第4話 再会

 大陸東部に位置するエルタール王国は、他国を侵攻しない穏やかな国柄を持つ小国だ。大陸を横断する交易路、通称「黄金路」を通じて繁栄を続けてきたが、西部国境では常にリトゥイネ王国の脅威に晒されていた。


 三ヶ月前、リトゥイネ軍がエルタールに侵攻した。


 これを迎え撃ったのが弱冠二十三歳、国王の従弟である大公デュフェル・アムスラン率いる国軍だった。エルタール王国軍は元来より強兵で、よく統率されていた。


 デュフェルはリトゥイネ軍を大河に沿った広大なユクリーシャ平原に誘い出し、河のせきを崩して濁流を発生させた。濁流が音を立ててリトゥイネ軍を呑み込み、河の流れに逆らおうとする兵の叫びが響いた。しかしそれも、矢が雨のように降り注ぎ、その声を次第にかき消していく。


 エルタール軍は、半狂乱となったリトゥイネ軍に猛攻をかけた。デュフェルは、大陸最強と名高かったリトゥイネの総大将である王弟に一騎討ちを仕掛け、見事に討ち果たしたのだった。将を失ったリトゥイネ軍は多くの死傷者を出して潰走したのに対し、エルタール軍は非常に少ない犠牲で勝利を得たのである。


 しかしこの後、デュフェルは消息不明となる。


 敗北の傷を癒し、兵を増強したリトゥイネ軍は、何としてもエルタールに雪辱を果たすべく、満を持して再び侵攻してきたのである。


 ◇


 夜明けだ。エルタール王国の西部国境に位置するユクリーシャ城塞は、堅牢な石壁と高い見張り台がリトゥイネ王国からの脅威を防ぐかなめである。城塞の門前には、重厚な鎧をまとった兵士たちが昼夜徹して警戒を続けていた。


 馬を駆け、泥と疲労にまみれたデュフェルとシロンが城塞に近づく。デュフェルの背筋は真っ直ぐに伸びていたが、三ヶ月もの捕虜生活の痕跡は隠せない。シロンもまた、粗末な服装ながらも、その姿勢には気品と強さが滲んでいた。


「止まれ! 身分を名乗れ!」

 

 城塞の門番が叫ぶ。デュフェルは手綱を引き、声を張り上げた。

 

「私だ、デュフェル・アムスランだ! 門を開けろ!」

 

 その声が響いた途端、門兵たちは驚愕の表情を浮かべた。一瞬の間の後、城門が軋みを上げて開かれ、兵士たちが慌ただしく駆け寄る。城塞の中に入ると、門兵たちがデュフェルを凝視していた。


「大公殿下、生きて……!」


「まさか、本当にご無事で!」


「詳しい話は後だ。保護した人物がいる。暖を取らせてもらおう」

 

 デュフェルはシロンの方をちらりと見やり、馬から下ろす。兵士たちはシロンにも驚いた視線を向けたが、彼女は堂々とした足取りで立っていた。


 そのとき、石階段を駆け下りてくる一人の男の姿が見えた。栗色の前髪を垂らした貴公子然とした男──デュフェルの親友、エルタール王国軍副司令官ゼノシャ・グラッシュウェルだ。城塞警護の将として、三ヶ月間この地を守り続けていた。


「おい、待て待て……デュフェル!? おまえ、どの穴から這い出てきやがった?」

 

 ゼノシャは目を見開き、その口からは信じられないような笑みがこぼれた。デュフェルも疲れた顔で薄く笑う。


「おまえがこの城塞から逃げ出さなかったことを褒めてやる。俺の帰る場所がないと困るからな」

 

 ゼノシャはデュフェルの肩を強く叩き、そのまま抱きしめる勢いで引き寄せた。

 

「くそ、あのとき、おまえが死んだと聞いて、俺はてっきり泣き崩れる女たちの面倒を見る羽目になるかと思ったぞ!」


「……だが、泣いてくれた者は一人もいなかっただろうな?」


 二人の軽口に、周囲の兵士たちは少しばかり緊張を解いた表情を見せる。しかし、その傍らで立っているシロンに気づいたゼノシャは眉をひそめた。


「そちらのにょしょうは……?」


「紹介する。シロンだ──」

 

 デュフェルは言いかけて、シロンの顔を見る。彼女は冷静に前へ進み、ゼノシャに向き直った。

 

「シロン・スナイデン。滅ぼされたスナイデン王国の王女です。と言いましても、王女であったのは一年ほどですが」


 その言葉に、ゼノシャは一瞬固まった。周囲の兵士たちもざわめく。しかし、ゼノシャはすぐに平静を装い、デュフェルに向き直る。


「おまえさん、とんでもないものを拾ってきたな」


「言いたいことはわかるが、彼女には命を助けられた。俺は彼女をエルタール王国で保護することにした。それ以上は追々話す」


「……ふん、まあいい。とにかく中に入れ。女性に風邪は引かせられないな」


 ゼノシャの合図で、デュフェルとシロンは城塞の中へと案内される。暖かい炎が焚かれた広間では、兵士たちが一様に驚きと安堵の眼差しを向けていた。デュフェルの帰還は、戦場に灯った一筋の希望の光だった。


 ゼノシャは笑みを浮かべながらも、その瞳の奥に緊迫感を滲ませる。

 

「いいか、デュフェル。おまえのあまりにもぴんぴんした生還は嬉しいが、リトゥイネは確実に次の一手を打ってくるぞ」


「ああ、分かっている。だからこそ急ぐ必要がある。ここでリトゥイネ軍を迎え撃つ」


「それならば、後で軍議といこうや。まずは飯にしろ」


 デュフェルはシロンの方を振り向く。彼女は焚き火の前で手を温めながら、静かに彼の言葉を聞いていた。


「シロン、ここから先は危険な道だ。それでも──ついてきてくれるか?」


 シロンは迷いなくうなずいた。


「もちろんです。私は逃げません。生き延びてやりますよ」


 デュフェルは微笑み、再びゼノシャに向き直った。


「……だそうだ、ゼノシャ。良いところを見せるなら今が好機だぞ」


 ゼノシャは不敵な笑みを浮かべ、肩をすくめる。

 

「美女の大群はさておき、リトゥイネの糞野郎共に城を明け渡すつもりは微塵もないな」


 こうして、デュフェルの帰還と共に、新たな戦いの幕が上がろうとしていた。

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