第7話 宮廷魔法騎士団長セイベルト・ロンドランス

 落ち着いて見てみれば、この世界の空にも元いた世界と同じように太陽が輝き、そしてそれはひとつである。

 いや、たまにファンタジー小説だと太陽やら月やらが二個も三個もあったりするもんだから、いまさらながらこの世界の太陽は一個なのだなと思ったのである。


 王都の中心部、荘厳かつ豪奢たるデンバル王宮の前にある王宮前広場にて、俺はこれまた派手に芸術的な噴水オブジェをぐるりと囲むベンチに腰かけて、やや傾きかけた太陽をぼんやりと眺めている。


 道行く人たちにひたすら声をかけて情報収集を行った結果、得られた情報がいくつかある。


 まずもってこの世界、特にこの国ヴァルプールにおいては、魔法という技術が人々の生活、文化に深く浸透しているということ。

 扱える魔法の種類や練度はともかく、指先に小さな火を灯す程度の魔法であれば平民の子どもですら使うことができる。

 学校の授業にも魔法学というものがあるくらいで、とにかくここの住民にとって魔法というものは非常に身近な存在ということだ。


 そしてそんな国民総魔法使いを体現するヴァルプールの王都たるデンバルには、国中から優秀な魔法使い――魔法師たちが集まっているらしい。

 それは王立魔法学院の講師としてだったり、あるいは生徒としてだったり、はたまた王宮に仕える宮廷魔法師としてだったり。

 一般的に高位の魔法師になれる素養を持つのは有力貴族の血筋がほとんどらしく、それは裏を返せば王都デンバルにはやんごとなき身分の御方々とそのご子息ご息女方がうじゃうじゃとひしめいているというわけである。


 といった具合に魔法に馴染み、魔法とともに生き、魔法を誇る人々で溢れかえるデンバルだが……そんな彼らでさえ畏怖崇拝するのが《魔導七典》、ということのようである。


 魔導七典が発現させる漆黒の七魔導はあらゆる魔法の領域を超越した尋常外の結論である、と偶然話しかけた魔法師の老人は熱く語った。

 いまだ誰もその思想と理論を完全に理解できずにいる出典不明の原初の書物。

 ゆえにいかに高名な魔法師であろうと原典を所有していなければ、そして正確な詠唱を行わなければ行使することのできない理外の力。だからこそ我々魔法師は魔導七典を畏れ、そして崇敬するのだと。


 まったく聞いていて顔から火が出そうだった。

 だって要するに彼はこう言っていたのである。


 魔導七典とかなに考えて書かれたのかマジで意味わかんねえよ、と。


 これは一刻も早く全七冊の黒歴史を手中に取り戻さねばと再決意を固めるなか、俺はついに重要な事実を手にするに至った。


 当初から推測していたことではあったが、やはりデンバル王家は魔導七典を所有しているらしい。どうやら七冊すべてを持っているわけではなさそうではあるが。


 噂によれば少なくとも焔激の魔導書、および雷遊の魔導書の二冊は所有しているということだ。いやもう二冊でも全然いい。とりあえず早急に本来の持ち主である俺に返還してほしいものである。


 というわけで案外簡単に七冊中二冊の所在を掴むことができた俺ではあるが、とはいえ相手はこの国を統治する王家だ。この世界の住人ですらない自分がそう易々と国王に謁見できるはずもない。どう作戦を練るべきかと思い悩むうち、俺はなんとなく太陽を見つめてしまっていたのだった。


「はあ、どうするかなー……」


 いっそのこと王宮に忍び込むか? 一応は自分も魔法(というか七魔導)を使えるわけだし、いざとなったらどうにか逃げ切れそうな気がしなくもない。

 いや駄目だ。そんなことをしたら逃げたところで王都中、それどころか国中で指名手配になるに決まっている。そうなったら今度こそ一生森の中で孤独に暮らしていくしかなくなってしまう。

 第一、実際に王宮で騒ぎを起こして大量の兵士とか騎士とかそういう人たちに囲まれて本当に逃げ切れるのかも定かじゃないし。


 考えあぐねてまたため息がこぼれる。と同時に腹がのんきな音を鳴らしたところで俺は喫緊の課題を思い知って絶望した。


「つーか俺ってこの世界のお金、一切持ってないよな……」


 いまさら気づく重大な危機。これまで王都内を練り歩きいろいろと観察した結果から、少なくともデンバルが貨幣経済社会であることは確認できている。ということはなにを買うにしても、どんなサービスを受けるにしても、そのためにはこの王都で採用されている紙幣や硬貨が必要だということだ。


 つまり現在一文なしである自分には、食べ物を買うことも寝床を得ることもできない。

 どうにかして資金を調達しなければ、黒歴史ノートを回収する前に餓死して恥多き人生を恥さらしのままに終幕である。


「なにか日雇いの仕事でも探すか……」


 この世に生を受けて十七年、このかたアルバイトすらしたことのない身の自分がまさか人生初の就職活動を異世界ですることになろうとは、誰が予想できただろうか。神の悪戯にしては度がすぎる。

