令和スナック3丁目

 この感覚は、昔のスナックや居酒屋の空気に似ているんじゃないかと思う。


 お酒を理由に悠々と嘘をつく。


 昔、大人たちはその場所で、一期一会の会話を楽しんでいたと聞く。名前も知らないひとと、ただその瞬間だけの会話を楽しむ。そこに肩書きや現実のしがらみはない。


 そこでは、みんなが自分のなりたいものになれた。


 誰もがミュージシャンで、お医者さんで、社長で。肩書きや肩肘張った「自分」を一旦置いて、ただ会話の中で遊ぶことができた。


 スナックのカウンターに座りながら「この前、ラスベガスのカジノで大勝ちしてさ」とか、「俺、昔ロックバンドやっててさ」とか、そんな話をしていた人たちがいたのだろう。


 もちろん、本当かどうかなんて関係ない。嘘だとしても、誰も詰問しないし、野暮なことは言わない。ただその場の空気が盛り上がればそれでいい。


 そういう遊びが許される空間だったんだと思う。昔の大人たちはそんな感じで、場所を共有する誰かとその場限りの夢みたいな会話を楽しんでいたんだろう。


 背伸びをしたり、嘘をついたりしながら、本当の自分を確かめているのかもしれない。


 けれど、SNSが発達した今、その「遊び」が難しくなってしまった気がする。


 SNSではすべてが記録され、見られる。何気ない発言も写真も、データとしてずっと残る。だから、みんな下手に嘘をつけなくなったし、背伸びすることも少なくなった。


 気軽な「お金持ちごっこ」すら、冷たい目で見られる。

 

 岡田斗司夫はそれを「ホワイト社会」というけれど、僕は正直得意じゃない。


 すべてが透明でクリーンな世界なんて、ひどくつまらないと思う。


「ありのままの自分でいろ」と言われるけれど、その「ありのまま」さえ他人の基準で評価される。そこにはどこか窮屈さがあって、なんだか怖い。


 だからこそ、ボクらにはきっと、そういう場所が必要なんだ。



〈つづく〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る