プロジェクト・カイカ前編 第03輪 | 逢条 陽 vs 這いつくばる者

4月29日 8:24


-パチッ


黒いスチールシャッターで、外の世界と隔絶された、10畳ほどの暗闇空間。

そこに、アジアな光を灯したのは、天井から垂れ下がる、色とりどりの竹製ランタン。


その光のもと、多種多様な酒瓶が、垣根のように水平に置かれた、バーカウンターが露わになる。

カウンターの前には、四つ足のカラフルなカウンターチェアーが、ずらり合計8脚。


水色、ピンク、赤、黄色。

その椅子たちの色彩感は、西洋的なものでもなく、かと言って日本的なものでもない。

それは、東南アジアの国の屋台街がよく似合う、賑やかで人懐っこい色彩。


しかし、その色彩感とは対照的に、この空間の主の一人は、怒りの舌打ちをした後で、自身の不満を露わにした。


その男の頭は、つるっつるのスキンヘッド。

しかしその頭頂部には、「蓮」の花のタトゥーが拡がっている。


「チッ・・・まったく、あいつらまた放置しやがって。吸ったり賭けたりの後は、ちゃんと片付けろって、口酸っぱくして言ってるのに」


斜め十字にクロスする2本の黒い紐を垂らした、三角帽子が無数に描かれた、ポップなデザインの丸テーブル。

そのポップな世界に、賭博に使用されたトランプと、うっすらと線を描く白い粉が、危うい文脈を放り込む。


「おい、ンなこと気にしてる場合じゃねえだろ?」


メラメラ燃える炎のような、イカつい剃り込みを頭全体に入れた男は、テーブルに向いた片割れの注意を遮るように、自らの獅子面を卓上に放り置いた。


-コトッッ


「今集中すんのは、どうやって死体をここまで運ぶかだろ?」


するとスキンヘッド男は、剃り込み頭が放り置いた獅子面を、丸テーブルの隅へとずらし、卓上に散らばったトランプをまとめ始めた。


「ああ、そうだった。「二人分」の死体ね」


「・・・テメえ、何か言いたげだな?」


「いやー、別に?ただ、誰かさんがホームレスを撃ち殺さなけりゃ、一人分の死体で済んだのになあ、なんてことを思っただけ」


「コスプレ野郎をいきなりマチェーテでぶった切ったテメエが、言える筋じゃねえだろうが?おい、つーか掃除やめろや」


「はああ」


すると、そのスキンヘッドの男は、片割れによる制止に対し、これ見よがしにため息をついた。


「連中、俺が居るときはちゃんと片付けるよ?俺が厳しいの知ってるから」


東境都某所に横たわる、昭和の残影を感じさせる、長さ300メートル程のアーケード。

そのアーケードの端寄りに位置する「ハルマキ☆サカバ」の1階で、スキンヘッドと剃り込み頭は、喫緊な対処が要される問題について議論していた。


所々、蛇足をしながら。


「あんたがガツンと言わないから、あんたのときは「これでいいや」って連中も思ってんでしょ。とにかく、あんたからもしっかり言ってもらわないとさ」


「・・・店のことになると細っけえな、おメエはよ。でもな、今は店のこと考えてる場合じゃねンだよ。どうやって誰にも見られずに、トランクから連中の死体を引っ張り出して、ここまで運ぶかだ」


「まあ・・・そうだけど」


「おメエ、外見たろ?店も開いてねえのに、朝っぱらからアーケードうろつきやがって。あの、愚民ども」


「ま、駅への通り道だからねえ・・・」


「チッ!車も持てねえ貧民どもが」


「このままだと、誰かに見られちゃうね。スーツケースにでも詰める?」


「ホームレスのじじいはスーツケースに収まるかもな。只、あのコスプレ野郎は無理だ。図体がデカ過ぎる」


「ま・・・車の中で解体するわけにもいかないしねえ」


「考えろ。何かあンだろ」


すると、真夏の異常な高温や、大気汚染物質の増加を憂慮する地球環境学者のような表情を浮かべ、考察を始める剃り込み頭。

しかし、剃り込み頭は数秒後、脳細胞が沸騰したかのように、突如として四つ足の椅子を蹴り上げた。


-ガシャッッッッッン!!


「何にも浮かばねえよ、クソがッッ!!!!」


可愛らしいピンクの椅子が、黒々しい感情に叩きのめされ、床をゴロゴロと転がっていく。

その椅子を、更に威嚇するように、剃り込み頭が怒号を上げる。


「ぶち殺すぞ!!」


「椅子を?」


「ああ、うぜえな、クソがっ!!だからアーケードは嫌なんだよ!!いつでも人がいやがるからよお」


ハルマキ☆サカバ。


ビールと、揚げ春巻き。

日本酒と、生春巻き。


その絶妙なる相性は、一風変わった酒のつまみを欲する酒好きから愛され、今では、この強面のベトナム系日本人2名による創業から5年が経った。


しかし、ハルマキ☆サカバが世に認知されていく一方、その「秘密」を知る者は極端に少ない。


コカイン、ヘロイン、エクスタシー。

あまつさえ、覚せい剤。


それらをつくり、売りさばく、彼らの麻薬ビジネスの、マネーロンダリング場所として機能していることに。

加えて、営業終了後、そうしたギャングらの、違法賭博所に姿を変えていることに。

更には、密輸拳銃をはじめとした、武器の貯蔵庫でもあることに。


だから、「いつでも人がいやがる」ことは、まともな飲食店経営に興味などない剃り込み頭にとって、デメリットでしかなかった。


「大型連休のアーケードほど、ウゼえもんはねえな」


「・・・」


すると、その剃り込み頭の不満をよそに、スタスタと飲食スペースを歩み去っていくスキンヘッド。

剃り込み頭は、出し抜けに議論を離脱したスキンヘッドの背中に向け、嵐のような声をぶつけた。


「おい、どこ行くンだよ?結論出るまで離れんじゃねえぞ!」


「結論が、出たんだよ」


「・・・あ?」


ハルマキ☆サカバの1階には、酒および重火器の保管場所である物置きが存在する。

スキンヘッドが歩みを進めるのは、その物置きの方だった。


「ホントに結論出たんだろうなあ?おい。おい!!」


怪訝な表情を浮かべながら、片割れの足取りを追う剃り込み頭。


直後、物置きで剃り込み頭が目にしたのは、スキンヘッドが引っ張り出した、「ジャンボ生春巻き」のオブジェ。

そのてっぺんから飛び出た人参やらレタスに対し、長年かけて育て上げた自慢の植物を愛でるように、ソッと手を置くスキンヘッド。


「これ、覚えてる?光んなくなって、お蔵入りになったやつ」


四つのローラーがついた、その移動式ジャンボ生春巻きの裏側。

そこは開閉式のドアになっており、そのドアの内側は「空洞」だった。

車のトランクに入れた、大量の麻薬を詰め込んで運ぶことを想定し、あえて空洞にしておいたのだ。


「ま、ほとんど人もいないし、2往復くらいだったら誰も気にしないでしょ。ハルマキ☆サカバの方に運ばれていく、春巻きオブジェのことなんてさ」


「ほお?確かに、まさか、そこに死体が突っ込まれてるとは思わねえな?」


「でしょ?」


「はっ・・・春巻きか。いっそ、運んだ死体を細切れにして、マジに春巻きに突っ込ンで出したら、イイ証拠隠滅になるかもな」


「・・・」


「ま、ハルマキ・・・?サカバになっちまうがな。その場合」


「あのさあ、、ぶっちゃけ、冗談でもそういう発想する時点で、飲食ビジネス舐めすぎなんだよね。ちなみに飯が変な味したら、速攻ネガティヴ・レビュー書かれるよ。今、ギリギリ星四つなんだからさあ。頼むよ」


「・・・」


「何の話してるか分かるよね?この前あんたが春巻きの仕込みした時、客に「味変わりました?」って不満げに言われた話なんですけど。ちゃんとマニュアル通りに仕込んでもらわないとさ」


