一章4話「二つに一つの選択肢」
結露を起こした窓から差し込む優しい光に照らされる。
真っ白い天井には、
「死んで……ないよな」
記憶にある最後の光景は、ダンジョンが崩落して全てが飲み込まれていくものだった。
生きていること自体不思議で、寝ぼけた頭には理解が追いついていない。
ベッドから上体を起こして周囲を見渡す。
左腕に繋がる点滴、ピッピッピと音を鳴らす心電図、全体的に白く清潔感のある部屋。
アルコール消毒液と、薬品の匂いがする。
どうやら病院らしいとぼんやり理解した。
「生きてるってことでいいんだよな?」
それでも信じられない。
虎雄はベッドから身を起こして立ち上がると、点滴袋の下げられたスタンドに手をかけて、姿見の前に移動する。
全身が包帯で巻かれたミイラのような姿が鏡に映った。
右腕はやはり着いてない。
飛んで行ったのは自分のものだったとわかる。
全身がヒリヒリと痛む。顔の左側が突っ張る感覚を覚えて、虎雄は顔の包帯を剥がす。
「あらら……」
インパクトはあるかもしれない。
しかし、二十年生きてきて、それなりに愛着のあった顔が酷い有様では、どうにもやりきれないとも思う。
右頬から首元にかけて火傷跡がケロイドになっている。
「
雪乃は、虎雄の妹分。
血縁ではないが、母を亡くして養護施設に入れられたことで、雪乃と出会い、今では一緒に暮らしている。文字通りの妹分だ。
「あいつ、心配性だしなぁ」
過激路線で配信活動をするようになってから、雪乃とはあまり口を聞いていない。
事あるごとに、兄さんはどうだ、なんだと、口酸っぱく色々と口出しをしてきて、最終的に喧嘩で終わってしまうため、話さなくなっていった。
問題はまだ残っている。
顔の火傷跡は、あまりにも目立ちすぎるということだ。
ただでさえ、目つきが悪い、人殺しみたい、と言われてきたが、この火傷跡のせいで信ぴょう性が出てきてしまう。
要は、悪人面に拍車がかかっているのだ。
「マスクで隠れるかな……、配信にも影響出そう」
とりあえず姿見から距離をおいて、現実逃避を始めようと、ベッドに引き返す虎雄。
病室のドアをノックする音が聞こえる。
「あ、はいはい。看護師さん? どうぞどうぞ──、え?」
軽快に踏み出した足が、ドアを開けて止まった。
パンツスーツの女がそこに立っている。
「看護師さんじゃなくて悪かったわね」
ムスッとして、ピンクと黒のツートンを靡かせる。
胸元には、花束が抱えられて、探索者も割と社会人なのだと思い知らされた。
「いえいえ、ヒナさん。こんにちは」
挨拶して、病室の中に招くと、ヒナは備え付けのパイプ椅子に腰を下ろす。
「あなた、本当に赤城虎雄よね?」
疑問はごもっともだ。
こっちはミイラで、顔も火傷跡でだいぶ違って見えるかもしれない。
「そうですけど……」
虎雄は言い淀む。
迷惑凸の件は、痛い目を見たことで懲りた部分もある。
賠償金とかの話になっても、首を横に振る自信がない。
それより気になったのは、話し方だった。
「なんかできる女みたいっすね」
言葉選びを間違えたかもしれない。
相手も配信者。
カメラの前とプライベートでは話し方も変わるだろう。
「何よ、それ」
「いや、話し方が、前とは違うなって……」
「ああ、別にいいじゃない。あんたアタシのファンじゃないでしょう?」
なんとも返答に困る質問だった。
とりあえず誤魔化すように首を斜めに振ってみる。
「ああ、まあ」
「アタシにもブランドイメージがあるし、ファンの前では、お淑やかにするわよ」
「ああ、そうですよね……」
この女は何の用があってこの場にいるのだろうか。
だんだんとはっきりし出した頭で、疑問を逡巡する。
「なんで困り顔なのよ。あんたの先輩でしょ? 嬉しそうにしなさいよ」
「いやぁ、まあ、なんできたんですか?」
言葉選びという以前に、タイミングを間違えたかもしれない。
配信という場以外で、人と話す機会がほとんどなかったせいか、会話のキャッチボールがうまく行かないようだ。
