第4話 怪物


「んじゃあいってくるぞー、アキラ。しっかり目に焼けつけておけよぉ?」

「うん、頑張ってね、サイコ!」

「ひっひっ……おうさ、適当にやるともさぁ」


 彼女が人々を押しのけて楽屋裏と思しき方向へと歩いていく。

 そんな彼女を見た複数の人物達は彼女に声をかけ、様々な感想を口にし、或いは発破をかけたりとしている。


 その様子を僕は見送る。

 笑みを絶やさず、誰に対しても同じような対応をしているのに、その背中には今すぐにでも全てをぶち壊して、人々を己が口腔こうこうに放りこんで貪りたいというような、そんな空気がある。


 過剰な表現なんかじゃない。

 今、ステージに立っている人々も、或いは彼等を見上げる複数の人々も、きっと同じ気持ちでそこに立ち、或いは立とうとしている。


 自分達の方が、いやいや俺達の方が、待て待て我々の方が――絶対にすげえと。


 そう、顔に書いてある。


「いいなぁ……」


 それを見て僕の口から羨望の言葉が漏れ出る。

 全身全霊を賭す場所。見る人から見れば、小さな、どことも知れないライブハウスで粋がっている子供達に映るのかもしれない。


 けど皆は真剣で、必死だった。

 己が持ち得る最大の力を以って、この夜に一際輝く存在として証明を果たすべく、魂を賭してステージに立ち、或いは立とうとしている。


「僕も、やりたいなぁ」


 スクリーモバンドは最後の曲を終えた。

 彼等が舞台から去る間際に拍手で背を見送る。


 人々は余韻に浸りつつ、先の曲がよかったとか、あの曲に感動したとか、満面の笑みで感想を語っている。


 その輪に入ることはないけれども、その様子もまた羨ましく思えて、僕は先程零した羨望の本心を深く自覚すると共に「何故に己は観ているしか出来ないのか」と自責の念すら抱く。


 この夜の熱量を前にしては己の優柔不断が馬鹿馬鹿しく思える。

 悩むことそのものが無駄だと思える。

 一時の恥だとか他者からの讒謗ざんぼうなんてものに落ち込んでいる暇なんてないだろうと、そんな呆れすらも抱く。


 胸中には迸る程の熱量があり、それは火炎のように燃え、突き動かすだけの力となる。


(そうしよう。少し遅れたけど、頭を下げてでも、軽音部に入部届けを出さなきゃ――)


