本と小説の再会

ねむるこ

第1話 本と小説との再会

「昔、物語が書かれた紙の媒体があったのか。しかも人が作っていただって?」


 私は空間に浮かぶ文字の羅列を追いながら新鮮な驚きを覚えた。視界の端には動画配信サービスのドラマと世界のニュースが報じられる画面とが映し出されている。

 今私は調べ物をしながら、娯楽を楽しみ、世界の情報を入手しているというわけだ。インドア派の現代人であれば定番の休日の過ごし方と言えるだろう。時々体を動かしにジムへ行くか、仲間を誘ってフットボールをするが今日は家でのんびりしたい気分だった。

 目の前に映し出されるもの全て、AIが個人の興味に合わせて自動で表示させてくれている。もちろん今見ている情報もAIがランダムで拾ってきたものを表示させたに過ぎないが、私の興味を強く惹くものだった。

 思わずデスクチェアから立ち上がってしまうほどに。


「小説なんて何十万字もあるのに。それを全部紙に印刷して、販売していただって?信じられない!コストがかかりすぎるだろうに。商売として成り立つのか?……『本』というのか」


 私にとって小説といえばAIが生み出した文章データのことである。

 今出回っている小説はAIが書いたものだ。とびぬけた話題作でない限り、私達のような一般人は企業が生成した物語を買うのではなく自分達で生成した物語を楽しむことが多い。

 例えば『国家を揺るがすような問題に立ち向かう主人公を描いたアクションバトル小説』が読みたいと伝えれば数分で文章データを作成してくれる。しかも無料で。

 文章を読みたい、自分の世界に浸りたい時にその時の気分に合わせて物語を生成してもらう。

 その文章データが面白ければSNSで全世界に共有する。そのまま全世界で有名になれば他のユーザーが他の動画生成AIでアニメ化したりして楽しんだ。利益は閲覧数や話題性に応じてSNSの運営会社から生成者や作品に関わった者達に自動で分配される。ちょっとした小遣い稼ぎになるわけだ。

 公式の小説データ販売会社が気に入れば、多額の資金提供がなされ映像化されることもある。

 AI小説コーディネータなる非公式の職業があるが、普通に働いて稼いだ方が手っ取り早い。物語なんてAIを使えば誰でも数分で作ることができてしまうのだから。AI小説で一発当てるのは宝くじを当てるのと同じぐらい困難だ。


 小説はかつて小説家という人間が書いていたことは知識で知っている。名作と言われる作品もデータベース上に保管されている……がまさかそれらが紙媒体で販売されていたことは知らなかった。


「本ってどんなものなんだ?」


 私は目の前に浮かび上がるディスプレイを操作し、物語が書かれた『本』について更に調べを進めた。


「ほお~……。紙の束の片方を閉じて自分の手でめくって読んでいくのか。なんだか楽しそう」


 まず本のビジュアルに私は心惹かれた。様々な大きさや形があり個性豊かな表紙のデザインを見て心が躍る。紙に描かれ、アナログであったもののまるで美術館で絵画を見ているような。穏やかな心地になる。


 次にAIが表示してきた画像に私は歓声を上げた。

 それは……棚や台に本が敷き詰められた画像だ。どうやら本を専門に売っていた店らしい


「本屋?へえ、昔はこんなに本があったのか……!これだけの人間があの文章量を自らの手で考えていたなんて、まだ信じられない」


 私はいたく感動してしまった。人間の底力を目の当たりにしたような気がしたのだ。

 山にトンネルを作ったりダムを作り上げたのと同じぐらい、小説や本という物質から私は人間の原子のパワーというものを感じた。


「本……見てみたいな」


 思いついてから行動が速いのが私の良いところである。

 空中に浮かぶディスプレイを地図に変えると私はデスクチェアから立ち上がり『国立書籍保存センター』へ向かった。




「今時珍しいねえ。こんなところに若い人が来るなんて。ここにあるものは全部データベース化されて無料で閲覧できるんですからわざわざ直接見なくてもいいでしょうに」


 国立書籍保存センターに勤務する年配の職員があくびをしながらぼやいた。


「実際に『本』というものをこの目で見て手にしてみたくて」


 私が目を輝かせて言うと職員は「変わってるな~」と言いながら私を案内する。書庫へは関係者以外立ち入ることができないので、受付で待たされることになった。

 なんでもいいので『本』というものを取ってきて欲しいと頼んだ。


「どうぞ」


 私の脳内に電流が流れた。言葉にできないような感動が胸の内から溢れだす。


 これが……『本』。人間がAIを使わずに作った小説。


 ずっしりとした紙の重み。この重みの分だけひとりの人間がいちから作り出したのだ。莫大な時間と何年もその人の蓄積された知識、その人の頭の中にしかなかった世界が手の上に具現化されている。


 紙をめくるという感覚が新鮮で、何度もパラパラしてみせた。

 表紙には『源氏物語』と書かれている。確か……世界最古の長編小説だと言われた作品ではなかったか。話で聞いたりデータベースで見かけたことがあるものの読んだことはなかった。AIがアレンジした似たような作品に触れたことがあり、この本が元になっているのだと思うと感動する。


「今じゃ考えられませんよね。本を作るなんて時間と労力の無駄じゃありません?金にもなりませんしね。一体どうしてこんなものが生まれたのか……私には分からんのですよ」


 年配の職員の言葉に私は何も答えることができなかった。




 私は家に帰ると空中に浮かぶ白紙のフォーマットに向かい合っていた。

 空中に浮かぶボタンを使って文字を打っては消してを繰り返す。ビジネス文書を作るソフトなのだが、AI機能は切ってある。

 文章を生み出すには私がボタンを入力するしかない。

 とてもAIのように、かつて存在した作家たちのように一から文章を作り上げることができない。


「う~ん……。あ。こういうのはどうだ?」


 四苦八苦しながら言葉を紡ぐ。

 実際に小説を書くことで人間が『本』や小説を生み出した理由がわかるかもしれないと思ったのだ。


 やっと数行の文章が出来上がると私は嬉しくなった。

 AIのような完璧な文章ではないし早く入力することもできない。だけどその文章は紛れもなく私が考えたことで、私の言葉で書かれている。


 真っ白なフォーマットの上に私の言葉が映し出される。生きた私の証が刻まれたような……そんな気がした。


 そのことが愉快で、愛おしいことのように思えた。



 ああ、そうか。あの本の重みはひとりの人間の生きた証であり人生だったのだ。

 そのために色んな人が関わり、膨大な時間と労力が使われた。それは儲けとは別の大切な人間の精神に関わるものだったのではないだろうか。

 だから本を手にした時、私はひどく感動したのだろう。

 

「えーっと……あと数万字も書かないと駄目なのか。この調子で行ったら何週間……いや何カ月かかるんだろう。なんて手間がかかるんだ!AIなら一瞬なのにな!」


 私はひとりで騒ぎながらデスクチェアに座り直す。

 これから未開の地へ旅立つような心持ちで白紙のフォーマットに向かい合った。

 


 私は……もう一度この目で人間が作った物語を読みたい。

 もう一度、人間が心血注いで作り上げた本を作りたい。



 

 

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