サイフォンの原理

知世

第1話

 今、バスで降車ボタンを押そうと躍起になった私と親との攻防が行われたり、あんまりに食べ散らかしがひどいので食卓の私の椅子の下にレジャーシートが引いてあったりすることは無くなった。


社会や家庭という枠組みに一応則って行動することができる私、22歳。成人式には出たし、食器洗いもするけど果たしてこの状態を大人と呼んでもいいものか、とふと思うことがある。だが、50を過ぎた母も似たようなことを言っていたので、多分ピンクのメタルフレームの老眼鏡をビーズのストラップで首から下げるようになっても、人間というものはそういうことを思うことになっているということで納得している。


今の状態を大人だと断定できなくても、今、保育園の園庭で靴に熱心に砂場の砂を入れているあの子と私には決定的な違いがある。十数年前の私もさまざまなことを大真面目に思いつき、それを実行することに使命感を持って突き動かされていた。


それは、夏のある日だった。リンゴジュースを普通に飲むことに早々に飽き始めた私は、散々歯でストローをいじめ抜いた挙句、それを「逆」にすることを思いついた。


つまり蛇腹で折れ曲がるようになっているストローの、短い方をリンゴジュースに浸し、長い方を咥えることにしたのだ。


新しいストローを「もう噛まない」という約束によって獲得した私は、このアイデアに満足していた。コップから遠い距離を取っても飲み物が飲めるし、その上、机の上に置いたコップを見上げながら、床に寝転がって飲み物を吸ってみることもできる。これは興味深い発見だ。


よだれでまだら模様がついた、ソファと同素材のクッションを頭に装備し、意気揚々と寝転がる私。その時、斜め上にあるローテーブルの天板は私にとっての実験台で、コップはフラスコ、ストローはさながら駒込ピペットだった。


駒込ピペット、もとい80本100円の水色のストローを伝って、謎の液体Aが私の口に入ってくる。


事件が起こったのは次の瞬間だった。


私の脳裏に電流の様に走ったのは「ノーベル賞」という五文字だった。


キッチンに走り込んで、もう一本ストローをもらいにいく。


「ねえストローもう一本ちょうだい!!」


天ぷら鍋と衣のついた肉とがっぷりよつ、三つ巴で格闘する母はこちらを見向きもしない。こんなに偉大な発見があったというのに。


「はるちゃんまた噛んだの?噛まない約束したじゃん」


「噛んでない!!から!ちょうだい!!!」


噛んでないなら要らないのでは?という疑問とよくわからない「から」の用法に戸惑いつつも、母は素早く1番上の戸棚から濃いピンクのストローを渡してくれた。少し考えればわかることだが、子育てとはこういう理不尽の連続である。このくらい日常茶飯事だったのだろう。


新しいストローでやっても、実験結果は同じだった。


それからは気もそぞろで、夕飯の唐揚げがもも肉だろうと胸肉だろうと、あるいは豚肉だろうとどうでも良かったし、論文執筆が終わった後平静を装うため寝る前の読書に勤しんだが、名作、わかったさんシリーズ「わかったさんのクッキー」で、わかったさんがクッキーを作ろうがういろうを作ろうがはたまた逆立ちで三段重ねのウエディングケーキを作ろうが、どうでも良かった。


だって、私は今からノーベル賞を受賞するのだから。


サプライズというものが好きだった私は、受賞するまで誰にも教えないことにしたかったが、なにぶんノーベル賞がどうすれば応募出来るのか知らなかったので(応募制だと思っていた)母にだけ伝えることにした。


いつものように母の体に手を巻きつけながら、目を瞑る彼女に伝える。


「ストローを逆さまにして飲み物を一口飲むと、そのまま自動で飲み物が口の中に入ってくる。この研究でノーベル賞を取ろうと思う」


うやうやしく、静かに論文の発表を終えると、母は目をぱっちりあけて


「わ、はるちゃんすごいねぇ」


と言った。予想通り。鼻高々の私である。


「それ、サイフォンの原理ってやつだよ」


え!?今度は私が目を剥く番だった。

母はそのことについてあまり明るくないらしく、隣の布団で目を瞑っていた父の肩を叩く。これまた目を丸くした父が代わりに説明してくれる。


サイフォンの原理は、日常の至る所で使われていること、身近なところでは灯油ポンプに利用されていて、そういう学問を物理ということ。


それを聞いて、私はしばらくフリーズしていた。


固まった私がノーベル賞を逃したショックで二の句を告げないのだろうと判断した両親は、


「自力で見つけるなんてすごい」


「ノーベル賞は獲れないが、これを見つけた人の中では最年少かもしれない」


「将来は有名な物理学者になれる、その時に獲れる」


などと慌ててほめそやしたが、(泣いて寝るのが遅くなり、翌日起きないことを予想しての接待の配分があっただろう)私の気持ちは別のところにあった。


私が発見したものを、すでに発見した人がいて、それに名前がついて、さらに生活に利用されている。


その驚きは、形容し難いものだった。


当時、世界は自分を中心に回っていると思っていたので、「何かに名前がついているのは私が認識するため」くらいの気持ちで生活をしていた。


それが一変した。不思議な事象を先に見つけている人がいる。はるちゃんが大好きなアトランティックシーネットル(クラゲ)も発見者がいて名前をつけて、だから展示の前に名札があるのか。


人間の進化というか歴史、その紡いできた記憶と記録の膨大さに圧倒された私は、その後、「これは誰が見つけたの」という質問で両親の頭を大いに悩ますことになるが、高校の物理のテストでは追試の常連だったし、ノーベル物理学賞とは気が遠くなるほど離れた位置にいる。


大人は得てして自分が幼かった時を美化し、「子供の頃は楽しかった」と懐かしさにため息をつく。それは労働に縛られないことだったり、誰かに作ってもらったご飯を食べる幸せに無頓着であることだったりするのかもしれない。


でも、私は思うのだ。


子供時代の魅力は、知っていることへの深い喜びと、知らないことを知った時の、あの宇宙の小爆発のような衝撃である、と。


今もどこかの保育園で、小学校で、はたまた家庭で、あの小爆発が絶え間なく起こり、格段に広がった世界に圧倒されている小さな人達がいることを思うと、私は愛おしい気持ちになる。喫茶店でアイスティーを頼み、店員に紙袋に包まれた白のストローを渡されるたび、あの懐かしい日々を思い出し、呟く。


「子供の頃は楽しかった」

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サイフォンの原理 知世 @nanako1123

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