第3話 獰猛


 宵も暮れた時刻、歓楽街にはネオンの明かりや微かな色香が漂っていた。

 僕はサイコに先導される形で盛り場を歩き、人々の浮かれた様子や活気づいた喧騒に少々の居心地の悪さを感じる。


「あんまこういうとこに来ないのかい、アキラ?」

「え? あ、うん……そもそも、夜に出歩くこともなかったから」

「夜っつったって未だ十九時だってのに。見たまんまに乙女かよ、ぎゃはは!」

「男だよ!」

「ひっひっ。冗談、冗談。ほら、あそこだ」


 居心地の悪さは単純に不慣れな為だった。

 元々人の多い場所は苦手だけども、夜の街に足を踏み入れた数は少ない。


 普段通りであれば家で夕ご飯を食べ、ギターの練習に励んでいるところだけども、対してサイコは夜の街中に溶け込む程、夜が似合う人物だった。


 茶化す素振りにいきどおりつつも、促された僕は彼女の指差す方向を見る。


「わぁ……なんか、雰囲気のある箱だね」


 入り組んだ雑居ビル群のうち、一際古めかしい外観のビルがあった。

 その地下へと続く階段には様々なポスターが張られていて、壁面にはストリートアートが描かれている。


 階段周辺には複数の人々がたむろしていて、煙草やアルコールのニオイが漂っていて、見たままにアンダーグラウンドな世界だった。


 僕はその光景を前にして自然と笑顔が浮かぶ。

 景色を見たままに捉えれば当然に近寄り難いような雰囲気はある。

 それでも笑みが浮かんだ理由は、地下から漏れ出てくる、唸るような音楽を耳にしたからだった。


「ここらじゃ老舗しにせらしいわ。いうてもライブハウスなんてこの街じゃ腐る程あるから、何がどう凄いかはアタシも分かんないけどさ」

「サイコは、ここでよくライブをするの?」

「そうさねぇ、やる数は多い方かもね。ノルマ安いし。特に事前審査みたいなのもないし、ジャンルもフリーな空気だし」

「事前審査?」

「時々あるだろう。格式ってやつだぁね。〈ワシ等の箱で鳴らす程の腕前はあるのか、音源か映像を寄越さんかい〉ってやつ」

「ああ、そういうのって本当にあるんだね? 確かに聞いたことあるよ」

「おや、もしかしてライブは未経験かね、アキラちゃん?」

「ちゃんはやめてよぉ……まぁ、うん、バンドを組んだことがなくて」

「んじゃライブハウスに足を運ぶのも初かい?」

「ううん、何度かあるよ。ただ、こういうところは初めて」


 意地悪そうな笑みを浮かべるサイコは促すように歩みを進め、入り口で屯する人々を割くようにして地下へと下っていく。


 やがて見えてきた階下には受け付けらしきものがあった。

 椅子に腰かけているのは全身にタトゥーを施した厳めしい風貌の男性だったが、僕が怖気おじけるのも他所にサイコは件の人物へと話しかける。


「ちょいす、ヤスさん。これ、うちの客ね」

「ああサイコか。したらチケット代はいらんの?」

「おうさ。ドリンク代だけでよいよ」


 簡単なやり取りの最中、サイコは五百円玉をヤスと呼ばれた受け付けの人物に渡した。


「え? いやいや、サイコ? お金ならちゃんと払うよ。チケット代だって……」

「いーの、いーの。突然に誘ったのはアタシだし、金目的であんたを呼んだ訳じゃあないし」


 気前がいいと呼ぶかは分からない。

 ただ、彼女はそういう人間なんだと僕は理解した。

 誤魔化しも何もない――彼女はあまりにも分かり易い人だった。


「……なら、今度何かあったら、僕が奢るね」

「ほん? おやまぁ……あんたも結構男前じゃあねえのよ。その可愛い顔と体型からは凡そ想像に及ばん程に」

「一言多いよ! もうっ……兎に角、ありがとう、サイコ」

「……んひひ。サイコ呼びも自然な風じゃねえのさ。やっぱおもれーわ、あんた」


 漫才のような掛け合いをする僕とサイコ。

 その様子を呆れた風に見ているのはヤスという人で、彼は嘆息たんそくするとサイコを見つめる。


「んなことよりサイコ。お前のバンド、次じゃねえのか? 他の面子、とっくにバックステージに集まってるっぽいけど」

「あーそうだそうだ。つーか真面目すぎん、あいつら?」

「いい心掛けだろうよ、不真面目よりはよっぽどいい。君もそう思うでしょ、彼女さん?」

「んへ?」


 唐突に話を振られた僕だが、予想外の呼び方には流石に理解が追い付かなかった。

 ところがサイコといえば抱腹ほうふくする勢いで笑い始め、対する僕は眉根まゆねを寄せてしかめているからか、ヤスさんは心底戸惑った様子だった。


「いやいや、分かるよヤスさん。そりゃこの女児じょじ坊やは見たまんま性別をたがえた風だもの。だからあんたの気持ちはよーく分かる」

「サイコ? そこまでいわなくてもよくない?」

「けどなぁ、ヤスさん……こいつはこう見えてもれっきとした野郎なんだぜぇ?」

「やっぱ侮蔑ぶべつだよね?」

「事実だろ?」

「侮蔑だこれ!」


 僕とサイコの会話からヤスさんは驚愕の顔になるが、僕の制服がスカートではなくスラックスだと認識すると「これは参った」と呟いて額に浮いた汗を拭っていた。


「マジかよ、こんな小柄で、さらっさらのショートボブに大きな瞳だとか、女児そのままとも思える外観に、変声期なんて存在したのかと思える程の高い声をしといて……男ぉ!?」

