人形狂い 2


 銃声は劇場の中から聴こえてきたようだった。


「ヴァーミリア、ここにいろ」


「お前を狙ってのことかもしれぬ」


 女主人に付き従っていた二体のドールは、そう言うと同時に劇場の裏口へ走った。観客は悲鳴を上げながらホールからなだれ出てくる。着飾った紳士や淑女が、我先にと建物を出ようとするので、蹴り倒し、踏みつけられ、泣きわめき、怒号が飛び交う。


 女主人も男も裏口へいっさんに走った。暗いのでよくは見えないが、彼女の顔色はいくらか青褪めていたに違いない。男も震えていた。あのロビンが劇場にいるのだ、彼女がどうにかなってしまっていたらと思うと、足が震えて仕方なかった。



「……旦那、あんたは単独行動しかしないと聞いたが、信じていいんだろうな」


「おれに付いてくる者があるほど、おれは好かれていない」


「すまない、確認をしただけさ、気を悪くしないでおくれ」


 裏口のドアを乱暴を開けながら、女主人は無理に笑った。売人には、彼女がなぜ謝ったのか理解ができなかった。



 劇場内は混乱を極めていた。袖では人形達が息を潜め、観客は半狂乱で逃げ惑い、女主人の従者ドール達が、ひとりの男を舞台の上で取り押さえている。その側にロビンがいる。脚を撃たれたらしい、膝から下がとれて、床に呆然と座り込んでいた。


「ヴァーミリア、今は出ないほうがいい、あんたを狙ってのことだと思う」


「ヴァーミリア、ロビンは平気だよ、撃たれたのは脚だけさ」


 人形達は口々に女主人に現状を説明した。それによれば、犯人は突然ロビンを撃って、すぐに取り押さえられたあと『主人を出せ』としか言わないのだという。



「……おい、女主人、犯人は単独じゃないぜ、見ろ」


 売人の瞳は二階席の隅に人が座っているのを捉えていた。大方の客はみな、外に流れ出たのだ。明らかに不自然である。


「あんたには見えないだろうが、銃を構えている。ロビンの頭を狙ってる。おれがここから撃ち殺す、……ロビンは袖に来られないのか?」


「そりゃちょいと厄介だね……それじゃあアタシが出てって抱き攫ってくる、旦那を信じるからうまくやってくれ」


 男は、黙って頷き、外套の下から銃を出すと、袖から二階席を狙った。


 闇に生きる人形売人は、職業柄、いつでも武器は携帯している。彼は、ナイフ2本、ハンドガンを1丁とその減音器を、寝るとき以外は身につけている。実際、撃ち殺すことなど容易かった。対象物をしっかり見ながら引き金を引けばみんな死ぬ。それに今回は私情も弾丸に乗る、しくじるはずがない。


 言葉にしないまでも、ロビンの脚がとれているのを確認した時点で、彼の怒りは最高潮に達していた。当然だ、聖なるものとして崇めていたものが薄汚い何者かの放った弾丸に貫かれ損壊したのだ。今この場で、この手で地獄に送ってやる、そう決めていた。標的が暗いところにいる上に少し距離があるので減音器を使う。派手に銃声が響いて撃ち損ねたのでは、場所を勘づかれて、自分も殺されるか、よくても殺し損ねる。皆殺しのコツはとにかく静かにやることだ。舞台袖では屋外より音が響いてしまうかもしれないが、舞台上で発砲するよりは、反響板にあたる音が少ないからここしかない。


 スライドを引き、引き金に指をかける。



「間に合わない、攫ってこなくていい、向こうの袖に押しやれ、舞台からはけろ、……行け、」

 


 男が囁くと同時に女主人は舞台上に走った。二階席の男も驚いて発砲した、ロビンの肩を掠める。


「……死ね」


 引き金を引く。静かな激情を乗せた弾丸は乾いた破裂音とともに人形に発砲した男を貫いたのを確認した。相手の動きが停止する。袖から出てさらにもう2発ほど浴びせた。このまま蜂の巣にしてやりたいところだが、弾の手持ちが少ない。


 女主人はロビンを蹴飛ばすようにして、向こうの袖に押しやっていた。したたかなことに、舞台上に取り押さえられている、はじめに発砲した男の頭を踏みつけ、首に拳銃を押し付けている。流石の手腕だ。治安の悪い北レイニアを生き抜く術はこれしかない。


「ジーナ、みんな連れて裏に下がんな。ロビンは抱えていけ、わかったら早くしな、ジーナ」


「ヴァーミリア、」


「早く」


「……みんな、行こう」


 ジーナ、と呼ばれた女は、生身の匂いがした。周りのドール達より地味な格好をして、反対側の袖に控えている。彼女は手早く他の人形たちをまとめ、裏に下がった。女主人は、無感情に必要な指示だけを出し、その間も拳銃を突きつけた殺意を緩めなかった。



