第13話 真の魔導
漆黒の火焔と火焔が衝突し、岩肌を抉るように脆く焦がしていく。
絡み合って渦巻く黒焔を斬り裂いて飛び出した剣が、血に飢えた牙のごとくアソンの喉元を狙う。
かろうじて滑り込んだアソンの剣がそれを受け止めると、セイベルト・ロンドランスは嗜虐的に唇を歪めながら剣を押し込んだ。
力尽くで吹き飛ばされるアソンの華奢な躯体。
「おやおや大丈夫かなお嬢ちゃん!」
しかしアソンは声も返さず逃げ続ける。それを心底愉快げに追うセイベルト。
「はっははははは! まさか魔導七典を持たずに焔激の魔導を扱う人間がいようとは驚かされたが、しかしやはり魔法と剣術の両方を極めた俺には遠く及ばないようだなァ!」
遠慮のない自尊心と黒焔を撒き散らしながらアソンを追い立て続けるセイベルト。
遺跡の奥、そしてさらに奥へとアソンは逃げる。それをセイベルトが追う。
やがてアソンの眼前に姿を見せる一際大きな鉄扉。焔撃を放って破壊し、その向こう側へとアソンは飛び込む。
セイベルトの口端が卑しく吊り上がった。
「馬鹿め! その先は遺跡の一番奥の空間だ! すなわち行き止まり! これでようやく追いかけっこもお終いだ!」
哄笑を連れてアソンが逃げた扉の向こうへ飛び込むセイベルト。
暗闇が満ちた空間。しかし間もなく無数の火灯に仄明るい炎が灯っていく。入口の両脇から左右に円を描きながら連鎖していった炎が再度邂逅を果たし、広大な空間が照らし上げられる。
巨大な地下空間の中心にそびえる小さな塔のような建築物。おそらく旧くは祭壇に使われていたらしきそれに、しかしセイベルトはちらとも目もくれず、その眼差しは自らの正面に並ぶ彼らに縛りつけられた。
「な、なんだこれは……⁉」
セイベルトの眼前、向かい合うように跪いて列を成す彼らは――騎士や傭兵、そして盗賊たちの成れの果て。腕を落とされ、肩を切り裂かれ、頭蓋を割られ、そうして魂を失った襤褸人形。
死人となったかつての仲間たちが、だというのになにかを畏れ敬うように跪く光景を前に、いかにセイベルト・ロンドランスといえど戦慄の表情を浮かべた。
強張った視線が死体に彩られた花道をたどり、階段を上り、祭壇の上に終着する。
そこにあるのは、やはり跪き深く頭を垂れる七人の少女たち。
そしてその中心に立つ――俺である。
警戒心と敵意に満ち、そしてわずかに怯えに似た感情を滲ませたセイベルトの視線が俺を射る。
「貴様……一体何者だ……!」
何者もなにもお昼に会ったでしょ、追いかけてきたでしょ、そのときの少年ですよ。とは言えない。それに《七魔導代理》たちの無言の期待感が背中にビンビンきてる。あと愛依寿も通信魔法で絶対見てる。だから腹を括ってやるしかない。
「ようやく来たか邪知にばかり長けた愚物よ。待ちくたびれたぞ」
「なんだと……⁉」
眉を吊り上げて怒りを露わにするセイベルトを、俺はいたって冷めた眼差しで射貫き返してみせる。
「我が名は《黒歴史の魔導師》。今宵は我が不在の幾百年に生じた歪みを正しに来た」
「歪みを正しに……? どういう意味だ!」
声を荒らげるセイベルトにも俺は動じない。あくまで冷静に、無関心げに、謎めいた感じで、相手にとって得体の知れない存在を演出する。
「時が来たのだ。月は空に、影は地に。そして理外は彼方を識る者に。すべては在るべき場所に還らねばならぬ。常理への隷属を逃れ得ぬ蒙昧なる愚者よ、頭を垂れて我に原典を返上せよ。さもなくば――我が魔導の真髄を前に敢えなく業と共に散れ」
言葉を結ぶのと同時、気圧されたらしいセイベルトがじり、と一歩後ずさる。かと思えば背後で奏でられる七つの拍手。いや拍手はやめてくれないかな君たち。
「流石は我らが偉大なる至高の御方……我ら七人一生推しま――お従いいたします」
