一章12話「黒い仮面の男2」
池袋駅構内、オレンジロードを抜けた先には、大規模崩落の『追悼碑建設中』と書かれた電光掲示板が立てられ、周りを仮設柵とカラーコーンが囲っていた。
チョロチョロっとネズミのように這い出した男は、慣れた手つきで受付カウンターから事務所に入っていく。
黒い仮面を見た受付嬢達は、豆鉄砲を食らった鳩のように目を丸くした。
「あ、あの……こちら関係者以外、立ち入り禁止ですが?」
一人の受付嬢が、男に尋ねる。
なんで勝手に入ってきているのか、と。
すると、男は仮面を剥いだ。
「あ、赤城です。こんちわ、今ここで寝泊まりさせてもらってて……」
気まずそうに言う男に、受付嬢は事務員達と目を見合わせる。
「……そうですか、はぁ」
訳がわからないと言った様子で、受付嬢は答える。
その時、再び受付カウンターの扉が開く。
「あ、居た! あんたさ、死んだことになってる自覚あるわけ?」
出会い頭に説教。
虎雄にとって最早日常とも言える光景だった。
「日夏さん、すみません。強くならないと、ね?」
表情を伺うように、虎雄は現れた女の顔を覗き込んだ。
ピンクと黒の特徴的なツートンカラー。目立って仕方ないツインテールを揺らしながら、怒声を張っている。
「それに、あんまり怒ってると、受付の向こうにいるかもしれない、ファン達に嫌われちゃいますよ?」
いうと、耳まで真っ赤にして日夏が答える。
「今何時だと思ってんのよ! 二十時でダンジョンの営業は終了、だから探索者が居ないんでしょ?」
プリプリと怒った彼女は、「もういいわよ!」と呆れを口にして、更衣室に足を向けた。
「あ、言い訳させて……」
虎雄は、彼女を呼び止める。
すると、日夏は振り返って、男の上から下に視線を動かした。
「……何それ」
視線は胸元に留まる。
虎雄は口を固く噤んでいた。
「……何よ。その黒焦げの塊」
左手で抱えられた、焦げた鉄の右腕にじっと視線を向けている。
「あの、えっとですね」
「……もういいわ」
ため息を吐き出すと、瞳を一瞥してから踵を返した。
心底呆れられてしまったらしい。
なんせ、義手を壊すのは、これで三度目。
「いや、その違うんですよ」
男の反論に、彼女は耳を貸すことはない。
更衣室の扉を開けると、ガチャン、と大きく音を立てて閉める。
虎雄は、謝るのを諦めて自室兼倉庫へ足を向けた。
事務室の真横にある更衣室を背にして、受付カウンターの内側を横切り、突き当たりを左に曲がる。
トイレの手前にある『備品室』という看板が掲げられた扉の鍵を開けた。
十畳のワンルーム。そう聞けば広く感じるかもしれないが、実情は違う。
鉄製の棚が部屋の半分を締めて、生活スペースも、大量のパイプ椅子と折り畳み机が置かれている。
実質、虎雄が生活するために使えるのは四畳ぐらい。
二畳敷かれた畳に、ちゃぶ台とカビ臭い布団が敷いてある。
「はぁ〜」
疲れ果てた声と共に、ぺったんこの布団にダイブ。
タコ足配線の充電器へと手を伸ばして、スマホに繋げる。
横たわって、スマホ画面をスクロールしていく。
「……あぁ」
胸中で、ごめん。そう口にしながら、雪乃からの大量の着歴をスライドした。
世間で死んだことになっている以上、一般人に生きていることを知られてはならない。
(こんなことになるなら、雪乃と話しておくんだったなぁ)
センチメンタルが、虎雄を包む。
上体を起こして、ダウンジャケットをハンガーにかけた。
「……飯と風呂」
まあ、いいか。
そんな無気力感に襲われた虎雄は、ちゃぶ台に置かれた照明のスイッチを押して、部屋の電気を落とした。
うつ伏せになると、枕を抱いて目を瞑る。
「くっさぁ!」
自分自身の汗臭さに、跳ね起きると、再び電気をつける。
天井は黒くシミだらけ。
それでも眩しいくらいに照明が明るかった。
「風呂入るか!」
虎雄は布団から立ち上がると、財布とスマホだけをポケットに突っ込む。
それから新しいマスクと、ボロボロのキャップ。
そしてサングラスをかけて、池袋駅東口のネットカフェに出かけた。
◇ ◇ ◇
オレンジ色の看板、【活活CLUB】の文字を見て、緊張感を取り戻す。
現状、日本中で『赤城虎雄は死んだ』と言うことになっている。
顔を見られたり、赤城虎雄であることがバレた時には、今度こそ袋叩きに遭いかねない。
自動ドアが開いて、正面のカウンターで店員が気だるげに挨拶をした。
「いらっしゃっせ〜」
「あ、どうも……」
すると、早速店員は、キラキラとした目をこちらに向けた。
「あの──!」
ドキッとする。
店員は、カウンターに置かれた、コース案内を指差す。
「常連さんっすよね。一時間コースでいいっすか?」
「あ、あぁ。はい、お願いします……」
池袋支部の事務所には、シャワーブースなんてない。
故に、駅の近くのネットカフェで、顔を覚えられない程度に店舗を変えながら、シャワーを浴びにきている。
もちろん顔を、名前も傷だらけの虎雄は、銭湯に入れる訳がないためだ。
「んじゃ、身分証おなしゃす」
店員は明るく言うと、言葉を続ける。
「規則なんで! サーセン」
「あ、いえいえ。……じゃあ、これで」
虎雄は言って、探索者証を出した。
実際ダンジョンに入るようになって知ったことだが、ギルドの発行する探索者証には、公的な身分証明証としての役割があるらしい。
もちろん、顔写真から氏名、年齢、住所に至るまで記載されている。
しっかりとマイクロチップまで搭載しているらしく、パスポート作成や、市役所の手続きにも使えるらしい。
「えっと、名前は赤岩竜生さんっすね。年齢と生年月日おなしゃす」
赤岩竜生(詐称)は、赤城虎雄の記憶を掘り起こして答える。
「平成十四年六月七日で、二十歳です」
「了解っす。オッケーっすね。じゃあ、十二番ブース使ってください!」
「ありがとうございます」
探索者証に載っている情報で合っているのは生年月日と年齢だけ、という。なんともお粗末な身分証明証を、プラスチックのコップと一緒に受け取ると、ブースへ向かう。
(そういや、ここ数年誕生日なんて気にしたことねぇな。社会人って怖い……)
漫画本の棚を抜けてブースに着くと、両サイドが埋まっていた。
三列個室の真ん中で、すごい気を遣いそうだ、と肩を落とす。
すぐにシャワーへ向かい、チャチャっと汗を流して、ブースに入った。
それからパソコンを起動すると、赤岩竜生名義のSNSアカウントにログインする。
赤城虎雄名義のアカウントは全て削除した。
それによって、虎雄は登録者十二万人の配信アカウントをドブに捨てたのだ。
「はぁ、ダンジョン界隈はみんな元気だなぁ」
ギルドの運営しているダンジョンの多くが、二十時で営業を終える。
深夜帯でも開いているそんなアングラダンジョンには、底辺で配信を行う探索者が集まるのだ。
配信サイトにある、深夜帯のダンジョン配信のタイトルは、危なっかしいものが多い。その理由でもある。
「あれ? これなに?」
虎雄は目についた配信をクリックした。
【人妻探索者のダンジョン冒険記】と言うタイトルで行われる配信だった。
「富士ダンジョンか? これ……」
山梨県御殿場市から入り、南アルプス市の方へ抜ける、日本でも珍しい直線的なダンジョンだった。
それゆえに、逃げ場がなく、夜間帯になるとダンジョンの魔物の凶暴性が増すため、本来はギルドが二十時で営業を停止しているはずなのだが。
「これ富士山支部の人、知ってんのか?」
ダンジョン界隈では、ある種常識になっている富士ダンジョン特有の怖さは、コメント欄も理解しているようだった。
“美沙子ちゃん? 大丈夫?”
“早く出たほうがいいぞ”
“誰か、通報したほうがいいんじゃね?”
コメント欄の慌てようも相当。
そのうち、警察かギルドが助けに来るだろう。
「あれ? 奥の赤い目……」
配信をしている本人は、スマホのコメントに齧り付いて気付いていない。
『大丈夫だって、私だって探索者だよ!? 問題なく戦えるよ』
人妻探索者は、カメラに力こぶを作っている。
「やばいんじゃね?」
虎雄は、キーボードを引き出して、コメント欄をクリックした。
(助けには行けないから……せめて気がついてくれ!)
“デッドマンチャンネル:後ろに魔物いるぞ! 早く逃げろ”
送信すると、コメントに気がついた様子の人妻探索者。
『……え? あ、あぁ! ああ!』
幸いなことに人妻探索者の位置は富士ダンジョンの入り口付近。
魔物を倒すことが出来れば引き返せる距離だ。
人妻探索者は、背負った戦斧を横なぎに振るう。
キャンキャンッ──。
直撃して吹っ飛んだ魔物は砂へ変わる。
そしてカメラに向くと、ガッツポーズをした。
『やったよ! でもやっぱり危ないみたいだから、引き返すね』
しょんぼりと肩を落として言う人妻探索者に、虎雄は胸を撫で下ろす。
“デッドマン? なにさっきのアカウント”
“デッドマンチャンネルって書いてあったろ”
“あー! 赤城虎雄かもってヤツ?”
まさか、人助けの気持ちで打ったコメントで身バレすることになるとは。
逃げるように配信をブラウザバックする。
そして、検索エンジンに、打ち込み始める。
“赤城虎雄 デッドマンチャンネル”
確かに直近で何本か動画投稿していた。
しかし、ダンジョンでのありきたりな、攻略風景だけ。
魔道具の仮面もしていたことで、バレる心配なんて微塵もしていなかった。
「はぁ? なんだこれ」
しかし、モニターに表示されているのは、『デッドマンチャンネルと赤城虎雄が同一人物じゃないか』として語られる掲示板だった。
「え? なんで、バレるわけ……」
理由がわからない。
ギルドも警察も、赤城虎雄は死んだと発表した。
さらに、アカウントは全て削除されたことで、過去動画と照らし合わせることもできないはず。
「まじかぁ〜……」
ヒナこと、佐藤日夏。さらには元新宿、現池袋支部長の大多野剣から、説教だけで済むのかわからない話し合いが、始まる予感がする。
今にも爆発しそうなほど早まる鼓動を、虎雄は地獄へのカウントダウンのように感じていた。
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