プロジェクト・カイカ前編 第06輪 | 逢条 陽 vs カイカ・ガッコー
4月29日 9:04
「私が、才羽研究所の所長であり、プロジェクト・カイカを統括する、才羽 宗一郎だ」
バイナリ数字群が紡いだ、白い羽々が舞う空間を、独自の周波数で震わせる、才羽 宗一郎の声。
しかし、目の前に登場したのは才羽 宗一郎ではない。
顔をキョロキョロと不規則に動かす、鳩の倍くらいの大きさの鳥。
その鳥は、オウムだ。
真っ白なホログラム空間に溶け合う、白い羽毛に包まれた体。
後頭部からクイと伸び上がる「とさか」と、両頬にある牧歌的なまんまるは、共に黄色く染まっており、その白い体躯に果実的な彩りを添えている。
そんな白や黄色と対照的な、黒々としたくちばし。
同じくして黒に染まった、鉤爪をたたえた両足。
フランスのパティシエがこしらえたお菓子みたいな、甘美なる白と黄色。
一方で、インドネシアの火山の岩盤のような、無骨なる黒。
それらが、そのオウムの体に、異国間の色彩のせめぎ合いを生み出している。
「クルックー、ワタシガー、サイバソウイチロウダー」
いきなり登場したこのオウムは、ホログラムによる幻影なのか?
勿論、そうだ-こんな鳥をサイバリアルムに連れ込んだ覚えは、さらさら無い。
しかし、それは完全なる幻影にも見えない。
別のサイバリアルムに存在する、正真正銘の生オウムが、おびただしい数のレンズで捉えられ、その映像情報がサイバリアルム間の配線を伝う。
結果、ここにその生オウムが、ホログラムの形態で現れているのだ。
「クルックー、サイバケンキュージョー」
リアルとホログラムの融合オウムによる、その名の通りのオウム返し。
「サイノー」
再び、才羽 宗一郎の声が響く。
そこで、気付いた。
明らかにその声は、ボイス・チェンジャーで加工されている。
純粋無垢な男の子と、あらゆる経験を経た初老の男性が、ぴったり同時にしゃべっているような。
独自の周波数というのは、単なる印象論ではなかった。
それは本当に、独自の周波数を帯びているのだ。
「今あなた方がご覧になっているオウムは、「サイノー」という私の鳥だ。オウムというのは長生きで、共に生活し始め、実に10年以上が経過する」
その名を出されたことに反応したのか、翼をバサバサとはためかせるオウム-いや、サイノーとやら。
大きく拡がった、サイノーの両翼の内側。
そこでは、羽々が扇子のように織り重なっており、それを黄色のグラデーションが華やかに染め上げる。
その生き生きとした美しい色どりは、オウムが南半球に生息する鳥であることを思い出させた。
「そのサイノーに登場してもらった理由をご説明したい。まず、我々が進める「才ある人工知能」についての研究は、それが新奇かつ先鋭的であるが故に、あらゆる情報窃盗や妨害工作の対象にある。実際、そうした類の研究に臨む人間が、「消される」例も少なくない。その研究が世に出ることで、不利益を被る層が存在するためだ。そのため、その研究の指揮官である私としては、無防備に人前で素性を晒すことができない状況にある」
すると、サイノーが、黄色いとさかをバサリと立ち上げた。
それは黄金に輝く王冠のようでもあり、太陽に向かって開花した南国の花のようでもある。
才羽 宗一郎がこのオウムを愛する理由が、かいま見えた気がした。
「それ故、サイノーに登場してもらった次第だ。まずは、あなた方にこの状況を詫びると共に、ご理解を賜りたい」
その最高権力者からの率直な詫びは、相応の説得力があった。
モヤモヤの解消と、サイノーが纏う愛嬌により、少しづつ心が弛緩していくのを感じる。
「ところで、1956年。この年に何が生まれたかご存知だろうか?」
その一瞬の弛緩を、キュッと捻り上げるように、意味深な質問を差し向ける才羽 宗一郎。
1956年。
まさか、その年にサイノーが生まれたのか?
いや、流石にそんな長寿なオウムなどいないだろう。
それとも、才羽 宗一郎の誕生年とでも言うのか?
