第二章 尚食局の役立たず

第二章 尚食局の役立たず 1

 トントントントン……。


 私の隣に立つ春蘭が手慣れた様子で根菜を切るのを眺めながら、皿を水で洗う。

 ここの厨房で働くようになってから、ふた月ほどが経った。


 春蘭はどうやら仕事のできるたちのようで、短期間のうちに皿洗いだけではなく、料理の下ごしらえもさせてもらえるようになった。手先が器用な上に根気強く、ひたむきな性格をしているから、同じ尚食局で働く女官からの信頼も厚い。


 一方の私はといえば、皿洗い以外の仕事に就かせてもらえそうな見込みが全くない。まず皿を洗うのも異様に遅いし、洗い方は雑だし、ガチャガチャ音を立てるので、うるさいとよく注意される。注意されると「気に食わねえなー」って気持ちが顔に出ちゃうから、職場での人望もない。


 春蘭を守ることを決意して一緒についてきたのだが、私がいなくても彼女はここでならうまくやっていけそうに思える……。


 まあ、そんなこたあどうだっていい。


 このふた月で、春蘭は出会った頃よりは少し肉付きが良くなり、髪も肌も艶やかになった。粗末な作業着姿でも、充分に美しく、そして前より元気そうに見える。

 それが私は嬉しい。


 春蘭は宦官との騒動の後、元いた玲玉妃の宮を追われ、ここ尚食局の食堂で働くようになった。私は尚食局で一番偉いおばちゃんを魅了し、どうにか春蘭とここで共に働く許可を得た。

 おかげで私は架空の「思月」という名の人間の女として、ここ後宮で春蘭と共に過ごせるようになった。それは良かったのだが、実は少々問題がある。


 私は、自分が一度魅了した人間を魅了から解く方法を知らないのだ。


 だからあの汚らわしい宦官も、内務省の官吏も、尚食局の偉いおばちゃんも、私に魅了され、私に惚れた状態のまま生きている。


 汚らわしい宦官以外の人間たちには、まじ申し訳ないにゃ……。

 とは思うけど、どうにもできないからまあ後々なんとかするにゃ!


 今は食堂で働く女官たちが共同生活を送っている屋敷の一室に、私と春蘭は一緒に寝泊まりしている。


 朝から晩まで春蘭と一緒。仕事中も一緒。

 春蘭は私に優しいし、うまい飯を毎日食えるし、私の心はこれまでになく満ち足りている。


 ただ、仕事の方はてんでだめだけど。

 当たり前だ、猫に人間の仕事なんか務まるわけがない。

 というか人間ってほんとクソ真面目だよなー。やってられっかこんなこと。


 なんて心の中で悪態をついた途端、手が滑って茶碗を割ってしまった。


「あっ。いっけね」


「思月、指は切ってない?」


作業の手を止め、春蘭が私の手を取り、怪我がないか確認し始める。


「あぅ、大丈夫だよ」


 なんとなく恥ずかしくなって、春蘭の手を振りほどく。

 すると春蘭が心配そうに言った。


「大丈夫なら、いいけど。切り傷のできた手で洗い物をするのはよくないの。傷がひどくなって病になることもあるから。思月はよく手を滑らせて茶碗を割るから、気を付けないとだめだよ」


 春蘭に注意され、ちょっとしゅんとする。


「そうだよな、二日前に割ったばかりだし……。どうしよう、また怒られて、賃金を減らされちまうかも」


 すると春蘭は優しい顔になって言った。


「お金のことなら安心してよ。もし思月のお給金が減っても、必要なものはなんでも私が買ってあげるから」


「そ、そんな」


 せっかく春蘭が頑張って稼いだ金を、私が減らしちまうなんてとんでもないことだ。


「ちょっと、外でアレしてくる」


 私は適当にごまかし、割れた茶碗を手に持って、さっと外に出た。

 こんなもん、土にでも埋めたろ。そしたらバレんやろ。


 

 庭に茶碗を埋め終えて、手を洗う。


「ふぅ、これで証拠隠滅、完了だな。ついでにちょっと休んでこーっと」


 胸をなでおろし、その場にしゃがみこむ。んー、本当はこの庭の土の上に寝ころんじゃいたい。でもそんなことはしないよ、人間だから。

 座ったまま昼寝、できるかな……。


 とか思って目をつぶってボーっとしていたら、いつの間にか庭に来ていた誰かさんがこちらに近づいてきた。


「こら思月! また茶碗を割ったろう!」


 同僚の宇晴うせいに叱りつけられ、私は驚いて目を開け、びくんと肩を跳ねる。


「な、なんのことだ! わからない! 私じゃない!」


 宇晴は私や春蘭と同じ屋敷の一室で、共に共同生活をしている。普段は仲良くやっているんだけど、彼女はクソ真面目で、曲がったことが嫌いな奴なのだ。


「嘘はつくなよー嘘はー。お前が茶碗を割ったろうが。あれは宮廷の職人が作った、結構いい茶碗なんだぞ!」


「で、でも、どうして私だと思う?」


 焦って後ずさる私に宇晴が迫る。


「あのなあ、隠したって無駄なんだよ。割った茶碗を土の中に埋めるようなバカは、この尚食局にはお前ただ一人なんだから」


「埋めてあったのが、どうしてわかった」


「土の掘り返し方が雑だからだよ。つうかよく手を洗えてないんじゃないか? 爪先に土が詰まってるぞ」


「う……」


 そう言われると言葉に詰まってしまった。確かに、茶碗を割り、その破片を土の中に埋めたのは私なのだ。

 だがここで認めてしまっては、どんな罰を受けるかわかったものではない。


「私はただ、茶碗の破片を見つけて、そのままだと誰かがふんずけちまうから危ないと思って、土に埋めた、だけ、だ」


「へえ、危ないと思って、ねえ……。土に埋めるなんて、まるで犬か猫のような奴だなあ」


 疑いの目で、宇晴が私を見る。

 この女は勘が鋭い。そして融通が利かない。


「まさかそんな、犬か猫の、わけがない」


 にゃっはっは、と笑ってみせる。


 内心、超焦っている。

 まさかこいつ、私が女官の姿をした化け猫だと見抜いているわけじゃあるまいな……。


 とその時、仕事が一段落したのか、春蘭が助けに来てくれた。

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