき、今更ながらに焦燥感が湧いてくる。


 僕の焦った表情を読み取ったのか、サイコはおもんばかったようにいった。

 それに小さく頷きを返し、僕は改めて彼女の顔を見た。


「ありがとう、サイコ。今日はもう遅い時間だから、残念だけど帰るよ。きっと残りのバンドも素敵なんだろうね、聴けないのが残念だなぁ……」

「あんた、本当に音楽が好きなんだねぇ。それもバンドが。普通、目当てのバンドくらいしか観にこねえってのに」


 俯いた僕に対し、彼女は面白いものを見るような顔になる。


「何も今夜だけが全てじゃないんだ。またイベントやライブがあれば観にくればいいのさ」

「そうだね……うん。なら、次は別の機会に足を運ぶことにするよ」


 僕は改めてギターバッグを背負い直す。

 そうしてから再度携帯を確認するが、そんな折、突然に彼女が僕の携帯を取り上げた。


「え、ちょっと、サイコ?」

「まぁまぁ、ちょいと待ちなって。ほいほい、ほいっと……よし、これで登録完了っと」


 手慣れたように操作する彼女は満足した顔になり、僕は彼女から携帯を返してもらう。

 そうするとメッセージアプリに彼女の名前が登録されていて、僕は友人枠に新たに加わったサイコの名前を見て不思議と感動してしまった。


「よかったの、サイコ? あんまり他人と絡むようなイメージはなかったんだけれど……」

「それは実際にそうだねぇ。人間関係とかシンプルな方がいいし。けども……」


 僕の視線に合わせて身を屈ませた彼女は、屈託のない笑みで僕を見て、鼻頭を人差し指で軽くつついてくる。


「ステージでもいったろ? なんか居心地がいい人間ってのが好きでさ。そんで、アタシにとってあんたは既に友達なのよさ」


 仮に、友人になるまでのプロセスというものがあるとすれば、それの道のりや経緯というのは多岐に渡るし、個々人によって境界線は変化するものだと思う。


 だけど、僕は彼女のその台詞に同じ気持ちになるくらい、僕にとって彼女は、最早他人とは思えない距離感だとか、価値観を持つ間柄のように思えた。


「友達かぁ、友達……かぁ……!」

「おいおい、なぁにを感動してんだかね、アキラちゃんってば」

「だってさ、僕、高校に入って新しい友達が出来なかったから、凄く嬉しくて……!」

「アタシもそんなもんだよ。そもそも授業に出てねーし。だけれども、こうして新しい出会いってのがあるからおもれーよねぇ」

「あ、そうだよ、ちゃんと授業に出なきゃダメだよ、サイコ! 下手したら退学だって有り得るし、その、君ってば陰で――」

「〈退学候補生〉だろ? 別に何と呼ばれてもいいんだけどね。けども、あんな退屈なガッコーにアキラがいるって分かりゃぁ、少しくらい体裁ってのを保ってやってもいいかもね」


