ふぉー・わんわん

 ザァーッと打ち付ける雨。それを避けるための行動を起こすくらいの心の余裕はなく、僕はベンチに座ったままそれに打たれていた。


 あわよくば、この辛い気持ちを流してくれないかと願いながら。


 切れていた息もだいぶ落ち着き、しかしボロボロと溢れる涙だけは自分ではどうしようもなくて。涙なのか雨なのか分からない水分が顔を幾つも幾つも伝っていく。


「これから……どうしよう」


 未成年が一人で生きていくにはあまりに生きにくいこの社会で、どうやって生きていこうか。今のままだと餓死する程度のことしかできないだろう。


 ……いや、いっそのことそれでこの苦しみが終わるなら、それでも良いかもしれない。


 それなら人目につかない所に移動した方が良いだろうか。そうだ、そうしよう。


 気力が尽きたこの体を動かす大変さは、今はもう感じなくなっていた。全ての感覚が麻痺してしまったかのような違和感はあれど、今はさほどそれは重要ではない。


 ゆっくりと腰を上げ、出口に向かって一歩歩き出そうとした所で聞き覚えのある音が聞こえてきた。


 ポフンッ!


 その音と共に、低くなった目線。それが意図することといえば。


「わふわふっ(今更っ!?)」


 犬っころに戻っている、ということだ。


 犬であれば、佐藤さんの元へ帰れる。


 それはそうなのだが、しかし一度逃げ出した僕が何食わぬ顔で戻ってもいいのか? ……いや、それは違う気がする。


 ああ、僕は犬になっても、人間になっても、優柔不断で駄目駄目だ。


 そんな自己嫌悪で丸く蹲った僕は、その音を聞き逃した。土を踏み締めるような。


「サキちゃん、発見!!!!」


 その声を耳にして初めて、僕以外の人間がそこにいることに気が付いた。バッと顔を上げる間もなく声の主に抱き上げられ、何が起きたのかと目を白黒させることしかできなかった。


「よかった~、サキちゃんが無事で。」


 よくよく抱き上げてきた人を見てみると、佐藤さんのお友達の山葵田さんだった。山葵田さんは心底安心したように笑顔を見せてくれた。


「あ、こうしちゃあいられないんだった。楓真にも伝えないと。」


 そう言って山葵田さんはポケットから携帯を取り出して耳に当てた。ええと、電話かな。


「あ、ふうm……ああうんソウダヨー。見つかったよー。彼岸花公園ね~……切れた。もー、せっかちなんだから~」


 サキちゃんもそう思うよね~? と、同意を求めるように目を合わせてくる山葵田さん。


 いや、僕にそれを判断する権限はないのでは? とは言えなかった。いや、まあ、今の僕は犬だからそう伝えることもできないけれども。





──楓真side


「サキちゃん!」


 山葵田に抱きかかえられているずぶ濡れのサキちゃんの姿を見て、怒り、安堵、悲しみなど色々な感情がグツグツと湧き上がって仕方がなかった。


 それが声に表れていたらしく、俺の声を聞いてビックリしたらしいサキちゃんは咄嗟に両前足で頭を隠す。そのサマがまるで虐められ……


 そこまで頭が追いつき、サッと顔が青ざめた。いや、違う、怒鳴りたかったわけではないのだ。ただ一言、心配したと言いたかった。


 手で頭を守るように縮こまりプルプルと怯えるように震えているサキちゃんを見て、俺はたまらない気持ちになった。それを山葵田も察してくれたらしい。そっと俺にサキちゃんを渡してくれた。


 怖がらせないようにゆっくり、そして優しく抱き寄せる。お互いズブ濡れになっていることなんて微塵も気にせず、むしろ自分の体温を分けてやるように胸の中にしまいこむ。


「……心配した。お願いだから何も言わずにいなくならないでくれ。」


「……クゥン」


 俺の言いたいことを理解してくれたらしいサキちゃんは、己を撫でている俺の手に擦り寄ってきた。まるでそれが謝罪の意を表しているようで、俺は安堵の感情に包まれて涙腺が緩んだ。


「……帰ろっか。」


「クゥン……」


「楓真、サキちゃん見つかって良かったな。ということで俺は帰るわ~。礼はまた後日ってことで。」


伊達に山葵田と腐れ縁していないから分かる。今のは『二人できちんと話し合え』という激励なのだ。それをきちんと理解して俺も返事をする。


「ああ、ありがとう……糀。」


「はいはい」


 気を利かせてくれた山葵田には後日、サキちゃんをモフる権利を贈呈することを約束し、今日のところはそれぞれお互い自分の家に帰ったのだった。


…………


 家に帰った後は冷えた体を温めるために二人でお風呂に入った。そして今日の分のブラッシングをかけながら話を始める。


「サキちゃんはどうして脱走なんてしたんだ? どこか行きたいところでもあったのか?」


 イエスノーで答えられる質問を投げかけると、サキちゃんは気まずそうに下を向きながらもブンブンと首を横に振った。


 ふむ、行きたいところも無しに何故外へ出ようと思ったのだろうか? 自分で話せないサキちゃんの代わりというように質問をどんどん投げかけていく。


「じゃあ、俺の家にいるのが嫌になった?」


 ブンブン、また横に振る。これでもないか。


「……じゃあ、人間に戻ったから?」


 それの何が出ていく理由になるかは分からないが、とにかく思いついた理由を全て挙げていくつもりだからな。


 するとサキちゃんはガバっと顔を上げ、何でそれを知っている、と言わんばかりに戦慄く。


「知っている。と言っても俺も概要くらいしか知らないんだがな。拾った日に動物病院に連れて行った時の医者に教えてもらった。」


 俺にとっては特に驚くこともなく事実を淡々と述べていくが、サキちゃんはそれを聞いて『有り得ない』と言いたげな表情を見せた。

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