「分かってるよ、うるっせえな。ほら、さっさと運ぶぞ?テメエの案なンだからよ、こっちの方に集中しろや」


「・・・はいはい」


そして、それから10分が経過した頃。

プラスチックの生春巻きの中に、リアルな肉塊が詰められた。


4月29日 8:26


-AVE 北門


そして、「地に這いつくばる男」を見つめていた。

AVEという名の元監獄に拡がる、チューリップ畑において。


何があったのか、頭を整理してみよう。


タクシーを降り、レンガ造りの壁の終わりで、目にしたもの。

それは予想に反し、広大な「チューリップ畑」だった。


門らしきものは、そこに無かった。

そこには、元監獄らしい厳めしい門も、サイバー研究所らしい近未来的なゲートも存在しなかった。


加えて言うと、案内員もいなければ、ロボットがパトロールをしていることもなかった。


そこにあったのは、学校のグラウンドくらいの広さの空間に群生する、色とりどりのチューリップだったのだ。


赤、黄色、紫、オレンジ、ピンク。

それらの色彩間を、ミツバチらしき虫がビュンビュンと移動している。


それは例えば、オランダの田園地帯の紹介映像に出てくるような、同じ色同士のチューリップを列状に植え並べた、統率的な畑ではなかった。

多様な色のチューリップが、特に決めごとなく植えられた結果、まだら色を生み出したような、自由なる花畑だった。


ところで、そんな、まだら花びら世界の奥に、小さな風車塔らしきものが示唆的に佇んでいる。

しかしすぐに、それはあくまで風車塔に似た何かであり、決して風車塔ではないことが分かった。


ぐるぐると回っているのは、風車ではなく、2本の白い「翼」だったからだ。

2本の翼はとても大きく、塔の先端を中心点とし、ゆっくりと時計周りに回転している。


そこには、特殊な紋様が描かれているようだ。

目を凝らすと、その紋様は、蛾の羽の模様のようでもあり、どこかしら高貴で神聖な何かのようにも感じられた。


その翼は最初2本であったが、スッとその姿を消し、再び現れた時には4本に。

数秒後、また消えては現れ、10本近くにまで増えた。

そして、最終的には千手観音の手のような無数の翼へと変わり、ゆらゆらと揺らめいて消えたかと思うと、再び元の2本に戻った。


「ホログラムかよ」


それは、風車塔の形をした、ホログラム発生装置だったようだ。

ところで、その塔の手前側に、扉のような切れ目が入っていることに気付く。


その内側は、もしかしたら地下に続くエレベーターかもしれない。

と言うのも、地上に施設らしきものは見当たらないし、その塔は丁度エレベーターくらいの大きさに見えるのだ。

つまりAVEは、監獄跡地につくられた、広大な地下施設の可能性がある。


とすれば、このチューリップ畑の下に、異なる世界が存在するということ。


「・・・あらたなせかい」


誰にも聞かれないように、ボソリとその言葉をつぶやく。

そして、その世界の光に迫るように、もしくは、吸い寄せられるように。

膝の辺りに、色とりどりのチューリップがバシバシと当たる中、塔に歩みを進めていく。


-ンビュウンッッ


ふと、さっき遠目で見たミツバチが、目の前を泳いた。


ミツバチは、蜜を追いかけ、ここに辿り着いたのだろうか。

それとも、蜜に導かれ、ここに引き寄せられたのだろうか。


自分は、どちらなのだろう。


そんなことを、思った瞬間。


-ムギュッ


「・・・ん?」


瞬間、何か柔らかい感触を足の下に感じた。

但し、それが犬や猫のしっぽでないことは、直感的に分かった。


犬や猫であれば、驚き、叫びながら飛び上がるだろうからだ。


「うぉ!!!」


むしろ、叫びながら飛び上がったのは、犬猫ではなく自分自身。


しかし、それも当然。

今、自分が踏みつけたのは、「シママン」だったからだ。


4月29日 8:28


シーッ・シ・マー・マンッ♪

シーマーマン♪


そんなメロディでもお馴染み、しまうまをベースとしたゆるキャラ。


その名も、シママン。


2本足で、とぽとぽ歩行。

くりくりお目目の、のほほん顔。

耳と耳の間に生えた、短い黒のたてがみは、さながら幼稚園児が被る、小さな王冠のよう。


アミューズメント・パーク「シママン・ランド」でも、お馴染みのゆるキャラだ。


そのシママンを、このまだらチューリップ世界で、踏みつけてしまった。

と言うのも、地面には、くたくたになったシママンの顔があるのだ。


「・・・いやいや」


いやいや、もとい。

それは、シママンの「セットアップ」の、フードの部分。

「ソフトな着ぐるみ」とも言える、そのセットアップを着用しながら、ここでうつ伏せに倒れている男がいる。


その這いつくばる男の、ゼブラ柄の背中を、市松模様の雪駄で、べたりと踏みつけてしまったのだ。


「・・・・きみ」


瞬間、チューリップ畑の地面で、シママンがうなった。

本来シママンが持つ、高い声とはかけ離れた、カラッカラのテノール声で。


気付けば、這いつくばる男が、自身の顔をこちらに向けている。


「・・・うお」


真っ先に目に飛び込んだのは、あわやカーテンのように、自らの顔を覆わんばかりの長い黒髪。

だがそれは、素敵なロング・ヘアーとは、とても呼べない。

むしろ、野放図に伸びまくり、雨風にさらされた、ワイルドな植物を思わせる。


髭も、ひどいことになっている。

口髭、顎鬚、頬髯、いずれについても伸び放題。

「ここまではこの髭」という、互いのテリトリーを逸脱しながら育ち拡がったそれは、さながら荒れ果てた雑草地帯のようだ。


しかし、伸び散らかった髭とは対照的に、頬などは、見ているこちらが不安になるほど痩せこけている。


「・・・・助けてくれないか」


男の首の後ろでくたる、シママンの顔とは対照的な、切羽詰まった男の表情。


男の両目に灯った、複雑な光。

そこから伺えるのは、懇願と、焦燥と、一抹の警戒心。

しかし、警戒心を持っているのは、こちらも同じ。


「いや・・・」


この男は、何なのか。


参加者か?