「我らがマスターは」
「至高!」
「最高お~っ」
「ちょ、超最強……」
「私たちの身も心も♡」
「すべてはマスターのために」
「「「「「「「――《始祖漆黒の魔導師》様、万歳‼」」」」」」」
「お前たちはもういい。遺跡の外で待て」恥ずかしすぎるから。
「「「「「「「――イエス、マイマスター」」」」」」」
目にも留まらぬ速さで散る《七魔導代理》。ふう、ようやく遺跡の外に行ってくれたよ……。
心のなかでホッと安堵の息をつく俺に、気づけばセイベルトは憎々しげな眼光を突きつけている。
「焔激の魔導書を渡せだと……? ふざけたことを抜かすなよクソガキがあ……! この魔導書は俺のものだ! 絶対に誰にも渡さん!」
それは困る。絶対に返してもらわないと困る。だってあんた人前でめちゃくちゃ見せびらかすし。
仕方がない。こうなりゃ力尽くだ。
「ならば散れ」
俺の右腕に黒焔が宿り迸る。アソンに限らず俺までもが原典なしで焔激の魔導を扱うことに愕然とするセイベルトだったが、すぐに怒りと殺意が彼を満たし、剣にまとわりつく黒き火焔が苛烈さを増す。
「あなどるなよクソガキィ! この俺を誰だと思っている! 宮廷魔法騎士団長セイベルト・ロンドランス様だぞォ! いいだろう! 殺す! 我が焔激の魔剣で細切れに斬り刻み、骨の一片すら残さず焼き尽くしてくれる!」
魔力を喰らって成長するどす黒い激情の発露。
「深淵よりも尚冥く、天上よりも尚燦爛たる止め処無き憤怒。悠久を燃え盛る漆黒の劫火は、忘却の果て、見境を知らぬ狂乱暴食の怒濤と化して万物を呑み込む。焔激の魔導、第四章第一節――《
一閃、振るわれる剣。膨張した漆黒の火焔がついに解き放たれ、超高温の津波となってかつての仲間たちを躊躇なく呑んで灰に変え、勢いそのままに俺が立つ祭壇をも覆い尽くす――。
しかしその寸前、俺の右腕から放たれた黒焔の怒濤が迫る来る怒濤と衝突し、相殺して霧散する。
相殺の衝撃で拡散する熱波を浴びながら、驚愕の色を浮かべてこちらを見上げるセイベルト。
「き、貴様……! まさかいま、詠唱を行わずに《無慈悲なる黒焔の怒濤》を発動させたのか……ッ⁉」
予想どおりの反応だ。
俺はあえてこともなげに言ってみせる。
「魔導七典を記したのはこの我だ。すなわち本当の意味での原典(オリジナル)とは、貴様が手にする魔導書ではなく我が頭脳そのものにほかならない」
そして俺は右の人差し指で自らのこめかみを軽くつつく。
「ここにすべての原典が揃っているというのに、詠唱など必要なはずがないだろう?」
まあ本当は中学時代につくった自作の詠唱を人前でやるのが嫌すぎるからなんだけど。しかしセイベルトはそんな俺の本心を知る由もない。
「貴様が魔導七典を書いただと……⁉ そんなわけがないだろう! 一体何百年前に書き記されたものだと思っている! 一体どんなカラクリかはわからんが……しかしそれでも俺が勝つ! 俺はセイベルト・ロンドランス、選ばれし人間なんだ! 魔法に愛され、剣に愛され、そしていまや焔激の魔導書をも手に入れた俺がお前みたいな小僧に負けることなどあり得ないいいいッ‼」
咆哮じみた絶叫を撒き散らしながら地面を蹴るセイベルト。宮廷魔法騎士団長の肩書きが示すとおり人間の限界を極めた身体能力による加速を得て、彼の振るう焔剣が瞬く間に俺の眼前に迫った。
ただそれは、あくまで通常到達し得るものでしかない。
「くそッ! 何故だッ! 何故俺の攻撃が当たらないッ‼」
嵐のように襲いかかる焔剣の乱撃を、俺は易々と躱していく。前もって暴牢の魔導によって自らの肉体を強化していたのだ。いまの俺にとって、人間の限界はもはや遙か低い場所にある。
