プロジェクト・カイカ前編 第04輪 | 逢条 陽 vs マンプク、阿片、美究
4月29日 8:34
もさもさ、もさもさ。
這いつくばっていた男、風真が口を開く度、周りの髭がそのように動く。
その様は、チューリップ畑に移住した、外来種の植物を想像させる。
「・・・・本当だ。疑わなくていい」
心底疲れ切った表情で、その言葉を絞り出す風真。
直後、口周りのもさもさが、死んだように停止した。
しかし、停止されても困る。
一体自分は、どうすべきなのか?
風真を手を貸し、二人三脚で進むべきなのだろうか。
いや、しかし風真はライバルだ。
ライバルに助力する必要などあるのか?
すぐ後で、牙を剥いてこちらに襲い掛かってくるのに?
ここで風真を見捨てれば、そのライバルが一人減る。
少なくとも、減る確率は高まるだろう。
ならば、風真を置いて、前に進むべきではないのか?
「・・・・ない」
「え?」
「・・・・僕を助ける必要はない」
こちらの心境を察したような、風真の反応。
自分の迷った顔や、会話に生まれた空白が、それを風真に知らせたのだろう。
「・・・・先に行けばいい。僕は、大丈夫だ」
その風真の声は、空腹の影響でヨレつきつつも、強い語気に満ちていた。
しかしそれは、「ライバルからの施しは受けない」という、単なるプライドには感じられない。
恐らくそれは、「這いつくばってでも前に進んで、人生を変えてやる」という、鉄のように固き意思。
「そうっすか・・・じゃあ-」
-シュッ
衝動。
いつの間にか、自分の左腕は、風真の脇下をくぐり抜け、その背中の方に回り込んでいた。
そして、風真を後押しするように、後ろからぎゅっと細い肩を握り締める。
「進みますよ?」
「・・・・え?」
両の膝に力を込めて、風真と共に立ち上がる。
右手に持ち替えた木刀を、杖のように地面に突き刺しながら。
-ズムシュッ
「・・・・何で・・・ここまでしてくれる?」
-ズムシュッ・・・ズムシュッ・・・ズムシュッ
何で、ここまでしてやるのか。
それは、自分にもよく分からない。
「いや、まあ・・・分かんないっす、でも」
しかし、もしかしたらではあるが-この風真という男が。
この、瀕死の状態に陥りつつも、新たな世界に進もうとする男が。
どこか、自分と似ていると思ったのかもしれない。
「そういう気持ちに、なったんすよ」
風真から視線を外し、いざ前を見据える。
小さな塔の頂きで、異質な時を刻むように、架空の羽が回ってる。
その下に拡がる新たな世界に、風真と共に足を進める。
-ザザッ・・・・ザッザッ・・・・ザザザッ・・・・
しかし、早くも数秒後。
その二人分の足音は、ピタリと鳴らなくなってしまった。
-バシッッ
出し抜けに左腕に感じた衝撃と共に、風真が視界から消えたからだ。
4月29日 8:36
-シュルリッ!
やわらかな春日と、芳しき花々の香りに包まれる中、そんな鋭い音が鳴る。
木刀袋を、結わく紐。
それを左手でほどき、素早く宙に放ったのだ。
そして、この左手を、宙から木刀袋に戻し、剣(つるぎ)を引き出そうとする。
さながら、牙を剥き出しにする、野性動物のように。
闘争心と、警戒心。
それら二つの矛先は、10分前に知り合った、風真 貫という男-
ではなく、突如として現れ、風真を容易く持ち上げてしまった「巨大なる壁」の方。
「おおっとお、おっとお。わだす、怪しいモンじゃねえっすよお」
壁のてっぺんに、ズシリと鎮座する、デカくて丸っこい頭。
その頭に付いた口から、弁解の言葉が放たれる。
随分と、強い訛りと共に。
「わだす、才羽研究所の者だす」
才羽研究所の、者だす。
才羽研究所には、常人の理解を遥かに越えた最新情報技術の研究に取り組む、やせ型で神経質な眼鏡人間しか存在しないと思っていた。
しかし、その偏見は、この壁と見紛うほど太く大きい、田舎方言男の登場により、弾き飛ばされて消えた。
もしかしたら、このジャイアントなまり男は、とてつもなく優れた研究者だったりするのだろうか。
「まあ、わだすは、研究者でなく料理人ですけれどもね」
その発想を打ち消すように、男はそれを言ってくしゃりと笑った。
笑顔によって脂肪のひだが生まれたまんまるの顔面は、褐色のシュー・クリームを彷彿とさせる。
「料理人」
コロコロ刻んだ野菜や肉を、大きな鍋にぶち込んで、メラメラ燃える炎のもとで、それをリズミカルに振る。
数分後、鍋から皿に移されたのは、ホッカホカの、うんめえ何か。
へい、お待ち。
まあ、研究者よりは親近感が湧くかもしれない。
「ええ、申す遅れましたけれど、マンプクと申します。まあ、これは、あだ名みたいなモンですが。みんな、わだすのことそう呼びますもんで」
マンプク。
名は体を表すとは、このことに他ならないだろう。
ところが一方、その体は、今一つ料理人に見えなかった。
と言うのも、マンプクは、自身の巨体をすっぽり覆う「純白のローブ」を着用しているのだ。
まるで、修道僧か何かのように。
「申し訳ねえですけども、参加者同士のプロジェクト開始前の接触は禁止されておりますもんで、お一人で、さきぃ進んでいただけますか。あの風車みたいなの、地下に行くエレベーターで、AVEの「アストラル階層」に続いてますから」
4月29日 8:40
そして、荘厳なクラシック音楽が鳴っていた。
左右対称に配置された弦楽器陣が、一寸たがわぬ演奏で、妙なる調べをつくり出す。
黒いドレスを着用し、コントラバスを弾く女性たち。
ノースリーブのドレスの袖から露わになった両腕は、細くも鍛え抜かれており、鍛え抜かれていつつもしなやかである。
起立してバイオリンを弾く、タキシード姿の男性たち。
その真剣にして凛々しい佇まいが、この空間に上質さを与えている。
そして、舞台中央に立つ指揮者が、指揮棒を持つ腕を、大きく宙に掲げた瞬間。
全員の演奏がピタリと止まった。
そう。
それは恐らく、譜面に書かれた最後の音を、合奏する寸前の空白-
「逢条 陽様ですね?」
瞬間、自分の名を知る男の声が、脳内で奏でられていたオーケストラを中断させた。
オーケストラ。
自然に、それが頭に浮かんだ。
何しろ、風車塔風のエレベーターを降り、目の前に現れたのは、西欧諸国の「大聖堂」を彷彿とさせる、広大な空間だったのだ。
ここにオーケストラが構えていたら、さぞかし壮観なことだろう。
少なくとも2階分の高さがある、極めて高い天井。
逆さになったお椀のように、くにゅりと曲がったその形状は、サイバー施設らしからぬ、やわらかな印象を空間にもたらしている。
その天井には、何やら青空のような、宇宙のような抽象的空間が描かれていて、それが柔和さに神秘性を加えているように思えた。
まるで、テーブルに置かれた誕生日ケーキの外周みたいな、綺麗な円形を描く壁は、白いレンガでできている。
その円形の壁に、絶妙な間隔を空けつつ、合計10枚はめ込まれているのは、縦に長いステンドグラス。
AVEが地下施設であることを考えれば、そこから射し込んでいる光は、人工的なものなのだろう。
しかし、この大聖堂風スペースを囲う、紫を基調としたその彩には、何か人を吸い込むような美しさがある。
そして、それら紫色のステンドグラスの下には、その半分程の長さの、青いステンドグラスがはめ込まれている。
それらは、恐らく扉だ。
青いステンドグラスの下端が、床にまで至っていることから、そのように察しがついた。
360度全方位に、等間隔を空けながら設けられたその扉は、その上に位置する紫色のステンドグラスと同様、合計10枚。
「お待ちしておりました」
そして、「大聖堂」という印象に、更に拍車をかけるのは、眼前に現れた、才羽研究所の職員とおぼしき男女の恰好。
マンプクも着用していた、純白のローブ。
それを、この二人も同じくして着用している。
そしてそれは、ホテルなんかに置いてある、風呂上がりに着用するような一般的ローブではない。
それは、手首足首の先までをすっぽり覆う類のもので、袖口が大きくたるんでいる。
おまけにフードが付いていて、両名がそれを被っているので、その姿は、大聖堂を案内する2名の修道僧にしか見えない。
男の背は、自分とほぼ同じくらい。
女性の方は、男よりずっと小さい。
「才羽研究所の研究員である、阿片 充(あがた みつる)と-」
「美究 凛生(みぎわ りんせ)でございます」