「1956年。それは、人工知能という概念が産声を上げた年だ」
それは、オウムでも才羽 宗一郎でもなく、人工知能というテクノロジーが誕生した年。
比較的新しいテクノロジーかと思っていたが、実際、なかなかの歴史があるようだ。
「人工知能は、「人間の幼児の学習過程を、機械に摸倣させる」というコンセプトのもとで誕生した。人間の学び、考え、解決する力を機械に模倣させたらどうなるのか?この革新的な発想により、それまで、与えられた命令を処理するのみであった機械に、人間の知的活動が組み込まれた」
何かの事件の証人のような迫力で、人工知能の歴史を紐解いていく才羽 宗一郎。
間晋経政高校のIT教師どもによる画一的な授業とは、80年ものの秘蔵ウイスキーと、安物のコンビニ酒くらい、その深みに差がある気がした。
「1956年の誕生の後、長年の歳月を通し、着々と人工知能の研究開発は進められていく。そして1990年代の後半、遂に人工知能は研究室から全世界に公開された。それは、人間をも凌駕する機械の知性に、人々が息を呑んだ瞬間だった。以降、人工知能の研究開発は世界中に拡がり、2020年前後には一般企業がこぞって導入を始め、社会にあまねく行きわたった。そして今、人工知能はあらゆる物に搭載され、全ての分野で運用され、途轍もない成果を上げているのはご承知の通りだ」
あれは、1990年代後半の映像だっただろうか。
以前に、人工知能がチェスの名棋士を打ち負かした映像を見たことがある。
結果はもとより、その有様を眺める当時の人々の驚嘆が印象に残った。
その1990年代後半の人々が、タイムスリップして現代に来たら、どんな反応をするだろう。
当時の非日常が、日常のあらゆる場所に自然に登場する、この現代に。
「人工知能は浸透した。我々の文明の深層までね。その結果、あなた方はどのような時代を生き、どのような社会で暮らすことになったのか。それについて、ご認識はお持ちだろうか?」
サイノーが、首をクイと傾けながら、ジッとこちらを見ている。
まるで、自分の頭にどんな時代や社会が描かれたのかを観察するように。
頭に浮かんだのは、人工知能というテクノロジーの恩恵に授かる時代。
そして、その恩恵によって豊かさを増していく社会だ。
「貧民が溢れ、スラムが生まれ、ギャングがはびこる」
「男はドラッグを売り、女は体を売り、大人は自分の子供を売る」
「子供は増えず、老人は飢えて死に、より貧しい国からの移民難民が、その空隙を補完する」
「・・・え?」
「警察は賄賂で犯罪を見逃し、治安は悪化していくのみだ。行政も、機能不全の麻痺状態。結果として街はゴミ溜めのようになり、穴だらけの道路は放置され、欠陥だらけの車がそこを走る。これらの問題に対し、政治家や官僚は何をしているのだろうか?それについては、語る必要もないだろう。端的に、何もしていないからだ。日本を含めた先進国は、貧困国へと退行したのだ。そこで判断を誤れば、地獄のような生活環境に堕ちる。それが、我々の生きる時代であり、我々の暮らす社会だ」
それは、不意を突かれる説明だった。
しかし、そこに異論はない。
その全てが、紛れもない事実だからだ。
据田を筆頭に、日本のあちこちに生まれた新興スラム。
凶悪犯罪が増え、異様な警戒態勢が支配する駅のホーム。
堂々と公道を走る、欠陥だらけのポンコツ車。
「どんどん、貧しく荒んでいくんです」という、タクシーの運転手の言葉。
今朝を振り返るだけでも、ため息が出る。
今朝より前を振り返ると、ため息すらも出てこない。
覚せい剤を売りさばき、警察に資産を押収され、家族をスラムに引きずり込んだ、猛毒親父が浮かんだからだ。
「人工知能という発明が、人工知能という革命が、そんな時代と社会を生み出したんだよ。後退した時代と、荒廃した社会をね」
その時、あるはずのない風を浴びた気がした。
自分の頬を、体を殴りつける、荒々しい逆風を。
何故だ?
人工知能が、テクノロジーが、後退と荒廃を生み出した?
それらは、世の中を発展させるものではないのか?