「避けてばかりいるんじゃないぞ卑怯者めぇ!」
言いがかりがすぎる。攻撃を回避することのなにが卑怯なのかまったく理解できないんだが。でも。
「ならばお望みどおり受けてやろうではないか」
振り下ろされた剣を真っ向から右手で掴む。焔激の魔導をまとったブレードは、しかし俺の肉を裂くことも、ましてや表皮にわずかな火傷を負わせることすら敵わない。
同じ七魔導であろうと、やはり真のオリジナルである俺の魔導が威力や効果において遙か上をいくようだ。
「ぐ、ぐぐぐぐぅ……!」
こめかみに汗を垂らしながら懸命に剣を押し込もうと力むセイベルトに、俺はあえて冷めきった視線をくれてやる。
「温い剣だ」
右腕から苛烈な黒焔を放出する。セイベルトのそれとは比にならない高温高純度の魔導が、剣をまとう火焔ごと溶解、蒸発させる。
続けざまに瞠目するセイベルトの顔面に燃える拳を叩き込むと、金髪碧眼の男は紙人形のように吹き飛んで無様に地面を転がった。
「うぐああああ……っ、か、顔が、顔がああああ……ッ!」
顔を押さえてうずくまるセイベルト。指の隙間から覗く左顔面は、生まれ持った美貌の面影もなく黒々と醜怪に焼け爛れている。
「クソがあ……よくも俺の顔をこんな風に……許さん……許さんぞブラック・ペイジぃ……ッ‼」
苦痛と怨嗟にまみれた形相でこちらを睨めつけながら立ち上がり、セイベルトはその手に焔激の魔導書を取って全身に黒焔をまとう。
「貴様だけは絶対に殺す……! 低級や中級の魔導は通じないようだが、しかし最上級の魔導ならば貴様だって耐えられんだろう……! ああそうさ、仮に本当に貴様がこいつを書き記したというなら予想がつくだろう……? まさにそのとおりだ! 覚悟しろよブラック・ペイジ、この焔激の魔導書に記された最強にして究極の魔導をもって、貴様を粉微塵に消し飛ばしてやる‼」
表情には出さないようにしつつ内心で若干引く俺。おいあんた、ひょっとしてあれを使うつもりか。
けれど怒りのあまり我を失ったセイベルトに躊躇はない。まとう黒焔をさらに激化させながら、抑えきれない殺意に声を震わせながら、セイベルトは魔導書の最後に書き記された魔導を紡ぎ始める。
「我は憤慨する、この者共の愚かさに。我は憤激する、この者共の浅ましさに。我は悲憤する、この者共の卑しさに。智無き智は要らぬ。信無き心は要らぬ。貞無き躰は要らぬ。其の業総て、我が断罪の焔激によって等しく微塵へと浄化されよ」
いやめちゃ全力で詠唱するじゃん……もはやそれが一番の攻撃なんだが。精神に効くわ。
思わず頭を抱えたくなる俺をよそに、セイベルトの詠唱が完成を迎える。それによって発動するのは、焔激の魔導書が誇る特別にして至高たる最高位の魔導。
「理外の理を識れ。焔激の魔導、終章――《
それは行使者を中心に起きる漆黒の魔導爆発。
限界を超えて濃縮された黒焔が、尋常の枷から解き放たれて爆風を伴い放散し、周囲すべてに崩壊と蒸発をもたらす。
やがてそれは劫火の柱となって遺跡の天井をも突き破り、夜闇を黒く照らし上げながら天の果てすら貫いた。
次第に黒焔の柱が細くなっていき、ついに終章の魔導が終息する。
焼けた空気が揺蕩い、砂塵舞う遺跡の最深部を月が照らす。肩で息をするセイベルト・ロンドランスの爛れた顔には、いまなお苦痛と、しかしそれを上回る昂揚が見て取れる。
「くく……くはは……どうだ俺の最強の魔導は……! これを受けて生きていられる人間なんているはずがない……跡形もなく蒸発しちまったなァ……!」
やがてセイベルトの口から哄笑がこぼれだす。
「あは、あははははは! 勝った! 俺が! やっぱりこの宮廷魔法騎士団長セイベルト・ロンドランス様こそが最強なんだ! あははははははは――」