 その決意を抱くと同時、フロアが暗転した。

 転換の間際、舞台袖から先の演者とは別に、次のステージを彩る人々が姿を見せる。


 暗がりの内にはベースアンプの前に立つサイコの姿があった。

 先までの制服姿とは打って変わり、スカートはロングで、上にはパーカーを羽織っていた。


 バンドの編成は同じく四人だったが、今度はピンボーカルでギターはリードの一人のみ。

 アンプを操作するギターの人物は足元に大量のエフェクター類を置いていて、それだけでも多彩なプレイを想像させる。


 ベースアンプ前――同じくセッティングをする彼女の足元はよく見えない。

 ボードのサイズだけは一寸ばかり伺えたが、こちらも大型に見えた。


 果たしてどんな世界を描くのかと期待に胸を膨らませる僕だが、転換の最中、続々と人の波が押し寄せてくる。

 それらはサイコのバンドのお客さん達のようだったが、その数というのは先よりも多く、また、サイコの前にばかり人々が集まった。


「サイコー! 今日もかっこいーよー!」

「ねえ、また背ぇ伸びた?」

「あ、今日、髪結んでる!」

「んじゃ全力だ! なんだろうね、珍しぃ!」


 長い髪を一度、宙に泳がせる程に振ったサイコは、その髮をポニーテールに纏め、その仕草を見ただけで黄色い歓声があがった。


 既に疑う余地もないが、サイコはとても目を惹く人物なのは間違いない。

 先ずを以って顔は美形だし、その高い背丈も相まってか女子からの凄まじい人気を誇っているようだった。


 女子達の言葉に対してサイコは手を振って応える。

 またも黄色い声が生まれるが、そんな声を他所に、サイコも、他の面子も準備が完了したようで全員が顔を見合わせる。


 頷きを見せたのはリーダーと思しきボーカルの人物で、彼は一つの呼吸を置いてから奥のPA席に向かって手を振り上げた。


 開始の合図だった。

 それを見て薄暗がりの景色が完全に暗転し、緊張の空気が自然と生まれる。

 ややもして微かに青白い色がステージに落ちると、それと同時に彼等の描く世界がこの世に生まれ落ちた。


「う、わっ――」


 轟と唸り、腹をけたぐる――どころではなかった。

 そのベース音は、まるでダンビラで撫で斬りにされたかと錯覚する程の圧力だった。


 決して力任せだとか、大雑把だとか、無理くりに出力するような音ではなかった。

 それは有無を言わせないような、圧倒的な音の質感から生まれる説得力だった。


「いやぁ、皆……夜だねぇー」


 声が生まれる。それはボーカルの声じゃない。

 サイコの前には一本のマイクが立てられていて、そこからサイコが言葉を紡いでいる。


 語りながらもサイコはベースを軽やかに弾いていた。

 音の圧も、説得力も、どう考えても熟練の域に達する程で、それに追従するように各楽器隊も音を奏で始める。


 それらを聴いて、率直に上手いと思った。

 ギターのセッティングも、ドラムの音色も、絶妙にバランスがとれているし、真っ直ぐに立つ姿勢には厭味の一つもない。


 だのに、この差は何なのかと、そう思う程にサイコの存在感が強い。


 彼女は先から簡単な具合にしか弾いていない。

 ペンタトニックで丁寧に、とても丁寧に指を運びつつ、右手の人差し指と中指だけでタイトに弦を撫でているだけだ。


 それだけなのに彼女の生み出す音は生き物のように呼吸をしていて、輪郭がはっきりしていて、この世に形を以って存在するかのようだった。


「今夜はいいことがあったんだぁ。アタシ、友達っていねーんだけど。そんでもね、新しい学校の子とさ、友達になれたんよね」


 果たしてこれはMCなのかと疑問すら浮かぶ。謎の独白にすら思えてしまう。

 それでも、それが面白かったし、皆は彼女の言葉に笑いを零し、バンドの面子ですらも笑みを浮かべ「こいつは何を口走ってんだ」とフロア全体が共通の感想を抱いた。


「そんな友達ってのがさ、アタシをかっけーといってくれたんよ。それってすげー嬉しい訳ね。まだライブを観てもいねーのにね。それでもそいつは確信したようにいったんだよね」


 ドラムの音圧が先から増している。

 それに応えるようにギターの音量も増してきて、ベースの弦を撫でる指のタッチ感も増し、音の集合体は身を起こすようにしてフロアに集う人々へと降り注いでいく。


「だったらその確信をさ、真実にしねーと。アタシはぜってーに、最高にかっけーのよ。だからさ、楽しんでってよ、皆。んで終わりの際にさ、こういってよ――」


 ボーカルが腕を振り上げた。

 それと同時にステージに烈しい輝きが落ちてきて、完全に息の合った楽器隊はボーカルが腕を振り下ろすと同時に轟と音を出力し、それは間違いなく皆の視線を奪い、中耳ちゅうじの奥深く、脳髄にまで響き渡る。


「今日のサイコ、超絶最高にかっこよかったよってね!」


 景色は赤と白が連続して切り替わり、頭上ではストロボが煌めきを振りまく。


 一曲目の始まりと共にオーディエンスの皆は歓声を吐き出し、頭を振り乱し、身体を跳ねて、全身で歓喜を表現していた。

 後方で腕を組んでいた人々も壁から背を離して前のめりになり、訳知り顔だった誰も彼もが僅かに頬を緩ませて笑っている。


 誰もが今夜、この瞬間に理解していた。

 それは本能の域だったかもしれないし、或いは皆が皆、坩堝るつぼへまんまと招かれ引き摺り落とされたのかもしれない。


「やっぱり、思った通りだったよ」


 彼女はそこにいる。

 僕の立つ地面よりもほんの少しの差、たった一メートル高いステージの上。

 モニターアンプをも越えて柵に片足を乗せて、半身を切り出す形になりながらもベースを縦に構えて鳴らしている。


 それはまるで殴りつけるように強く、大袈裟なスラップ奏法だった。

 にもかかわらず音の圧力も正確さも先と然程の差もない程に丁寧で、彼女は頭を振り乱しつつ、ベースを振り回しつつ、狂気を思わせる破顔の笑みを浮かべていた。


 彼女を見て破壊神と呼ぶのも相応しいと思った。

 頭を振り、観客の間近にまで迫って見せびらかすようにベースを殴りつけ、ボーカルやギターやドラムの存在感すらも喰い散らかし「己こそが夜を制する王だ」と体現する彼女は破壊神さながらだとも思える。


 だけれども、僕にはそれが的確だとは思えなかった。


 何せ音が全てを物語っている。


 何故にそうも激しく大袈裟に暴れて、皆の注目をかっさらって好き放題にしている風に見えるのに、ベースから生まれる音は正確で粒揃いもよくて、安心感があるんだろう。


 その疑問は実にシンプルな答えに帰結する。

 彼女の所作や言動からは凡そ想像に及ばないが、彼女はたった一つのことを徹底していた。


「最高に格好いいよ、サイコ」


 ベースを雑に扱わない――それだけだ。


 プレイスタイルからして対極に思えるし、見たままに判断する人が多いだろうとも思う。

 けど、振り下ろす手もネックを握る腕も、振り回す頭ですらも、どれもワイルドで大味なのに、その実、彼女は振り下ろす手が弦に触れる寸前には緻密に指先のコントロールをしているし、ベースを振り回すのは単純に縦横無尽に動く己の体軸に合わせてポジションを確保する為で、頭を振るう彼女の視線は指板やボディのみならずバンド全体に向かっている。


 彼女は狂気に支配され、それに突き動かされている訳じゃなかった。

 頭の中は冷静で、己の役割が何であるかというのを常々意識しているのが強く伝わってくる。


 僕はそんな彼女の、気配りだとか、精神性だとか、或いは楽器や他の演者に対する配慮、ないしはリスペクトを感じて、シンプルな言葉だけが出てくる。


 それは最高に格好いいという、飾り気はないけれども本心からの言葉であり、彼女の暴れる様を見上げながらに、もう一つの本心までもが零れてしまう。


「サイコと、バンドを……やりたいなぁ……」


 サイコはきっと、化け物だ。

 今夜、彼女はこの場にいる全ての人間を差異もなく分け隔てなく喰い殺しにきたんだ。


 その歯牙しがや、或いは爪は僕にも伸びていただろう。


 だけれども、僕は彼女の狂気や、向けられる自己陶酔じことうすいにも等しい彼女の矜持きょうじを前に、笑みを浮かべ、更に首を差し出すのではなく、その歯牙や爪を撫でつけてこういうだろう。


「僕にも君を食べさせて欲しい」と。

「お互いに喰らい合うのも楽しいと思うよ」と。

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