持病なり発作なりを起こし、立ってもいられなくなったのか?

いや-仮に参加者だとしたら、身なりくらい整えるはずだ。


まさか、囚人?

AVEは今も監獄で、そこから脱獄してきたとか?

いや-ならば、シママン・セットアップの代わりに、囚人服を着ているはずだ。


脳内で、ビシバシと入り乱れる推測の線。

その線が神経を刺激し、鼓動を乱し、心を揺さぶっていく。


そして、乱れと揺れの末。

思わず口からこぼれたのは、自分でも拍子抜けするほど、順当な反応だった。


「ってか、大丈夫すか?」


だらしない輪郭の眉の下、男の両目に、ふらふらとした光が灯る。


「・・・・大丈夫だ。済まないが、起こしてくれないか」


普通、一人で起きられない状況を、大丈夫とは言わない。

その限りなく短い返答の中にも、既に男の矛盾がある。


「・・・・頼むよ」


「・・・分かったっす」


いずれにせよ、このまま無視して進むほど冷淡にはなれない。


ボス。

木刀を土の上に置き、ゆっくりと男に歩み寄る。


「じゃあ、仰向けにするっすよ!せーの!」


シママン・セットアップに包まれた、男の体重は軽く、這いつくばった状態から、簡単にひっくり返すことができた。

ひるがえった体には、流血もなければ、傷跡もない。


そこで、結論に行き着いた。

このシママン男は、栄養失調で倒れた可能性が高い。


「体、起こすっすよ?」


「・・・・済まない」


「あの」


「・・・・プロジェクト・カイカの、参加者だよ」


自分の助けにより、むっくりと上体を起こした男は、唐突にそう結論を告げた。

まるで、あらゆる包装を省き、こちらの欲しい物を裸で手渡すように。


ここまで避けてきた、他の参加者との対峙。

途端、胸に鋭いものが走り、続く言葉を見失う。


「・・・・君もだな?」


「・・・はい」


しかし、まただ。

やはり、この男の言うことには矛盾がある。


普通に考えれば、参加者である以上、今日この日に向け、体調を万全に整えてくるはずだ。

栄養失調か知らないが、入口にも至らないこの場所で、這いつくばっているなんて、辻褄が合わない。


「あの・・・何で倒れてたんすか?」


「・・・・極度の空腹だよ。迷惑をかけて申し訳ない。五日間、何も食ってなくてね」


「五日間、何も?」


「・・・・このプロジェクトに参加するまでに、山籠もりをしていた」


「や、山籠もりっすか」


「・・・・君の名前は?」


「逢条 陽です」


「・・・・僕は、風真 貫(かざま とおる)。「猟師」の才の持ち主だ」


4月29日 8:30


-AVE 南門


「ショアアアァァッッ!!」


燦燦と、輝く朝日。

その光彩を一身に受け、各々の色に輝く、チューリップたち。


朝日の光が上端を、色とりどりが下端を彩る、この素敵な世界において。

ある男の全身の筋肉が収縮し、その即時的な結果として、男がシュワリと跳躍していた。


シュワリと言うのは、その動きが爆発的でいつつも、どこか液体のように「しなやか」であるためだ。


その有様は、華麗ですらあった。

恐らくは、男が飛び立った地面に咲く、チューリップの花々よりも。


「ソエア!!!」


そして男は、宙の真ん中で、体をぐるりと捻り、遠心力を生み出して、その場で横に一回転した。

まるで、バレリーナの旋回のように。


但し、男とバレリーナの間には、明確な異なりがある。

その旋回が、ある生き物を殺めるために放たれた、「蹴り」であるという点だ。


-スパシュワ!!