「ヤスさん? 初対面ですよね僕たち? そもそも彼女の扱いって何なの?」

「ほら、アタシ、バイじゃん?」

「んだんだ、こいつめっちゃモテるもん。特に女性からすげーモテんのよ」

「そうなの!? いやまぁなんか納得できるけど……それにしたって二人とも、あんまりにも酷いよ!」

「あーあー、そうねんなよアキラ。兎にも角にも折角のお客さんなんだし、こんなところで騒いでもしょうがねー。んなもんだから、また後でね、ヤスさん」

「おうおう、いつもみたいに頭プッツンして暴れ過ぎんなよ。あー……アキラちゃん?」

「くんで」

「アキラくん、豹変っぷりを見ても引くなよぉ? こいつはそりゃもう暴れ魔だからな」


 言葉に対してヤスさんの顔には笑みが浮いていた。

 それを見て僕は何となくのところで彼の言わんとすることを察する。


 恐らく、彼女のプレイスタイルは注目を集める程に派手だが、見ていて気分が悪くなるような、或いは聴くに堪えない荒い演奏という訳ではないようだった。


 そこには芯と呼べるような確かな土台があると言外に語るヤスさんの台詞に、僕は再度全身の血液が滾るような、不思議な昂りを感じる。


「そんじゃあアキラくん。楽しんできてね」


 タトゥー塗れのヤスさんの笑顔は、存外、朗らかさを感じる程の優しさを帯びていた。

 彼に見送られながら、サイコに導かれるがままに大音響を隔てる入り口の扉を開く。


「わっ……」


 それと同時に全身に襲い掛かってくるのは音の津波だった。


 鼓膜を震わせる気持ちのよいドンシャリの利いたギターサウンド。

 鳩尾をけたぐる重低音の正体はベースで、空気が震えているのが不思議と実感出来る。


 露出する肌を穿つように箱全域を切り裂いていくのはドラムだった。

 スネアとバスドラムの音色は一聴して分かる程、すこぶる気持ちのよいセッティングだと僕の耳が判断した。


 そして歌声――未だ顔もよく分からない男性が、がなり立てるようにマイクに叫びを叩きつけ、それがフロアの左右にある二発の超大型スピーカーから吐き出される。


 音楽だった。それのジャンルは所謂メタルコアやスクリーモサウンドに近いもので、特に詳しい部類ではないにせよ不快感はなく、また居心地の悪さもなかった。


 それらを体感し、僕の脳裏にはたった一つの言葉だけが浮かんでいた。


「わぁ、凄い……!」


 シンプルな感想だった。

 例えば言葉を探そうと思えば幾らでもできる。

 技術的なことや音楽理論めいた言葉は幾らでも湧いてくる。

 だがそんなものは実に下らないものだと思える。

 そんなものを持ち寄って講釈を垂れる場所ではない。


 純粋に心が浮かれていた。ワクワクしていた。

 全身全霊で演奏する彼等も、それを観ているオーディエンスの盛り上がる様も、それらだけで完結する程に、言葉は無意味だと思った。


「ほい、ドリンク」

「んへっ」


 口をあんぐりと開けて景色に酔いしれていた僕は、突然に寄越されたプラスチックのカップを目の前にして我に返る。


