第5話 覚醒
小鳥のさえずりに起こされると、窓から差す暖かな陽光に目をしかめながら私はベッドから起き上がる。
軽く伸びをした後、身支度を整えてから城内にある聖女神殿に向かい朝のお勤めをするのが私の日課だった。
お勤めとは、聖女神殿に佇む聖女像に祈りを捧げること。これによって聖女は徳を積みいずれは聖女の力を覚醒させるのだという。
祈りの最中は例え大神官や国王であろうとも中に入ることは禁じられている。部屋で過ごしている時でさえ侍女が部屋の外で待機しているので、朝のお勤めの時だけ私はようやく一人になることが出来た。何か考えをまとめたい時はこの時間を有効活用している。やはり何か考え事をするには一人になった方が色々と頭が冴え渡るからだ。
しかし、これはどうしたことだろうか? 今日に限って何も考えがまとまらない。脳裏に思い浮かぶのは美しい獣人青年の姿ばかり。彼の、ルークの真紅の瞳や柔らかそうな唇のアップばかりが頭の中を埋め尽くしていた。
「私ったら何を考えているの? 妄想内で作り出した男性相手にこんな煩悩塗れの想いを抱くだなんて……」
何だか現実逃避しているような気がして罪悪感に苛まれてしまった。私にはそんな時間は無いのに。ニーノを救う為に一日でも早く聖女の力に覚醒しなくてはならないのだ。
あともう少しで私は18歳の誕生日を迎える。従来の聖女様達は遅くとも18歳までには力を覚醒させていたと言われている。もし18歳を過ぎても聖女の力を覚醒させることが出来なければそもそも私は素質の無い、ただの銀髪の女の子だったということになる。それが確定した時の国民やお父様の落胆たるや想像するのも恐ろしかった。
それなら私達は双子聖女の呪いから解放されるのだろうか?
いや、18年間も続いた負の感情を払拭することは難しいだろう。私の覚醒の有無はどうであれ、ニーノに押された魔女の烙印を消し去ることは不可能に近い。やはり私が聖女の力を覚醒させ、その権威を使ってニーノに恩赦を与える以外に方法は無い。
〈ニーノを助けるには聖女として覚醒するしかないけど、未だに私にはその兆候すら見えない〉
それなのに私ときたら、ふしだらな妄想にふけるだなんて。更なる罪悪感が私の胸を締め付けた。
〈ミア……〉
不意に私は誰かに名前を呼ばれたような気がした。
「誰?」
しかし、今は朝のお勤めの時間。その間は誰も聖女神殿に立ち入ることは固く禁じられているはず。もしかしたら子供が迷い込んで来たのかもしれないと思ったけれども、今の声は間違いなく大人の女性のもの。新人侍女のものでもなかった。
〈ミア。今世の聖女よ〉
再び声が聞こえてくる。今度は先程よりもクリアに聞こえて来た。
間違いない。聖女神殿に私以外の誰かがいる。そう確信した私は周囲を見回す。でも、その姿も見つけられず気配すら感じられない。
「でも、今、確かにこっちの方から声がしたわ」
視線の先には、聖女像の姿があった。
神殿内には幾つもの聖女像が佇んでいるが、目の前に佇んでいるのは伝説の双子聖女様の像。
双子聖女の呪いの原点となった彼女の名は姉の聖女ラン。魔女として言い伝えられているのは彼女の妹の聖女リン。いや、今は魔女リンとよばれているっけ。
今の声は間違いなく聖女ランの像から聞こえてきた。
「伝説の双子聖女ラン様の像から声が?」
一瞬、幻聴でも聞いてしまったのだろうかと困惑する。
私は昨日からちょっと疲れているのかもしれない。ルークの幻のこともそうだし、今は聖女像から謎の声が聞こえてしまっている。
すると、突然、聖女ランの像が淡い光を放った。それが魔素による発光であることはすぐに分かった。魔力が膜のように聖女像全体を覆い尽くしていた。
「どうして突然、聖女像が魔力を放ったというの?」
私は原因が知りたくて聖女像に手を触れる。
その瞬間、驚愕すべき出来事が起こる。私の全身から膨大な魔力が光の奔流となって一気に噴き出したのだ。
頭の中を見たことも無い記憶が駆け抜けていく。まるで誰かの記憶が魂に直接流れ込んでくるような錯覚を味わった。
痛みも苦しみも無かったが、魂を直接肉体から引き剥がされるような衝撃が走った。このまま意識を失えば魂が消滅するかもしれないと危機感を覚えた。これが魔力の暴走であったことは、この時の私は気付かなかった。ただ必死に噴き出る魔力を抑え込むのに必死だった。
「魔力よ、おさまって⁉」
聖女像から手を離そうとしてもまるで同化したかのようにびくともしなかった。
このままニーノも救うことも出来ず、こんな訳の分からない状況で私は死んでしまうの?