「(・・・あの、なかなかの恰好っすね?)」
そんなツッコミが口から出かかった矢先、阿片と名乗るローブ男が話し始めた。
「このような姿で失礼致します。わたくし共は、人工知能にまつわる革新的な研究を推し進めておりますが故に、その研究情報の防衛にも細心の注意を払っております。逆に申し上げますと、それだけ研究情報が外部から狙われているのです。以前、不特定多数の前に私服で現れた研究員が、尾行されたケースがございまして。それ以降、人前ではこの匿名的な衣類を着用させていただく決まりになっているのです。何卒、ご理解願います」
阿片は、その長い説明を、スラスラと淀みなく口にした。
一方、その口ぶりに機械的な印象はなく、むしろ、特殊な出で立ちを前にして戸惑うこちらへの配慮が感じられた。
阿片は、学者なんかがかけていそうな、大きな丸眼鏡を着けている。
髪型は、ばっしりと固められた、黒のオールバック。
それも相まってか、スマートな印象を受ける男だ。
しかし、どこかしら。
眼鏡の奥のぎょろりとした目に、危うい光が灯っている、ような気もする。
年は、20代後半だろうか。
そこまで自分と年齢が離れているようには見えない。
「・・・なるほど」
「ご理解に感謝致します。我々としても、こうしたことは口にしたくないのですが、皆様の中にスパイのような危険分子が存在する可能性もゼロではないのです」
そう言ったのは、美究と名乗る、小柄なローブ女。
こちらは、洒落た印象を受ける美人だ。
エアリーな流れを纏った、黒のショートヘア。
その黒と美しいコントラストを成すのは、全体に入った紫色のメッシュだ。
顔の中心には、適度な謙虚さで佇む鼻。
細い顎先がその鼻と垂直に並び立ち、小さな顔に美しい正中線をつくり出している。
その正中線と十字を成すのは、桜色の唇。
美究が言葉を紡ぐ度、その桜色から、真っ白な歯が顔を出す。
その歯並びの中にある一対の尖った歯は、小動物の牙を思わせた。
「それでは、はじめに撮影機器、録音危機、通信機器を全てお預かりします」
美究はそう言って、ローブの両の袖先をこちらの方に向けた。
そこから伸び出ているのは、二つの小さな掌。
その掌たちは、特殊な訓練を長年刻み込んだような、独特な「荒れ」を感じさせた。
一瞬、その訓練がどのようなものかを推測したが、スマホを渡した瞬間に美究の掌が隠れてしまい、その推測は結実せずに消えた。
「このスマホで、全部っすね」
「ありがとうございます-しかし、そちらのお持ち込みはできません。ここでお預かりさせていただきます」
阿片が指差す先にあるのは、自分の左手に握られた、紫色の木刀袋。
その阿片の声に、さっきまであった、相手への配慮は感じられない。
紫色の木刀袋は、身柄を拘束される事態に怯え、シュンと小さくなったように見えた。
「やっぱ、これも・・・すか?」
「何か、ご問題でも」
「いや、この木刀は武器とかじゃないんすけどね」
「逢条様。残念ですが、木刀は、当研究所が定める「武器」に該当します」
首を横に振りながら、それを低いトーンで言い放つ阿片。
隣にいる美究は、眉をひそめ、目を細めながらこちらを見ている。
「いや俺、実はここに来る前、家出してきて・・・」
「家出、ですか」
その阿片の「家出、ですか」には、特殊な背景を理解する意図は含まれていない。
そこにあるのは、珍妙な事情を持ち出したルール違反者を、あくまで突っぱねようとする意志。
それに対し、声をやや大きくしながら、珍妙なる事情説明を続ける。
「大事な木刀だったんで、これだけは家から持ち出したくて。で、ここに持って来たんです。何とか、中に持ち込ませてもらえないすか?この木刀、一回人の手に渡って燃やされてんすよ。まあその・・・事故で」
その抵抗をよそに、いつの間にか、阿片は木刀をむんずと掴んでいた。
被告人が何を言おうが、冷徹に刑を言い渡す、裁判官のような態度で。
「申し訳ございませんが、許容致しかねます」
そこで、考える。
こいつが裁判官だとしたら、そもそも自分は、どんな罪を犯したのだろう?
自分にとって神聖な何かを、守るというのは罪なのか?
-バシッッ
それが、罪のはずがない。
だから、穢れを祓う神主のように、木刀を鷲掴みにする手を、思い切り払いのけてやった。
「申し訳ないすけど、こっちも許容しかねるっす」
「・・・はい?」
「つーか、この木刀、俺にとっては神聖なんで、触んのやめてもらえます?」
4月29日 8:44
「・・・逢条様。繰り返しますが、木刀は、当研究所が定める「武器」に該当します」
「木刀で、このAVEを破壊できるとでも言いたいんすか?」
「木刀は木刀なりの攻撃力を有しています。木刀を使えば、他者を征圧することもできます。その攻撃力の承認は、できかねます」
再び、こちらに伸びかけた阿片の右手を、横向きにした木刀で押し返す。
すると、その瞬間、美究の声がそこに響いた。
「逢条様。それ以上、木刀の持ち込みに固執される場合、才羽研究所のセキュリティ・コードの侵害として、失格とさせていただきます」
失格。
美究は、そのやわらかな声で、究極の宣告を躊躇なく口にした。
まるで、ルールを破った囚人に対し、容赦なく罰則を施行する、監獄の看守みたいに。
急に、周囲の壁が「監獄」としての閉鎖的な輪郭を帯び始め、妙な圧力で天井が低くなった気がした。
「・・・失格?」
「先ほども申し上げましたが、当研究所は厳格なセキュリティ・コードを定めております。要求に応じていただけない場合、セキュリティ・コードへの侵害と見なし、失格にさせていただきます」
まるで、ケーキを取り分けるときみたいに自分の足場をスライスし、周囲の地面から切り離すことで、自分を奈落に突き落とすような美究の口調。
急激に不安定になる足場の上で、精神がグラグラと揺さぶられる。
しかし、窮地に陥ったことで、何かのスイッチが入ったらしい。
精神は、崩れ去る足場の上でジャンプし、地面にトンと着地した。
高所から自分を突き落とした、偉そうな女に突っかかるために。
「いや、失格ってさ。いい加減にしてくださいよ?」
「・・・はい?」
「俺が失格になって困んのは、あんたらの方っすけど!俺はな、勝者の筆頭候補なんだよ!プロジェクト・カイカの広告見て、俺は世界が丸ごと変わった気がしたんだ!俺がここに来たのは、う、運命なんだよ!」
「はあ・・・」
その、阿片が見せた呆れ顔。
それは、自分が咄嗟に持ち出した運命論を、ものの1秒で否定した。
「逢条様、後もう一言で、本当に失格・・・」
「才羽 宗一郎さんに、伝えてもらえないっすか!?所長の意見を聞きたいっす!!」
そのカウンターの叫びは、一縷の希望が衝動的に発散されたものだった。
勿論それは、矛盾した希望だ。
と言うのは、これらのセキュリティ・コードは、他ならぬ才羽 宗一郎が制定したものに違いない。
だから、才羽 宗一郎の名前を呼んでも、それらが変わるわけがない。
しかし、それでも尚、「才羽 宗一郎であれば自分の心情を汲み取ってくれるのではないか?」
そんな思いが、脳の中枢から、腹の底から、その叫びを絞り出したのだ。
阿片も、美究も、まるで総理大臣との謁見を希望する野良猫を見るような表情で、こちらを直視している。
その表情から、二人が何を考えているか容易に想像がつく。
-このガキは、いきなり誰の名前を出しているのか?
まるで、空気を震わせることのない言葉が、両名の体から発されているようだ。
-ピリリリリリリリン!
沈黙。
突如、それを切り裂いたのは、美究の胸元から発された、およそ非現実的なまでに簡素なシグナル音。
美究は、自らの首元から純白のローブの内側に手を入れ、そこから携帯電話を取り出した。
実際に見るのは初めてだが、それは「PHS」のようだ。
慎重かつ迅速に、オールドスクールの携帯を、自身の耳に運ぶ美究。
「・・・かしこまりました。阿片に代わらせていただきます」
すると阿片は、美究から手渡されたPHSを、恐る恐る耳に運んだ。
「・・・かしこまりました。仰る通りに致します」
そして、慎み深い口調で、その通話を終える阿片。
数秒間の静寂。
それは、阿片と美究が、自身らの脳細胞の一つ一つをひねり、その思考を転換させるために要した時間だった。
「逢条様、木刀のお持ち込みを許可します」
「・・・え?」
「誠に、申し訳ございませんでした」
すると、あわや土下座せんばかりの勢いで。
こちらに対し、カックリと頭を下げる阿片と美究。
そして、妙な静寂の中で数秒が過ぎた後、急降下した二つの頭は、ゆっくりと定位置にまで戻った。
まるで、新たな世界に立ち昇る太陽のように。
「この後は、美究がブースまでご案内しますので」
それを言い、さっきまでの鋭利な目つきを、神通力でねじ曲がった金属フォークみたいに、ぐいと和らげる阿片。
その隣で、右腕を「ブース」の方へひらりと差し向け、ロープの袖口をたるませる、案内役となった美究。
「どうぞ、あちらの扉へ。逢条様には、8番ブースをご用意しております」
阿片 充と、美究 凛生。
そうした彼らの立ち振る舞いは、非現実的シグナル音の背後にいた「統率者」の存在を、否応なしに意識させた。
ルールをつくり、時として、それを独断で捻じ曲げる。
そして周囲の人間に、その捻れをも受け入れさせる、唯一無二の統率者。
才羽 宗一郎の存在を。
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