第一章 出会い 2
ふざけるな。私の命をなんだと思ってやがる。
勝手に自分を重ねやがって。
どうせこんな死にかけの猫が粥を食うわけないと思ってんだろ。
最後までおもちゃにされなくちゃならねえのかよ。こんなんだったら、雪に埋もれて自然に死んだほうがまだマシだった。
死にてえなら自分で考えて死ね。
そんな考えが頭を巡り、怒りが溢れかえり、俄然生きてやる気しかなくなった。
残念、私は死んでやりませんー。
必死に口を開いて舌を伸ばし、ペロリと薄い粥を舐める。
すると彼女は目を大きく見開いた。
「ああ、食べたあ」
そして笑いながら涙を流し始めた。
こいつはまじで変な奴だ……と思いながら、彼女を見上げる。
綺麗な顔なのに、瘦せすぎて顔も体も骨ばっている。
嗚咽を漏らしながら泣いて、泣きながら笑って、体を震わせながら何度も手のひらで涙をぬぐっている。
「みゃぁ……」
私は粥を運ぶさじに目をやり、それを早くよこせ、と催促する。
「よしよし。ゆっくり、食べようね」
彼女はそう言って、再び粥を私の口元へと運んだ。
「わあ、よく食べたね」
温かい食べ物が体の中に入ったからか、どうやら死なずに済みそうだとわかって安心したからか、頭がぼんやりして眠たくなってきた。
粥を食べ終えた私を、彼女は自分の膝の上に乗せて休ませる。
彼女の姿は窓から差し込む月の光に照らされて、幻みたいに輝いて見える。やせ細っていて、両腕にも顔にも痣があって、でもかすかに微笑んでいた。
「生きよっか」
そうか。そう思ったのか。
勝手にすればいい。
だけど私は、なぜか彼女が生きるほうを選んだことに、少し安堵していた。
まだわずかな時間しか彼女と過ごしていないのに、どうしてそんな風に思うんだろう。
しかもさっきまで、私は彼女にむかついていたはずなのに。
私をおもちゃにしやがって、と怒りの気持ちでいっぱいだったはずなのに。
でも私はたぶん、その怒りの力によって生きる気力を取り戻した。
そしてそんな私を見て、彼女も生きることに決めたらしかった。
それから数日が経ち、私は少しずつ回復していった。
私を助けてくれたのは、春蘭という名の女官だった。
玲玉妃という妃に仕えているらしかったが、酷く待遇が悪く、他の女官たちは屋敷で共同生活をしているのに、春蘭だけはこの物置のような小屋で暮らすことを強いられているようだ。
充分な食料も与えられず、春蘭はギリギリの生活をしている。だからやせ細っているのだ。
それでも彼女は私に、貴重な食料を分け与え続けてくれた。
おかげで一昨日くらいから、自分で立ち上がって歩けるようにもなった。薄汚れていた体も、彼女がぬるま湯で丁寧に何度か洗ってくれたから、元の白い毛に近づいている。
「みゃぉ」
春蘭の足元に近づくと、彼女は私を抱き上げてくれた。
「拾った時には気づかなかったけど、あなたってこんなに綺麗な長い毛の猫だったのね」
「むぁあぉ」
春蘭にだっこされると安心して、ちょっと眠たくなる。
私はふわあ、とあくびした。
「あなた、誰かに飼われてたの? こんな珍しい猫、初めて見るわ」
「みゃぅぅ」
首をかしげる。どうやって人間の言葉を話せばいいんだろう。私は彼女と話したくても話せない。猫だから。
「捨てられちゃったの? でもこんなにやせ細っているんだから、やっぱり他に行くところがないんだよね?」
「みゃう」
私は甘えるように彼女の胸に顔を擦りつける。彼女は「こらこら、動いたら危ない」と私の背中を支えながら微笑んでいる。
「私はねえ、ほとんど天涯孤独のようなものなの。だからここに来たんだよ」
そう言うと、彼女は私のふわふわの毛をもしゃもしゃもしゃーっと撫でながらクスクス笑った。
もしゃもしゃもしゃーっ。
きーもちいーっ!
夜になると、私たちは一緒に布団に潜りこむ。
「あなたがいると、夜眠るのにも温かいね」
そう言って、彼女は私をぎゅっと抱きしめる。
私も彼女に抱きしめられていると、温かい。
時々、春蘭は悪夢にうなされ、涙を流しながら寝言をつぶやくことがあった。
「姉さん、姉さん……」
そんな時には私は彼女の頬をつたう涙を、ぺろりと舐めてやった。
ずっと夜であればいい。ずっとこうしていたい。
思えば私はこんな風に、誰かと心を通わせて暮らしたことがなかった。
白く長い毛が変わっていて面白いだの美しいだのと珍しがられて、毎日櫛で毛をつやつやになるまで梳かされ、贅沢な餌を与えられた。何不自由ない暮らしだったが、自分がただの物のように感じていた。
そしてその後、打ち捨てられた。
餌を与えられ、置物のように育てられた私には、鼠一匹捕まえるのさえとても大変なことだった。
冬になってからは小動物も虫も果実も姿を消し、これでとうとう終わりだ、と思った。
絶望していたけれど、かといってこの世に未練もなかった。
でも今は春蘭がいる。
春蘭と少しの食糧を分け合い、こうして一緒に布団にもぐり、体を温め合える。
私は春蘭と一緒にいる時間が好きだ。
私と同じように不幸で、寂しくて、苦しくて、それでも生きていくことに決めた春蘭と、ずっと共にいたい。
このささやかな幸せが、いつまでも続けばいい……。
だが、静寂を破るように、物置小屋の戸を乱暴に叩く音が鳴り響いた。
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