〈呪いに抗いし者よ、力を受け入れなさい。さすれば貴女に女神の祝福を与えん〉
再び聖女像から声がする。
「ニーノを救うまで私は死ねない。助かる為ならなんだってするわ⁉」
私がそう叫んだ瞬間、一瞬、時間が停止したような錯覚に陥った。
目の前に聖女のドレスを身に纏った女性が佇んでいた。その顔が聖女ランの像と瓜二つだった。
彼女を見た瞬間、私は凍てついた。
何故なら、目の前の人物は聖女ランの像と瓜二つの顔立ちなのに、その髪の色が白銀ではなく闇の様な深い黒色だったからだ。
「聖女ラン様? いえ、違う。まさか貴女は……⁉」
「呪いに抗いし者。私の子孫よ、貴女にはこれを授けます。どうか受け取って。そして可能なら救って……」
黒髪の女性はそう言うと、顔を悲痛に歪めながら両手を前に差し出して来る。
彼女の手から眩い光が放たれると、それは私の首に巻き付いた。
「貴女に女神の祝福があらんことを」
彼女がそう呟いた瞬間、停止した世界は動き出し、パアン! と光が弾けた。
弾けた光は無数の煌めく粒となって白百合の花に変化する。
神殿内はたちまち白百合の花で埋め尽くされる。
私の全身から噴き出していた光の奔流は既に止まっていた。
「魔力が全身に漲っている」
両手を見ると、神聖な魔力が迸っているのが見える。こんな強い魔力を見るのは初めてだった。
その時、私の脳裏に一つの言葉が過る。
「覚醒……私、遂に聖女の力に覚醒したんだわ!」
これを覚醒と呼ばずして何を覚醒と呼ぶのだろうか? それほど私の身体には膨大な魔力が宿っていた。何もしなくてもそれがはっきりと分かった。
不意に私は首にぶら下げっているペンダントに気付く。
「これは何? こんなの身につけた覚えはないけれども」
ペンダントにはチェーンの先に蛇の様な目の紋様が刻まれた蒼色の宝石がぶら下がっていた。
これは先程、目の前に現れた黒髪の女性が私にくれたもの。だとしたら、今のは幻ではなく現実にあった出来事だというの?
ペンダントは不気味な見た目をしていたが、強大な魔力をひしひしと感じる。きっとこれはただのペンダントではなく魔導具の一種なのだろう。不気味さは感じるが呪いのような禍々しさは感じられない。とりあえず呪われる心配はなさそうだった。
その時、扉の向こう側から騒がしい声が聞こえてくる。それと同時に複数の足音が聞こえてくると、勢いよく扉が開かれた。
そこに現れたのは父、国王バルカン。お父様は興奮した様子で私に駆け寄って来た。
「でかしたぞ、ミア。我が最愛の娘。ようやく覚醒したのだな⁉」
どうしてお父様がそのことを知っているのだろうか?
私がそのことを問いかける前にお父様は興奮気味に言葉を続けた。
「これを機に魔女の処刑を執り行うぞ!」
その瞬間、私は目の前が真っ暗になった。
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