 折角友達が出来たんだし、と呟いた彼女に対して僕は大きく頷く。


「んなら……さようならじゃねえよな、アキラ?」


 大きな背で彼女は僕を見下ろし、僕は見上げる形となる。

 次第に暗転する景色に次のバンドの登場を予感しつつも、僕は彼女が小さく手を振る仕草に対して同じように手を振った。


「うん! また明日ね、サイコ!」

「いっひっひ……ん、また明日、ね」


 身を翻して僕はこの場から去る。

 彼女は未だこの場に留まり、打ち上げにも顔を出したりするのだろう。


 それでも僕と彼女は友達になった。


 今夜限りの関係ではないし、こういった特殊な場所だけの友人関係ではない。

 同好の士と呼べる間柄かもしれないけれども、僕の胸中には様々な気持ちと堪え切れないほどの感動が溢れていた。


「ちゃんと授業に出てくれるかなぁ、サイコ。そうなればいいなぁ」


 帰路を辿る最中、僕は呟く。

 高校という環境は僕が想像していたようなものではなかったけれども、彼女と共に青春を過ごせたらどれだけ楽しいだろうかと、そんなことを思う。


 軽やかな足取りのままに帰宅した僕は、少々のお叱りを母親から受けつつも熱が冷めやらぬままで、結局、就寝の時までひたすらにギターを掻き鳴らしていた。



                 ◇



 明くる日に登校すると僕の教室に人だかりがあった。

 騒ぐ人々に疑問を抱きつつ、人の垣根に割って入り、少々乱れた制服をただしながら、その光景に口を大袈裟に開けてしまった。


「いよう、アキラ。おはようさん」

「サ……サイコ!? 何でここに!?」


 窓際の最後尾に彼女は当然のように座っていた。

 野間彩子のまあやこ――サイコの異名で通る彼女は僕を見て微笑み、当然のように歩み寄ってくる。


「何でも何も、アタシの教室だもの。そりゃ当然にやってくるのよさ」

「まさか同じクラスだったなんて、全然知らなかったよ……」


 思い返してみても彼女の座っている席は常々空席で、何の為にあるのかと疑問を抱けども追求した覚えはなかった。

 そんな席にあるべき主がようやっと腰を据えたのだから、教室の騒然とした空気や、常々保健室に姿を消す彼女を間近で見た生徒達の驚愕の程も納得だ。


 兎角、予想外の事態に驚きつつも彼女と同じクラスだという実感が遅れて湧いてくる。


「そっかぁ、同じクラスだったんだね、よかった! 嬉しいなぁ、サイコと一緒に授業を受けられるんだねぇ!」

「一々大袈裟ってもんだぜ、アキラよぉ。何をそうもはしゃいでんだっての……」

「だって昨日の今日だもの、ちゃんと顔を見せてくれたのも嬉しいけどさ!」

「まるで子犬みたいだねぇ、ったく……まぁ悪い気はしないけどさぁ」


 傍から見たら珍妙な光景にも映ったかもしれない。

 関連性の欠片もない僕とサイコが当然のように言葉を交わし、更には名前と愛称で呼び合う物だから誰もが理解の追いつかない顔をしている。


「おいおい、驚きにも程があるぜアキラ……もしかしてサイコとは顔見知りだったのか?」


 そんな光景に疑問を呈する人物というのは数少なく、その勇気を持って皆の胸中を代弁するように言葉を紡いだのは美鈴だった。


「おはよう美鈴。うん、昨日からね、友達になったんだ。サイコはね、ベースを弾くんだよ! 五弦のね! 凄く上手いんだ!」

「……何だかよく分かんねえけど、成程、音楽関係か。それにしても意外な組み合わせ過ぎるけども……だからあんたぁ、ケース担いできたんだな」


 美鈴の視線の先に彼女の席があり、傍に立てかけられているセミハードケースがあった。

 恐らくは彼女の五弦ベースが中で眠っていると思われるが、今更ながらにその存在に気がついた僕は再度彼女を見た。


「ベース、持ってきたの? 今日もライブ?」

「いんや、今日はバンド練があるからね。どうせだし持ってきた方が手間も減るから、ついでにね……ところでこのヤンキーみたいな男は?」

「いやいやドのつく不良ギャルがそれを口にするかね……俺は美鈴。アキラの友達だよ」

「へぇ……あんたって結構、意外な人種に好かれるんかね、アキラ?」

「へ? なんで?」

「だってさぁ、アタシも外観含めて性格もパーだけど、こいつも個性つよつよじゃん?」

「自分でパーって認めんのか、なんかそれこそ意外だけどなぁ」

「それくらいの自覚もなきゃ手前勝手に出来やしねーのよさ」

「はぁ、男気っつーか、なんつーかだなぁ……」


 既に打ち解けたように自然と言葉を交わす幼馴染と友達とを交互に見て、僕はまたも満面の笑みを浮かべてしまう。

 そんな僕の様子に美鈴は安堵したような顔になり、僕の肩を優しく叩いた。


