第9話 七魔導代理(セプタグラム)

 たまらず俺は愛依寿を抱きしめ返した。


「愛依寿……っ! よかった、生きてたのか……っ! まさか君もこの世界に飛ばされてたなんてな」


 一緒に地面の裂け目に呑み込まれた大切な妹。


 当然、その安否はずっと頭のなかにあった。魔導七典が自分と同様にこの世界に転移している事実から、ひょっとしたら愛依寿もそうなのかもしれない……そんな考えもうっすらとあった。

 でもそうじゃなかったら? 保証も確証もひとつとしてない。最悪の真相を恐れた俺は、あえて惨憺たる結末の可能性に目を瞑っていたのだ。


 しかしこうしていま、俺は妹と奇跡的な再会を果たすことができたのである。その安堵と喜びは計り知れないものだった。


「はい、お兄様と一緒にあの地割れに落ちたあと、気がつくと私はこの異世界に転移していました」


 幸福そうに俺の胸のなかに収まりながら、愛依寿はそっと自らの目尻に溜まった涙を拭う。


「最初は戸惑いや不安もありましたけれど、どうにかこの世界を生き抜くうちに私はお兄様の崇高なる魔導七典が世界に存在することを知りました。その事実を知って私は確信したのです。きっとお兄様もこの世界にいらっしゃるに違いないと」


 俺は嬉しく思うのと同時に罪悪感を抱いた。

 俺と同じ推測をたどった愛依寿は、しかしわずかな希望から目を逸らした俺とは異なって、その希望を真っ向から見据えて信じたのだ。俺は自分の心の弱さを恥じるほかなかった。


「以来数十年。私はお兄様との再会を待ち続けておりました」


「数十年……⁉ 数十年ってどういうことさ? 俺がこの世界に転移してからまだ半日くらいしか経ってないけど……」


「そうだったのですね」愛依寿はどことなく納得したような表情を浮かべた。「やはり私の仮説どおり、あの裂け目――仮に世界の裂け目と表現しますが、あれは呑み込んだものを等しくこの世界に転移させはしますが、その時代にはばらつきがあるようです」


「つまり愛依寿が飛ばされたのは、俺が飛ばされた今日よりもずっと早い時間軸だったってことか……」


「そのとおりです。その可能性については魔導七典が示唆していましたから特段問題ではありませんでした。私はいつまででもお兄様のことをお待ちするつもりでした」


 さらっと言ってのける愛依寿だが、その覚悟は相当なものだったろう。そして実際に、この子は数十年も俺を待ち続けていてくれたのである。

 と、不意に疑問が頭に浮かぶ。


「でもあれ? 愛依寿、君はこの世界に来てもう何十年も経ってるんだよな? でも見た目は俺の記憶にある姿のままじゃないか」


「再会した際、すぐに私だとお兄様にわかっていただけるよう、癒悦の魔導によって十四歳の姿を保ち続けておりました」


「なるほどなあ」


 癒悦の魔導は癒やしの魔導だ。使い方によっては肉体を若々しく保つことだって確かに可能かもしれない。


「それで見た目は子どものままってことか。え、てか愛依寿っていま本当は何歳なの?」


 数秒間の、沈黙。


「愛依寿はいつまでもお兄様の可愛い妹ですよ」


「いや、そういうことじゃなくて実際の年齢はいくつなのかなって」


「愛依寿はいつまでもお兄様の可愛い妹ですよ?」


 顔は笑ってるけどなんかもう圧がすごい。どうやらこの話題はタブーのようだ。

 俺は引きつり気味の笑みを返しつつ、愛依寿の実年齢には今後触れないことに決めたのだった。


 閑話休題。


「魔導七典……でもそうか。伝説の魔導書扱いされてるくらいだし、そうなると結構昔の時代に飛ばされてたってことになるわけか」


 ぽつりとこぼした言葉に愛依寿はこくりと頷いた。


「私がこの世界に転移した時点で、既に魔導七典は伝説の魔導書として認知されておりました。少なくとも私よりもさらに数百年以上遡った時代に転移したものと推測されます」


「数百年……」


 途方もない年数を経ていつの間にか伝説扱いになってしまったわけか。というかなんであんなぼろっちい大学ノートが何百年以上も異世界に存在し続けちゃってるんだよ。


「ちなみにだけどさ愛依寿、魔導七典がいまどこにあるかは知ってるか? 焔激の魔導書と雷遊の魔導書はこのデンバルにいる王家が持ってるってわかったんだけど、ほかの五冊についてはわからなくてさ」


 特に焔激の魔導書は、宮廷魔法騎士団長セイベルト・ロンドランスが国王から下賜されて現在所有しているのをこの目で見ている。


 しかし愛依寿はしゅんと眉尻を下げた。


「申し訳ありませんお兄様。魔導七典の所在については今日に至るまで私も調査を続けてまいりました。ですが現状、デンバル王家が焔激の魔導書、雷遊の魔導書、氷嘲の魔導書の三冊を保有している以外、残る四冊がどこにあるのかはいまも把握できていません」


 なるほどデンバル王家は氷嘲の魔導書も持っているのか。しかしほかの四冊がどこにあるのかはわからないと。まあ転移の時点で七冊がバラバラに飛ばされた可能性もあるし、そもそも数百年以上も経過すれば世界中に散らばっていて当然だろう。ていうかどんなドラゴンボールだよ。


「そっか……どうにかして七冊全部回収したいんだけどなあ」


 あんな黒歴史ノートたちが見知らぬ他人の目に触れるかと思うと恥ずかしすぎて生きていけないからな。


 すると愛依寿もキリッと決意のこもった表情をかたどる。


「私も同じ想いでおりましたお兄様。あれはお兄様の高遠なる魔導思想の結晶であり、当然お兄様のお手元にあるべきものにほかなりません」


 うん、なんかちょっと違う想いな気がしないでもないけど。


「ですから私は、そのためにずっと準備を進めておりました」


「へ?」


「お兄様、どうぞこちらへ」


 あれよあれよという間に愛依寿に手を引かれる。

 誘われたのは最奥の段差を上った場所に鎮座する豪奢な玉座。促されるままに腰を下ろすと、愛依寿は満足げに恭しく頭を下げたのちに誰もいない正面の空間へと目を向けた。


「さあ出てきなさい、あなたたち」


 虚空に向かって語りかける愛依寿。なんぞやと訝しんだのも束の間、彼女の言葉に応じた七つの影が、音もなく闇の中から現れ出でた。


 灯りに晒された人影は、全員が少女だった。


 皆が皆、黒を基調とした独特の衣装に身を包んでいる。よく見れば愛依寿もローブの下に同じ衣装を着ているようだ。なんだろう、まるで闇の組織的な――有り体に言ってしまえばとっても厨二的な恰好である。


 そんな七人の少女たちが、段差の前に横一列に並んで一斉に跪く。


 ……え、なに、なんなのこの異様な光景は。


 困惑する俺をよそに、愛依寿はやけに凛とした靴音を響かせながら悠然と段差を下る。そうしてくるりと身を翻すと、その唇に仄かに誇らしげな微笑をたたえた。


「彼女たちは《七魔導代理セプタグラム》。来たるべき魔導七典奪還計画遂行のために、私が育て上げた七魔導の使い手たちです」

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