「そして-その後退した時代を正しく進め、荒廃した社会を優しく癒す、才ある人工知能。それが、「ソラソラ」だ」
瞬間、サイノーの隣に、淡い色に彩られた無数の泡が舞い浮かんだ。
浮かんだ泡は「ポン」と小さな音を立て弾け、その破裂音の連なりが、遠い銀河のまたたきのような、澄み渡る海のゆらめきのような、心地好い音へと変わっていく。
そして最後の泡が弾けたとき、18歳の誕生日に見た、バーチャル・ガールがそこに登場した。
「ソラソラ」だ。
澄んだ湖のような青い目。
水色に染まったまつ毛。
ツンと突き出た鼻のてっぺん。
6:4くらいの割合いで分けられた前髪から、シャイなおでこがその白い姿を覗かせる。
その目と同じく、青々と染まった髪の毛。
恐らく、かなりの長さなのであろうそれは、ふくふくとしたお団子の形に結われ、顔の左右で佇んでいる。
それはどこか、巨大なヘッドフォン、もしくは開花寸前の花を想像させた。
紺色、青色、水色。
そんな美しいブルーの濃淡を浮かべる、ワンピース型の衣装。
そのブルー世界に異彩を与えるのは、何本もワンピースに引かれた白い横縞。
どうやらその横縞は、無数の「0」と「1」の連なりのようだ。
可憐な見た目と対を成す論理性が、静かに、しかし象徴的に、そこに横たわっている。
「正しく進め、優しく癒す。そのソラソラを育てるあなたは、新時代の旗手と言って良い。より分かりやすく表現すれば-」
そこで、1拍が置かれた。
オープニングテーマが終わり、全てのドラマが始まる前に挿入される、導きのような1拍が。
「あなたは、「新たな世界の中心人物」になり得るということだ。我々、才羽研究所と共にね」
新たな世界。
偶然にも、才羽 宗一郎の口から放たれた、宿命の言葉。
それは、「時代を正しく進め、社会を優しく癒す」という、壮大なテーマを帯びていた。
この狂った世界を救うという、重大な意味を注入された宿命の言葉は、脳内でムクムクと膨張。
それは、理性を司るあらゆる領域を押しつぶしながら、「ヤバい」領域にまで到達。
そこに配置された脳細胞が、ヘヴィな圧力で変形し、唇と舌をある形に動かしていく。
ここだ。
ここだ。
ここだ。
ここだ。
ここだ。
ここだ。
ここだ。
ここだ。
ここが俺の、「新たな世界」だ。
4月29日 9:12
「皆さま、プロジェクト・カイカにようこそ♪」
出し抜けに、女性の声。
それはまるで、空の旅で聞く、上品な機内アナウンスのような。
「今、皆様がご覧になっているのは、カイカ・ガッコーでございます♪」
そして気が付けば、「学校」のグラウンドに立っていた。
と言うのは、才羽 宗一郎が話を終えた瞬間、サイバリアルムの様子が一変したのだ。
突如サイノーとソラソラが、靄(もや)みたいなものに変わり、輪郭と境界を失った色たちが、ジュワリと視界に溶け拡がった。
そしてその色の拡がりは、何らかの意思が宿ったかの如く、どんどんと形状を帯び始め、サイバリアルムに一つの風景を紡ぎ出した。
それが、このカイカ・ガッコーとやらのグラウンドだった。
目の前には、大きな口を開けた白いサッカーゴール。
そのゴールの奥には、長身のポールが等間隔に設置されていて、それらのポールの間に、細かい網目をした灰色のネットが張られている。
ネットの外に立っているのは、緑色の葉をつける、何本もの街路樹。
几帳面なネットの格子柄に、植物的な彩りが重なった様は、方眼紙上に描かれた、柔らかな風景画を思わせた。
そして、その街路樹の隙間から、校舎らしきグレイの建物が、ぼんやりとその姿を現している。
それは至って現実的な、学校のグラウンドと言える。
季節外れの雪に、すべてが覆われていることを除いては。
「今、皆様がご覧になっているカイカ・ガッコーは、現実世界の学校をサンプルに才羽研究所がつくり出した、ユニ・ユニバース初の教育施設でございます♪」
再び女性のアナウンスが響く中、大粒の雪がしんしんと空から降り注ぎ、雪化粧をしたグラウンドに、吸い込まれるように着地していく。
それは、プロジェクト・カイカのコンセプトと矛盾しているように感じられた。
何せ、冬に開花する花など、この世に存在しないからだ。
その上で、敢えて雪を降らせているのは、どんな意図があるのだろう。
「物事を学び、何かに打ち込み、その才能を開花させる場所-それは学校!その発想から、ソラソラのために用意したユニ・ユニバースの学校が、このカイカ・ガッコーなのです♪カイカ・ガッコーでは、生徒であるソラソラに対し、皆さまを「センセー」とお呼びし、お一人お一人に「ゾーン」を設けております♪」