 視線を横に移せば隣にはサイコが立っていた。

 彼女は僕の分のドリンクチケットで適当な飲み物を持ってきてくれたようだ。

 視界のきかない暗がりの中、僕はそれを受け取り傾ける。内容はウーロン茶だった。


「何を圧倒されてんのさ、アキラ? そうも凄いバンドに見えるかい?」

「うん、見える」

「……んっふっふ。やっぱおもれーわ、あんた」


 何かをいおうとするサイコだったが、それでも僕の表情を見ると一度口をつぐみ、優しい声でそういった。


「どうよ、こういうジャンルは? 得意?」

「うん、苦手ではないよ。激しい音楽は元々好きだし」

「へぇ、見た目とは裏腹だぁね……普段は何系を聴くのさ?」

「オルタナが大半かなぁ……ハードロックやメタルも嫌いじゃないよ」

「……結構雑食なん? いい趣味してんねぇ」

「そうだね、雑食なのかも。ポップスも割と聴くし、ヒップホップやラップも好きだよ」

「正しく雑食じゃん!」

「うん、そうかも。何かに特化している訳じゃないかもしれないけど、聴いて好きだと思ったら好きになるかなぁ」


 言葉を交わす中でも僕の視線はステージから離れない。


 編成は四人組で、ギターボーカルにリードギター、ベースにドラムといった、凡そ平均的というか、世間的には分かり易いバンドスタイルだった。


 見た感じは同い年か一つ、二つ上の男性達で、観客の多くも十代のようだった。

 察するに本日のイベントは若い世代が集まるライブのようで、箱全体の空気は浮足立ったようにも映る。

 けれどもそれが存外、嫌ではないし、やはりエネルギッシュな空気というのは触れるだけでも爽快な気分になる。


「んじゃあ、アタシのやる曲も平気だろうねぇ」

「……うん。きっと好きになると思うよ」


 その台詞を聞いて僕はサイコの表情を見た。

 彼女の視線も僕と同じくステージへと向かっていたけれども、言葉の軽い感じと打って変わって彼女の瞳は犀利さいりな輝きに満ちていた。


 口調は柔らかだし笑顔だって浮かんでいる。

 にもかかわらず瞳の内には狂気に等しい闘争意欲が渦巻いていた。


 或いは、それは火炎を思わせるような、強く、烈しい輝きだった。


 決して音楽に上下や優劣、勝敗というのはない。

 何せ競争するような競技ではないからだし、個々人の追い求めるプレイスタイルや音楽の趣向は正しく十人十色だからだ。


 それでもきっと、ステージに立つ人々というのは、それを深く自覚しながらも、抑えきれない気持ちがあるんだと分かった。


 そこには喰って殺してやるというような、獰猛な気持ちが伺えた。


(……一緒だ)


 それを見て僕は思う。

 サイコはきっと、ステージに立つに相応しい人物だと思う。


 それは化け物特有のものだからだ。


 狂気を思わせる程に己の世界を絶対と信じて疑わない彼等のような化け物は、どれだけの言葉を持ち寄ったところで、それらをも上回る、垂涎する程の羨望や野心がある。

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