茜
透夜珀玖
・
黄昏時に決まって訪れるこの場所が私は嫌いだ。それなら、なぜ来るのか、という話だけれど。
「茜が生まれてすぐにお母さんが亡くなったんだ」
私が18歳になった日、父がそんなことを口にした。
それまでも、時折切ない表情で母を語る父だったから、18になる前には、母が事故死か病死をしていたことは予想がついていた。父の話に頻繁に出てくる母が、私を捨てたなんて考えられなかった。なぜ改まって言い出すのだろうとは思ったけれど。
母は病気で死んだ。
私を妊娠してすぐに病気が発覚し、私を産むために自分の治療を行わなかったらしい。その結果、出産直後に急変し、そのまま息を引き取ったのだとか。
今は詳細は聞かないでおこうと思う。私の知らない母のことだ。何年かけて向き合ったっていい。
私の名前が茜、なのは、家族3人で見た最初で最後の夕焼けが綺麗な茜色だったから。
正直、私にその名は重かった。
「茜、今日は何の日か覚えているか?」
絶賛反抗期中の私は、父からそんなことを言われて無性に苛立ちを覚えた。どうせなら言ってくれればいいのに、と言ってやりたいくらいだ。
「忘れてただろ、今日はお墓参りの日だぞ」
「わかってるよ、だから着替えてるじゃん」
休日は決まってパジャマで1日を過ごす私がよそ行きに着替えているというのに、父は何もわかっていない。
「準備ができているならもう出ようか。ちょうど寄りたいところがあったんだ」
「ひとりで行けばいいのに」
「何度も独りで行ったさ。今日は2人で会いに行きたいんだ」
誰に会いに行くのさ、と言いかけて、わかった、と言った。
今日という日に会いに行くということは、その人が母に関係する人だと薄々勘付いていたから、断ろうにも断れなかった。
それに、何度もひとりで行った、との発言に重みを感じた。
また、日頃、父とろくに言葉を交わさない私も、母のことになると口をきく。
だから、今回も仕方なく。あくまでも、仕方なく、だ。
インドアな私には日差しが痛い。もう秋も中盤だというのに、やはり私には屋外だというだけで気が滅入る。
助手席に座って知らされぬ目的地に向かいながら、外に視線をやる。目の前に広がる、鬱陶しいくらいに明るい夕焼けに、思わず目を瞑る。自分の名前が茜であり、家族の思い出、というだけでどうしてこんなにも苦しめられなければならないのか。そんなことは考えるまでもないけど。
「着いたぞ」
父は高台に車を止めると、ひとり車から降りて歩き出した。父の歳を重ねて丸くなった背中を慌てて私も追うが、目を離したら消えてしまいそうな雰囲気に言葉を失った。これまでに何度も父がひとりでここに来ているなら、相当の思い入れがあるだろう。父の気持ちを察しようとするたびに、強く胸を締め付けられた。
ひとまず父の横を歩き、同じ位置で立ち止まる。
目の前に広がるのは私を飲み込んでしまうほどの輝きを放つ夕焼けだった。
「ほら、見えるか?お母さんだぞ」
突然何を言い出したのか、と思ったけれど、直後、私にもそれが見えた気がした。
私を包み込む柔らかくて温かなそれと穏やかな風、目の前でほのかに濃くなった赤。
たしかに私は母を見た。
「この場所はお母さんの好きな場所だったんだ。初めて出会った場所もここだ」
それは、また私の名前に重くのしかかった。
初めて出会った場所、なんて子供の名前に付けるべきじゃない。ましてやその思い出の場所には孤独や寂しさを多く含んでいるのだから。
「もし名前に苦しめられていたらすまんな」
なんだ、気づいていたんだ。
一度はそんなことを言いかけたけど、すぐに目からは大粒の涙がひとつ、またひとつ、と静かに零れ落ちた。
父の言葉が、痛いくらいに胸に刺さった。
夕焼けが目の水たまりに反射して近くに感じる。赤さがすべて温もりに変換されて私を包む。
「別に嫌いじゃないよ」
涙交じりに強がってそう言った。
いや、これが本心だ。
「早く会いに行こう」
父に背を向けて、車に向かって歩き始めた。
早く会いに行かなきゃ。
私の名前は茜で幸せだ、夕焼けを好きでいてくれてありがとう、と伝えなきゃ。
「好きだよ、この名前」
誰にも聞こえないようにそっと呟いた。ほのかに甘い香りと体温を近くに感じる。茜色に染まったそれは私の背中を、これからの道を照らしているようだ。
名前が似合う人間になれる保証はないけれど、私は私のまま生きてみるよ。いつか、茜色の人生だったよ、って報告できるように。
茜 透夜珀玖 @ink__hk
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます