第2話 七瀬の決意
「では、まずこれをやってもらおう」
モニターの男が冷たく言い放つと、画面に白文字が浮かび上がった。
”廊下を全力で走れ!”
「なんだ、それだけか」
俺はちょっと拍子抜けして、七瀬さんの方を見た。しかし、彼女の顔はこわばっていた。
「七瀬さん、これくらいなら簡単だろ? 廊下をただ走るだけだよ」
「そ、そんなこと……できません!」
彼女の声は震えていた。その瞬間、俺は思い出した。
七瀬さんは規則に対して人一倍厳格だった。彼女は学生手帳を隅々まで熟読し、規則を守ることに全精力を注いでいるような人だ。それが原因で、クラスメイトから煙たがられることも少なくなかった。
「七瀬さん、今は校舎に誰もいないんだ。少しくらい校則を破ったって、誰にも迷惑かからないだろ」
「人が見ているかどうかは関係ありません!」
七瀬さんはきっぱりと言い返した。
「規則は規則です。それを破るなんて…… 信じられません」
俺は思わず頭をかいた。
「でも、このままじゃ俺たち、ここから出られないんだぞ」
七瀬さんはハッと目を見開いた。その顔を見て、俺はさらにこう言った。
「校則を破るよりも、俺とずっと二人きりって方がもっとまずいんじゃないの?」
「ふえっ!?」
七瀬さんは飛び上がるように後ずさった。その頬は真っ赤に染まっている。
「ももも、もしかして、私のことを狙って……」
「いや、違う違う。だから、そうなるよってだけの話で…… 別に深い意味はないから」
俺は慌てて手を振った。
しばらく考え込んだ七瀬さんは、渋々といった様子で小さくうなずいた。
「……わかりました」
俺と七瀬さんは視聴覚室の扉を開けて廊下に出た。静まり返った廊下には明かりが灯っている。俺は彼女の方を見て、軽く肩をすくめた。
「じゃあ、俺から行くよ」
俺は勢いよく走り出し、廊下の端まで行って折り返してきた。
「ほら、こんなもんだよ」
七瀬さんは恐る恐る一歩踏み出した。そして、振り返りながら慎重に歩き出す。
「いや、それ走ってないから」
「これでも精一杯なんです!」七瀬さんは抗議するように言った。
俺たちが視聴覚室に戻ると、モニターの男が怒りを露わにしていた。
「そんなんじゃダメだ!」
そして、男は少し落ち着いた後にこう言った。
「じゃあ次はこれをやってもらおう」
男が指示したのは、教室内の戸棚を開けることだった。戸棚を開けると、中にはスプレー缶が数本入っていた。
「それを使って、教室中に落書きをしろ」
七瀬さんの顔色が一気に青ざめた。
「そんなこと、絶対にできません!」
「ちょっと待って、七瀬さん。落ち着いて」主人公が慌てて制止したが、彼女はさらに声を張り上げた。
「非常識にも程があります。ここはみんなの使う教室です。それにこんなスプレー缶でいたずら書きをして、汚れを落とすのにどんなに大変なのかわかっているんですか。いい加減にしてください!」
しかし、彼女の剣幕を目にしても、モニターの男は冷笑を浮かべ続けていた。
「よく状況がわかっていないようだな」
そう言うと、一瞬で校舎中の明かりが消えた。漆黒の闇に包まれる中、七瀬さんは悲鳴を上げた。
「きゃっ!」
「大丈夫、落ち着こう」俺は暗闇の中、パニックになっている七瀬さんの肩をそっとたたいた。彼女は微かにふるえていた。
一時間も経っただろうか。彼女は少し落ち着いたのか、反省した様子でこう謝った。
「ごめんなさい…… 私が余計なことを言わなければ……」
「謝る必要なんてないさ。まあ、普通はそう言いたくもなるよ」
俺は彼女をなだめながらこういった。
「しばらく様子を見よう。こっちが静かにしてたら、また、要求を始めるよ」
おそらく、彼は俺たちの反応を見て面白がっているのだ。だから、あまりこっちが動かなければ、飽きてきて次の要求を始めるに違いない。
俺たちは身を寄せ合い、暗闇の中で時間をやり過ごそうとした。こんな時は時間が経つのがとても遅く感じる。
やがて、七瀬さんがぽつりと口を開いた。
「私…… 昔からこんな感じなんです。真面目すぎて、空気が読めないってよく言われました」
俺は彼女のこんなしおらしい様子を見るのは初めてだった。いつも強気でグイグイと言ってくる彼女も。さすがにこの状況は堪えるらしい。
「クラスのみんなに規則を守らせようと必死で、それが迷惑だって気づけなくて……」
俺は黙って彼女の話を聞いていたが、一言言ってあげた。
「でも、七瀬さんが規則を大事に思っているのは悪いことじゃないでしょ」
「でも……」
「大事なのは、時と場合ってことさ」俺はにっこりと笑って言った。
「今は校則を守るより、とにかくここから出る方法を優先しよう」
その言葉に、七瀬さんは少しだけ表情を緩めた。
「……ありがとう」
その時、突然モニターが再び光り出した。
「おしゃべりは終わりかい?」
俺たちは緊張しながらモニターを見る。
「次の指示に従う準備はできたか?」
俺たちはゆっくりうなずいた。
「なんかノリが悪いから、そこの女だけ指示に従ってもらう」
俺はびっくりしてこう言った。
「ちょっと待って、それじゃあ、七瀬さんが……」
「わかりました」
七瀬さんがこちらを見て、にっこりと笑った。
「藤崎くん。まずはここから出ることを優先しましょう」
「だって……」
「それに校則違反ぐらいだったら、そんな危険なことはないはずです」
モニターの男が冷たく言った。
「じゃあ、隣の部屋に一人で入れ。そこで新たな指示を出す」
その瞬間、灯りが戻った。
七瀬さんは立ち上がって軽くうなずく。覚悟を決めた彼女のキリッとした横顔が、なぜだかすごくまぶしく見えた。
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