「よかったなぁ、アキラ……音楽仲間、出来たんだなぁ」

「うん……サイコからはいっぱい勇気も貰ったし、僕も僕で決心がついたんだ」

「決心? 何の話しさね、何か悩み事みたいなもんでもあるわけ?」


 話の筋が見えないサイコは疑問をそのまま口に出した。

 そんな彼女の疑問に対して、僕は奮起した顔のままにいう。


「うん。僕、ずっと軽音部に入りたかったんだけど勇気がなかったんだ。でも、今日こそは入部届を持って、見学にいくんだ!」


 はっきりとした口調で宣言すると、サイコは最初、目を真ん丸にして驚いた顔になった。

 けれども次第にその表情はどこか陰が落ちたようにぎこちなくなり、段々と落ちる瞼を見て、今度は僕が疑問符を浮かべた。


「……そうかぁ。バンド、やりたくてかい?」

「うん!」


 即答しつつも「そういえば」と僕は別の疑問を抱く。


 サイコはベースプレイヤーだしバンドを組んでいるけれども、彼女は軽音部に所属しているのだろうか。

 彼女は元より有名人だが、そんな人物が軽音部に所属しているとなれば噂になるだろうし、あのプレイスタイルと年齢に不相応な程に磨きのかかった実力があれば間違いなく時の人の扱いをされるはずだ。


 けれども、僕が彼女の存在を知ったのは昨日のことだし、そもそも軽音部にそういった人物がいるという話しも聞いた覚えがなかった。


 サイコ程に音楽を愛する人物ならば軽音部に所属していても可笑しくはないだろうに、何故に彼女は外部でバンドを組んでいるのかと、今更ながらの疑問が浮かぶ。


「ついにはらぁ括ったか、アキラ!」

「うん! 受け入れて貰えるか分かんないけど、今日こそは絶対に入部届を出すよ!」

「よっしゃ、頑張れよ!」


 僕の決意を素直に喜んでくれる美鈴に対して、先からサイコは何かを思い悩むような素振りだった。

 そうして幾度か口をまごつかせると、彼女は予想外の言葉を口にした。


「それ、アタシも付き合っていいかね、アキラ?」

「え?」


 唐突に己も同行していいかと彼女は提案した。

 それに否定の意見はないにしても、放課後はバンド練習があるといった彼女が無理に付き合う必要はないように思える。


 そもそもの時間的な猶予がどれ程あるかは不明だったけれども、何にせよ彼女の存在というのは有難かったし、もしかしたら彼女も興味を示して軽音部に入部してくれるかもしれない。

 そうとなれば彼女とセッションをする機会もあるかもしれないから、僥倖ぎょうこうというか、実に嬉しい提案だった。


「勿論だよ、サイコ! 心細くなかった訳じゃないけど、サイコもいるなら安心だよ!」

「そうかい? まぁあんた一人で心配ってのもあるけど、もしかしたら音出しさせてくれるかもしんねーし。そうなったらさ、聴けるじゃんね。アキラのギターをさ」


 サイコの瞳に鋭い輝きが浮かんでいた。

 それは不穏なものではないけども、まるで得物を見定める獣のように獰猛な視線だった。

 その瞳と対峙して僅かに緊張と怖気が生まれたけれども、それに勝るのは興奮だった。


「見た目幼女のギター男子は一体全体どんな演奏をするのか……んで、どんな竿を振り回すのか。気になるよねぇ」


 品定めをするように彼女が視線で僕をねぶる。

 僕は担いでいたギターケースを降ろすとそれを抱きしめ、彼女の瞳に負けじと真っ直ぐに見つめ返した。


「僕の腕は全く大したものじゃないけど、それでも……サイコに気に入ってもらえたら、嬉しいなぁ」

「いっひっひ……あんたってフニャフニャしてんだかキリッとしてんだか分かんねえなぁ」


 けれども、と彼女は言葉を続ける。


「いい目をしてるよねぇ。初めて会った時から思ってたけどさ。あんたもきっと、アタシに負けず劣らず、かっけーんだろうねぇ」

「あ、あんまり変に期待しないでよぅ……うぅ、緊張が」

「おいおい、放課後まで時間はありまくりなんだぞ、アキラ。今からそれでどうすんだよ?」

「そうはいっても美鈴、サイコってば本当にベースが上手なんだもん、緊張するよぅ!」


 怖気てどうする。尻込みしてどうする。


 サイコに気に入ってもらえるのだろうかとか、もしも嘲笑でもされたらどうしようとか、そんな不安を抱くけれども、僕の思うサイコはそんな人物なのかと自問する。


 けれども即して否と答えが浮かぶのだから、例え僕の腕前が児戯じぎに等しかろうとも、彼女ならば穏やかな笑みを浮かべて最後の一音まで聴いてくれるはずだと、そう思った。

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