第十章 配膳係の仕事 3
白花妃の宮まで台車を運ぶと、入り口で一人の女官が出迎えてくれた。
「今日から配膳をご担当くださる尚食局の方ですね。ありがとうございますぅ」
ふくよかで愛嬌のある顔で、話声がとてもかわいらしい。
その女官に出迎えてもらっただけで、緊張もほどけていき、ほっとする。
「はい、私は春蘭、こちらの者は思月と申します。本日からよろしくお願いいたします」
春蘭がそう言ってペコリと頭を下げたので、私もあわせて頭を下げる。
するとふくよかな女官はふふふ、と微笑んだ。
「私は
桃美もペコっと頭を下げる。すると体がグラっと傾き、倒れそうになったため、桃美は「おっとっと」と言いながら片足でケンケンをして、体を立て直した。
「ふぅ。すみません、ちょっとお腹が空きすぎていて」
「ええ……。大丈夫すか。あんま食べてないんすか?」
思わずそうたずねると、桃美は笑った。
「この体型で食べてないわけないじゃないですかぁ! むしろ食欲旺盛だから人の残した分まで食べてますよお! ああ、一刻も早く朝餉が食べたい……」
我慢できないー! と桃美が身震いし始めたので、私たちはすぐに朝餉を奥の間へと運ぶことにした。
私たちが台車で移動する間にも、桃美は横から話しかけてくる。
「ねえ、今日の朝餉はなんですか? お肉、ありますか?」
「今日の朝餉は青菜入りのお粥と、味付きたまごと、鮒の羹ですよ」
「えーっ、私味付きたまご、大好きぃ! それに寒い朝に、鮒の羹は最高よねえ」
桃美は興奮した様子で、早口でそう語った。
すごい。桃美の食への関心があまりにも強い。
それに肉がなくても結局嬉しいんかい。
彼女のような人こそ、尚食局で働いたほうがいいのではないか……とも思うが、もし彼女が尚食局で働いたら、味見をしすぎて出来上がる料理の量や数が足らなくなってしまいそうな気もした。
「えーっとぉ、こちらから入って、廊下をまっすぐ行って、突き当りを左に曲がって」
わかりやすく説明しながら、桃美は私たちを奥の間まで案内してくれた。どうやらこの奥の間というのは、この宮に住む妃や女官たちが食事をとる場所らしい。
「あの、奥の間にはもう白花妃様や他の女官の方が待っていらっしゃるのですか?」
おそるおそる春蘭がたずねると、桃美は首を横に振った。
「奥の間には今は誰もいませんよ。白花妃様はまた身支度が整っていらっしゃらないし、他の女官は白花妃様のお仕度のお手伝いをしたり、他の業務に追われていますから」
「そうなんですね」
春蘭はほっと胸をなでおろす。
その様子を見て察したのか、桃美は言った。
「多分これからも、朝餉と夕餉の配膳時に奥の間に人がいることは少ないと思います。配膳のお邪魔にならないように、あえてその時間帯は女官たちも奥の間に出入りしないようにしていますしねぇ」
「なるほど、お気遣いいただいてるんですね」
「まあ、そういう部分もあります」
そう言うと、桃美は一瞬動きを止め、それからわずかに唇を動かしかけた。まだなにか他にも伝えることがあるのかな? と思ったが、どうやらそれは勘違いだったのか、桃美は黙ったまま奥の間へと進み、中に入るよう、うながした。
奥の間には煌びやかな装飾が施され、天井板には絵が描かれていた。天女たちが杯を交わしながら楽しげに舞い踊っている絵だった。ここは天国か?
「こちらの一番奥の席に、白花妃様のお食事をご用意ください。他の両側の席には女官が座りますので、女官用の食事を並べていってください」
「かしこまりました」
「では、私は作業の邪魔にならないように、部屋の入口に立って見守らせていただきますね」
「あ、見ていてくださるんすね?」
たずねると、桃美はうなずいた。
「ええ。もしなにかあると良くないですし、逆に私が見張っていることで、後々なにかあったとしても、あなたがたの配膳に問題はなかったと証明できますからねぇ。朝餉と夕餉の配膳時には、必ず私が付き添うようにいたしますので」
「なるほどっす。わかりました!」
確かにそう言われてみれば、見張ってもらっていたほうが私たちにとっても安心だ。
それにわからないことがあったら桃美に質問できるし、心強い。
そうして無事、初めての朝餉の配膳を終え、私たちは空の台車を押しながらまた厨房へと帰っていった。
「いやー、緊張したけどうまくいって良かったな」
そう言うと、春蘭もうんうん、と頷いた。
「桃美さんが配膳の見張り役で、本当によかった。優しい人だったから」
「そうだなー」
悪評があったから心配していたものの、白花妃の宮への食事の配膳は、無事にやっていけそうだ。そもそも問題の白花妃様にお会いする機会さえもなさそうだし。私たちはただ、誰もいない奥の間に、決まった時間に食事を届けるだけだ。
「んー今日も何事もなく仕事が終わったな」
夕餉の配膳と後片付けも終えて、春蘭と一緒に自分たちの部屋へと戻る。
白花妃様の宮での配膳の仕事をし始めてから約半月。今のところ特に問題もなく仕事ができている。皿洗いをしていた頃と比べたら、手も冷たくなったりあかぎれになったりしないし、労働時間も短くて済むし、仕事が楽になったと言える。
「やー、配膳の仕事、これからもなるべく長く続けたいもんだね」
「まあ、そうね。私はお料理するのも好きだったけど、今の仕事は悪くないよね。……ただ」
春蘭は少し顔を曇らせる。
「私は配膳の仕事につくことで、尚食局以外の色んな人とも関わりができて、姉さんの情報を得られるかなって思ってたけど……。今の感じだと、私たちは桃美さん以外の誰とも関わってないよね。想像していたより、交友関係が広がる仕事ではないのかも」
「確かに言われてみればそうだな。この半月、桃美としか話してねえや」
桃美と話すのは、とても楽しい。毎日毎日よだれが出そうな顔をしながら、今日の朝餉はなんだ、今日の夕餉はなんだとたずねられ、ニコニコしながら配膳するのを見守ってもらい、その行き帰りにはちょっとした世間話をしたりもするようになった。
でも……。
「そういえば桃美ってさ、食い物の話とか後宮内の噂話なんかはするけど、白花妃様の話は全然しないよな」
「確かに」
神妙な顔で、春蘭はうなずく。
「なんか、そこには触れちゃいけねえみたいな、そういう空気、ない?」
「あるかも……。まあ、まだ出会って半月だからかも、しれないけど」
「そもそも、他の女官が出てこないのもおかしいよな。作業の邪魔にならないように桃美以外の女官が奥の間に来ないのは理解できるけど、廊下でも庭でもすれ違ったことがないんだから。不自然だよ」
「だよねえ。いつも八人前の料理を配膳しているから、白花妃様と桃美さんの他にも、六人の女官があの宮に住み込みで働いているはずだけど、会ったことないね」
「なんか秘密主義な感じだよな。そのうちもっと桃美と仲良くなったら、なにか話してくれるかな」
「でも、白花妃様の事情について、深入りしないほうがいい可能性もあるけどね。なにか知られたくはないことがあるからこそ、そうしているんでしょう」
「まあ、それもそうか」
とりあえず無事に仕事ができているのは良いことだが、残念ながらこの仕事をすることで春蘭のお姉さんの情報を得ることは難しそうだ。
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