化け猫と女官は恋をした ~後宮に咲く百合の花~

猫田パナ

第一章 出会い

第一章 出会い 1


 あの雪の日の晩、私は春蘭しゅんらんに命を救われた。


 なるほど、こういうふうにして生き物は死んでいくんだな。


 私はそんなことを考えながら瞼を閉じ、心も体も死体になる準備を始めていた。

 氷のように冷えきってしまった体はいうことをきかないし、頭がボーッとする。全身に力が入らず、だらりと土の上に横たわり続けるしかない。


 お腹が減ったという感覚は、もうとっくの昔に失ってしまった。一体どのくらいの間、飲み食いしていないんだっけ。

 一日の大半を眠って過ごし、起きても頭が働かないような状態になってからずいぶん経つ。


 土の上に体をあずけ、昼は日の光を浴び、夜になれば月の光を浴び。もう三日以上はそうしてここに横たわっている。

 そんな私の体に、気づけば雪が降り積もり始めていた。

 しかし眼球を動かして雪の降る夜空を見上げる力さえも湧いてこない。


 なんのために生まれたんだろう。


 私は雌猫だ。この世に生を受けて三年になる。元々は商人の家で育てられていた。その商人は様々な珍しい動物を育ててはお金持ちに売っているようだった。


 ある日、私の体を覆う真っ白いふさふさの長い毛を、とある美しいお妃様がいたく気に入り、商人に大金を払って買い取った。彼女は私を綿花めんかと呼んでいた。私の姿がまるで綿の花のようにふわふわだからだろう。


 お妃様は光瞬国こうしゅんこくの都、天香城てんこうじょうの後宮に住んでいた。それなりに位の高いお妃様だったようで、立派な御殿に住み、幾人もの女官に世話をされながら暮らしていた。そこで私も、贅沢な餌を与えられ、何不自由ない生活を送っていた。


 だがその人のよさそうなお妃様は、その後とある罪を犯し、処罰されることとなった。妃に仕えていたものたちは、別の職に就いたり後宮から追いやられたりと散り散りになり、私は行く当てのない野良猫となってこの天香城の後宮に取り残された。

 

 長いことろくに食べていないから、綿の花のようだった体もすっかりやせ細り、白い毛も薄汚れてしまった。


 もうすぐ、死ぬ。

 

 多分この降り積もる雪が、私の体温を奪い、殺してくれるのだ。

 あとはただただ、身を任せて眠っていればよいだけ。

 そう思えば、楽なものだ。


 だがその時、とある女が私に近寄ってきた。

 寒い雪の日の夜だというのに薄手の簡素な襦裙に身を包み、その袖から私に向かって伸びた細腕には、紫色の痣ができている。

 彼女は私のすぐそばまで来ると、身をかがめ、虚ろな瞳でじっと私を見つめた。


「あなた、死んじゃいそうだね」


 小さな声でそう言うと、彼女はふわりと私の体を抱き上げる。

 私の冷え切った体に、彼女の冷え切った細い指が触れる。


「わたしと、似ているね」


「…………?」


 どうして似ていると言われたのか、わからない。考えることもできない。

 それより自分をぎゅっと抱きかかえられていることに驚く。

 汚くて臭くてほとんど死体になりかけている私に、きっと人間たちは触れたくもないはずだ。


 だが彼女はちっとも嫌そうにしなかった。むしろ愛おしむように、私の背中を優しく撫でてくれさえもした。

そしてしばらく歩いて、私を物置小屋のようなところへ連れて行った。


 小屋の中には火鉢が置かれていて、彼女はその傍にぼろ布を敷き、私を優しく降ろしてくれた。

 そしてガチャガチャと音を立てながら何かを用意し始める。


 なにをしているんだろう……。


 私は目をつむり、ぐったりと横たわり続ける。

 彼女は私を守ろうとしてくれている。意識は朦朧としていたが、そのことだけはわかった。

 じわじわと、体温が上がっていく。再び体内に血が巡り始めたような感覚になり、体のあちこちがじんじんと痺れてきた。

 しばらくして、彼女は言った。


「これ、食べる?」


 なにか温かいものが、口元に触れる。

 私は重い瞼をほんの少しだけ開いた。

彼女はひとさじの薄い粥を、私の口元に当てている。


「生きたいなら、食べて。ねえ、どうする?」


 彼女はか細い声でそう言った。

 そして私をじっと見つめ、その動きを見守っている。


「ねぇ、どっちにする? どっちに、しようか……。食べる? 食べない? ねえ、どっちにしようか」


 どうも彼女の様子はおかしい。もしかしたら、単に慈悲の心だけで私を助けてくれたわけではないのかもしれない。

 ……まあ、人間なんてそんなものだよな。

 私の一生は結局、人間のおもちゃだった。そして最後まで、おもちゃにされて死んでいくんだ。


「ねえ、死んじゃう? 生きたい? ねえ……」


 彼女は私を使って、占いでもやってるつもりなのかもしれない、とふと思った。


 以前に飼い主だった妃と女官が、庭に咲き乱れた花を手に取り、一枚一枚花びらを剥ぎとって占い遊びをしていたのを思い出す。


 死ぬ、死なない。

 死ぬ、死なない。


 彼女は死にかけの猫に自分を重ね、この猫が死んだら自分も死のうと思っているのかもしれない。


――私は、死ぬはずだった。

 雪に埋もれて静かに、息絶えるはずだった。

 死にたいとか、死にたくないとか。

 そのどちらでもなかった。ただ運命に身を任せていた。

 なんのために生まれたのか。その答えは知っている。


 命に意味などない。ただ生まれたから生きてるだけ。ただ偶然や必然が重なって死ぬだけ。


 でも今は、ふつふつと熱いものが胸の奥からこみあげてきていた。


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