第6話 王都デンバル

 一体どれくらい歩いただろうか。ついさっき転移してきた異世界の地理など知る由もないので、俺はとにかく鬱蒼とした森の中をあてもなく進み続けた。


 やがて俺は幸運を手にした。唐突に森を抜けた先に整備された土の道が広がったのだ。

 馬車が一台、幌つきの大きな荷台を引きずりながら目の前を通過していく。旅商人の荷馬車だろうか。まさにファンタジーの世界のようだと俺は思った。


 ほとんど空っぽの荷馬車が進んでいった方向とは逆の方に視線を向ける。遠く道の先に見える白い影。巨大な城塞だ。きっとあれがこの国ヴァルプールの王都、デンバルに違いない。


 往来はほとんどないものの、それでも不意に人目につくのがはばかられて道に端っこを歩き続ける。


 そうしてたどり着いた終着点、眼前にそびえ立つのは陽光を反射して薄白く照る石材造りの城壁だった。

 ぐるりと都市を囲んでいるらしい城壁だが、間近で見ると左右どちらにも弧を描いているようには見えない。つまり、この城塞都市がそれだけ広漠だということだ。

 並々ならない威圧感にしばらく圧倒されながらも、我に返って俺は足を動かす。

 大きく口を開けた城門の両脇には、鈍く輝く甲冑に身を固めて長槍を手に持った兵士が佇んでいた。

 とりあえず何食わぬ顔で通り過ぎようと試みたが――。


「おい貴様、立ち止まれ」


 予想どおりと言うべきか、厳しい語調で呼び止められてしまった。

「俺、ですか……?」


 ぎこちなく首を回しながら、わかっていてもついそう訊いてしまう。


「当たり前だろう。お前以外に誰がいる」当然、兵士は苛立たしげに眉根を寄せた。「奇怪な格好をした奴だな。大した荷物も持っていないようだが……旅芸人かなにかか? どこから来た?」


「ど、どこから? あ、えっと……日本から?」


 やべ、動揺して日本とか言ってしまった。


「ニップォーン……? そんな地名は聞いたことがないが」


 そりゃそうだ。こことは違う世界にある国なのだから。


「怪しい奴だ。通行許可証を出せ」


 汗が噴き出す。そんなもの持っているわけがない。


「いや、それがそういうのはなくて……」


「なんだと」兵士の鋭い眼光が俺を射貫いた。「だったら中に入れることはできん。大人しく去れ」


「そんな……! そこをなんとか!」


「ダメだ! ここは魔法国家ヴァルプールの王都デンバルだぞ。国王陛下をはじめとした高貴なる血筋の御方々が住まわれる王都内に不審な人間を侵入させられるわけがないだろう。それに近頃は王都内にて民の失踪事件が多発している。そのため一層の警戒態勢が敷かれているのだ。よって貴様を通すことはできん!」


 兵士が槍を握る手に力を込めたところで、俺は諦めて退散を決断した。

 警戒と敵意にみなぎった眼差しが届かない場所まで離れたところで、道脇に生えた木に背中を預けて嘆息する。


「そりゃまあ簡単に入れるわけがないよな……」


 予想に違わず、やっぱりあの城塞都市は王都デンバルだった。であれば検問の厳しさも至極当たり前というものだ。


 しかしどうしたものだろう。去れと言われたって、元いた世界に戻る方法がわからない以上、俺に帰る場所はない。

 ほかの都市や町に向かったところで同様に追い払われてしまう可能性は十分ある。そうなると俺は一生、人々の居住区域には近づけないわけだ。さながら人里に降りてきた熊のようである。


 それに俺の目的はあくまで七冊の黒歴史ノート――《魔導七典》の回収だ。盗賊の男いわく伝説の魔導書として扱われていることを鑑みれば、相応に価値あるものになっていると考えていいだろう。

 だったら、それこそ王家が所有している可能性だってあるんじゃないのか? 魔法国家ヴァルプール、というくらいだし。


 いずれにせよ、俺はなんとしてでも王都デンバルの中に入らなければならない。

 だけど正攻法では無理だ。ならどうするべきか。

 普通ではない方法――力尽くで侵入するしかない。


 盗賊たちとの対峙を思い出す。本当に魔導七典に記された七魔導すべてを使えるとするのなら、試してみるのが一番だ。

 ひとつ深呼吸をする。


「暴牢の魔導、第一章第二節――《我が肉体は剛堅オールイン幾重なる匣にしてザダーク》」


 魔導名の宣言と同時、《我が黒焔、天をも焦がす》を放ったときと同じ未知のエネルギーの流入を感受する。これはおそらく、自分の知っている語句で表現するとすれば魔力とかマナとかいうものだろうか。