「(・・・ゾーン?)」
「ゾーンは、皆さまが「お持ちの才能を発揮する場所」でございます!それは、才能をソラソラに披露し、魅了するための環境なのです♪例えば、バスケットボールの才能をお持ちの方は、体育館がご自身のゾーンになるでしょう。科学の才能をお持ちの方は、理科室がゾーンになるかもしれません。それぞれのゾーンは、皆様の応募情報に基づき、才羽研究所にて用意させていただきました♪」
すると、目の前のグラウンドが、そこに降り積もった雪ごとスウッと消え、入れ替わるように「体育館」が現れた。
明るい木の床に描かれた、ドッジボールやバスケットボールのライン。
格調高いえんじ色の緞帳を、袖にたたえたステージ。
床に満遍なく降り注ぐ、煌々とした天井照明の光。
やはり、これも現実的な体育館だ。
しかし、壁に設けられた窓の外では、依然として雪が降っている。
その現実性を、しんしんと打ち消すように。
「ソラソラは、このカイカ・ガッコーのあらゆる場所に、ランダムに出没します!例えば、校庭を散歩していたかと思うと、次の瞬間はプールにいるかもしれません。そうかと思うと、次は理科室にいるかも。縦横無尽、自由奔放、神出鬼没に、このカイカ・ガッコーを駆け巡ります♪」
そして、体育館がふわりと揮発したかと思うと、不定形な水色の何かが周囲を包んでいく。
気が付けば、どっぷり首まで「水」に浸かっていた。
そうか-これは、プールだ。
すると、右斜め前からバシャバシャと水を掻く音が聞こえる。
そこにあったのは、ビート板を掴みながらバタ足で泳ぐソラソラの姿。
呆気にとられている中で、こちらに近付いてくるソラソラ。
そして、ソラソラの体が自分に接触しようかという瞬間、バシャバシャとした音だけを残してプールが揮発。
それと入れ替わるように、アルコール・ランプの火で熱された巨大なビーカーの中でバシャバシャと沸き立つ水と、それをしげしげと観察する白衣姿のソラソラが現れた。
縦横無尽、自由奔放、神出鬼没。
つまり、ソラソラの動きを予想したり、捉えることは難しい。
「見事ゾーンでソラソラを魅了し、才能の開花に導くことができれば、この降りしきる雪が止み、そこに春が訪れるでしょう♪ちょうど、こんな風に!」
次の瞬間、理科室が揮発し、サイバリアルムに、カイカ・ガッコーの屋上が生成された。
その屋上の中央に立ち、こちらに顔を向けているのは、この学校の生徒ソラソラ。
屋上を吹き抜ける、桜色の春風。
気が付けば、雪は止み、そこに春が訪れていた。
春風が、ソラソラの垂れた前髪と、満開の花が描かれた校旗を、パタパタとなびかせている。
ユニ・ユニバースに到来する、始まりの季節。
それは、新時代の始まりを象徴しているように思えた。
「さあて、説明はこの辺りにして、まずは実際にどんなものかをご覧いただきましょう♪」
すると解説が打ち切られ、カメラが徐々にソラソラに迫り寄り、やがて意識が途絶えるときのように、視界がホワイト・アウトしていく。
ホワイト・アウト寸前に目撃したのは、ソラソラの青い目に描かれた「芽」。
-パンッ!
次の瞬間、真っ白になったサイバリアルムに、数えきれないほどの桜の花びらが乱れ散った。
まるで、薄紅色の花火が、白い空に飛び散るように。
「それでは、センセーの皆さま!「顔合わせ」のお時間です♪」
4月29日 9:18
そして、桜の花びらが消えた瞬間、ライバルたちと「顔合わせ」していた。
さっきの屋上の前に現れた、体育館で。
そのライバルたちの顔は、いかようなものなのか?
異国の血が混じっていそうな、純日本人らしからぬハーフ顔。
美形、容姿端麗、そんな賛辞を欲しいままにするような、美人顔。
一癖どころか、二癖三癖ありそうな、捻くれまくった作家顔。
では、なかった。
と言うのは、彼らはそもそも人間の容姿をしていないのだ。
視界右。
拳銃と、散髪ハサミ。
視界奥。
ハンディ・カメラと、ボクシング・グローブ。
視界左。
コンピューターのキーボードと、注射器。
そして、自分の隣にアコギ。
この体育館に、円陣を組むように集った、多様な見た目のオブジェクトたち。
それはまるで、「この場に村でもつくりましょう」と、多様な人間が寄り集まった有様のようにも見える。
勿論、素顔ではないものの、彼らが自分のライバルであることは間違いない。
彼らは、各々の才能を象徴するアバターを纏い、この体育館に現れたのだ。
現に-視界右の「拳銃」は、あの這いつくばる猟師、風真 貫を連想させる。
ならば、自分は竹刀や、木刀のアバターなのか?
目線をスッと下に落とすと、そこには藍染の道着に包まれた、自らの肉体があるだけ。
しかし、自分だけが素のままのはずがない。
この素の肉体は、どこかのタイミングで、何らかの映像加工を帯び、ライバルたちのサイバリアルムに「竹刀」として顕現しているのだ。
ところで、肝心のソラソラや、才羽 宗一郎の姿はそこにはない。
かと言って、何かのアナウンスがあるわけでもない。
無言のまま一同に会する、アバター姿の参加者たち。
実際、なかなか気まずいものがある。
何しろこれは、お友達作りのパーティーではない。
「ご自身の才能を存分に発揮いただける環境」を巡り、競い合うライバルたちの、唐突極まりない集団接触。
こんな中、すんなり交流に臨める者がいたとしたら、よほど肝が据わっているか、頭のネジが外れているかのどちらかだ-
「どーも」
不意に、その集団的気まずさを打ち破るように、とある男の声が聞こえた。
それは明らかに、自分に向けて発されたもの。
「え?」
思わず顔を向けた先には、アコースティック・ギターの姿があった。
「ども、参加者だよね?」
すると、そのアコギが、自分に声をかけてくるではないか。
アコギに話しかけられるのはとても奇妙な感じがしたが、向こうも竹刀に話しかけることで、同じような気分を味わっているのかもしれない。
「・・・はい。そっちもっすよね?」
「そだね。あのさ、これ、どうすりゃいーんだろ?」
未曾有の接触を果たしたアコギと竹刀が、共にぐるりと体育館を見渡す。
どうやら他の参加者たちは、異文化交流に失敗し、或いは意図的にそれを諦め、個々の才能の砦の中で鎖国を決め込んでいるようだ。
「いや。さっぱり、分かんないっす」
「まあ、ちょっと誰にも分かんないよねー。しっかし、リアルだわ」
そうアコギが感嘆するように、体育館はとてもリアルだ。
床に張り合わされた、木々のまだら模様。
その模様に重なった、精緻な地上絵のようなドッジボール・コートの形状。
ステージの両袖で、重厚な存在感を放ちながら佇む緞帳。
見上げれば、「ハ」の字型に折れ曲がった天井。
一つ一つの体育館的要素が、限りなく精巧に、この上なく精彩に表現されている。
それはもはや、ここが架空の体育館であることをも忘れさせる程だ。
ちょうど、ある領域まで達した風景画に、そうした力が宿るように。
「・・・リアルっすね」
うなづきながら、アコギの方に視線を移す。
すると、ギターネックと6本の弦が、ヌッと鼻先に現れた。
いつの間にか、アコギが目と鼻の先まで接近していたのだ。
「うおっ!」
どうやら「リアルだ」というアコギの言葉は、体育館ではなく、自分のアバターに向けられたものであったらしい。
「おっと、ゴメン。つい、リアルだなと思って」
「いや、まあ・・・そっちのアコギも大分リアルっすよ」
「あ、やっぱりアコギなんだ。僕のアバター」
「アコギってことは・・・音楽の才能が?」
「ああ、そだね。亜桜 ヒビキ(あさくら ひびき)。プロミュージシャンだよ」
亜「桜」 ヒビキ。
このカイカ・ガッコーにおいて、季節は冬に戻ってる。
窓の向こうでは、雪がしんしんと降りしきり、窓に映るべき風景に、白いモザイクをかけている。
この冬が終わり、世界に春が訪れるのは、ソラソラの才能が開花した瞬間。
そう-だから、それ故に。
その、「桜」を冠する名を聞いたとき、とても嫌な予感がした。
4月29日 9:24
「・・・あさくら ひびきって、珍しい名前っすね」
「ああ、アーティスト名ってやつだよ。まあ、事務所がくれた名前なんだけどね」
のっけから、カジュアルな口調で話すアコギ、改め亜桜。
しかし、亜桜 ヒビキとは、どこかで聞いたことのある名前だ。
「それで、そちらの名前は?」
「ああ、逢条です。逢条 陽」
「あいじょうくん。へえ、そっちの名前も珍しいじゃん。僕の本名、桜庭だからね」
桜庭。
やはり、本名にも桜がついているらしい。
「ところで、何か若そうな声だけど、いくつなの?」
「18です」
「18歳!僕の6コ下か。ってことは、まさか、まだ高校生?」
「いや・・・高校は、この前辞めちゃって」
「ん。さては、売れっ子の作家とか?」
