第4話 黒百合の契約
ルベライトのような真紅の瞳が妖しく輝いていた。ルークと名乗った獣人の青年はただ優し気な微笑を湛えながら私の頬に手を伸ばして来た。
ルークの手が頬に触れた瞬間、私の鼓動はトクンと高鳴った。たちまち頬に熱を帯びるのを感じる。
どうしても彼の真紅の瞳から目を逸らすことが出来ない。私は為す術もなく彼の接近を許した。
彼は瞳を愛おし気に細めると優し気に呟いて来る。
「聖女ミアよ。命を救ってくれた礼に、お前が助けを求める時、オレの名を呟けば、例え黄泉の国であろうともお前の元へすぐに駆けつけることを約束しよう」
「貴方の命を救った? 何のこと?」
全く心当たりが無かった。もし彼に会ったことがあるなら決して忘れることは出来ないだろう。既に彼の愛おし気な微笑も真紅の瞳も私の魂に深く刻み込まれた。何度記憶を掘り起こしても彼に関する情報は皆無だった。
そんなことを考えていると、ルークの潤いを帯びた真紅の瞳が私に迫ってきた。私はこのまま彼の瞳に吸い込まれそうになってしまった。
〈キスされちゃう!〉
ルークの吐息が鼻にかかった瞬間、私はどうにでもなっちゃえ! などと心の裡で叫びながら瞳を閉じる。胸の高鳴りは更に激しさを増した。
「これは契約だ」
すると、私の鼻腔を甘い香りがくすぐる。
目を開くと、目の前には一輪の黒百合があった。
ルークは私の前で片膝をつきながら、私に一輪の黒百合を差し出していた。
「黒百合の花はオレと契約を交わした証だ。もう一度言う。オレの名を呟け。さすればオレは何時いかなる時でもお前の前に現れるだろう」
私はルークが差し出して来た黒百合を受け取った。すると次の瞬間、大量の黒百合の花びらが舞い散った。
もう美しい獣人の姿は消え去っていた。同時に意識が遠のき、私は深い闇の世界に沈み込んでいった。
子供の頃、私は夜が怖かった。夜の城内は不気味な静寂に覆い包まれ、魔物でも徘徊しているような恐ろし気な空気を醸し出していた。
でも、この闇の世界は不思議と安心感があり、穏やかな気持ちにさせられた。
夜の国の魔王。ふとその言葉が頭に思い浮かんだ。
魔女同様、この国でその名を口にすることはタブーとされている。口にしただけで呪いがばら撒かれると信じられているからだ。
何故、夜の国の魔王が気になったのか。それはきっと、ルークに魔王の影を感じたからだろう。
雄々しい黒の獣耳は王者の風格を醸し出していたし、モフモフで立派な黒尾は愛くるしさ以上に強大な魔力を感じさせた。闇夜を思わせる彼の風貌はまさしく伝説の夜の国の魔王を彷彿させたのだ。
でも、恐怖の魔王とは程遠い存在だった。仮にルークが夜の魔王だったとしても、恐怖の根源たる伝説の魔王があんなに穏やかで優し気な笑みを浮かべるものだろうか。もし彼が本当に魔王であったならば、私達は分かり合えると、争う必要はなくなるんじゃないかと思った。
魔女や魔王と共存することが出来たとしたら、きっとニーノも救い出せるに違いない。
そんなことを考えていると、徐々に周囲の闇が溶け出し光が差し始めた。
闇が消え光に包まれるのと同時に、私は目覚めた。
「ここは……?」
目をこすりながら周囲を見回すと、そこは中庭だった。私はどうやら木陰で眠っていたらしい。
陽は沈みかけていた。3時間程度は眠っていた感じだろうか。
「あれはやっぱり夢だったのね。そう言えば黒いワンちゃんは何処に行ったのかしら?」
黒い子犬の存在を思い出し、周囲を見回してみても何処にも姿は見えない。きっと回復してお家にでも戻ったんだろう。
そんなことを考えていると、不意に私は頬を触れられた感触を思い出す。たちまち美しい獣人の青年の微笑が頭の中に満たされ、一瞬で頬が熱を帯びた。
「私ったら何をドキドキしているのかしら? でも、あんなに美しい人、初めて見たわ。それに……」
私はルークに触れられた頬に手を当てる。
「ルーク、まるで本当に貴方に触れられたような感触がまだ残っているわ」
また会いたいな、と、不意に私は心の裡で呟く。
「ふふ、私ったらバカね。夢で出会った男性に照れるだなんて」
その時、懐かしい甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「これは……黒百合?」
私はようやく自分の手に一輪の黒百合の花が握られていることに気付いた。
「これは夢でルークが私にくれたものと一緒。まさかそんな、何故これがここにあるの?」
私は慌てふためきながら近くの花壇を見る。しかし、やっぱりそこに黒百合の花は咲いていなかった。
ライセ神聖王国を象徴する国花は白百合。夜の国を彷彿させる黒百合は不吉な花として忌み嫌われている。森の奥深くに行けば咲いている場所もあるだろうけれども、少なくとも私はこの城や城下町で見かけたことはなかった。
あるはずのないものがここにあることで、私は少しだけ混乱してしまったが、素直に嬉しいと感じた。
私は黒百合にルークの姿を重ねながら目を閉じると、そっと黒百合の香りを嗅ぐ。たちまち胸は愛おしさに満たされた。
「優しい香りがするわ。まるでルークの笑顔のよう」
なんてね、と私はおどけると自然と頬が緩んだ。
あれは夢? それとも現実?
その時、私は自分でも気付かないくらい自然に、彼に会いたいと心で強く願っていた。
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