第3話

 渓谷添いの山道を歩くサオリの後姿……


 裸足になって小川に足を付け、その冷たさを心地よさそうに噛み締めるサオリのロングショット……


 可憐な山の花へ顔を近づけ、匂いを嗅いでいるサオリの横顔……


 そして何が有ったのか、苛立ちで唇を歪ませているサオリのアップ。続いて、怒りにまかせ、リュックを肩から下ろして振り回す顔……






「オイオイ、何だ、こりゃ!? 撮影中、彼女とケンカでもした?」


 しばらく不穏な写真が続き、戸惑いを隠そうと明るく言ってみたものの、次の写真で俺の言葉は凍り付いた。






 鬱蒼とした森の中、揺れている「奇妙な果実」。


 男と色違いのマウンテンパーカー、それにリュックのお陰で、枝からぶら下がっているのがサオリの体だとわかる。


 下から煽りで撮られ、肩までしか写っていない為、首から頭の周辺がどうなっているか知る術が無い。

 

 でも、伸びきったつま先、対照的に指先を曲げたまま強張った手の形からして、彼女が首を吊っている、としか思えなかった。






「し、失恋した女の自殺写真……」


 思わず呟くと、男は大きな口を歪めて笑った。歯並びの悪い歯茎が剥き出しになり、生臭い息の匂いがする。


「まぁまぁ、落ち着いて下さい。次の奴が又、面白いんですから」


 男の指先が画面上をスクロール。映し出されたのは、引きずり降ろされた女の体が地面を引きずられる光景だ。


 女の細い足首を握る右腕がマウンテンパーカーの袖で覆われているから、引きずっているのは、この男に間違いない。


「まさか……自殺じゃなく、あんたが殺したの!?」


「ん~、だって、仕方ないじゃないですかぁ?」


 写真に写っているのと同じ登山用グローブを付きだし、男は嘯いた。その親指の下、薄っすら赤黒い染みが見える。


「サオリちゃん、事ある毎に、僕を前の彼氏と比べたんです。気が利かないとか、ドン臭いとか。誰だって、キレる事くらい有るでしょ?」


「わかった……オイ、わかったから、近づくな」


 俺の言葉に構わず、強引に隣へ腰を掛けた男はベンチにリュックを置き、スマホのディスプレイをグイグイ押し付けてきた。


「遠慮せず、もっと見て下さい。もっと、もっと、もっとぉ!」


 勿論、俺はもう見たくない。


 代りに画面端の時計表示へ目をやる。


 電車の到着時刻は既に過ぎていた。なのに線路の向う側は濃い闇に包まれまま、何も近づく気配が無い。






 ジ~……


 蛍光灯が消え、光は男のスマホ画面だけから発している。


 次の写真へスクロール。


 切り立った崖から下へ落とされようとしている女の体が映り、凄惨さに耐えかねて俺は目を逸らそうとしたが、僅かに早く次の写真へ切り替わって、


「えっ!?」


 俺、思わず目を疑ったよ。

 

 その写真の中で崖下めがけて蹴飛ばされ、すんでの所で持ち堪えて、助けを求めているのは男の方だ。


 サオリは……死んだはずの彼女は、首吊りロープをぶら下げたまま仁王立ち、笑顔でピースサインを出している。


 ジ~……


 再点灯した蛍光灯の下、唖然呆然の俺を尻目に男も満面の笑顔でサオリを真似、ピースサインを出しやがった。


「ハ~イ、ドッキリ大成功ですっ!」


「ど……どっきり……あんた、何言ってンの!?」


「フフッ、実はですね、サオリちゃん、大の火サスごっこマニアでして」


「はぁ?」


「聞いた覚えありません? サスペンスドラマ風に自分が殺されたシーンを自撮りする人達の事」


「あぁ……そう言う話……」


 俺は渋い顔で頷いた。


 ふざけんなっ!


 そう思いきり怒鳴ってやりたかったが、脱力感の方が優っている。


 それに、その手のマニアについては前から知っていた。それなりのトレンドになっていて、先日、テレビのワイドショーでも取り上げられたくらいだ。


「サオリちゃん、大学在学中も自分が殺される場面を想像し、写真で筋書きを再現していました」


「で、あんたも協力した訳だ。昔も、今も、同じように」


「振られた男を犯人に見立てて撮り、ネットへ晒したい、と言う話でね。色んなバリエーションを撮影しました。彼女、バラバラ殺人にも強い興味を示していたけど、それは流石に難しかった」


「或る意味、復讐か。随分と良い趣味をお持ちで」


 ムカつくより先に呆れてしまい、開き直った俺は、男が押し付けてくるスマホの画像をスクロールし続けた。


 以前にサオリが撮影した自信作も含まれているそうで、フォルダの中に、まぁ、有るわ、有るわ……


 二時間ドラマの転落死風、ヒッチコック風、ゾンビ映画を真似した奴まで、凄いバリエーションだ。


 テンプレ通りと言う気もするが、サオリと言う女の「趣味」と「裏切った男」への執念がチラ見しているだけで伝わって来た。


 見覚えのある光景、つまり、近くの山を散策しながら撮った写真が全体の五割を占めるのは、このスマホが男の持ち物だから、なのだろう。


 もしサオリ自身のスマホが手に入ったら、どれだけ強烈で残酷な写真がフォルダに入っているのやら?


 実際、「火サスごっこ」の合間、撮影準備に勤しむ彼女のスナップは如何にもノリノリ、無邪気な笑顔を浮かべている。


「楽しそうだな、マジで」


「ええ、あなたも写真が趣味ならこの際、僕達と一緒に「火サスごっこ」へトライしてみませんか?」


 顔を俺のすぐ側まで寄せ、生臭い息が当る程の距離で圧を掛けてくる男が、又、気味悪くなってきた。


 でも、もうすぐだ。


 もうすぐ、終電が来る。


 そうしたら、何か言い訳をでっち上げ、こいつとは遠くの席に座ってやる。たとえ近づいてきたとしても、寝たふりでやり過ごすのみ。

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