「不躾なのね。まあいいわ。あなたを笑いにきただけだし」
言って、彼女はスマホを取り出す。
そしてネットニュースの一面を飾る記事を、虎雄の顔の前に差し出した。
「は? なにこれ」
目を丸くする虎雄。
画面には、『池袋ダンジョン大崩落テロ事件の犯人、未だ見つからず』という大見出しと共に、赤城虎雄という犯罪者の詳細な情報が記載されていた。
個人情報はダダ漏れ。その上、巻き込まれたはずの虎雄が、テロリストとして紹介されていた。
「すごいでしょ、どう? 寝て起きたら、犯罪者になってましたってヤツ」
どんなに頭の調子が良くても理解できない。
何度見したかわからないほど、ネット記事に目を取られる。
「……テロリスト、赤城虎雄はダンジョンを貫く大穴を開けて消息不明。攻略中だった探索者の多くが依然行方不明で、発見されていない……?」
口に出して読んでも尚、意味がわからなかった。
確かに天井が崩落していくのは、記憶に残っているが、添付写真のように、月明かりが照らすほど大きな穴を開けた自覚はない。
「何かの間違いでは……?」
「そう? あんたじゃないの? 過激派の配信者さん?」
「いやいや、そもそもテロリストってなに?」
「多くの人が訪れるダンジョン内で、爆発物を使用した立派な爆弾魔じゃない、あなた」
言ってクスクスと笑うヒナを虎雄は睨みつける。
「爆発物なんて使ってない」
「それ以外考えられないでしょ? この規模の崩落よ? 常識的に考えれば火炎石二千個でも足らない量だわ」
火炎石──ダンジョンが出現して発掘されるようになった特殊鉱物で、衝撃で起爆する特性を持つ。
それが故に、緊急時以外で使用の制限される装備の一つでもある。
ダンジョン配信者を追う上で、情報集めた程度の虎雄に、二千個以上の火炎石など、用意できる道理がない。
「そんな事できるわけないだろ!」
虎雄は声を張り上げて言う。
焼けた喉に血が滲んで、鉄の味が口内に広がった。
すると、彼女は尋ねる。
「なら、……どうやったの?」
正直に話してもいいのか。
スキルを使っても、崩落の原因はおそらく虎雄だ。
この聞き取りで、有罪が確定したら、きっと死刑は免れないだろう。
「……言えない」
ふーん、と鼻で笑うとヒナは、スマホに指を滑らせ始める。
そして横向きにすると、闘技場を高台から取られた動画を再生した。
赤い竜のブレスを受けたグチャグチャの虎雄が、手を出すと、超火力の火炎ビームを繰り出して、倒れるのだ。
ニヤリと口角を上げると、虎雄の瞳を見据えて再度尋ねる。
「で、……どうやったの?」
心底むかつく女だと思った。
なにがなんでも、虎雄が犯罪者だと認めさせたいらしい。
「スキルを使ったんだよ……」
「なんてスキル?」
「知らない……。なんでもいいだろ。これで犯罪者だ」
虎雄の言葉に、クスクスと笑うヒナ。
「──ユニークスキル:大炎上。効果は悪意に反発する力かしらね」
目を丸くして彼女を見ると言葉を続けた。
「ここね、ギルドの医療施設なの。取り調べの一環としてスキルの内容も調べ済み」
「はぁ……。よくわかんねぇ」
すると、ヒナはピンッと人差し指を立てる。
「ここであなたに選択肢をあげる。──まず、罪を背負って死ぬ」
そしてヒナは中指をあげて、二本目の指を立てた。
「──ギルドに協力する。どっちがいい?」
やり方が汚い。
デメリットも説明せず、メリットだけを提示して選べという。
まるで闇金のような手口。
でも死なないためには、二つに一つだった。
「ギルドに協力ってなにすればいいんだよ」
「簡単なお仕事よ。協力するなら、家族の安全は保障してあげるわ」
ギルドはどこまでも虎雄について知っている様子だった。
おそらく過去についても知っているのだろう。
虎雄は決心を固めて、中指を掴む。
「こんなニートに何させたいんだ、本当に。……協力するよ」
「頑張った甲斐があるわ。バリバリ働いてね、ニートくん」
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