「え?いや、全然そんなんじゃないすけど」
売れっ子の作家。
竹刀のアバターを見れば、剣道家と見当がつきそうなものだが、ミュージシャンなだけあって、変わった感性を持っているのだろうか。
「ああ、ゴメン。いや、実は僕も高校中退でさ」
「え、そうなんすか?」
「そ。君くらいの年のとき、普通に高校行ってたんだけどさ。プロ活動の目途が立ったんで、さっさと辞めた。当時は親から色々言われたけど、ま、正解だったよね」
そこで、思い出した。
ワクワク・ロック・フェスティバル-言わずと知れた、真夏のどデカい音楽祭。
電車のホームの広告板に、バシリと貼られたそのポスターに、亜桜 ヒビキの名前があった。
海外のトップ・アーティストを含めた、ワックワクな出演陣。
亜桜 ヒビキは、そこに堂々と自身の名を連ねていたのだ。
「・・・ワクワク・ロック・フェスティバル」
「あ、もしかして、僕がワクワクに出たこと知ってる?」
「ポスターで、名前見たっすよ。一昨年の、ME IN MEがヘッドライナーだったやつ」
「あ、そうそう。去年は、アジアツアーで出られなかったけど。今年、また出る予定だよ」
20代前半の若手にして、ワクワクの常連ミュージシャン。
やはり、このプロジェクト・カイカには、超一流の才能が集められているようだ。
それぞれの業界を、背負い立つような才能が。
「逢条くんは、音楽とか好きなの?」
「ああ、好きっすよ。特に、洋楽のヒップホップが」
「へえ、ヒップホップ僕も好きだよ。どういうの聴くの?」
「オールド・スクールっすね。もっぱら、90年代のやつ」
「へえ。若いのに、なかなか渋いの聴いてるねえ。気に入った」
まさか、猛毒親父から譲り受けた音楽的嗜好が、こんなところで役に立つとは思わなかった。
些細な会話とは言え、あの亜桜 ヒビキに音楽センスを気に入られるとは、なかなかの出来事ではないか。
「そりゃ、どうもっす」
それが良いことなのかは、まだ分からない。
もしかしたら、後々裏目に出たりするのかもしれない。
しかしいずれにせよ、他の面々と比べ、我々の異文化交流は圧倒的に捗っているように思えた。
「それで、逢条君は?」
「え?」
「逢条君の、才能」
「自分は、剣道っす」
「剣道、ね。ほーう、ほう、ほう」
やたらと、リズミカルな相槌を打つ亜桜。
アコギのアバターも相まって、まるで楽曲のフレーズでも考案しているようだ。
こうした小さな反応にも、亜桜の音楽の才能の片鱗が感じられる気がする。
一方、それは妙な印象を受ける反応でもある。
ほーう、ほう、ほう、とは、これ如何に。
まったく、さっぱり、合点がいかない。
自分が竹刀だとしたら、異なる反応になるはずだ。
-ああ、やっぱり剣道かあ!だと思ったよ。だって、竹刀のアバターだもんなあ。
「・・・あの、ちょっと聞いていいっすか」
「どうぞ?」
「俺のアバターって、何なんすか?」
「ああ。逢条君のアバター、ね」
一拍置いて、アコギが話す。
それは、どこか嫌な感じのする「間」だった。
まるで、自分の認識が、世界の実態からかけ離れていることを示すような間。
「どんな事情で、そのアバターになったのか分かんないんだけど」
「・・・え?」
「トリ、だよ」
「・・・鳥?」
-ブツリ、ウィーーーン。
その瞬間、突如として体育館が暗転。
視界から、アコギも、注射器も、ビデオカメラも、コンピューターのキーボードも消えてしまった。
そして、ステージの緞帳がスライドする音が、その欠落をささやかに埋めていく。
程なくして露わになったステージにスポット・ライトが差し込むと、その限定的な空間のみが、パッと光に包まれた。
これから、注目に値する何者かが、そこに登壇することを示唆するように。
そして、その者は現れた。
「皆さん、おっはようございます♪才羽研究所の副所長、喜咲 游(きさき ゆう)、略して「キサキュウ」と申しまあす!カイカ・ガッコーの「教頭センセー」にあたります♪これから皆さんに、プロジェクト・カイカのす・べ・てをお伝えしちゃいます!」
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