第8話 再会

「おおおお! ついにセイベルト様が国王陛下より王家所有の魔導七典の一冊を賜られたようだ!」


「これはもはや名実ともにヴァルプール最強の魔法騎士で間違いない! 連続誘拐犯がどんな奴か知らないが、七魔導をまとったセイベルト様の剣となれば容易く一刀両断となるだろう!」


 途端に沸き立つ庶民たち。跪く老女もまるで神でも目の当たりにしたかのように喜びの涙を流しながらセイベルトを拝んでいる。


「宮廷魔法騎士団長セイベルト・ロンドランス様万歳! 偉大なる魔導七典のご加護のあらんことを!」


 誰言うとなく始まる喝采。

 だがしかし、そのなかにあって唯一俺だけは背中を嫌な汗が流れて止まらない。


「セイベルト・ロンドランス様万歳! 偉大なる魔導七典のご加護のあらんことを!」


 いやもうほんとに、そんな恥ずかしいノートをこんなにたくさんの人たちの前で堂々と見せびらかさないでくれえ! ここに書いた本人がいるんですけど! いたたまれなくて死にそうなんですけどお!


「セイベルト・ロンドランス様万歳! 偉大なる魔導七典のご加護のあらんことを!」


 掲げられた黒歴史ノート。終わらない喝采。身悶える俺。

 あまりの羞恥心にによって、ついに俺は我を失ってしまった。

 だから気づけば俺は、王都民の集団を抜けて前に進み出てしまったのだ。


「ちょ、ちょっとストーップ‼」


 さらに我慢ならずに大声までも張り上げてしまったのだ。


 王宮前広場を震わせていた大喝采が鳴りやみ、その場を静寂が満たす。そして民衆の視線が一斉に俺へと降り注がれて、最後にセイベルト・ロンドランスの碧い眼差しまでもが俺を見た。


「なんだなんだ、級に水を差しやがって、一体なんのつもりだ」


「そうだそうだ」


 明らかに嫌悪感のこもった言葉が、大小様々な石礫のごとく俺に投げつけられる。

 しかし宮廷魔法騎士団長たるセイベルトだけは、依然紳士的な表情をたたえて俺に微笑みかけた。


「これは申し訳ありません。焔激の魔導書を取り出したせいでお騒がせしてしまいましたね。王都民の皆様を安心させたかったがゆえの行動でしたが、実際少なからず浮かれてしまっていました。さて、子どもの自慢じみた行動はここまでにしましょう」


「ま、待ってください!」


 軽く頭を下げて焔激の魔導書を懐に収めようとするセイベルトを咄嗟に引き留めると、彼は小さく首を傾げた。


「どうされましたか。この焔激の魔導書についてなにか訊きたいことでもおありですか」


 訊きたいことなんてない。そのノートについては誰よりも俺が深く知っている。

 俺は焦っていた。だから手の届く距離にあるそれを見て、いまが好機だと逸ったのだ。

 ゆえにとにかく目的を果たしたい一心で、俺は我知らず口走ってしまっていた。


「あのですね……落ち着いて聞いてほしいんですけど、その焔激の魔導書は実は俺のなんです……。だからえっと、その……よければいまここで返していただけると大変ありがたいのですが……」


 再び静まり返る広場。そして今度はセイベルトの瞳がわずかに見開かれる。

 言ったあとで胸のうちにじわりと後悔が滲み始めた瞬間、セイベルトに付き従う騎士団員たちがにわかに血相を変えた。

 そのなか、セイベルトのすぐ後ろにつき従っていた銀髪の男が射殺すような眼差しを俺に向ける。


「この反逆者め……!」


 そして轟く怒号。


「セイベルト騎士団長に下賜された焔激の魔導書は国王陛下の所有物だぞ! それを自分のものだと! とんだ不敬! まさに国家への反逆! 即刻死刑だ!」


 死刑⁉


「今すぐそいつを引っ捕らえろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ‼」


 反論する間もなく怒濤のごとく襲いかかってくる宮廷魔法騎士団の群れ。やばい、眼が本気だ、このまま捕まったら本当に殺される!


 反射的に身を翻して逃げ出す。掴みかかろうとしてくる民衆を押しのけて、俺はとりあえず王宮前広場からの脱出を果たした。

 そのまま咄嗟に大通りを逸れて路地裏へと駆け込み、どこに向かっているのかもわからないままひたすらがむしゃらに走り続ける。角を曲がっても曲がっても、けれど騎士たちは猟犬のごとくしつこく追ってくる。


 くそお、黒歴史ノートを取り返したいあまり無策な行為をとってしまった。冷静に考えてあの状況で返してって言って返してもらえるわけがないだろ、俺の馬鹿!