「やはり温い」
「――……は?」
セイベルトの哄笑が止まる。
晴れていく砂塵の向こう側――焦土と化した空間に依然として無傷で佇む俺を目の当たりにして、セイベルトの双眸は驚愕と混乱に大きく見開かれて泳ぎ回った。
「ど、どういうことだ……一体、一体なにが起きたっていうんだ……⁉」
理解できない光景を目の当たりにして恐怖したセイベルトの体が震えだし、その手から焔激の魔導書が滑り落ちる。
怯えきった表情の男を前に、しかし俺は泰然とした態度を貫き淡々と告げる。
「なにかが起きたのではない。なにも起こせなかったということだ」
セイベルトはもはや声を出すことすらできない。
「やはり貴様ごとき浅墓な人間の頭蓋では永劫理外に至ることはできん。今宵の余興も仕舞いといこう」
勝負は決した。王都デンバルの宮廷魔法騎士団長にして、その実、王都のうら若き女性たちに対して悪逆非道の行いを続けていた犯罪者セイベルト・ロンドランスは、ついに為す術がないことを悟ったのだ。
もう、これで終わりにしよう。
「慈悲だ矮小なる器よ、真の魔導を知って死ね。焔激の魔導、終章――《灰塵と化せ、愚劣なる者共よ》」
発動する真の終章。
先ほどセイベルトが起こしたものとは一線を画す焔激の奔流が一瞬のうちに断末魔ごとセイベルト・ロンドランスを呑み、さらには遺跡どころか周囲の森林すらも巻き込んで大爆発を起こす。
それはさながら漆黒の太陽が生まれたかのような光景だった。
あらゆるすべてを燃やし尽くし、灰塵へと変え、存在そのものを消し飛ばしながら、漆黒劫火の極大な柱が夜を焼き払う――。
――救出した被害者たちを遺跡から隔離した八人の少女は、遠く離れた場所からその黒き火柱を見つめている。
やがて愛依寿が静かに口を開いた。
「ご覧なさいあなたたち。あれが始祖漆黒たる至高の魔導師が体現する理外の理です」
愛依寿の言葉を受けた《七魔導代理》の面々は、全員が瞳を輝かせている。
「なんて神々しいんでしょう……やっぱり私たちのマスターは最高に尊い御方です」胸の前で手を組んで感動を露わにするアソン。
「ええ本当に……マスターこそわたくしがお仕えするに相応しい至高の御方ですわ」続くレイホーク。
「カッコいいよマスター……! ボクもあんな風になりたいなあ……!」さらにタヴァルも。
「タマナのますたーは最強だあ~っ」タマナも。
「マスター、す、すごいです……ウト、マスターのために頑張って生きたい、ですぅ……」ウトも。
「本当にうっとりしちゃいます♡ マスターのお側にいられたら、それだけで私は癒やされすぎて昇天しちゃいます♡」エズも。
「なんと遙かな頂……。これほど偉大な御方のために生きることを許されるなど、幸福以外のなにものでございませぬ」そして最後にアラオルも。
伝説の魔導七典を書き記し、現実にその真髄を示してみせた《始祖漆黒の魔導師》に対して、彼女たちは一層尊敬と愛慕の情を募らせていく――。
――魔導が終息した跡地に、俺はひとり佇む。
崩落して無のみの黒き大地と化した遺跡最深部を悠然と歩き、俺はしゃがみ込んでそれを拾い上げる。
やがて立ち上がった俺の手に収まるのは……最大火力の魔導に晒されようと焦げ痕ひとつ残さず現存する古ぼけた大学ノート。
いまだ世界に形を残す焔激の魔導書を見つめつつ、俺は困り顔で苦笑しながら我知らず独り言つ。
「おいおい、いっそ戦いに乗じて焼き消してやろうと思ったのにめっちゃ綺麗な状態で残ってるじゃん……なにがどうなってんの?」
いずれにせよ俺は、こうして黒歴史ノートの一冊を回収することに成功したのだった。
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