 やがてそれがより顕在的な力へと変換され、全身に浸透していく。すると頭頂部から爪先まであらゆる筋肉に充実する膂力と堅固感。

 いま行使した《我が肉体は剛堅幾重なる匣にして》は身体能力を強化する魔導だ。どうやら問題なく魔導の発動が完了したらしい。


「やっぱりちゃんと全部の魔導が使えるのか……!」


 改めてその事実に驚きを覚えつつ、ついでにわかったことがある。


「盗賊の男は七魔導は原典を持ってないと使えないみたいなことを言ってたけど、俺には当てはまらないんだな……。それにどうやら、俺にとっては魔導の発動に詠唱すらも不要らしい」


 俺は原典――なんてカッコいい呼び方をしているが実際はただの大学ノート――を所有していないし、さらに俺はいま、意図して詠唱を省略した。けれど、それでも魔導はなにごともなく発動した。

 これはおそらく、俺があの黒歴史ノートを書き記した本人だからだろう。

 すなわち、俺の頭のなかにはそもそも原典が収まっているのと同義なのだ。だから俺に原典は不要だし、そもそも詠唱すらも不要なのである。


 この世界の魔法がどんなものか、その全容はわからない。それでも、自らが想像・創造したこの七魔導があれば、どうにか生き延びることができるのではないか。

 そんな期待と安堵を抱きつつ、ひとまず思考を切り替えて目の前の目的に集中する。


 次に試すのは魔導の多重発動。


「よし、それじゃいくぞ……焔激の魔導、第一章第六節――《軌跡を描くウインクオブ黒き昇星ナイトフレア》」


 瞬時に全身を黒焔が包み込む。それはちりちりと空気を焦がしながら脚部へと集中し、そして大地に大穴を穿つ爆発となって俺の肉体を彼方の上空へと弾きだした。

 漆黒の尾を蒼天に引きながら、俺の躯体はさながら流星のごとく城塞都市へ目がけて突き進む。易々と城壁の上を越え、やがて速度を減じた体が放物線的軌道を描いて落ちていく。


 これが俺の作戦だ。下から入るのが駄目なら上から入ってやるというわけである。


 今度は頭上に向かって黒焔を噴射し、再加速した肉体が王都内に向かって直下する。

 そのさなか、パリン! とガラスが砕けるような音を伴って無色透明の壁が破砕した。

 ひょっとして結界魔法的なものか。どうやら上空からの侵入者に対してもしっかり警戒と対策が行われていたらしい。身体強化を施していたおかげで突破できた。


 素早く視線を巡らせ、人気のない路地裏を狙って落下地点をコントロールする。最後は下に向かって黒焔を噴射して速度を殺し、俺は慎重に着地を果たした。

 薄暗い路地に片膝をつき、額にかいた汗を拭う。


「ふう……なんとか上手くいったな」


 正直雑な作戦であることは否めなかったが、無事王都に入ることができて一安心だ。入門時の検問が厳しい分、一度都市のなかに入ってしまえばあとは門番の兵士とさえ顔を合わせなければそこまで怪しまれずに済むだろう。


「とりあえずここから離れないとだな……!」


 いましがた結界魔法的なものを破壊してしまったせいで王都内の官憲が集まってくるかも知れない。

 この学生服姿は異世界の人たちには奇特な格好に見えるようだし、見つかれば即疑われることになるだろう。そうなると厄介だ。早々に立ち去らないと。


 常に周囲を警戒しつつ路地裏を抜ける。


 大通りに出ると、そこに広がる光景は王都デンバルの真の姿だった。

 石畳で舗装された幅広い道の上を大勢の人々や馬車が行き交い、街並みは思わず気圧されてしまうほどの活気に満ちあふれている。

 道の両脇を固める石造りの建物はレストラン、パン屋、酒屋、宿屋など多岐にわたり、ところどころには露店も並んでいて盛況を博している。景観は違えど、東京と比べても見劣りしない大都市ぶりだった。


「こりゃすごいな……」


 一体人口は何十万、いや何百万人いるのだろうと想像しかけて、はっと我に返る。


「ぼけっとしてる場合じゃないな。まずはこの世界についての情報と、それから……魔導七典の所在を掴まないと」


 気を引き締め直して、俺は往来の中に踏み出した。

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