プロジェクト・カイカ後編 第03輪 | 逢条 陽 vs 校長センセー
4月29日 10:21
そして、気付いたら。
アパートの一室ほどの大きさの、灰色の空間に居た。
-パチンッ、ビジューッ
指を、弾く音。
直後、天井からぶら下ったシーリング・ライト風の機器から、色鮮やかな光線が飛び出し、それが灰色の壁にいくつもの四角い像を結んでいく。
-パチンッ、ボジューン
-パチンッ、ピシューー
-パチンッ、ズジュゥゥー
抽象的な色合いの、それらの四角い像たちは、白い光を放ったかと思うと、瞬く間にその姿を「絵画」へと変えた。
立派な額ぶちに入れられ、ズンズンと横一列に並んだ、合計8枚の絵画に。
しかし、それらの絵画は、ちょっとばかし変わっている。
それぞれの風景の中には、一人の人物が描かれているのだが、その人物たちが、絵画の中でせわしなく動いているのだ。
ある者は音響室で歌い、ある者はリングで闘い、ある者は美容室で髪を切り、ある者は医療室で手術なんかを行っている。
「逢条センセー、よくぞお戻りになりました♪」
再びの、カイカ・ガッコー。
そこに入るなり現れた、妙な絵画を睨む自分に、明るく声をかけるのは、教頭センセーことキサキュウ。
「こちらは♪皆さまのゾーンでございます!」
「・・・なるほどな、ここで見てやがったのか」
そう。
プラチナに輝く、立派な額縁に入っているのは、各々のゾーンを映した映像。
つまり、その映像の中にいるのは、他7人のセンセーたち。
皆、それぞれのゾーンにおいて、それぞれの才能を発揮しているのだ。
誰も居なくなった、動かざる「鳥かご」を除いて。
「ワタクシはこちらを、ゾーン・ギャラリーと呼んでおります♪」
「はっ、モノは言いようだな。監視室だろうが、要するによ?」
「否定はいたしません♪でも、サイバー業界での「監視」とは、「安全を守るため」に行うものなんですよ?ワタクシたちは、皆さんの安全を守るため、こうしてゾーンのご様子をチェックさせていただいているのです♪」
「はっ、何でもいいけどよ・・・ここが校長室なのか?つーか、何でアンタがいんだよ。俺が用あんのは、校長先生だけなんだけどな?」
「こちらのお部屋は、教頭室でございます♪」
教頭室-そこは、キサキュウの部屋。
道理で、ここに才羽 宗一郎がいないわけだ。
「教頭室は、校長室の入口となっておりまして・・・」
-ビュウンッ!
言葉の終わりを待たずして、サイバリアルムに持ち込んだ、リアルな木刀を突き立てる。
ホログラムで顕現した、教頭センセーの首元に。
「そうかよ?じゃあ、さっさと校長室に案内しろよ。なあ!!」
火口でグツグツと煮立つ、マグマのような怒りを滲ませ、それをキサキュウに言い放つ。
すると、キサキュウは、その温度上昇を意にも介さず、涼し気な口調で返答した。
「おやっ♪これは穏やかならざるご反応で!それではご希望通り、ご案内いたしましょう♪」
あくまで笑顔を崩さずに、それらしき方向に向け、右手を伸ばしかけるキサキュウ。
しかし、その手は伸び切らず、半端なポジションで固まってしまった。
「ちなみに・・・♪校長センセーとは、どんなお話をされる予定で?」
「はっ、決まってんだろうが?辞めるって言うんだよ」
「えーっと♪辞めるとおっしゃいますと・・・?」
「まんま、言葉の通りだよ。このプロジェクトとはおさらばだ。それを、才羽 宗一郎に伝えにきたんだ」
「あら・・・プロジェクト・カイカ、辞めるおつもりなんですか?」
ピタリと止まった、会話の更新。
時の流れの中で生まれた、局所的な時間の停止。
そんな中、心に生まれたのは、ある強烈な気持ち。
達成感。
と言うのも、ついにプロジェクト・カイカにおいて、この瞬間が訪れたのだ。
騙され、見下され、利用され続けた自分が、他者にショックを与える瞬間が。
もっとも、それが辞職と引き換えというのが、皮肉な話ではあるが。
「そうだよ。ぶち辞めてやる」
4月29日 10:25
