ふぁいぶ・わんわんわんわん
「さ、と……さん……?」
何故僕が痛みを感じずにいられるか。頭では理解できても、心が追いつかない。
倒れる佐藤さんに駆け寄る人、叔母を拘束しようとする人、スマホを耳に当てて何か焦ったように喋る人、いろんな人が周りにはいた。
それなのに、僕は、何も……
僕が刺されるべきだったのに。何度そう思っても、現実が変わるわけではない。だけど、だけど……
あ……佐藤さん、止血、しなきゃ……
思考があっちこっち行ってまとまらない。が、今の僕に出来ることと言えばそれくらいだった。
…………
──命に別状はありません。
医者のその言葉を聞いてもなお、僕は安心できずにいた。だってまだ佐藤さん、目を覚さないんだもの。
病室で眠る佐藤さんを、パイプ椅子に座って眺めている僕。隣で見ているしか僕には出来なくて、自分の力不足を感じて、それで、僕は、僕は……
後悔と懺悔で自分の体が埋め尽くされていくような、とてもやるせない気持ちでいっぱいになる。
ポフン
と、その時聞こえた間抜けな音と共に、状況を瞬時に理解する。なんたってこの音は何度も聞いたから。
「……キャン!?」
何故今犬っころになった!? これじゃあ人間の時よりも役に立たないじゃあないか! と嘆くも時すでに遅し。こうなってしまえば、ストレスを解消するまでこのままだ。
パイプ椅子にちょこんと乗っかったまま──どうしよう、怖くて一人で降りられない──、オロオロと狼狽えるしか出来なかった。
…………
あれからしばらくオロオロしていたが、山葵田さんがお見舞いに来てくれたことで事態は変わる。
ああ、ちなみにまだ人間の時に電話で山葵田さんには事情を説明して、何かあったら頼る旨も伝えていたのだ。
ほら、仕事の連絡とかさ、あと幼馴染と聞いてたから佐藤さんの親御さんへ連絡を入れたりとかさ──佐藤さんのスマホの電話帳なるものから探したが、見つけられなかったのだ──。
「電話くれてありがと、う……あれ、サキちゃん!? またポメったん?」
「キューンキューン……」
犬っころになってからぺそぺそ泣くことしか出来ずにいた役立たずの僕を見て、驚いた様子の山葵田さん。
「あー、ちょ、待っ、落ち着いて落ち着いて! 大丈夫だよ~俺が来たからには心配事は何もないよ~」
ワッシャワッシャと頭を雑に撫でられ、慰められる。
「大丈夫大丈夫、楓真はすぐ起きるって。だってサキちゃんのポメ姿を見逃すはずがないでしょ?」
……どうしよう、山葵田さんのその言葉、説得力がありすぎて一気に落ち着いた。スンッと涙が引いたとも言う。何だろう、この安心感。
どれほど佐藤さんが動物好きかを間近で見てきたと思っているんだ。
「でもあれだね、本物ではないとは言え今のサキちゃんは犬だからね。もしかしたら病院、追い出されるかも……」
「キャン!?」
俺の姉ちゃんも犬になってた時、ポメガに詳しい人がいない病院では出入り禁止になってたからさ~。この病院も、ね。
と、今の僕からしたら最悪な事実を突きつけられる。
「てことでさ、楓真が目覚めるまでは俺の家においでよ。」
ガーンとショックを受けている間に、山葵田さんに抱き上げられて病院を後にする。ちょうど面会終了時間も迫っていたこともあり、そのまま運ばれることにした。
…………
「さぁて、ようこそ我が家へ!」
僕がこれ以上落ち込まないように、山葵田さんは軽いノリで歓迎してくれた。
「キャン」
お邪魔します、そう言ったつもり。
それは山葵田さんにも伝わったらしく、はいよー、と返事をしてくれた。
床に下ろされ、それでさ、と山葵田さんは話し始める。
「で、今日の夕飯のことなんだけど……さ。」
と何か言いづらそうに言葉を濁す山葵田さんの声を遮るように、タイミング良くピンポーンと呼び鈴が鳴る。誰かが来たみたいだ。
「糀~! あ~け~て~!」
ピンポンピンポンと何度も鳴らされる合間に女の人の声が聞こえてきた。彼女さんだろうか?
山葵田さんは『五月蝿い!』と怒鳴りながら玄関へと客を迎えに行った。
僕はその後ろをチャカチャカ爪音を鳴らしながらついて行き、どんな方が来たのか覗いてみることにした。
「やっほ~糀! ちゃんと持ってきたぞよ!」
テンション高い美女は、レジ袋を山葵田さんの目の前に掲げる。
「サンキュー姉ちゃん。これでサキちゃんのご飯はどうにかなりそうだ。」
「で、私にも紹介してくれるんだよね?」
「それが条件だったからね~。良いよ~」
そんなやり取りを見て、そうか、このテンション高い美女が山葵田さんのお姉さんか、と納得した。
僕の夕飯の調達をしてくれたみたいだ。ありがたや、ありがたや。人間に戻ったらお礼をしに行かねば。やることが一つ増えた。
「お、君がサキちゃんだね? 私はこいつの姉の山葵田 舞果よ~」
「キャン」
ああ、そうか。確か山葵田さんのお姉さんは僕と同じポメガ性を持つんだっけ。だから呼ばれたのかもしれない。
よろしくお願いします、と一つ鳴き、わしゃわしゃと撫でられるがままになった。あ、この人の撫で方はプロだわ。そう思いながら。
…………
山葵田さんのお姉さんの来訪もあり、三人──二人と一匹とも言う──でたくさんお喋りした。多分、僕がこれ以上気負わないように、と気遣いしてくれていたんだと思う。
それでも、やっぱり一人になった時に考えるのは佐藤さんのことで。
夜中、眠っている山葵田さんを起こさないように静かに歩き、リビングの窓辺から月を見上げて、
佐藤さん、ごめんなさい。僕のせいで。
何度も何度も月に向かって懺悔する。
それは、朝日が昇るまで繰り返されたのだった。
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