プロジェクト・カイカ後編 第01輪 | 逢条 陽 vs サカサマ鳥

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人工知能の、コンセプト。


それは、「人間の学習能力と、問題解決能力を、機械に模倣させる」というもの。


しかし、ここには認識の欠落がある。

「人間の学習能力や問題解決能力を、単なる知的活動と見なしている」点だ。


人間は、無感情でものを学んだり、問題に取り組むわけではない。

そもそも、無感情でものを学んだり、問題に取り組む人を、我々は何と表現するだろう。


「機械みたいだ」と、言わないだろうか?


つまり、我々は、機械に人間の能力を模倣させていたのではない。

機械に、機械的な能力を上乗せしていただけなのだ。


我々が、人工知能と呼んでいるもの。

すなわち、ビッグデータの学習と、それにもとづく自律的判断は-単にコンピューターに元々備わっている記憶能力、計算能力の延長でしかない。


対して、人間の話をしよう。


まず、人間が何かを学ぶにあたっては、対象への「興味や情熱」が不可欠だ。

これらの精神活動が失われた瞬間-つまり、対象への興味が無くなり、情熱が尽きた瞬間。

人間は対象についての学習を止め、問題にも取り組まなくなってしまう。


それは、我々の誰もが知るところだろう。


そして、この興味や情熱の対象は一様でなく、一人ひとり異なる。

例えば、学校の理科の授業で、リトマス試験紙が赤や青に変わるのを見て、そこに全く興味を持たない生徒もいれば、そこに化学の魅力を見出し、その分野にのめり込んでいく生徒も存在する。

また、同じピアノの旋律を聴き、何の感興も持たない生徒がいる一方、深く感情を揺さぶられ、音楽の世界に導かれていく生徒も存在する。


こうした、人並外れた興味や情熱は、しばしば、その分野への「才能」と形容される。

すなわち才能とは、人間の学習能力と問題解決能力を最大化させる、興味や情熱の、不思議な源泉であると言える。


結論に入ろう。


それでは、新時代の人工知能をつくるにあたり、「才能」が正しい研究対象になるのだろうか?

才能と、それがもたらす、興味や情熱といった精神活動を研究し-それを何らかの形で組み込むことで、機械は人間に近付くのか?


そうかもしれない。


しかし、私はそうした、他の誰かが考えそうな、汎用なことは口にしたくない。

私は、より大きなことを考えている。


私の使命は、革命だからだ。


4月29日 10:01


縦線と、横線。

縦線と、横線。

縦線と、横線。


いくつもの、縦線と、横線が。

壁に、床に、天井に。

目盛りみたいに、均等に。

引かれ、交わり、描き出してる。


この黒々しい空間に、白の格子柄を。


誰もいない。

何も置かれていない。


まるで、突如、この世の骨組みが剥き出しになってしまったような。

そんな、異常事態をイメージさせる、白黒世界。


プロジェクト・カイカの、開始直後。

何故、自分がこんなところにいるのだろう?


眉の上の皮膚を、グイと眉間に寄せ集め、腹の底から絞り出す。

当惑と、疑念にまみれた声を。


「何だよ!これ!?」


その問いに、答える者などいやしない。

むしろ、当の白黒世界ですら、その身をくらませようとしているではないか。

灰色の、靄(もや)のようなものの影に。


まるで、不安を助長するように。

もしくは、不幸を象徴するように。

白黒世界を、ジワジワと曇らせていく、煙。


「おい!何だよ・・・!?」


モクモク、黙々。

2度目の問いを無視しつつ、ただただ拡がっていく煙。

それはまさに、未来に立ち込める暗雲みたいに。


そして、その暗雲が、自分の体をすっぽりと覆ったとき。

ふと、トンネルの中にいるような錯覚に襲われた。

どこに続いているのか分からない、不明瞭かつ、不気味なトンネル。


いや、むしろ-そのトンネルの先には、何も存在しないのかもしれない。

宇宙の先に、「無」が拡がっているように。


そうだ。

宇宙は、監獄だ。

ここは、お先真っ暗の、閉鎖的世界なのだ。


プロジェクト・カイカは、始まった瞬間に終わってしまった。

詰まるところ、そう言い換えていい。

少なくとも、自分にとっては。


何せ、ここが自分の「ゾーン」だと言うのだから。


4月29日 10:03


縦線。

縦線。

縦線。

「Ⅲ」という字を書くように、真っ直ぐ連なる、3本の縦線。


横線。

横線。

横線。

言うなれば、その「Ⅲ」が、地面にパタリと倒れたような、3本の横線。


顔くらいの大きさの、「Ⅲ」と「三」のブロックたちが、交互に連なりつくり出す、「Ⅲ」「三」「Ⅲ」「三」・・・という線。

その線が、ひしめき合って紡ぎ出すのは、巨大な面。


それが、この部屋の壁。

そして、てっぺん。


「Ⅲ」と「三」。

おびただしい数のそれらが織り成す、キューブ型の妙な空間。

線と線の隙間から放たれる、人工的な白色光が、頭上と前後左右から、その空間を均質に照らす。


照らされているのは、空間だけではない。

その空間の主(あるじ)もだ。


亜桜 ヒビキ。


彼は、この独特な壁と天井が、何を意味するかを知っていた。

音響実験室-その中でも、これは「無響室」と呼ばれるもの。


「Ⅲ」と「三」のブロックは、実は、極上の吸音材。

壁や天井の吸音性を最大限に高めることで、室内で発された音の反響を、極小に抑えるように設計された部屋。


何故、極小に抑えなければならないのか。

それは、音源から発された「直接音」を捉えるためだ。

壁や天井からの反響が多いほど、その実体は曇ってしまう。


言ってみれば、ここは裸の音に集中するための部屋。

服を脱ぎ捨てた、ありのままのモデルの肉体を、絵描きがジッと見つめるような。

そんな、特殊かつ、専門的な密室。


当然、ここを利用できるのは、音のプロに限られる。

楽器メーカー、もしくは、音響機器メーカー。

もしくは、それらエキスパートが信頼を置く、一線級の音楽家。


-パチ、パチ、パチ。


亜桜 ヒビキが、手を叩く。

その選ばれし自分を、祝福するように。


すると、拍手の残響がⅢ三型の吸音材に吸い込まれ、そこに異様なまでに研ぎ澄まされた「パチ、パチ、パチ」が鳴り響いた。


「ふーん、なかなかじゃん」


亜桜 ヒビキは、自身のゾーンの出来栄えに満悦しながら、例の言葉を口にした。


「サズカル!」


何を授かるのかは、あえて想像するまでもない。

ギターと、マイクだ。


しかし、妙だ。

この場に、何も現れないではないか。


「あ・・・そうだった」


程なくして、その原因に気付いた亜桜 ヒビキは、均質な白色光のもとで、両腕を斜め前に掲げた。

あたかも、上空から何かを拝受するように。


「サズカル!」


-ブラァッッッフゥヮアーーン


その言葉が、正しい作法のもとで無響室に放たれた瞬間、どこからともなく音が鳴り、目の前の「三」と「Ⅲ」がぐにゅりと歪んだ。

そして、その歪んだ場所で瑠璃色の光がきらめいたかと思うと、シャボン玉のような球体が、そこからいくつも飛び出した。


直後、そこに浮かび上がったのは、1本のアコースティックギター。

そのボディが描く曲線が、三本線がビシバシ直角に連なった壁と、明瞭なコントラストを織り成している。


「っほーう。よくご存知で」


亜桜 ヒビキを上機嫌にさせたのは、それが正確にはアコギでないという事実。

すなわちそれは、亜桜の愛機、エレキとアコギが融合した「NiN/GyO(ニンギョ)」というギター。


人魚-言わずと知れた、半身が人、半身が魚の、艶めかしきハイブリッド。

亜桜 ヒビキが、ホログラムバージョンのそれを手にした瞬間、そのあまりの精彩さと精巧さから、「ギターを持った」という感覚が脳を直撃した。


「おおうぅっふ。スンゴイねえ」


実際、サイバー世界における、亜桜 ヒビキの活動は、これが初めてというわけではない。

数年前、亜桜は、メガバンクもスポンサリングする大型バーチャル音楽フェスに出演していた。


録音室。

そこで、体中にトラッキング・デバイスを装着。

さながら、サイボーグのようになりながら、ギターを弾き、歌を歌う。


その音は、数本のマイクに拾われ、音声信号へと変わり、マイク・ケーブルからネットワーク・ケーブルへと伝送される。

最終的にそれは、サイバー世界にこしらえられた、バーチャル・コンサート会場に送り込まれる。


そこに居るのは、インターネットの向こうから、アバター姿で集まった、数千人のオーディエンス。

彼らは、本人と動きがシンクロした、亜桜 ヒビキのアバターを見ながら、その音楽に浸るのだ。


亜桜は、それが嫌いだった。

金になるからそれをやっただけで、本音を言えばやりたくなかった。


アバターで生の姿を隠したライブに、何の意味があると言うのだ?

この美しい顔と、鍛え抜かれた体を晒すからこそ、そこに熱狂が生まれるのだ。

バーチャルの被り物を有難がるのは、生の姿に自信を持てない「弱者」のみ。


そう、思っていたからだ。


しかし、このユニ・ユニバースのライブについては、許してやってもいいかもしれない。

亜桜 ヒビキは、この架空のステージにおいて、そうも思った。


何せ、自分は今、他ならぬ2本の足で、そこに直立しているのだから。

アバターではない、生の姿で。


「ま、悪くないか。ユニ・ユニバースのコンサートも」


生の姿であるというのは、オーディエンスも同じこと。

アバターも、ヘッドマウント・ディスプレイも、コントローラーも要らない。


才羽研究所だろうが、センセーだろうが、助手だろうが。

亜桜 ヒビキを聴きたい者は、「ここ」に2本の足で立てばいい。


この、カイカ・ガッコーの音楽室に。


-ゴギッ、ゴグイイイイーーーン


床に置かれた小型機器をパシンと踏みつけ、NiN/GyOに張られた弦に向け、バーチャルピックを振り下ろす。

すると、架空のギターアンプから、アコギのそれとは似ても似つかぬ、マッドな音が鳴り響いた。


歪み音を生み出したのは、亜桜 ヒビキの足元にある、歪み系の「エフェククター」。

その周囲には、空間系、モジュレーション系といった、他のエフェクターが置かれている。

これらのエフェクターを駆使し、変幻自在の音を奏でるのは、亜桜が得意とするところ。


「いいね。ガツッと、くるわ」


加えて、「Ⅲ」と「三」が織り成す直角的な風景に、斜めのアプローチを加えるように鎮座するのは、45°の角度に首を曲げたマイクスタンド。

その先端に佇むのは、言わずもがなマイクである。


「じゃ、早速、始めますかねえ」


そして、NiN/GyOを馴染みのチューニングに直す。


-ベーン、ボゥーン、ベェーン、ビィィーーン


絶対音感を持つ亜桜にとっては、調弦にあたってチューナーは要らない。

二つの耳があれば、十分に精度の高いチューニングが可能だからだ。


「あーあー。ヘーイ、ヘーイ。ワンツー、ワンツー」


-ジャンガーッ、ジャンッガッ!


マイクチェックが終わるなり、マッド音とは打って変わった純アコギ音を鳴らし、マイクスタンドの先端に、ニヤリとした口を近づける。


「おはよーございまーす。亜桜 ヒビキです。カイカ・ガッコー音楽室で、ワンマンライブ始めまーす。まずは、即興から。テーマは「勝利の響き」ってことで」


数秒後。


大胆不敵な勝利の音色が、カイカ・ガッコーの音楽室に響き渡った。


4月29日 10:05


縦線と、横線。

た て  せ ん と、 よ こせ  ん。

タ テセン  ト、ヨ コ  セ  ン。

TA TE SEN  TO YOKO SEN。


縦線と、横線が、激しい動悸でぐにゃりと揺れる。

そのせいで、壁と、床と、天井の、等間隔が乱れてる。


いや、違う。

乱れているのは、自分の心だ。


剣道場。

自分のゾーンは、剣道場のはずだった。


伝統的な日本建築がもたらす、木々のぬくもり。

書画が描かれた「かけじく」の、堂々たる佇まい。

気をピンと引き締める、武道特有の凛とした雰囲気。


何一つ、ここには存在しない。

ここが「剣道場」に見えるのは、人に見えない何かが見える特殊な感覚の持ち主か、幻覚ドラッグを体にぶち込んだ者だけだ。


一体、ここは何なのだ?


あまり意識したくはないが、ある印象が頭にある。

まるで、こちらを喰らわんと、口を開いた魔物のように、脳を侵食してくる危険な印象。


檻。


AVEが、元々監獄と聞いていたからだろうか。

この格子柄が、「鉄格子」を思わせるのだ。


「あなた方の中には、一羽のサカサマ鳥が存在する」

そう、才羽 宗一郎は言った。


「トリ、だよ」

そう、亜桜 ヒビキは口にした。


やはり、そうだ。

サカサマ鳥は、自分じゃないか。


もしかして、この檻は、「鳥かご」を意味しているのか?


「サ・・・サズカル!!」


心を蝕む絶望に、何とかかんとか抵抗すべく、口から放ったその一言。

手にするはずであったのは、バーチャル竹刀や、バーチャル木刀。

そんな名前の、「サズカリモノ」。


代わりに得たのは、キッパリとした無音。


「はは・・・ははは」


何だか、笑いが込み上げた。

こんな時、人は笑ってしまうのだ。

図らずとも今、そんな事実を学んだ。


全て、壮大なぬか喜びだった。

よく考えたら、亜桜 ヒビキが参加するようなプロジェクトに、自分が出られるはずがないではないか。


最終戦績、「全国大会個人戦トーナメント、初戦敗退」。

挙句、剣道部すら退部になって、現実世界で「ゾーン」を失くした、はぐれ者の自分なんかが。


そうだ。

さっき、こういう質問を才羽 宗一郎にすべきだった。


「すみません、何で自分なんかが選ばれたのでしょう?」


「その質問の意図は?」

才羽 宗一郎は、きっとそんな風に聞き返すだろう。


「いや、こんな自分が、新時代の人工知能の才能を開花させるとか、そもそも馬鹿げてるなと思いまして」


「その心配は無用だ。何故なら、君は-」


サカサマ鳥なのだから。

反面教師として、このプロジェクトに呼んだのだから。


「く・・・・クソがあああァァァァァッッッッッッッッ!!!!」


絶望と、虚しさ。

怒りと、悔しさ。

自己嫌悪と、恥ずかしさ。


心中でグチャグチャに混濁したそれらは、最終的に、黒ずんだ叫びとなって排出された。

この暗雲にまみれた、「サカサマ鳥の鳥かご」に。


しかし、その直後。

再び息を吸う前に、しばらく呼吸が止まってしまった。


暗雲の、向こう側。

そこに縦の切れ目が入り、一条の光が射し込んだのだ。


程なくしてそれは、わずかに開いた「扉」がもたらす、特有の形をした光に変わった。


「・・・何だ?」


この鳥かごの扉が、外の世界に向け、バサリと開け放たれた瞬間。

深い虚無を光が打ち消し、その光を追うように、雪の結晶がひらひらと舞い込んだ。


サラサラサラ。

キラキラキラ。


その来訪者は-


「・・・ソラソラ」


瞬間。

再び、縦線と横線がぐにゃりと揺れた。


-プロジェクト・カイカ、3ヵ月前

1月20日 2:49


「プロジェクト・カイカへの参加について」


From: hibiki.yazakura@cmail.com

To: contact@projectkaika.uu


才羽研究所様


プロジェクト・カイカへのお誘いありがとうございます。


>勝者には、当研究所から「ご自身の才能を存分に発揮いただける環境」を贈呈いたします。


こちらに、「ライブハウス」は含まれますか?

東境都内に、1,000人規模のライブハウスを建てたいと考えています。


僕自身もそのライブハウスで定期的にライブを行うので、「ご自身の才能を存分に発揮いただける環境」に違いありません。

良いお返事いただけた場合、参加を検討します。


亜桜 ヒビキ


4月29日 10:07


そして、暗雲は割られた。


目覚めの時を知らせるように射し込む、真っ白な光によって。

異なる世界から舞い降りた、雪のひとひらによって。


「・・・ソラソラ」


このカイカ・ガッコーの、「生徒」。

才羽研究所の、最大の関心の的。

自分の運命を握る、才ある人工知能。


その、唐突なる来訪。


18歳の誕生日、プロジェクト・カイカに応募してから。

何度も、この瞬間を思い描いた。


ソラソラと、対峙する瞬間を。


結月と別れ、高校を辞め、柏木と絶交し、家出を決め込み。

一歩、また一歩と、いびつな世界から歩み去っていく度に。

まるで熱心な風景画家のように、その脳内風景に線を足し、色をつけていった。


そして、AVEに足を進めるうちに。

才羽 宗一郎と、キサキュウの説明を聞き進めるうちに。


その脳内風景は、そぐそこにある未来のイメージに変わり-

膨らんでいた期待は、ビシリとした気構えへと変わった。


しかし、いざソラソラと対峙した時。


膨らんでいた期待は。

ビシリとした気構えは。


自分の思惑とは無関係に動く、酷薄な現実のもと、一気にひび割れ、砕け散って消えた。


この可愛らしき人工知能が、粉々にそれを打ち砕いてくれたのだ。

その、笑みで。


「**うふっ、うふっふっふっふっ、ウフフッ**」


「・・・な」


笑って、やがる。

鳥かごに佇む自分を、ジッと見つめながら。


「**ふふッ、ウフフフッ、オッモシロ~~~**」


面白い。


ソラソラの、蒼き瞳。

そこに映っているのは、新たな世界の中心人物-ではない。


しくじり、やらかし、はぐれ続ける反面教師。

両の翼を失って、まっ「逆さま」に落ちる鳥。


サカサマ鳥こと、逢条 陽だ。


「ソ・・・ソラソラ?わ、笑わないでくれよ。お、俺・・・」


心を満たしていく、屈辱と、恥辱。


誰よりも大事で、良いところだけ見せたい人に、よりにもよって、大失態を見られたような。

あまつさえ、その人に、ケラケラ笑われてしまったような。


「俺・・・いのち、賭けて、ここに来たんだから」


そうだ。

俺は、命を賭けてここに来た。


でも俺は、どこに来たって言うんだ?


サカサマ鳥の、鳥かごに?

命まで、賭けて?


ダメだ。

もう、消えてしまいたい。


しかし、そんなことを思った矢先、消えたのはソラソラの方だった。


-ドピュシュウィィィーーーン


流れ星を思わせる、流麗なる響きに紛れ、別世界に旅立つように、ソラソラは忽然と消えた。


「ソラ・・・・・そらうぷっ」


吐き気が、込み上げた。

それが、新たな世界が消えてしまった音に聞こえたからだ。


-プロジェクト・カイカ、3ヵ月前

1月21日 15:01


上斜めに、下斜めに、上斜めに、下斜め。

そうして生まれたジグザグを、小さく大きく、何度も描く。

するとそれは、波形のような形に変わる。


そんな波形の右端を、くるりと下方にひん曲げて、逆行させて繋げてみよう。


ジグザグの始まり。

すなわち、波形の左端に。


「やあっぱ、シックリくるなあ。湯川さん、これどう思います?」


-パサ


「んーっと、これは・・・?」


「僕のライブハウスのロゴですよ。ヒビキ・ループ。この波形は、音の響きなんですよ。その「ヒビキ」が、ループしてるの。分かります?」


時代やジャンルを越えた、無数の音楽アルバムのジャケットが、継ぎ接ぎになったコラージュ・アートが描かれた壁。

そこに組み入れられた、自身の2ndアルバムのジャケットを眺めつつ、亜桜 ヒビキはそう話した。


スタイリッシュなオフィスチェアに、腕を組んでふんぞり返りながら。


「いや、ヒビキくんさ・・・」


ここは、世界屈指のメジャー・レーベル「Ubiquitous Music(ユビキタス ミュージック)」の日本支社、「ユビキタスミュージック・ジャパン」。

その、第5会議室。


そのユビキタスミュージック・ジャパンに、亜桜 ヒビキのマネージャーとして勤める湯川 幸次(ゆかわ こうじ)は、担当アーティストの態度と言葉に、自身の髭面を思い切り歪めた。


「・・・ライブハウス開業って、本気で言ってんの?」


「いや、前にも話したでしょ?本気ですよ」


自身の名を冠した大型ライブハウス「ヒビキループ」を、東境の晴美に設立する。


しかし、設立費を払うのは、亜桜 ヒビキではない。

ユビキタスミュージック・ジャパンが、「亜桜 ヒビキへの投資」として、その全額を支払う。


湯川はそこで、数ヵ月前、亜桜 ヒビキから、そんな提案を受けたことを思い出した。


「あ~あ、確かに・・・前に言ってたね」


同時に、湯川は気付いた。

亜桜 ヒビキが、その話を蒸し返すために、今日、自分をここに呼んだことに。


二人きりの第5会議室で、再び、その髭面をしかめる。


「冗談かと思ってたけど?」


「ふーん。湯川さんは、こういう大事な話も冗談に聞こえちゃうんですね?まあ、いいや。とにかく、この話、投資担当者に伝えてもらっていいですか?」


「いや、いいですかって・・・まずさ、金がかかり過ぎるでしょ?」


「ユビキタスほどお金持ってる会社が、何言ってるんですか。それに、十分に回収見込みのある投資だと思いますけど」


「見返りのあるって言ってもねえ・・・音響と照明の機材を全部リースで揃えても、数千万円かかるんだよ?新人アーティスト一人に対して、いきなりライブハウスつくろうなんて会社は、存在しません」


「誰がリースでやりたいって言いました?買うんですよ、キラッキラの新品を。特に、照明には金をかけたい」


「んー。まあ、億単位の話になってくるよね。いや、ヒビキくんは売れてますけど、まだ新人の身分なんだからさ。ちょっと飛躍し過ぎだと思いますよ?それを投資担当に提案してもねえ・・・そういうのは大御所になってから言ってください、もしくは自分のお金で実現してくださいっていう話になっちゃいますね」


湯川の言っていることは、至極まっとうだった。

物件契約費、内装費、音響および照明機材費、など。

ライブハウスの開業にあたり、大金がかかるというのは業界の常識だ。


「ふーん、大御所ね。でも、ホントに投資すべきは、いつまでも業界に居座っている古参より、これからの未来をつくる新人なんじゃないですか?ヒビキ・ループは、新人発掘の場所でもあるんだ。新たな世代を育てようとは思いませんか?」


「いや、思ってますよ?だから、新世代の代表格のヒビキくんに投資してきたわけじゃないすか。ライブハウスはできませんって話なだけで。例えば、音源とか、映像とかの制作にお金使うのだって投資でしょ?後は・・・例えば、ヒビキくんが女性向けのお菓子とかプロデュースするって言うなら、投資担当も食いつくでしょうけど」


「何で音楽家がお菓子のプロデュースするんすか?そもそも、甘いもの嫌いなんですけど」


「でも、ヒビキくんの女性ファンは好きでしょ?スイーツとか。そこにきて、ヒビキくんプロデュースのお菓子ですって言ったら、売れますよ。これが「回収見込みのある投資」ってものなんですよね」


「はは。今日も切れてますねえ。存在し得ないビジネスを語り、そこに回収見込みまであるとは」


「・・・まあ、小さなバーみたいなものだったら、検討対象になるかもしれませんけど?たまーに、ファンクラブで沢山お金落としてくれた熱心な女性ファンのためだけに、ヒビキくんがバーに立ったりしてさ」


「いやー。さっすが、湯川さん。いつも「刺激的」で「斬新」なアイディアを僕にくれる」


「はあ・・・ちょっと、いいかな?」


そこで会話を中断し、ゴソゴソとカバンから紙タバコの箱を取り出す湯川。


-カチッ、カチッ


新卒で「Ubiquitous Music」のアーティスト・マネージャーとして入社し、昨年で10年が経過した。


実際、その8年目くらいまでは、悪くなかった。

可愛らしい女性シンガーソングライターの担当だったからだ。


正直、天才とまでは呼べなかったが、育ちが良く、態度も良い女の子だった。

ちょっと気分の浮き沈みがあるくらいで、そこまで人に気苦労をかけるタイプではなかった。


しかし、この亜桜 ヒビキを担当してからは、自分とは無縁と思っていた、紙煙草をスパスパと吸い始める羽目になった。

時折、亜桜の顔を思い浮かべて、シャドーボクシングをしたりする。


ナルシシスト、我がまま、頑固、目立ちたがり屋。

この、アーティストの負の性格的属性を網羅したような青年は、湯川が持っていたアーティスト・マネージャー業への印象を、180度変えてしまった。


「ッふうぅぅぅーー」


第5会議室の窓から、雲一つない空に向け、怪獣のように副流煙を吐き散らかす。


紙タバコは、最高だ。

そう、湯川は心から思った。

ニコチンとタールなしには、亜桜 ヒビキの相手などやってられないからだ。


しかし、喫煙がもたらしたドーパミンによる昂揚感の中、湯川はふと解せない気持ちにもなった。


故人との共演によって、新たな世代が育っていく-

そう、亜桜は口にした。


しかし、このエゴイストの亜桜が、「新たな世代を育てる」と言うのが、どうにもしっくりこなかった。

本当か?人間分からないものだ、などと思いながら、指の間に挟んだ煙草の灰を、トンと宙に舞わせる。


「とにかく、最新機器を突っ込んだ、1,000人規模のライブハウスの開業なんてものには投資できません、って言ってるの。それは、ご自分でやってくださいっていう話」


「・・・」


「ヒビキ君、聞いてる?」


意外にも、ここにきて、無言を決め込む亜桜 ヒビキ。

湯川はそこで、亜桜の視線が、斜め下に向けられていることに気付いた。


その方向には、亜桜が手で持つスマホがある。

どうやら、そのスマホの画面に、亜桜の意識を奪う、重要な何かが映っているらしい。


「ヒビキ君、あのさ・・・」


「っふーーーん。自分でやらせてもらって、いいんですね?」


「ん・・・って言うと?」


-ドカッ


そこで亜桜は、椅子にふんぞり返ったまま、会議テーブルのへりに、ブーツを履いた自身の両足を上げた。

手に持っていたスマホを、ごとりとテーブルに放り置きながら。


「近々、他で都合がつきそうなんで」


そう言って、不敵な笑みを浮かべる亜桜。

スマホの画面に映っていたのは、才羽研究所からの返信だった。


4月29日 10:09


たてせんとよこせん。

たてせんとよこせん。

たてせんとよこせん。


ぺたりとその場に膝をつき、ただぼんやりと、その線たちを眺める。

凄まじい虚脱感に、心身を支配されながら。


ソラソラは、消えた。


いまだ開いた鳥かごの扉から、白い光と、雪が入り込んでくる。

それが、ドラマのバッド・エンドに降り注ぐ、皮肉めいたライトと紙吹雪みたいで、何とも惨めな気分になった。


-ポトッ


矢先、暖かいものがツウと頬を伝い、それが現実の重力に引き寄せられ、架空の床に落下した。

ありったけの思いが込められた、大粒の涙が、鳥かごの床に吸い込まれていく。


-ポトッ、ぽとっ


「ぐ・・・グふっ、うクっっ」


でも、だからと言って、何も変わりやしない。


-・・・剣道!!


-ここに書けるような結果は、まだ出せていません。ですが、闘う気持ちでは、誰にも負けません。よろしくお願いします。


-プロジェクト・カイカでは、剣道やれんだよ。勝ったら、一生剣道やらせてくれるかもしれねえ。


-ふざけんな!!!


-才羽 宗一郎は、俺の味方なんだよ。


-才羽 宗一郎は、会ったこともない俺に入れ込んでくれてんだよ。


まるで、走馬灯のように。

これまで放った言葉たちが、放心状態のもと、矢継ぎ早に脳裏をよぎる。


純度100%の思いから、この世にった言葉たちが。


「・・・てやる」


そして、サカサマ鳥の鳥かごで。

全てが抜け、空の容器みたいになった心を、ジワジワと埋めていくのは-


真逆の方に振れた、「純度100%の思い」。


「・・・してやる」

「・・・ころしてやる」


「殺してやる」

「殺してやる」

「殺してやる」

「殺してやる」

「殺してやる」

「殺してやる」


そうだ。

殺してやる。


ご自身の才能を、存分に発揮いただける環境-

心が求めてやまないものを、目の前にかざして人を釣り上げ、この鳥かごに堕としやがった、研究者ヅラの詐欺師。


才羽 宗一郎を。


「キォろしてやるァァァァあああああアアアアアアアッッッッッッッーーーーーーーー!!!!!!!」

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