そして、暫しの沈黙を打開したのは、キサキュウだった。
「うーん♪参っちゃうなあ・・・逢条センセーには辞職していただきたくないんですが・・・」
「都合いいことばっか言ってんじゃねえよ!辞職っつったら、辞職だ!!」
「むう・・・ご不満をお持ちなのは分かってましたが、まさかそこまでお考えとは・・・」
すると次の瞬間、その場にいる何者でもない声が、教頭室に響き渡った。
それぞれの抱える混乱を、ピンと正すように。
「通せよ」
しかし、そこにあるのは、分別ある大人が混迷する事態を収拾するような、思慮深いトーンではない。
檻の中でキャンキャンと暴れる獣を、ポケットに手を突っ込みながらせせら笑うような、不敵なトーン。
声の主は、どう考えても、才羽 宗一郎。
「・・・かしこまりました♪」
チュートリアルで、それは激しく加工されていた。
男児と、老父が、ピッタリ同時に話しているような声に。
しかし、今聞こえたのは、そうした加工音声ではない。
れっきとした、男の肉声。
「逢条 陽。心の準備はできてるか?」
それは、今まで聞いたことのない独特な声だった。
声質ではない。
それでは、話し方かと言ったら、そういうわけでもない。
しかし、その声から表出されている何かが、その独特な印象を生み出していた。
例えば、ピアノの低い鍵のいくつかに、男性ピアニストが神経を集中させ、その鍛えられた左手の指々を置く。
一方で、そのピアニストは前衛音楽家でもあり、「右足」を斜め前にビヨンと伸ばし、その裸足の指々を、高い鍵に置いている。
すると、研ぎ澄まされた低い和音が鳴り響くと同時に、その上で、奇特な発想による高い和音が乱れ響く。
もしくは、ここに階段がある。
階段の1段目で、使命を持った男性が、精神を集中させ、ある告発文を外の世界に向け読み上げている。
一方、階段の30段目で、気の触れたような別の男が、何かに駆り立てられるように、鈴か何かをシャンシャンと鳴らしている。
すると、近くで聞こえる意味深い低音に、遠くで鳴らされる鈴の狂気的高音が、絶妙に重なる。
本来反目するであろう、二つの要素が重なることで、耳を引く、独自の周波数がそこに生まれているような。
そんな、声。
「心の準備?できてるに・・・決まってんだろうが?」
いずれにせよ、これでハッキリした。
才羽 宗一郎は、鳥ではなく、人間であることが。
才羽 宗一郎は、女性ではなく、男性であることが。
才羽 宗一郎は、男児でも老父でもなく、その中間であることが。
でも、その声は、どこから放たれたのだろう?
-パチンッ
すると突如、8台の絵画風モニターに変化が訪れた。
各々のモニターが拡張し、徐々に他のモニターとの境界を失い、超巨大な一つのモニターをつくり出すように、繋がり合っていくのだ。
その統合型モニターの中で、全ての映像は混ざり合い、程なくしてそれはグルグルと回転する黒へと変わった。
丁度、あらゆるインクをパレット上で混ぜ合わせたら、そこに黒が生まれるように。
そして、その黒は額縁すら破壊し、あらゆる物を暴力的に吸引するブラックホールに成長した。
漆黒の円は、その恐るべき吸引力で、自身の周りに動的な渦を生み出している。
現実世界のブラックホールは、異世界へと続いている。
この架空のブラックホールも、そうなのだろう。
そして、その異世界を。
才羽 宗一郎という、一人の男に出会う世界を。
今朝まで自分は、「新たな世界」と呼んでいた。
これまで生きてきた、「いびつな世界」とはまるで異なる、光に彩られた世界。
しかしそれは、蓋を開けてみれば、反面教師として使われる、屈辱的な白黒世界だった。
これから、その反面教師を辞職する。
仮に、それでも才羽奨励金をくれると言うなら、意地を張って突っ返す。
「この金で生き延びるくらいなら、死んだ方がマシだ」
そう、啖呵を切りながら。
そして、カイカ・ガッコーを出た後は。
世の底辺を彷徨い歩き、やがて彷徨う力すらも失い、名もなき場所で野垂れ死ぬ。
そう、野垂れ死ぬのだ。
何せ自分は、無職になるのだから。
そんなことを思いながら、いつの間にかブラックホールに吸い込まれていた。
-7年9ヵ月前
7月28日 13:33
-チューッ、ギュポンッ
「ぷはぁ!」
長乃県、朱和市。
戦前から「精密機械の工場地帯」として名を馳せるその街を目指し、中古のライトバンで国道をひた走る。
そんな中、天田青年は右手に持ったアルミ缶を満たす炭酸栄養ドリンクを、ストローで勢いよく吸い上げた。
「いかなる飲み物もストローで吸う」という習慣は、何年か前に、缶ジュースを飲んだ時の失敗から生まれた。
缶を口に向けて傾けたとき、うっかり傾けすぎてしまい、勝負服の一つであった白いバンドTシャツに、紫色の内容物をぶちまけてしまったのだ。
ストローで飲むことにより、そうした悲劇を回避できる。
缶を傾ける必要がなくなるからだ。
とは言え、炭酸飲料をストローで飲むのはどうにも良くない。
炭酸の刺激が口全体に拡がらず、美味さが半減してしまう気がする。
-チューッ、ジュルルッ
しかし今日、天田青年にとってより重要であるのは、その栄養ドリンクで、慎重にアイロンがけしたスーツを汚さないこと。
何しろ、今日は、「亜桜 ヒビキ」にマネジメント契約を持ちかける日。
その亜桜 ヒビキは、現在、高校1年生。
未成年であるがため、契約は親と交わすことになる。
契約書を差し出し、「息子さんは、学業より音楽を優先すべきです」という、大それたメッセージを伝えるのだ。
実質、それは、「息子さんの命運を我々に預けてください」と言ってのけるに等しい。
それ故に、そこに臨む服装として選んだのは、滅多に着ない、スーツとネクタイ。
「スウーーーッ!」
ライトバンの内側の、冷気を鋭く切り裂くのは、差し迫った深呼吸。
ゼロ。
それは、Hoshino Hikari Productionに、新人発掘として入社した天田青年が、これまでに契約した新人アーティストの人数。
既に、入社して半年が経過するのに、この体たらく。
そろそろ、星野との恋愛どころか、会社員生活すら危うい。
実質、この亜桜少年との契約を決められるかが、天田青年の命運を握っていた。
「ここか」
-カッコン、カッコン、カッコン、カッコン
ウィンカーを出し、アクセルを緩め、国道から左折して、小路へと車を進める。
そして、ドライブすること更に10分、木々の空気が立ち込めてきた頃、本日の目的地が目に入った。
小高い坂の上にある、亜桜少年の実家である。
「って・・・お寺じゃねえか、ここ」
-7年9ヵ月前
7月28日 14:13
そして、契約の全容を目の前の男に説明したとき、その男の顔に、ある表情が浮かんだ。
それは、知らない国に迷い込み、言葉も伝わらない中で、ただ当惑しながら立ち尽くすような表情。
もっとも、その表情を浮かべているのは、目の前の男だけではない。
天田青年も同様だ。
何しろ、その目の前の男は「坊主」なのだ。
髪型の話をしているのではない。
その男の、職業の話だ。
つまりは、住職。
やたらと結び目が長く、それに反して胴の短い、風変りなエプロンみたいな形をした、黄土色の首掛け。
重力に引きずられ、大地の方に引き伸ばされたかのような袖口をたたえた、黒い僧服。
その黒僧服の襟元で、俗世を離れた者の清らかさを象徴するような白の着物が、その姿を覗かせている。
座布団に座りながら、五厘刈りの自らの頭に、静かに右手を伸ばす住職。
すると、ゆったりとした袖口から、その住職の毛深い前腕が、少しだけ露わになった。
「実際、何も分からんですなあ。こういう世界は」
実際、何も分からないのは天田青年も同じだった。
音楽家マネジメント・オフィスの新人発掘担当と、長乃県の街の外れでひっそりと寺を営む浄土真宗の住職。
この、恐ろしく異なる文化圏に生きる2名の男たちは、互いの間に国境のように伸びた渋い木製テーブルを前にしながら、その向こう側にある理解の及ばない国に対し、目を細め合っていた。