 なんて愚痴を内心こぼしながら立ち上がろうとしたときだった。


 広場に集っていた民衆に黄色い声混じりのどよめきが生まれる。


 なにごとかと視線を向けてみると、モーゼの海割りがごとく左右に分断した人波のなかから豪奢な鎧を身にまとった騎士の集団が現れた。


 その先頭を歩く男に目がいく。すらっと高い身長、そして逞しい肉体に一際絢爛な鎧と騎士制服を着た金髪碧眼の美青年だ。ほかの騎士たちとは別格の雰囲気を漂わせている。

 きっとその印象は正しいのだろう。証拠を示すかのように、庶民たちを見てみてもその憧憬に満ちた眼差しのほとんどが彼に向けられている。


「おお、宮廷魔法騎士団だ」民衆のなかの誰かが言った。「やはり若き天才、宮廷魔法騎士団長セイベルト・ロンドランス様は今日も凜々しくお美しい……!」


 なるほど宮廷魔法騎士団か。どうりで豪華な鎧を着ているわけだ。

 セイベルト・ロンドランスなる騎士団長の男を筆頭に、誰も彼もが屈強な体つきをしていてめちゃくちゃ強そうである。やっぱり王宮には忍び込まなくて正解だったようだ。


 王都民の尊敬の視線にセイベルトが爽やかな笑顔を返す。すると途端に女性たちの歓声が上がった。


「きゃーセイベルト様カッコいい!」


「剣士としての腕前は国内随一で、さらに魔法の才能もピカイチなんて本当に素敵だわあ……!」


「それでいてあの美しいご尊顔なんですもの……まさしく王都デンバルの、いえ魔法国家ヴァルプールの絶対的守護者に相応しいお方だわ……!」


 おいおいなんだそれは。パラメーターオールMAXのチートキャラじゃないかよ。この世界の主人公はあいつか。

 あまりの眩しさに体調を崩しかけていると、不意に群衆からひとりの女性がセイベルトのもとへと進み出た。


「おおセイベルト様……どうか、どうか私の娘をお救いください……!」


 白髪交じり、というよりも黒髪交じりの白髪をひとつ結びにした初老の女性は、金髪碧眼の美青年の前に跪いて祈るように両手を組む。悲愴に満ちた表情の彼女を見る民衆もまた皆が皆、哀れみの表情を浮かべた。


「マレーヌ酒場のとこの女将さんじゃないか、ひょっとしてエレスが……」


「ああ、今度は女将さんとこの一人娘のエレスが行方知れずになっちまったらしい……」


 俺は門番の兵士の言葉を思い出した。確か最近王都で原因不明の失踪事件が多発しているとかなんとか言っていたはずだ。

 もはや力なくその場にうずくまる老女。するとセイベルト・ロンドランスはしゃがみ込み、そっと寄り添って彼女の肩に優しく手を置いた。


「お気を確かに。そうですか、今度はあなたの大切なご息女が……。我々宮廷魔法騎士団としても直近連続している失踪事件については捜査を進めています。決まって若く美しい女性が消息を絶っていることから、おそらくは何者かによる人攫いが横行しているものと考えられますが……」


「ひ、人攫い……!」老女の顔が一層蒼白とする。


「ええ。実は先ほど王都上空の結界魔法に異常が感知されたのです。おそらくは侵入者があったものと推測されます。これから現場へ調査に向かうところですが、我々としては事件との関連も視野に入れています」


 いやそれについては俺の仕業です。すみません。


「セイベルト様、娘は、娘は無事でしょうか……!」


 絶望の表情をかたどる老女を、セイベルトは力強く見つめ返した。


「きっと無事です。どうかご安心ください。あなたのご息女はこの私、宮廷魔法騎士団長セイベルト・ロンドランスが必ず救ってみせます」


 おもむろに立ち上がり、腰に提げた鞘から華美な装飾の施された剣を抜き放って空に突きつけるセイベルト。


 さらにそれだけではなかった。むしろこちらの方が本命だとでも言わんばかりに誇らしげな所作で懐からなにかを取り出すと、さも見せつけるようにして彼はそれを民衆に向かって掲げたのである。


 その瞬間――肌を焼くような熱風の放散を伴って、彼の剣が漆黒の劫火をまとった。


 俺は思わず目を見開いた。だってそれは。


「そして極悪非道なる連続誘拐犯には、この焔激の剣をもって断罪の一撃を下すと誓いましょう!」


 ぼろぼろに汚れた安っぽい大学ノート。その表紙に下手くそな字で書き記された日本語の羅列。


 まさしくそれは、ほかならぬ俺が書いた七つの黒歴史ノートの一冊――《焔激の魔導書》だったのだ。

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