第5話 城塞防衛戦

 デュフェルは作戦会議の場で険しい顔をして地図を見つめていた。リトゥイネ軍の圧倒的な兵力を前に、真正面からの対抗策は不可能だ。城塞に籠もるだけでは、いずれ兵糧攻めに屈するのは明白だった。兵士たちの士気も徐々に下がり始めている。


「どうする……打つ手はあるか?」


 沈黙が広がる中、シロンが静かに口を開いた。


「正面からの防衛では持ちません。むしろ敵を城塞内に引き込み、罠を仕掛けてはどうでしょう?」


「城門を開けて敵を引き込む、だと?」


 ゼノシャが驚きの声を上げる。デュフェルも眉をひそめたが、シロンの瞳は冷静だった。


「城門の外に撤退するふりをして、敵に城門へと突撃させます。そして城内には深い濠を掘り、これを隠します。敵は疑いもせず城内に突撃して罠に陥り、指揮系統が崩壊するでしょう」


 シロンは続けて指で地図を示した。


「さらに、別働隊を手配して敵軍の後方を奇襲すれば、前後からの挟撃が可能です。リトゥイネ軍が混乱すれば、一気に殲滅できます」


 会議室には再び沈黙が訪れたが、デュフェルはシロンを見つめ、その知略に静かに感嘆していた。


「……見事な策だ。リトゥイネは我らの敗走に歓喜し、罠にまんまと嵌るだろう。シロン、あなたの策を採用する」


 ゼノシャも半ば呆れた顔で苦笑した。


「おいおい、王女様とは思えない策士ぶりだな。リトゥイネの連中がこの策を知ったら卒倒する」


「生きるためには、狩人は時に獲物を罠にかけるものです」


 シロンは淡々と答えたが、その表情には確かな自信があった。


 こうして、シロンの提案した策がエルタール軍の希望となり、デュフェル率いる兵士たちがその準備に取り掛かることとなった。


 ◇


 リトゥイネ軍の陣営は、前夜から勝利の興奮に満ちていた。彼らは三ヶ月にわたる執拗な包囲戦の末、ユクリーシャ城塞の兵糧が尽きかけていることを確信していたからだ。重厚な城門も、疲れ切った兵士たちの守りも、今にも崩れ落ちる砂の城に等しいと判断している。


 リトゥイネの将は、陣地の丘陵から得意げに戦地を見下ろす。彼の前には広大な戦場と、遠くに屹立するユクリーシャ城塞がある。高くそびえる石壁はまだ健在だが、攻め手が緩めば逃げ道はなく、エルタール軍は遅かれ早かれ降伏する運命にあった。


「明日には城門が開く。奴らはもはや、限界に違いない」


 将はそう確信し、陣中で兵たちに酒と食糧を振る舞った。「明日の勝利の祝宴だ」と、疲弊した兵士たちを鼓舞しながら、一方的な勝利を疑うことはなかった。


──そして夜が明けた。


 朝霧の中、エルタール城塞からは弱々しい角笛が響き、やがて巨大な城門がゆっくりと開き始める。リトゥイネの将は馬上で勝ち誇るように高笑いを漏らした。


「見よ! 城門が開いたぞ! 奴らはついに力尽きたのだ!」


 エルタール軍は城門から姿を現し、陣形を整えることなく、混乱しているかのように見えた。小規模な部隊が突撃を仕掛けるが、すぐにリトゥイネ軍の圧倒的な兵力に押し返される。


「追え! 全軍、前進! 城塞を陥とせ!」


 リトゥイネ軍は歓喜に沸き、士気は天を突くかのように高まった。前線の騎兵隊が一斉に馬を駆け、歩兵たちも武器を掲げて前へ進む。その勢いは、もはや止めようがなかった。


 しかし、その勝利の歓喜が絶望へと変わるのに、時間はかからなかった。


 城門をくぐったリトゥイネ軍に待ち受けていたのは、巧妙に隠されていた、深いほり


 先頭にいた騎兵が次々に濠へと落ちていく。濠に気付いた者が後ろの味方に制止するよう呼びかけても遅い。れ込むようにして濠に転落したリトゥイネ軍が見たものは、城門の上から斉射される大量の矢だった。空を埋め尽くした矢が一斉に降り注ぎ、鉄と骨の砕ける音が響いた。濠に転落しなかった幸運なリトゥイネ兵には、さらに城門の上から投石が襲いかかり、不幸な死を遂げることになった。


 リトゥイネ騎兵の先頭集団は壊滅し、指揮系統が混乱した。城門の奥から轟く地鳴りにリトゥイネの将の背筋へと冷たいものが走る。完全に城塞を包囲することさえできてしまえば、兵糧攻めに持ち込めると冷徹に勝利を確信していた。それが脆くも崩れ去ろうとしている。


 エルタール軍騎兵の追撃が始まった。リトゥイネ軍の後方からも狼狽の声が上がる。あらかじめ手配していたゼノシャ率いる別働隊だ。前後から挟み撃ちにされたリトゥイネ軍は崩壊した。このとき、デュフェルは敵将を三人も討ち取る手柄を立てる。


 リトゥイネ軍はついに撤退を余儀なくされた。エルタールとリトゥイネ両国の三ヶ月の長きに渡る戦に終止符が打たれ、両国は和平条約を締結することとなった。


 エルタールは大勢のリトゥイネ兵を捕虜にしていたため、和平交渉を有利に進めた。むろん、リトゥイネ側が一方的に攻め込んできた戦であるから、エルタールはリトゥイネが多額の賠償金を支払い、王族から一人、人質を出すことを要求した。

 

 デュフェルは、この国難を救い、エルタールに平和をもたらした英雄となった。一方で、大敗を喫し屈辱のでいねいに塗れるリトゥイネ人は、彼のことをエルタール王国の紋章にも描かれた象徴である伝承上の生物「竜」になぞらえ、こう憎しみを込めて呼ぶのだった。リトゥイネの王弟殺し、地獄からの生還。およそリトゥイネ人に計り知れない恐怖をもたらす存在。


──「エルタールの邪竜」と。


 その邪竜本人から智謀を賞賛されたシロン王女は、こう答えた。


──「使えるものは何でも使う、それだけのことです」

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酔いのはかりごと〜死刑囚王女の軍師録〜 鋸鎚のこ @Tsuchi-Noco

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