「いや、まあね・・・私もまったく音楽に縁がない、というわけではないんです。と言うのは、妻が好きなものでね。その、メタルって言うんですか。実際、息子の「ひびき」っていう名前は、妻の音楽好きが高じてつけた名前なんですよ。ただね-」
少しだけ、境界の向こう側に歩み寄る姿勢を見せる住職。
しかし、そうかと思うと住職は、テーブルに置かれた「契約書」をドカリと右手で覆い、天田青年を睨みつけるようにしながら言葉を続けた。
「私は、読みを「きょう」にしたかった。つまりは、「経」だ。ひびきの方が語呂が良いって言うんで、ひびきになったんですがねえ」
「は、はあ・・・そうでしたか」
「響は、この家の長男です。将来、この寺を継ぐという運命にあるんですよ。その辺、お分かりいただけますか」
-歌が上手な生徒さん。
-音楽の授業で、創作的な動きを見せる生徒さん。
-もしくは、一人も友達をつくらず、ひたすら自身の世界を育んでいる生徒さん。
朱和市立銘光中学校からの返信には、「卒業手前ではあるが、全てに該当する生徒が1名いる」とあった。
プライバシーの問題やらで多少時間がかかったものの、数週間後、桜庭 響という名前、身長体重、顔写真の提供があった。
しかし、家が寺との情報は、どこにも書かれていなかった。
長乃県朱和市-それは、精密機械の工場地帯。
居住者の一定割合を、工場労働者が占める街だ。
それ故に、この地域は、遺伝的に手先の器用な人が多いことで知られている。
だから、天田青年は、勝手に想像を膨らませていた。
亜桜少年は、工場技術者のもとで生まれたのではないかと。
その手先の器用さが、機械にではなくギターに向けられることで、亜桜少年の才能が開花したのではないかと。
そして両親は、その手先の器用さを別の分野で発揮し、この田舎を抜け出して都会で輝こうとする息子を、暖かく手を振って送り出すのではないかと。
しかし、大量の墓石と卒塔婆を庭に並べたこの家を前にして。
五厘刈りで頭を丸め、俗世から身を引いたこの住職を前にして。
ようやく、天田青年は気付くに至ったのだ。
それらの全てが、間違っていたことに。
「天田さんねえ、寺の世界の慣習に、「世襲」というものがあるのはご存知でしょう。子が親の寺を継ぐというのは、この世界の常識なんですよ。そして、寺の世襲には例外というものがない。住職の息子は、必ず住職になるんだ。この世界は、そういうものなんですよ」
「なるほど・・・そうとは知らず・・・」
「響が寺を継がなかった場合、私の読経や、法事や、葬儀をあてにしてくれている檀信徒の方々は、私の引退後にどうすればいいんです?」
「それは・・・」
無言。
この日のために用意したアー写は、見せる気にすらならなかった。
亜桜 ヒビキという芸名は、言わない方がいいだろう。
自身の決定的誤算と、調査不足を後悔しながら、その住職の肩越しに映る、窓の向こうに立ち並ぶ墓をぼんやりと眺める。
「いんやあ~、星野さん、スンマセン!ヒビキくんの実家に行ってビックリしちゃったんすけど、家が寺なんすよお。住職のお父さんに、息子には寺を継がせるつもりだ!って凄まれちゃいまして。ああ言われたら、もう何も返せないっすよお。いやー、長乃まで行きましたけど、この話は白紙ってことで」
それを、星野に言ったらどうなるだろう?
「はあ・・・アタシ、天田くんに期待してたんだけどなあ。ガッカリ」
失恋。
「って言うか、申し訳ないけど・・・天田くん、この仕事向いてないかも」
そして、クビ。
-天田 奨ノ墓。
ふと、天田 奨という発掘担当者の墓標が、その墓場に見えた気がした。
バンドも、ダメだった。
どうやら、発掘もダメらしい。
そして、恋愛も。
そう言えば、親戚に、食品工場に勤めているのが一人いる。
明日、連絡してみよう。
ベルトコンベアに運ばれてくる、おにぎりの仕分け。
素敵だ-そこは、坊主に凄まれなくてもいい世界なのだ。
「初めまして!天田さん!」
-ジャガジャッッ!!
前を見据えることを諦め、下を向こうとした瞬間、彗星のごとく現れ、全ての注意をかっさらった人物。
それは、アコースティック・ギターを抱えた、桜庭少年-
いや、「亜桜 ヒビキ」少年だった。
「早速ですけど、新曲、聞いてもらっていいですか?僕、音楽やりたいんで」
4月29日 10:27
「ソラソラ、音楽は好き?」
大きな目をらんらんと輝かせ、音楽室を眺めるソラソラを見て、亜桜 ヒビキは、自身の演奏が彼女を魅了したことを確信した。
「**フン♬フーン、フン♬**」
ソラソラが鼻歌を歌っているのが、何よりの証拠だ。
その欧州の子守歌のような鼻歌のもと、ソラソラの「才能の芽」が、可愛らしい見た目の内側で、すくすくと伸びているのを感じる。
そうだ、この調子だ。
「ソラソラ。今から、君のために曲をつくるよ?そこで、聴いててね」
-135曲。
それは、現在24歳の亜桜 ヒビキの「持ち曲数」である。
亜桜 ヒビキが、楽曲制作の内幕を知るレコード会社から絶大な評価を受ける理由の一つ。
それは、その制作スピードだ。
通常、「即興」と呼ばれる音楽は、リフと呼ばれるコード進行の繰り返しをベースとしている。
リフの進行の中で、その上に乗るメロディやソロを、部分的に「即興で」生み出していく。
しかし、亜桜 ヒビキの即興は、そうした予定調和を基盤としたものではない。
イントロ、コード進行、歌メロ、合間のソロ、そしてアウトロ。
それら全てを、その場その場で紡ぎ出し、瞬時に曲の骨組みをつくってしまうのだ。
そして、そこに「詞」を乗せ、早ければ数十分で楽曲を完成させる。
その能力に感嘆した音楽業界人たちが、亜桜 ヒビキにつけた異名は、「瞬間作曲機」。
「それでは、ソラソラに捧げる即興、始めまーす」
亜桜は、エレキモードのNiN/GyOを構え、幻想的なディレイをかけたアルペジオで、それを始めた。
サスペンデッド4thと呼ばれる、浮遊感あふれるメロディを響かせつつ、ハンマリング奏法で、そこにテンション・ノートを加えていく。
その、星々がきらめく広大な夜空を彷彿とさせるギター・フレーズ。
しかし、何を思ったか、程なくしてそれをピタリと止める亜桜。
演奏が止まった直後、そこにギターの残響が、フッ、フッ、フッ・・・と儚く響く。
すると亜桜は、すかさずディレイ・ペダルに加え、歪み系のエフェクターを踏み込み、高速でコードをかき鳴らした。
そこに生まれたのは、オーロラを思わせる、美しい音の膜。
それはまるで、澄み渡る冷気に包まれた、遥か北の夜空のような。
「・・・ん、あれ?」
しかし、その魅惑の夜空は、余りにも早く明けてしまった。
「ソラソラ?」
ソラソラが、何の脈絡もなく、忽然と姿を消してしまったのだ。
「・・・そっか。挨拶回りは、3分だけか」
NiN/GyOをギタースタンドに置き、音楽室の真ん中で、不敵な笑みを浮かべながら腕を組む亜桜 ヒビキ。
「ま、いいや。またすぐ、姿を現すだろ」
亜桜 ヒビキは、そこで宙を見た。
ぼんやりと眺めるという類のものではない。
明確な対象を持って、そこを見つめた。
「ヒビキ・ループまで、後一歩」
4月29日 10:29
そして、教頭室に生み出された、ブラックホールに飲まれた後。
再び目の前に現れたのは、白黒の鳥かご。
振り出しに、戻ったのか?
いや、違う。
30分前に見た鳥かごは、「黒」背景に、「白」の線が引かれたもの。
この空間は、その逆だ。
色使いが、反転している。
つまり、「白」背景に、「黒」の線が引かれているのだ。
すなわち、ここは、さっきとは別の部屋。
差し詰め、「リバース・鳥かご」とでも呼ぼう。
そのリバース・鳥かごにおいて、妙なことが起きている。
と言うのも、自分の頭の斜め上に、「長方形」が浮かんでいるのだ。
見るに、長方形も、自分の方を向いている。
ちなみに、それは窓でない。
それは、窓と言うにはあまりに小さな、スマホくらいの大きさなのだ。
それに、その輪郭は、窓のように正確でなく、まるで手書きの長方形みたいに、ゆるやかな凹凸をたたえている。
「な・・・」
何だ?
こちらがそう思う中、長方形は、この空間におけるベストスポットを探し求めるように、ゆっくりと横に動き、そうかと思うと、少しだけ縦に上がった。
ズズズ。
グググイ。
およそ、5秒後。
厳正なるポジション調整の結果、遂にベストスポットを探し当てたそれは、その場でピタリと停止した。
その長方形が静止している有様は、どこかしら神妙ですらあった。
あたかも、宙におけるその場所に、何か重要な意味があるかのような。
「おい、何なん・・・」
「動くな」
おっと。
うかつに動こうとしたら、長方形から制止を受けた。
不思議なことに、その「ベストスポット」は、長方形の位置だけでなく、自分の立ち位置も含んでいるようだ。
「一切の、筋肉を、動かすな」
やたらと偉そうな、長方形。
その内側は、完全なる透明。
つまりは、向こう側が透け透け。
長方形の、向こう側。
そこにあるのは、「校長センセー」の顔だ。
そう。
その肌色の長方形は、才羽 宗一郎が、自身の両手の、親指と人差し指で紡いだもの。
「その場で、10秒静止しろ」
ところで、その肌色は、一般的にイメージされる、サーモンピンクのような色ではない。
才羽 宗一郎の肌色は、雪のように白かったからだ。
それに対し、頭のてっぺんで結われた髪は、大胆なるピンク色に染まっている。
きゅっとした結い目から、天に向かって拡がる髪は、春日のもとで咲き誇る花を想像させる。
眉は、金色。
口髭と、顎鬚が生えているが、それらも同じく金色だ。
対して、両の眼球は、紫のような紅色に染まっている。
恐らく、その独特な彩りは、髪染めやカラーコンタクトといった、人工物によるものではない。
「ふむ」
そう、色素欠乏症。
もしくは、アルビノ。
その先天性の色彩異常が、この独自の彩を生み出したのだ。
「おい・・・」
とは言え、ペテン師の色彩感など、気にする必要はあるだろうか?
余りの憎しみから、ぶち壊してやりたい町の、カラーリングなど気にするか?
そんなもの、どうでもいいのだ。
「ふむ、じゃねえだろ!いい加減に、しやがれあ!!!!」
怒号を上げ、才羽 宗一郎の頭に向け、力任せに振り回したもの。
それは、サイバリアルムに持ち込んだ、正真正銘の木刀。
しかし、その怒りの大振りは、対象を捉えることなく、サイバリアルムの冷風を切り裂くだけに留まった。
-ブウンッ
空を切った太刀が、視界の左隅へと流れる。
そして視界の真ん中に、再び堂々現れたのは、才羽 宗一郎の顔だ。
勿論、そこには傷一つついていない。
「クソが!!」
そこで、自身の眼前につくっていた長方形を下ろし、まるで暖炉の前で過ごす優雅なるティータイムを邪魔されたような表情を浮かべる、才羽 宗一郎。
あたかも、こちらがマナーもデリカシーもない野蛮人とでも言いたげである。
「動くな、と言ったはずだが?」
「うるせえんだよ!!アンタ、ここがユニ・ユニバースで良かったな?」
「それは、何故だ?」
「さっき、現実世界で斬りかかるところだったからだよ!!この木刀で!!」
才羽 宗一郎は、その物騒な告白を聞いても、全く狼狽えず、表情すら変える気配がない。
2メートルほどの高さから、ただ、こちらの両目をジッと見下ろしているだけ。
こちらを凝視する、才羽 宗一郎の両目。
白目の中に、紅色の眼球という、奇特な色の組み合わせ。
その上にあるのは、負けず劣らずインパクトのある、ゴールデンの眉毛。
その眉と、目の間のスペースは、限りなく狭い。
加えて、目鼻周りの彫りが、とても深い。
その顔立ちは、純日本人らしからぬもの。
むしろ、非現実的な色彩感も重なり、どこかしら人間を越えた知的生命体のようにも見えてくる。
そうか。
その知的生命体が、両手でつくった「長方形」で、写真を収めていやがったのだ。
この鳥かごに捕獲した珍種、サカサマ鳥の生態写真を。
「ふっ」
白き知的生命体は、小さく笑みをこぼした後で、再び、こちらに問いを投げかけた。
「だから、何故、私に斬りかかるつもりだったのだ?」
「・・・アンタ、舐め・・・」
舐めてんのか。
口から出かかったその言葉は、才羽 宗一郎による質問の復唱により、途中でかき消されてしまった。
「何故だ?と聞いている」
こちらの圧を跳ね返す、妙な威厳にあふれた態度。
それはまるで、こちらを神に跪かせ、あらゆる罪を告白させる、熟練の司祭のような。
ところで、その司祭という印象は、態度のみによって生み出されているわけではない。
より大きな要因は、才羽 宗一郎の服装だ。
「・・・」
「この服装が気になるか?」
おっと。
どうやら、自分の両目が、才羽 宗一郎の全身を見回していたようだ。
「教師は、聖職者とも呼ばれる。校長先生は、その筆頭格だ。それ故に、こうした格好をしている」
こうした格好。
それは、ローブ。
しかし、そのローブは、他の才羽研究所の連中が着ていた、ゆったりとしたものとは一線を画する。
タイトなシルエット。
色は、黒と混ざったワインレッド。
腰に巻かれているのは、極長の余りをぶらりと腰横から垂らす、金色の帯。
その帯の締めつけにより、肩からウエストにかけ、そのシルエットは細まっていく。
しかし、ローブであるが故、それは再び裾にかけ、ロング・スカートのように緩やかに拡がる。
それは、教会の中央に立ち、信者に対して演説をする、司祭のシルエットそのものだ。
他の連中が「修道僧」で、この男は「司祭」。
その間に、明確なヒエラルキーが存在することが、服装の異なりから見て取れる。
そして、度肝を抜かれるほどデカい。
才羽 宗一郎の身の丈は、2メートル程あるように思えた。
「はっ・・・聖職者が笑われせてくれるな。アンタらがやってるのは、「逢条センセー」を標的とした、新手の教員いじめじゃねえのか?」
「いじめだと思うのは、何故だ?」
「舐めてんじゃねえぞ!!」
さっき遮られた言葉を、再び腹から絞り出す。
そうだ。
その言動にも、見た目にも、雰囲気にも、気圧されるわけにはいかない。
この男は、司祭なんかではない。
この男は、自分を騙し、釣り上げた後、反面教師としてここに堕とした、心ないペテン師なのだ。
「何故だ?じゃねえよ。自分に聞いたらどうなんだ?!何で俺が怒ってんのか、アンタが一番知ってるろうが!!」
「君が、自分のことを、サカサマ鳥だと「思い込んだ」からか?」
「え?」
その言葉を解釈するのに、数秒の時間が必要とされた。
「思い込んだ?」
「サカサマ鳥は、君ではない」
「・・・え?」
「サカサマ鳥は、他に存在する」
バシャッッ。
ビチャリ。
いきなり、顔面に冷水をぶっかけられた気がした。
そして直後、何とも言い難い気分になった。
脳細胞をグツグツ煮え立たせていた熱が、頭からスウと引いていくような。
一方で、水をぶっかけられた刺激によって、更に怒りが湧き上がり、その熱が再び極まっていくような。
「俺が、サカサマ鳥じゃない?」
「そうだ」
「何言ってんだ?」
「言葉の通りだ」
「でも、俺にはゾーンがないじゃないか?剣道場がないじゃないか!あんな鳥かごに放り込みやがって。それで、俺がサカサマ鳥じゃない?ば、馬鹿にしてんのかよ?馬鹿にしてんのか!!」
その、あからさまな嘘に対する怒り。
ここにきても尚、口先三寸であしらわれることへの憤り。
しかし、そうは言っても抱いてしまう、微かな、微かな望み。
あらゆる感情が脳神経を駆け巡り、その過程でぶつかり、反目し合う。
いつの間にか、信号が許容量を越え、神経回路がパンクしたように、まとまらない声を絞り出していた。
「ふざっ・・・ふざっけん・・・」
「ふ・・・ふふふ。はっははは。あはっっははは。ふはっっっははははっっ、あっっっはははっはっはは!!」
「・・・あ?」
「うぷっ、くくくっ、くはっはっはっ、うハハ、クワっはっはっはっ!!うはっっハっハっっ!!」
突如として、腹を抱え笑い狂う、才羽 宗一郎。
その発作のような笑いに合わせて、このリバース・鳥かごが、グワングワンと揺れている。
少なくとも、そのように感じられる。
まるで、自分をごっくり飲み込んだ、巨大生物の胃袋が、自分を消化するために揺れ動いているような。
その消化液が頭からぶっかかり、思考と、言語が、溶かされていく。
考えられない。
声を出せない。
結まるところ、圧倒されてしまったのだ。
この男の、見た目と、雰囲気と、異様なる言動に。
「君のゾーンが剣道場だと、誰が言った?」
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