ふぁいぶ・わんわん

 佐藤さんの暴露に、僕はフツフツと憤りを感じていた。いや、知っていたなら何故教えてくれなかったのだ、と。


 だって僕は人間だと知られたら捨てられると思っていたし、気味悪がられると恐れていたのだから。そしてそれに耐えられそうになかったから出ていったのだ。


 まあ、現実離れした現象に僕の頭がパニックを起こしていたのは否定できないけれども。


 それなのに、その葛藤を嘲笑うかのように『人間に戻ることを知っていた』と佐藤さんは言う。


 八つ当たりだなんだと言われようが気にしない。というか今そういうことに気を回せない。幸せを知ってから、それが壊れる恐怖を初めて体験したんだ。もう僕の情緒はぐっちゃぐちゃだ。


 佐藤さんの鳩尾にゴスっと頭を打つけることでそれを解消しようとした。まあ、少しだけモヤモヤが晴れたような気がしたが、多分気のせいだと思う。


「……? サキちゃんは何に怒っているんだ? 人間に戻れるようになったのは良いことじゃあないか?」


 そうなったら捨てられると思ったんです! と言葉にできたらどれほど良かったか。


 しかし犬のままの僕にそれを伝える手立てはない。ムムムと顔を顰めることくらいしかできなかった、とだけ言っておく。


「サキちゃんは、人間に戻れたら帰る場所があるのか?」


 あるわけない。僕は着の身着のまま家から放り出された類の人間だぞ? 要らないとハッキリ言われたんだぞ? どこぞで野垂れ死にしてくれたら、だなんて嬉しそうに話すような人たちしかいない家なんだぞ? 帰るに帰れないよ。


 だなんて言えるはずもなく、黙り込むしか出来なかった。そのサマを見て、佐藤さんは何となくのことを察してくれたらしい。


「じゃあウチにいればいい。ポメラニアンでも、人間でも、サキちゃんがいてくれれば、俺は他に何も望まないんだから。それくらい、サキちゃんの存在が俺にとってはかけがえのないものになっていたんだ。それに気がついたのもさっきサキちゃんを探している時だなんて皮肉なものだよな。」


 ここに、いても、良いの? もしかしてこれって死の間際に見る幸せな夢? それか走馬灯? それとも……


 現実がこんなにも優しいものだなんて思えない。どうしてもそう疑ってしまうのは、希望ゆめが現実ではないと知ってしまったら、もう、生きていくことができないだろうから。だからどうしても自分の心を守るためにも現実とも夢とも思いたくなかった。





──楓真side


 またサキちゃんは何か考え込んでいるようだった。だがここまで言葉を重ねても不安に思うようなら、言葉だけではサキちゃんの不安は払拭できないのだろう。


 何を怖がっているのかは分からないが、取り敢えずまた人間に戻った時にもう一度話し合うべきだろう。サキちゃんの話も彼自身から聞きたいから。


「今日は色々あって疲れただろうし、早めに寝てしまおうか。」


 有無を言わせずサキちゃんを抱き上げ、二人揃って布団を被る。ポフポフと布団ごとサキちゃんを撫で安心して眠っていいんだと伝える。大丈夫、大丈夫と唱えながら。


…………


 チュンチュン……


 朝、鳥の可愛らしい鳴き声に起こされ、寝起きのぼやける視界で隣を見る。


 サキちゃんが昨日脱走したこともあり、ちゃんとサキちゃんを見つけたのが現実だったか、いつも通りサキちゃんと共寝したかどうかを確認する意図もある。


「くぅ……くぅ……」


 昨日しっかりサキちゃんが眠るのを見届けたその場所では、見知らぬ男の子が眠っていた。


 狸顔、とでも言うのだったろうか。ポメラニアンの時のサキちゃんそのままのとても可愛らしい顔立ちをしていて、それがあどけない寝顔を晒して眠っているのだ。


 その顔はとても安らかで、きっと悪い夢は見ていないのだろうとひとまずホッとした。昨日の思い詰めた様子を知っているからこそ。


 そしてその子の左腕にはサキちゃんに付けてやった首輪が嵌っているのも確認しているから、この子がサキちゃんの人間の姿だろうことにはすぐ合点がいった。


 サキちゃんのあの可愛さが人間バージョンでも発揮される事実に俺の心臓はバクバクと跳ね、今すぐ髪をわしゃわしゃと撫でくりまわしたい衝動に襲われた。


 勿論、起こすのも忍びないので耐えたが。耐えたが! 耐えるために口の中を噛み締めているからとても痛い。その痛みで眠気もいつの間にかどこかに吹っ飛んだ。


「んう……」


 そうこうしているうちにサキちゃんが目覚めたらしい。薄っすら開いた目はまだボンヤリとしか俺を映していないのだろう。


 どうせもう起きなければと思っていたので、このまま覚醒してもらおうと頭を撫でてやる。すると犬の時と同じように、俺の手に擦り寄ってきた。うん、これはまごうことなきサキちゃんですね。


「サキちゃん、おはよう。変わりはないか?」


「んう……おはようございます……元気……元気です……」


「それは良かった。じゃあまずは着替えから、だな。制服のままだなんて動きづらくて敵わんだろう?」


 半分寝ぼけたままのサキちゃんにまずは学ランを脱げと指示してやる。それが無いだけでも楽になるだろうと思ってな。


「……僕は……どうして……ハッ! 人間になってる!? あれ、佐藤さん? 驚いてない? ああ、違う、佐藤さんは僕が人間になることを知っていて、あれ、でも、人間の姿でははじめましてで、あれ、あれ?」


 ようやく意識が覚醒したらしいサキちゃんは一人でパニックを起こしている。


 さて、この状態のサキちゃんをどうやって話ができるくらいに落ち着けさせられるだろうか。

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