鍛え抜かれた裸足による、飛び後ろ回し蹴り。

その攻撃により、奪われた命が一つ。


-ポトリ


それは、チューリップ畑に舞い込んだクマバチである。

しかし、事情を知らない人間が、それが「クマバチである」と認識するには、少しの時間を要するだろう。


そのクマバチは、頭の付け根を境に、スッパリ「切り分けられていた」からだ。


土の上に落下した、クマバチの太き胴体。

その尾から、いまだ針が突き出ては引っ込み、引っ込んでは突き出ている。


真っ黒なクマバチの頭は、赤いチューリップの花弁の内側に吹き飛ばされ、そこに残酷な色彩のコントラストが生まれた。


-トッ


そして地面に着地した男は、やや上体を反らしながら、両腕で大きな斜め十字を切り、広々とした春空に今の心境を刻み込んだ。


「ズウォアアあああああああっっっっっ!!!」


その瞬間、どこかで休んでいた鴉が飛び立ち、雀たちがざわめいた。

木陰のアリたちは警戒し、そよ風は知らない振りを決め込んだ。


それは、夕日ぎらつく荒野における、猛虎の遠吠えを思わせたからだ。


「首藤 千蹴(しゅとう せんしゅう)、凱旋や」


男はそう呟くと、裸足のまま、その場から歩みを進めた。


地の果てにある太陽すらも、今から喰らってやろうじゃないか。

そんな、野心溢れる表情で。


「二度目の、監獄になあ」


4月29日 8:32


-AVE 地下


その時、女は元監獄で、浴場の床に跪き、祈りを捧げるように両手を合わせ、斜め上を見上げていた。

豊満でありつつも引き締まったその身に、胸元が大きくはだけた、黒いボンテージを纏いながら。


両ももに、ガーターベルトをあしらったその衣装は、いわゆる「女王様」が着用するそれだ。

従って、これが祈りの服装とすれば、背徳的とも言えるだろう。


端的に言えば、それは祈りではあった。

しかし、祈りの対象は、「神」という概念的存在ではない。


跪く女の顔に向け、仁王立ちで陰茎を放り出す、「白い男」であった。


「聖水だ」


そして、そこから降り注ぐ「聖なる水」は、女の口内に注ぎ込まれた。

実の丈2メートルはあるかという、男の股から垂れ下がる、白く長いそれの先から。


-ジョボボボッ、ボボッ


男は、自分の体から、きらきらした液体を放出した事実。

および、本能的な欲望が満たされたことによる昂揚感。

そして、その行為が一瞬で終わるものではなく、数十秒ほどの時間にわたるといった条件から、歌を歌い始めた。


「ん~~ん~ん~んん~~ん~~んん~~♪」


それは、滝つぼに掛かる虹を初めて見た、原始時代の人々が歌った、自然崇拝の歌のようでもあった。

同時にそれは、重要なメッセージの前に流される、演出音楽のようでもあった。


しかし数秒後、その荘厳なるリサイタルは、唯一の聴衆の嗚咽によって中断された。


「く、あカハッ」


どうやら、液体が女の気管に入り、むせてしまったようなのだ。


-ジョボボボボオオオオ、ジョジョジョ・・・


「くっ、くくっ、くくっ、くっ、くくっ、くっ、くっっ」


男は、愉快だった。

それは、「そこまで歩け」と命じたところ、数歩目で躓き、べちゃりと床に倒れてしまった、幼児に向けるような笑いだった。


「ぶ、ぶふっ。も、申し訳ございません」


「ふふっ、ふっ」


そして男は、女体への放尿を終えた。


放尿とは、通常秘められた行為である。

それがどこの国かに関わらず、放尿行為を堂々と公開する人間はいない。


小便は、世界的に汚れたものと捉えられており、その汚物を放出する有様は下品であり、それを人に見せるなど、余りにもはしたないと考えられているからだ。


しかし、この男は例外である。


それは男にとって、毎回美しいのだ。

その金に輝く液体は、自らが創り出した芸術品である。


それは男にとって、毎回新しいのだ。

今日の朝日は、昨日の朝に昇ったそれと、本質的に異なるのである。


それは男にとって、毎回誇らしいのだ。

芸術品は隠さずに、世界に向けて誇示すべきである。


そう。

男は、自らの小便が汚れたものであると、「ただの微塵も」思っていなかった。


「いいだろう。今、私は機嫌がいい。何せ、これから、プロジェクト・カイカを始めるのだからな」


「・・・お許しいただき、ありがとうございます」


「それに、ど・の・み・ち」


そこで男は前かがみになり、女の両目を直視しながら、自身の顔面に笑みを浮かべた。


それは、危険な笑みだった。

まるで、その奥にある異常な自信が、熱線のようなものを生み出し、女の心の輪郭をぐにゃりと歪めてしまうような。


「お前には、神聖過ぎる」

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