「アタシがここの主人だ、言いたいことがあるそうだな、冥土に送る前に聞いてやる、言え」


 取り押さえられた男は苦しそうに呻いた、ヴァーミリアの靴の、鋭利な高い踵がこめかみに刺さっているのだ。血がにじみ出ている。


「……さすが天下の人形歌劇団だな…主人は高慢で、天使の真似事をする」


 果敢にも男は挑発するような笑みを浮かべ、女主人を煽る。こめかみから血が溢れる。


「早く要旨を言わぬと眉間を踵で割る」


「無翼の天使でもないくせに、断罪の真似事か、薄ら寒いな、女ふぜいが」


 男が言い終わるか否かの辺りで、銃声が響いた。それを囲む、女主人、従ドール2体、売人は返り血をまともに浴びた。


「ヴァーミリア、相変わらず早漏だな」


 従ドールのひとりが皮肉るように言った。女主人はなにも言わなかった。


「……靴も銃も、服まで汚れちまったよ、……ヴェラ、マクネ、汚い死体を早く墓地に捨てといで、上のも忘れんじゃないよ」


「ロビンはどうする」


「使いものにならなきゃ壊すさ、仕方ない」


 売人は女主人の背中に銃を突きつけた。


「おや、旦那がキズ物でもいいんならあんたに譲ったっていいんだよ、」


 彼女は動揺すらせず、悠長に長煙草を咥え、ライターを取り出した。


 男も微動だにせず、銃を下ろさない。


「いいよお前たち、早く捨ててきな」


 従ドールは死体を引きずって外へ出ていった。



「……アレを壊すこともおれに与えることも許せない」


「わがままだねえ……、アタシらは遊びでやってんじゃないんだ、金がかかるんだよ。旦那だって人形師の端くれ、人形の維持にどれだけかかるかわかってんだろう?それに、旦那に許されなきゃいけない道理はない」


 男の怒りは、ヴァーミリアにとっては子供の癇癪に過ぎなかった。


「そういう話をしているのではない」


「そういう話だろうよ、アンタにはたかが人形の脚さ、けどアタシらには“ロビン”の脚だ。そう簡単に継ぐ脚が見つかるわけじゃない、」


「……」


 男はなにも言い返せなくなった、女主人が少し声を詰まらせたように聞こえたからだ。


 壊れたからといっても、ロビンは太陽だ。闇の売人に下賜されていいようなものではない。かといって破壊されて捨てられるのも嫌だ。もうここまでくると感情論でしかない、男にもそれはわかりすぎるくらいわかっていた。わかっていたが、それでも、受け入れ難いものは受け入れ難く、構えた銃の、引き金に指をかけた。


「アタシを殺すと、人形の聖域はなくなるよ」


 その気配を察してか、女主人は諭すような声色で話しはじめた。


「旦那も、ロビンが歌劇人形だったから、安心して見ていられたんだろう。手が触れるのを禁忌とする、人形の聖域だから、他のバイヤーに手を出されることもない。ここに来ればいつでも見られる、その安心感……」


「……人形たちは、お前を慕っているのか」


「知らないね、人形に心はないから。アタシが勝手に執着してんのさ」



 そのとき、生身の女が舞台袖から走って出てきた。



「ジーナ、どうしたんだい、顔色がよくない……」


「ヴァーミリア、ロビンが…“泣いた”……」


 ジーナは、死刑宣告でもするように、静かに女主人に告げた。


「ロビンは壊されてしまう……ロビンは……アタシは、どうしたらよかったんだろうヴァーミリア……」


 男は、銃をおろした。『涙を流した人形』は、遅かれ早かれ壊されてしまう。心が生えたと見なされたドールは、"無翼の天使"と呼ばれるものがどこからかやってきて、その人形を壊していくのだと聞いたことがある。現に、“かつて涙を流したという人形”は存在しない。一般的には、人形が涙を流すという事実から嘘だと思われている。男も嘘だと思っていたが、『心が生えたドールは間引かれる』のは、頭ではないどこかが知っているようにわかっていた。




 ✽  ✽  ✽


 その後、どのように住処に帰り着いたのかはわからない。柔らかな雨音と、雨に広がってへんに眩しく感じる朝日とで、目を覚した。顔や手や服が血に汚れ、それが固まってカピカピになっている。自分の横には、減音器のついたハンドガンが、無造作に転がっていた。


 腹に穴でも開いているかのように、なにかが抜けていた。水を飲んでも、干涸らびたパンを口に押し込んでも、身体の中ががらんどうになってしまったのか、なにも感じなかった。喉が乾くわけでもなければ、潤った気もしない。“感覚”が消え失せたらしい。……何故?……なにも覚えていない。


