第一章 出会い 5
結局春蘭を襲った宦官は処罰を受け、牢に入れられた。
私は後宮を統括する内務省の官吏に「一体どこで働いている女官なのだ」と問い詰められたから、とっさに彼を魅了してしまった。
そしたら詳しくは問われず、身分証明書まで発行してもらってしまった。ありがたいことだ。
これで安心、と思ったのもつかの間、今度は春蘭が仕えていた玲玉妃がゴネだした。
牢に入れられた宦官が悪いとはいえ、その宦官が春蘭の住む小屋に訪れたのは、春蘭が宦官をたぶらかしたからではないかと言い始めたのだ。
そもそも玲玉妃は春蘭のことを嫌っていた。
春蘭は、玲玉妃が側仕えの女官をいじめたときに、見て見ぬふりをしていられずに、陰でそのいじめられた女官を助けてしまったことがあった。その噂が玲玉妃の耳に入ってからというもの、春蘭は女官たちとの共同部屋ではなく、粗末な物置小屋で暮らすことを強いられたのだという。
それに加えて春蘭が美しい容姿だったことも、玲玉妃に嫌われる原因だったのではないかと私は思う。
もしも帝が玲玉妃の元を訪れた際に、傍に春蘭のように儚げで美しい女官がいたら、きっと帝は春蘭に心惹かれてしまうだろう。ここ後宮では帝に愛されれば地位が一変する。玲玉妃が春蘭を嫌うのも、当然のことではある。
玲玉妃様にさんざんな言葉を投げつけられたのだろう、ぐったりと疲れた様子で春蘭が小屋に帰ってきた。
「明日には、ここを出ていけだって。
「それって大変にゃのか?」
「まあ、やりたがる女官はあんまりいないって。特に冬場は冷たい水で洗いものをし続けると、体も冷えるし手が荒れて痛むらしいし」
「そうか……」
春蘭が玲玉妃の元を離れられることは良いことなのではないかと思っていたが、次の職場もあまりいい場所ではないようで、心配だ。
「でもそれは別にいいんだけどね、ちょっと困ったことがあって」
「どんなこと?」
たずねると、春蘭は悲しそうな顔で言った。
「尚食局で働くことになると、住まいもそっちにうつることになるの。尚食局では他の女官と相部屋で共同生活を送ることになるんだって。今まではこの小屋に思月をかくまって暮らしてきたけど、私がその相部屋に越すとなると、一体どうすればいいのか……」
困り顔でそう言う春蘭に、私は言った。
「私も、その皿洗いの仕事をやる! そんでその相部屋で暮らす!」
「そうは言っても、どうやって……。仕事って、自分の好きに決められるものじゃないんだよ。尚食局の主席女官に許可をもらわなくちゃ、尚食局では働けないの」
しょんぼりする春蘭を見ていられない。
春蘭が泣きそうな顔になると、私まで泣きたくなってくる。
「魅了の力でどうにかするにゃ。そのしょうしょくのしゅしぇき……とにかく偉い女の人を、うまくだまくらかせばいいんだから簡単なことだ」
「そう、うまくいくといいんだけど……」
うーん、と唸り、春蘭は心配そうに私を見る。
「そんなに心配する必要にゃいよ」
安心させたくて胸を張る。それでも春蘭の表情は曇ったままだ。
「だけどね、思月……。まずはその言葉の端々に『にゃ』が出ちゃうのを、なんとか直さないとね。でないと、化け猫なのがすぐバレちゃう気がするの」
「な、そうにゃ……そうなの、か!?」
「うん」
こくり、と春蘭はうなずいた。
「まあだったらそれを、がんばるにゃ……あああ!」
私は「にゃ」と言いかけた口を思わず両手で押さえる。
「うーん」
そんな私を、春蘭はやはり心配そうに見つめている。これじゃだめだ。
「あっ、ちょっとやりにゃ……やり、なおし。……ううう!」
「うーーん」
「心配しなくて大丈夫にゃ、ぬゃ、うっ、にゃあって自然と言っちゃう! もうむしゃくしゃするああああ!」
すると春蘭はぷっと吹き出し笑いした。私はどうしたものかと、手を丸めて自分の口元に当てる。
「どうしてもにゃあって言いたくなっちゃうのね! それになんだかその手つきも、どことなく猫みたい」
「そんなああ」
またクスクス、と春蘭が笑う。
春蘭が笑っているのを見ていたら、つられて私も楽しい気持ちになってきた。
この先どうなるのかわからないが、とりあえずこうやって二人で楽しく過ごせれば、なにがどうでもいい気がした。
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