人形狂い 3

   美しきはすべて汚濁の中より生まれくる

   宝珠のごとき輝きは悪の化粧で彩らる

   その煌めきはくちなわの瞳

   悪しきことは美しきことと囁く



 無学なおれでも知っている詩の一篇だ。昔、この詩を知ったとき、おれは責められているのだと思った。けれどもいまは違う。おれは、祝福されている。



 生身の女を使った人形を作り始めて半年が経った。設計から始めたので人形造形師の製作にかける時間の相場を大幅に上回っているが、仕方がないだろう。美しい脚、美しい手、美しい胴を持つ女を花街で見つけ、傷をつけないように殺害して、おれだけの秘密の加工を施して人形のかたちに仕上げていった。あとはロビンのような美しい顔の女を見つければ良いわけだが、これが相当難儀していて、もう二か月はロビンの顔を探しもとめて花街を彷徨っている。


 売人たちにはおれの気が狂ったという噂が流れているらしいが、どちらかといえばおれは過去に例のないほどに冴えわたっている。おれの隣にはロビンがいて、次はこうして、その次はどうすると逐一教えてくれる。こんなに幸せなことがあってよいのかと、時折怖くもなるが、その恐怖を紛らすように花街へ女の顔を漁りに行くので、その辺りの感覚は麻痺してしまっている。


この国では人が消えるなどということは日常の風景であるために、おれの人形の一部になった女たちは特に探されることも、噂になることもなかった。もちろんおれに疑いの目が向けられることもない。そうでなくとも、おれは既に充分すぎるほどに多くの人間を手にかけている。いまさら人殺しなどと詰られても、濡れ鼠に土砂降りといったところだろう。おれは初めから血に濡れている。



 いま、目の前をかなり上玉の女がゆっくりと通り過ぎた。おれは物陰に隠れて煙草をふかしながらしっかりと品定めしていた。厚化粧で覆っているが、骨格は申し分のない整いようであるし、瞳の色は鳶色だったが、あとからヘーゼルの瞳を嵌めこめば、かなりロビンに近くなるように思えた。


 これを逃したらあとがない。おれはそう思って彼女に声を掛けることにした。


「君、いま空いているか?」


 彼女はびくっと肩を震わせて即座に振り返った。一瞬キッと睨むようにこちらを見たが、すぐに表情を和らげて微笑んだ。


「……旦那さま、女に声を掛けるときは気配を消すのをやめた方がいいですわ」


「すまない、商売柄クセになっているようだ」


「物騒な商売をなさっているのね」


「で、いくら払えばいい?」


「そうね、とりあえず銀貨一枚」


 おれは彼女に銀貨を手渡した。この国では銀貨が一枚あれば三日は食っていける。もっとも、スラムでの話だが。中流階級では子供の小遣いにも満たない。


 彼女はそれを冥途の土産とも知らずにそっけなく受け取って、ハンドバッグに入れた。おれたちはどちらからともなく手を繋いで小路に入った。花街はこういう小路がたくさんあって、初めて来たものは必ず迷子になる。


「どこまで連れて行ってくださるの?」


「そうだな、スラムに近い外れのほうがおれは詳しいんだが」


「じゃあそこまで歩くわ」



 そしてスラムにほど近い場所で、おれは彼女の心臓を撃ち抜いた。


 女を担いでねぐらに戻ると、鉈で首を切り取った。身体はあとで東の墓場に捨てた。待ち望んだおれのドールの顔に、おれは恍惚となった。娼婦特有の厚化粧を落として、さっそく加工を施す。これには一週間ほどかかる。早く完成したドールを見たい気持ちで焦ってはいたが、加工が不十分だと腐り落ちてしまう。


 脳を抜いて、おれの思うロビンの人格をプログラムした基盤をセットして、ドールにインストールした。瞳を作っておいたヘーゼル色の義眼に変えると、それは確かにロビンを凌駕するドールになった。


 すらりと美しいふくらはぎのライン、ほどよく締まった腰つき、形の良い胸元、ほっそりとした首筋、薄い手のひら。息を呑むほどに美しい顔立ち。継ぎ接ぎの痕を見なければ、それは完璧すぎるドールだ。この雨の国の曇天の下、こんなドールは二つと存在しない。シリコンの肌ではだせない、人間の皮膚を使ったみずみずしさは凄みを帯びている。


 おれは感謝した。美しい部位を持ち合わせた女たちとの偶然の邂逅に。神にすら感謝していたかもしれない。神への侮辱たる生身のドールを作り上げたことを、神に感謝するとは。神直々におれを処分しにくるかもしれないなと感じた。……馬鹿馬鹿しい、神などいるものか。


 髪を結い、ドレスを着せて、アクセサリで彩ると、ショー・ドールと見紛うばかりの麗しいドールになった。おれはこの人形にヘレナと名付けた。


 おれは人間を愛さない。おれはドールのみを心から愛する。そしておれの最愛のドールは生身の人間を使ったもの……おれが愛しているのは人間か? ドールか? しかしそんなことはどうでもよかった。




 いつの間にかおれの側にいたロビンは消えてしまった。薄々おれの狂気が生んだ幻影だということには気づいていた。少し寂しい気持ちもしたが、おれにはヘレナとの毎日が待っていた。ヘレナは完璧だった。人間のようにへらへらとご機嫌取りをすることもなければ、おれを不快にする質問も投げかけては来なかった。ただおれの側にいて、歌ってほしいと言えば歌を歌ってくれた。おれがなにも言わなくても愛していると示してくれた。それはおれがプログラミングした人格なので、彼女の感情ではない。湿度を帯びた言葉を嫌うおれには、この乾いた感情の名前の響きが心地よかった。


「マスター」


「どうした」


「雨が強まります」


 あるときヘレナはこうおれに告げたきり黙り込んだ。おれはそれがなんのことなのかすぐに察した。……来るべきときが来てしまった。



 あのときロビンが涙を流して、すぐに無翼の天使が彼女を処分しにきたと聞いた。この国に生まれ落ちたものがいちばん最初に知る死の概念は、無翼の天使とともにあった。罪を犯して翼を切り落とされた天使は、そののち死を齎す死神として天を駆け、心の生えたドールや、大罪を犯した罪人を処分しに来る。彼らに処分されるような存在になってはならないと、子どもたちは親に教え込まれる。


 おれは――無翼の天使に処分される罪人だ。ただでさえ人形師は、神に近付きすぎたドールを産むと、処分されることがある。それは天使による死の断罪ではなく、教会による宗教裁判での処分にすぎないが、神の意志でなにかしらの処分を受けることに変わりはない。まして、生身の女を複数人殺害して、その部位を接いでドールを作りあげることは、この国でなくても、大罪なのだろう。頭ではそう思えるが、心では「それのなにがいけないのか」と叫んでいる。



 おれとヘレナの幸せな日々は一月で終焉を迎えた。


 おれはヘレナを誰にも見つからない場所に隠すと、ねぐらでただひとり銃の手入れに明け暮れた。それは、ただ殺されるのは我慢ならないと思ったのかもしれないし、心落ち着ける作業をそれしか知らなかったのかもしれない。ただ、銃を分解しては、ゴミを除去したり、油を注したり、手持ちの銃をひたすら手入れし続けた。


 ある日、ハンドガンのマガジンの点検をしていると、背後に気配があった。


「天使か……」


「ほぅ……よくわかるな」


 背後の天使は薄く笑ったような声色で不愉快そうに吐き捨てた。


「おれは鼻が利く。血なまぐさい天使の匂いだ」


「悪いが血なまぐさいのは俺たち無翼だけだ。……貴様と同じ匂いがするだろう」


「ああ、おれもあんたも血に汚れた手でここまできたらしいな」


 おれはやっと振り返った。


 天使は顎あたりまでの短い髪を雨に湿らせ、教会の白い修道服を着て立っていた。背中にはやはり翼は無く、ひょっとすると人間のようにも見えるが、ドールのような美しい顔立ちと、もっとも神聖な存在にしか使われない白地に金の衣装が、人間の俗を削ぎ落し、聖なる存在なのだと本能で感じた。


 おれはちょっと怯んで、手にしていたハンドガンは作業台に置いた。言い伝えには聞いていたが、天使を目前にすると死の決心がつくらしい。


「それで、問題のドールはどこだ?」


 天使は手にした聖なる拳銃を弄びつつ、興味がなさそうに尋ねた。


「神とやらにも見つけられないのか?」


「ふん、人間風情が天使を挑発するか。素直に吐け」


「それは言えねえな。あれはおれの最高傑作、簡単に壊されるのは愉快じゃない」


「……自分が死んだあとに愉快もクソもあるか」


 天使は鼻で笑った。


「それとも、ヘレナをあんたみたいに天使にしてくれるっていうなら、おれも居場所も言ったってかまわないが?」


「俺がドールだったといいたいのか」


「違うのか? あんたからは血の匂いに混じってほのかにドールの匂いがするが」


「貴様は人間というよりも犬畜生だな、不快だ」


「そいつはどうも」


 天使は苦虫を嚙み潰したような顔で拳銃を撫でていたかと思うと、突然撃鉄を起こして発砲した。おれの腹には派手に痛みが広がり、穴が開いたように力が抜けていく。死ぬのだ。……死ぬのだ。


「最後にいいことを教えてやろう。俺をここまで挑発した人間は貴様が初めてだ。……すぐにヘレナも地獄に送る、殺した女たちを抱えて地獄を見物するんだな」


 天使が再び発砲したのを、おれの耳は聞いた。





*     *      *      *



 天使――ノヴァは今しがた処分した売人を見据えて、大きく舌打ちをした。


 ノヴァはたしかに“心の生えたドール”として処分されるはずだったのを、神の計らいで天使として生まれ変わった。そして、同じ天使を愛し、罪を犯して無翼の天使になった。二度の罪を犯して無翼の天使になり果てたのを、この男はすべて見透かしているようで気味が悪かった。顔を顰めて男の死体を蹴り飛ばすと、外に控えていた天使たちに神の御所へ運ぶよう依頼した。


「ああ……カミア。お前が生きていたらなんと言うのだろうか」


 ノヴァは首から下げた小瓶を握りしめ、それに縋るようにため息をつくと、目を瞑ってひとつ頷いた。


「……俺たちは天使だ、心中した果てに砂になったものに縋るのはよくないな。過去のことよりこれからだろう、……そのヘレナとやらを地の果てまで追い詰めて処分してやろう」


 ノヴァは天使にあるまじき凶悪な目つきで口角を吊り上げた。



 そののち、ヘレナの居場所は誰も知らないにもかかわらず、密やかに都市伝説として“生身のドール”の存在が囁かれはじめた。気狂いの売人が狂気のみで作り上げた、生身の女を幾人も使った人間ドール。半数は鼻で笑ったが、半数は本気にして、一部の者は火に油を注ぐように面白おかしく尾ひれをつけていった。俺は街角で見た。私は劇場の廊下で見た。真偽不明の目撃談は次々と増え、本気でヘレナを探しているノヴァにはいい迷惑であった。それはきっと、あの売人の男による最後の抵抗には違いない。それがまた癪に障った。





 ヘレナを探し続けて三か月が経った。季節は夏から晩秋に差し掛かっている。人間ではない故に暑さ寒さには鈍感なものの、さすがに天使服の翼用スリットから入ってくる雨粒が氷のように感じられた日の昼だった。


 ひとつ仕事を終えて墓地へ戻ろうとしていたノヴァは、なにかの勘が働いて、ある店のショーウインドウを覗いた。そこは古い店で、窓のサッシには埃が積んでおり、旧式のオートドールが何体か並んでいた。人間の姿は見受けられない。この国ではとるに足らぬひとつの風景だったが、ノヴァはもう少し近づいて覗き込んだ。


「ああああああああっ!!!!!」


「ッ……!!」


 ショーウインドウを突き破ってでてきたのは、噂に違わぬ生身のドール。それが手に短剣を持ってノヴァに突っ込んできた。すんでのところで避けて、避けずとも止められたが、横に飛びのいて足払いをかけて転ばせた。


「……まさか貴様のほうから出てきてくれるとはな。待っていたぞ、このときを」


「マスターの仇です。そして、ロビンの仇……」


「ヘレナとやら、貴様はなにか勘違いしているな。俺たちは快楽殺人鬼じゃない。あの売人は罪を犯した。ロビンとかいう人形には心が生えた。俺たちはそれを神の御名において処分しなければならん、当然の務めを果たしてその言われようとは、お前の阿呆さが露呈しているぞ」


「それでも、私の主人でした」


「……涙ぐましいな」


 ノヴァは鼻で笑った。ヘレナは無感情に短剣を構え直して立ち上がった。


「俺はな……そういう湿っぽい敵討ちには虫唾が走るんだよ」


 ヘレナは戦闘用ドールではないため、反応速度は遅い。故に、いとも簡単にノヴァの弾丸に貫かれた。天使服は返り血に黒い染みを作った。人形を始末するときには決して汚れない服がだ。防腐加工の施されたホルマリンの香りがする黒い血だった。


「地獄で主人に会ったらよろしく伝えてくれ」


 無表情なヘーゼルの瞳の奥に怯えの影をみとって、ノヴァはヘレナの額に押し付けた銃のトリガーを引いた。その瞬間ノヴァは黒い返り血に顔までを染め上げた。




 ロビン襲撃事件から一年、闇市場の若い売人と、彼に作られた生身のドールは、こうして処分されたのだった。

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レイニア人形夜話 長尾 @920_naga_o

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