 けれども外へでなければ、と立ち上がろうとして、無になった。脚に力が入らない上に、外には何もないのに、と誰かが耳元で囁いた。


『外には何もないのに、』

『××は死んだのに』

『お前は生きているのに』

『おかしいなあ、犯人は殺したぞ』

『頭は撃たれなかったじゃないか』

『脚だけとれたんだ』

『心が生えたんですよ、お馬鹿さん……』

『くれるってのに、断ったんだぜ、紳士ぶって、薄汚い』


 噛み合わない言葉が耳元で交わされ続けた。違う、これは自分で話しているのだ、声が出ているから。…いや…声など出ていない、知らない人が話しているのだ。知らない人?どこにもいないのに?


『ロビンは、死んだ』

「ああ……あぁ……あ、」


 ロビン。

 男が愛せた、唯一のドール。


「…彼女は……」


 椅子から転げ落ちた。小さく悲鳴をあげる。あんな完璧なドールが、なぜ失われた、なぜ、おれは彼女を手に入れなかった、なぜ、なんで、おれはただ、彼女が欲しかった、愛してほしかったのに……おれではない誰かに、壊されてしまった、


 胸のあたりが重く痛んで、目を開いたまま気絶したように、放心していた。


 何時間か経って、辺りがすっかり暗くなった頃、彼は意識を取り戻した。見回すと、壁にはびっしりと、彼女のヘーゼル色の瞳が蠢いている。床はすべて、彼女の柔らかな肌に変わっていた。耳元の声は、ロビンの歌声、天井には彼女の愛らしい顔が貼り付いて、男に微笑みかけた。

 

『また作ればいいじゃない、』

『ロビンを凌駕するような』

『完璧なオートドールを』


 玄関からロビンが入ってきた。男は床に倒れたまま、涙を垂らしてそれを見ている。


『また作ればいいじゃない、』

『そうだ、生身を使えば』

『生身みたいなお人形ね、』

『わたしそれが見たいわ』


 その柔らかな胸に抱かれ、空虚な男の胸に、彼女が手を添えた。


「生身を、使う……人形に、」

『そうよ、生身を使うの』

『簡単よ、可愛い顔を作ってあげて』

『そうよ、昨日みたいに殺してから使うのよ』

『この銃でね、』


 温もりのない肌と声は、男を安心させた。彼はぼんやりとした頭で、禁忌をおかしていないのに、太陽のような人が側にいてくれていることを不思議に思ったが、考えはまとまらず、握らされた銃を弄んだ。

 家中が愛した彼女であり、そばにいてくれている人は彼女だ。こんなに幸せなことはあろうかと、壁に蠢く、彼のいちばん好きな、彼女の瞳たちを、泣きながら見上げた。



 ✽  ✽


「奴はおかしくなったらしいな」


 ある日の市場で、あの闇に生きる年若の売人の話題になっていた。


「ロビン襲撃事件のときに、犯人のひとりを殺したらしい」


「俺は、奴がロビンを手にかけたと思ったんだが、さっぱりわけがわからんな」


「ヴァーミリアはなにか言っているのか?」


「さあな、あの女も、ロビンを失ってからちょっとおかしいらしい。劇場もずっと臨時休業のままだ」


 バイヤーたちは好き勝手に話し込んでいたが、ひとりのバイヤーが青褪めながら口を開いた。



「おれは、見てしまった、奴があんまり顔を出さないんで、死んだのかと思って、家まで見に行ったんだ。おれもあの辺りに住んでるからな……。

 家のまえに差し掛かったら、吼えるような声が聞こえるんだよ……不安になって、窓から覗いてみたら、奴が、泣き叫びながら、なにか、血が出るものを切り刻んでたんだ、恐ろしくなってそのまま逃げ帰ってしまった。魚とか鳥だと思いたいが……」


「……生身の人間か?」


「そこまでは見ていない……近隣の人間によれば、基本は物音が一切しないが、狂ったように泣き叫ぶ時間と、誰かと談笑する声が聞こえる時間とがあるらしい。だがその“誰か”の声も姿もわからないらしいんだ……」


 一同は薄ら恐ろしくなって、なにも言えなくなった。誰も確かめに行こうとは言わなかった。もとより病的で、近寄りがたかった人間なのだ。狂人とわかれば、なおのこと関わりたくはなかった。




 彼が天使に“壊された”とわかるまで、これ以降、彼の話題は市場では禁句とされた。もちろん彼はもう二度と人前に出てこなかった。

 

 無翼の天使に、この男の殺害の令が出たのは、約一年の後である。


 

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