 などと己自身を叱責しながら懸命に逃げ続ける俺だったが、いくつめかもわからない角を曲がった先でついに絶望と対面することとなった。


「い、行き止まり……っ⁉」


 目の前は絶壁。いまなお後ろからは追っ手の怒号と足音が聞こえてくる。まさに万事休す。

 このまま捕まって処刑されてしまうっていうのか……っ⁉

 ギロチン台にかけられた自分の姿を想像してぞっとした瞬間だった。


「――こちらへ」


 不意に可憐な声音が耳元で囁いた。

 続けざまに声の主が俺の手を引く。細く小さな手だった。

 顔を向けると、フードつきのローブをまとった正体不明の小柄な人間が立っている。一体どこから現れたというのか。いやそれよりも。


「こちらへって、そっちはそっちで壁じゃないか」


 謎の人物が手を引く方向もまた煉瓦造りの建物によって行き止まりである。


「飛び越えましょう。身体強化の魔導――暴牢の魔導をお使いください」


 そこで俺ははっとした。確かに、暴牢の魔導で身体能力を強化すればこれくらい飛び越えられるかも知れない。


 あれ、でもなんでこの人は俺が暴牢の魔導を使えるって知っているんだ……?


 疑問が首をもたげるが、とりあえず言われるがままに俺は魔導を発動させる。


「暴牢の魔導、第一章第二節――《我が肉体は剛堅幾重なる匣にして》」


 途端に漲る力。謎の人物と同時に地面を蹴ると、俺たちの体は易々と目の前の建物を飛び越えた。というか謎の人物の跳躍力もすさまじいものだ。

 建物の向こう側へと着地し、それから一緒に走る。

 魔導による強化のおかげで走る速度も通常の人間を凌駕したものとなった。にもかかわらずそんな俺の手を平然と引いて走り続けるフードの人物――おそらく女性に驚きを覚えながら、それでも俺は誘われるがまま従い続けた。


 やがて追っ手の声も完全に聞こえなくなる。それでも謎の人物は俺の手を引き続け、最終的にたどり着いたのは王都城塞内でも外れの方にあるエリアだった。

 城壁間近のためか陽の光が当たらず陰鬱としていて、周囲の建物はほぼ廃墟と化し、無数の浮浪者がたむろしているような混沌とした地帯。


 そんな荒廃した路地の一角、人気が皆無の場所で、おもむろに彼女は爪先で地面を叩く。すると現れたのは地下へと続く隠し通路だった。流石に若干危機感を覚えつつも抗えずついていく。


 階段を下り、それほど広くない暗がりのなかを進む。


 すると通路の果てに現れる両開きの扉。彼女は躊躇いもなくそれを押し開ける。通路まで差し込む光。彼女はさらに先へと進んでいく。


 恐る恐る俺も光のなかへと踏み入る。――そこには開けた空間が広がっていた。なんとなく神殿のような、そんな厳かな雰囲気すら漂う場所だ。

 最奥には段差が設けられておりやや位置が高くなっている。そしてそこに置かれているのは――どうやら玉座のようだ。


 神殿のようだと言ったが、別のたとえ方をするならこれはまるで……組織のアジトだ。

 ふと我に返って俺は眼前に佇む人物の背中を見据える。

 再び湧き上がってくる疑問を、俺は喉に絡みつく警戒と恐怖を唾と一緒に呑み込んでその背中に問い質した。


「なあ、君はさっき俺に『暴牢の魔導を使え』って言ったよな。どうして俺が魔法じゃなくて魔導を使えるって知ってたんだ。君は一体……何者なんだ?」


 しばしの沈黙。漂う緊張感。


 やがてゆっくりと振り返ったフードの人物は――何故か俺の胸に抱きついてきた。


「……へ?」


 予想外の事態に間抜けな声を漏らす俺。あまりにびっくりしすぎて体が硬直してしまい相手を引き剥がすこともできない。


「……どういうこと?」


 なんとか絞り出したものの情けなくうわずった声。すると彼女は俺の胴体に腕を回して一層ぎゅっと抱きつき、それから小さくこう言った。


「ずっと、ずっとこの日をお待ちしておりました」


 その可憐な声色を再び聞いて……俺の思考はようやく思い至った。


 きっと俺は、悲しみから逃げようと無意識にその可能性を排除してしまっていたのだ。


 望むべくもなかった現実を目の当たりにして、もはや声のひとつも出ない。

 不意に彼女の右手が伸び、頭に被っていたフードを下ろす。


「――お久しぶりです、舛太お兄様」


 目尻から涙をこぼしながら笑顔で俺を見上げるのは、ほかでもない実の妹・黒澤愛依寿だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る