すりー・わんわん
走る、走る、走る。
最初のうちは見慣れたお散歩コースだったけど、だんだんと知らない景色が増えていって、自分が今どこにいるのか分からなくなっていく。
だがそれでいい。どうせ犬に戻れない僕は、あの優しい家にいられる理由がないのだから。
ゼーゼーと息を切らし、ボロボロと涙を落とし、元々少ない体力をガリガリと削り、足がもつれそうになりながらも走り続ける。あの優しい家から一歩でも遠くを目指して。幸せを失う辛さから目を背けたくて。
人間であり犬であった僕に、初めて優しい場所をくれた。でもそれは僕が犬だったから。いや、犬でなければ与えられなかった。
人間に戻るだなんて知らなかった時は、犬の姿がとても不便に思えた。佐藤さんを助けることもできないことはおろか、ドアを開けることすらできないのだから。
でも、それなのに、人間に戻った瞬間『犬に戻りたい』と願ってしまった。
こんな何も持っていなくて要らない存在の僕が、ないものねだりだなんて、分布相応過ぎるだろうに。
…………
日も暮れたことで一層薄気味悪く映る、見覚えのない寂れた公園。そこに設置されているペンキの禿げたベンチにへたれこむと、ドッと疲れが押し寄せてきた。
過呼吸気味に息を切らし、ぐちゃぐちゃな思考に呑み込まれる。ぐしゃりと髪を掴み心を落ち着けようと試みるが、どうにも上手くいかない。
それ以上に、今までにないくらい触り心地の良い僕の髪質が、人間に戻ったら左手首に嵌っていたサキちゃんの首輪が、佐藤さんとの幸せな生活を思い出させられて。余計に辛くなった。
気持ちよかったブラッシングも、佐藤さんの笑顔も、美味しいご飯も、佐藤さんの腕の中で眠ったことも、全部全部がなかったことになってしまいそうで。もう、どうしたら良いか、分からなかった。
──楓真side
「俺も仕事が終わったから、今からそっちに行く! 頼む山葵田、サキちゃんを探すの手伝って暮くれ!」
「言われなくても。見つかったらお礼としてサキちゃんを気が済むまでモフる権限をくれれば、ね~。」
俺が落ち込みすぎないようになのか、敢えておちゃらけたような提案をしてくる山葵田。その『いつも通り』が、今の俺には救いだった。
「それは……サキちゃんの負担にならない程度になら……」
「よしきた!」
山葵田と電話を繋ぎながら家までの道を走る。その間にもサキちゃんがいないか辺りを見回しながら。
もし人間に戻っていたとしたら流石にパッと見ただけでサキちゃんだと判別はできないだろうが、それでも探さないではいられなかった。
…………
「お前の家の中、あれからもう一度隅から隅まで探させてもらったわ。ちょっとした隙間に挟まっている可能性もなきにしもあらずだったからな。だけどやっぱりどこにもいない。外に出てしまった説が濃厚だな。」
俺が家に帰ってくるまで、実は家にいた、という可能性を山葵田がしっかり潰してくれていたらしい。
これで今から『外を探す』という選択肢だけが残ったというわけで。やることがはっきりしているなら、あとは行動を起こすだけ。
「一応俺も帰り道は探してきたつもりだ。だからそれ以外の道を重点的に探していくのがいいだろう。」
「りょーかい。……で、楓真、忘れていないよね? サキちゃんモフる権利……」
「ああ。なんならブラッシングもつけてやろうか。サキちゃん、ブラッシングされるのが好きらしいからな。」
「サイコーかな? 俄然やる気が出たわ。」
真顔で言う辺りが
「山葵田、お前、ライトはあるか? 家に一つくらいは懐中電灯があったはずなんだが……」
「いんや、スマホのライト使うから大丈夫。じゃあ俺は商店街の方面に行ってみるわ」
「よろしく頼む。じゃあ俺はその反対方向に行ってみる。」
「うっし、じゃあ何かあれば連絡して、だな。」
日も暮れて暗い道をお互い走り出す。
…………
ポツ、ポツポツ……
サキちゃんが事故に遭っていないか、怪我をしていないか、泣いていないか。そんなたくさんの不安が積もり、それが天気にも影響してきたのではないだろうか。
最初は一粒、それからどんどん数えきれない程たくさんの水が顔に当たっていく。しかし傘なんて持ってくる余裕なんてなくて、そのままずぶ濡れになりながらも足は止めない。
「サキちゃん、サキちゃん、どこだ!」
ああ、サキちゃんの存在はこの一週間ほどで俺の心の大部分を占めるようになっていたらしい。サキちゃんを失う恐怖なんて、サキちゃんに出会う前は知らなかった。知るはずもなかった。
これがサキちゃん以外の犬や猫だったら、だなんてことも考えたりもしたが、やはり顔も知らぬ犬猫とサキちゃんは比べものにはならない。我が家のサキちゃんが一番。異論は聞くけど言葉の撤回はしない所存だ。
犬だから、人間だからという括りではない。どんな姿だろうとサキちゃんだから良いのだ。
サキちゃんがいれば、俺は何も他にねだりはしない。だからお願いだ、サキちゃん。我が家に、俺の元に、戻ってきてくれ。
そう願っていた俺に、一件の電話が掛かってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます