第六章 七夕節 2

 でも、それはしないでおくことにした。

 こんなムカつく女にはなるべく近寄られたくないし、あまり考えなしに魅了を繰り返していると、いつか自分が呪術師か妖怪の類ではないかと怪しまれるかもしれない。


 それに私は今の生活に満足している。

 私は春蘭と穏やかに日々を共にしていければ、それでいいのだ。

 だからグッと、怒りを抑える。


「作業着姿がお似合いだこと。でもああなったら女は終わりね」


 捨て台詞のようにそう言い残し、玲玉妃とその御一行が通り過ぎていく。


 なにがああなったら女は終わりね、だ。

 尚食局で働くものたちが作った料理を毎日食べて生きているくせに。

 私から言わせれば、人間ああなったら終わりだ。

 玲玉妃は女性的な魅力も人間としての器も春蘭には敵わないと思っているからこそ、それを認めるのが怖くて春蘭をいじめるんだ。

 でなければ下級女官相手に、わざわざ攻撃的な物言いをする必要がないのだから。


 しばらくして、玲玉妃御一行の姿が見えなくなった。

 ふう、と息を吐き、私たちは立ち上がる。


「まったく嫌なやつだ。本当に嫌なやつだ!」


 そう憤慨する私の背中を、春蘭はゆっくりと撫でる。


「よく我慢したじゃない。えらいえらい」


「そりゃあまあなあ。人間としての暮らしも、長くなってきたし」


「うんうん」


「猫の本能としちゃあ、売られた喧嘩はなるべく買ってやりたいもんだけどよぉ。人間ってのはいちいちそれやってると、面倒なことになるから」


「うんうん」


「それに、私が一番守りたいものは……今の暮らしだから!」


 そう叫んだら、ふいに目から涙がこぼれ落ちてきた。


「そうだね」


 そう言って、春蘭は私の頬を伝う涙を、その指先で拭ってくれた。

 そして嬉しそうに、私に微笑みかける。


 春蘭が微笑むと、ポッと心に灯りがともるようだ。

 世の中はクソみたいだとか、暗い思いに心が覆われると、全部が嫌になってくる。


 でも春蘭が笑っていたら、私は大丈夫だ。

 春蘭がいるから、私は生きている。彼女の笑顔のために生きている。


 春蘭は確かに、以前より少しだけふっくらした。

 もちろん玲玉妃が言うように太ましくなったわけではなく、健康的になってきたというだけだけど。


 でもまだ、私は春蘭を見ていると不安になることがある。

 春蘭が一生幸せでいられるのか。また不幸になったりしないのか、不安になる。

 だから命ある限り、春蘭と一緒にいるつもりだ。

 そしてこの世のあらゆる悪い感情から、きっと春蘭のことを守ってみせる。


 それからまた、私たちは七夕の飾りを見上げながら散歩を続けた。

 さっきまでの暗い気持ちを塗り替えて、私たちの楽しい記憶で頭が埋め尽くされるまで。

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