第一章
第1話
最遠家の屋敷を塔の上から一望しながら、私は物思いに耽っていた。
思えば、私は物心ついた時から独りだった。
父母の顔はおろか、その名前すら知らずに生きてきた。
そんな私がどうやって生きてきたのかと言えば、簡単な話で、魔法貴族の養子として育てられたというだけのことである。
莫大な霊魔を持って生まれた私は魔法よりも更に上位の力である魔力の素質を持っているらしく、五大魔法貴族家の一角たる最遠家が目を付けたらしい。
捨てられたのか、それとも攫われたのか。私の出生にどのような秘密があるのか定かではないが、魔法貴族にとっては養子など家を反映させるための道具に過ぎない。
ある程度の自由は保障されているが、お家に逆らうことのできない無力な存在。
それが私、最遠 忍の全てであり、逃れようのない現実だった。
そして、魔力を持つ者は総じて短命だ。一度魔力に目覚めれば10年としないうちに死んでしまう。
今は未だ魔力に目覚めていないが、先日、成人を迎えたところであるから、魔力を得るのは時間の問題と言えた。
最遠家に隠れて調べた情報では魔力に目覚めても使わなければ死ぬことはないらしいが、彼らがそれを使うつもりがなかったのであれば、最初から私はこの家に引き取られていなかったことだろう。
塔の天辺は少しだけ風が強く吹く。今までは心地よかったその風が、最近はどうにも重たくのしかかってくるかのように感じられた。
「はぁ...。」
憂鬱な気分を晴らすためにここに来ているのに、余計に憂鬱になってしまったような気がして、私はため息をついた。
そんなとき、背後から扉の開かれる音が聞こえた。
「忍、探したわよ!」
「何か御用ですか、姉さん」
振り返って応じると、声の主、俺の義理の姉の最遠は少し怒ったような目で私を睨んだ。
「世凪って呼んでって言ってるでしょ。用事はあるけど、それが先決だわ」
「すみません。世凪さん」
「セ・ナ!」
「世凪..。」
「最初からそうすればいいの」
そう言って彼女は朗らかに笑うが、すぐに真剣な表情に切り替えた。
「至尊が動き出したわ。おそらく、貴方を最遠家から引きはがすために」
「そうですか。俺としては願ってもない話ですが」
「忍!」
「申し訳ありません、つい本音が出てしまいました。ですが、最遠家が将来の魔力の担い手を易々と手放すでしょうか?至尊兄上がどう動こうと、彼はあくまで次期当主候補。当主の意向には逆らえないでしょう。その上、最遠家の中では序列は世凪が格上です。俺も至尊兄上の動向には注意を払っていますが、彼に俺をどうこうするだけの力があるとは思えませんね」
「はぁ...。あれが本物の至尊だったらそうかもしれないわね。でも貴方も知る通り、あの日至尊は間違いなく命を落とした。後日、私たちが屋敷に戻ったとき、何食わぬ顔で屋敷にいたのがあの偽物の至尊。霊魔の気配も、扱う魔法も、振る舞いも、全てが生前の至尊そのものだった。ただ一つ違ったのは、貴方のことを見る目つきよ。蛇のように鋭い目で貴方のことを見ていた。あれの狙いは最遠家ではなくきっと忍、貴方なのよ。そのために至尊のフリをしている」
「...このことは父上には?」
「言っていないわ。アレが至尊として問題なく紛れ込んでいる以上、屋敷の中に内通者が潜んでいる可能性は高い。そう簡単には尻尾も掴ませないでしょうしね。それに、父が知ったとして、至尊の姿をした偽物相手に本気で戦えるとは思えないわ。負けることはないにしても、切っ先が緩んで取り逃すしてしまうかもしれない。父の性格はよく知っているもの」
「俺にはあの人にそんな情があるようには思えませんが...」
「馬鹿ね。私情を捨てるのが当主の役目よ。貴方もいずれ分かる日が来るわ」
「それは...随分先のことになりそうですね」
「さぁね。案外すぐかもしれないわよ?」
「10年、20年先かもしれません」
「まぁ、いつかよ。いつか。そんなことより、今は至尊のことをどうにかしないとね」
「どうにかすると言っても、至尊兄上は一体何をなさるおつもりなのでしょうか?」
「魔力に覚醒した高霊魔は皆一様に魔力の扱いを学ぶための学校に行くように定められているのは知っているわね?」
私は首肯した。
「最遠家から貴方を引きはがすためには貴方を魔力に目覚めさせるのが一番手っ取り早い方法ね。あるいは何かしらの事件を起こして貴方を首謀者としてでっち上げるとかもあるけど、私は至尊の狙いは貴方の魔力の覚醒にあると考えている」
「確実に魔力を覚醒させる方法があるんですか?」
「分からない。でも、至尊が屋敷内で時魔法を使っていた形跡を見つけたわ。」
「時魔法...?そんな魔法を至尊兄上は使えなかったはず」
「魔法使いでも時魔法を使える者は稀ね。時魔法といえば鳳仗家が有名だったかしら?」
「世凪は至尊兄上の正体が鳳仗の者であるとお思いですか?」
「まさか。魔法の素質は人それぞれ。親の魔法を子が受け継ぐこともあれば、親と全く異なる魔法を覚える場合もある。珍しい魔法だもの。使えることを隠していても不思議じゃないわ。問題なのは至尊の霊魔で時魔法を行使した痕跡が残っていたことよ」
「霊魔を誤魔化す魔法を使っているのでは?」
「だとしても変よ。霊魔の痕跡を後から書き換えることはできても、霊魔を最初から別人の者に偽装することは魔法ではできないわ。そして、霊魔の偽装をできる魔法が存在しているとしても、今度はその魔法を使った痕跡が生まれてしまう。魔法の真髄は世界の改変。ゆえにこそ魔法使いはその痕跡を見逃さない。痕跡が残っていない以上、魔法ではない何かの力が働いているとしか思えない...」
「ならばなんだと言うのですか」
「不明よ。私ではそれが何なのかを特定することはできなかった。本当に不思議だわ。他人に姿を変えるのも、霊魔を別人のように変質させるのも、あるいは他人の存在そのものを自らに写し取るのも、魔法のようで魔法じゃない。魔法とはまるで反対の力ね。反魔法とでも言いましょうか。至尊は私たちの常識ではありえないような特異な力を使っている」
明滅のツィルニトラ ~脱走から始まる隠遁生活(願望)~ べっ紅飴 @nyaru_hotepu
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