つー・わんわん

 あれから一週間くらい経った。一度人間に戻ってからというもの、いつ人間の姿に戻ってしまうかとずっと怯えながら毎日を過ごしている。情緒不安定、とかいうやつだ。きっと。


 今の所一人になった時にそれはよく起きていて、佐藤さんが帰ってくる前には犬に戻っていた。


 『それだけが救いだ』と思うと同時に『このまま優しい世界を享受し続けても良いのだろうか』という不安にも駆られている。


 だって僕は人間なのに、犬の姿をとって佐藤さんを騙し続けているのだから。ああ、僕が本当の犬だったらこんなに悩まなかったのに。どうして人間の姿にも戻ってしまうの?


 犬じゃないと愛してもらえない。でもこのまま騙し続けるのも申し訳ない。だからと言って人間だと話せばきっと捨てられる。じゃあどうすれば良いのだろうか。答えは出せずにいた。


 行き場もない僕は、佐藤さんに捨てられたら多分野垂れ死ぬしかないのだ。


 死ぬ覚悟は前世、小手 咲羅よりも前の人生で自殺した時に使い果たしてしまっていて、今は生憎持ち合わせていない。


 最終奥義が封じられている中、僕が取れる行動はあまりにも少なかった。


 今日も今日とて佐藤さんが仕事に行った後に人間の姿に戻り、そんな不安感に押しつぶされそうになっていた。


 誰か助けて。


 本音が漏れ出そうになったが、いや、でも僕なんかを助けてくれる優しい人なんてこの世にいるわけがない、だから一人でどうにかしないと。そう自分を追い込んでいく。


 今日も考え続けるけど、最善策なんてやっぱり出てこなくて。ただ嘆くことしかできない、ちっぽけで弱っちい僕にまた嫌悪する。


…………


「どうしてっ……!」


 いつもは午後三時くらいまでには犬に戻っていたから、今日もそれくらいの時間になれば戻れると思っていた。が、その予想は外れて只今午後四時。まだ犬に戻る気配はない。


 まさかもう犬に戻れないのでは、だなんて最悪の事態を予測しては嘆くことしかできない自分に嫌気がさす。


 どうしよう、この姿を佐藤さんに見られるわけにはいかない。だからと言ってこのままここにいたらそれこそ人間だとバレてしまう。詰みだ。


 それならどうするか。働かない頭でようやく思いついた案は至って普通で、安直なものだった。






──楓真side


 サキちゃんが家に来て一週間以上経ち、この生活が普通になりつつある。それがいかに幸せなことなのか、俺はまだ理解しきれていなかったのかもしれない。


 この日の朝、サキちゃんに見送られてからというもの、嫌な予感が胸中を駆け巡って仕方がなかったのだ。


 そしてこんな日に限って残業を言い渡されるという最悪ぶり。きっと朝の星座占いやら血液型占いやらで悪い順位だったに違いない。


 焦りだけが先走ってしまい、いつもより仕事の進みが遅いのも自覚している。だがそれを自分でどうにか出来ていたら、とうに対処しているというもので。


「楓真、大丈夫か~? 今日ずっとおかしいぞ?」


 山葵田にすらそれを見抜かれる体たらく。だがこいつと喋っている時間すら惜しいので、無視してとにかくパソコンを弾いていく。


「最近見なかった眉間の皺、またすごいことになってるぞ~。周りの皆も怖がってるから戻せ~。……もしかしてサキちゃんに何かあったのか?」


 サキちゃん、というワードに対してガバッと脊髄反射のように顔を上げてしまう。これではこいつの思う壺だというのに。


「え、まじでサキちゃん関連? 大丈夫なん? てか何があったのさ?」


 俺のあまりの必死さに山葵田もたじろぐ。そしてあいつのお気に入りでもあるサキちゃんに何があったかと本気で心配してくれる。サキちゃんの良き理解者(不本意)でもあるからこその反応だった。


「いや、何かがあったわけではないんだ。だが朝からなんか嫌な予感というか、そういうのがずっと燻ってて、な。」


「え、お前の嫌な予感って当たるやつやん。ヤバくね?」


「だから急いでいる。もう話しかけるな。集中したい。」


「りょーかい。……あ、俺はそろそろ帰れそうだから、先に様子見て来てやろうか?」


「………………頼む。」


 背に腹はかえられん。俺が常にサキちゃんの一番でありたい気持ちよりも、サキちゃんの安全や幸せを第一に優先したい。


 ということで苦い顔を向けながら山葵田にサキちゃんのことを頼んだ。この苦い顔くらいは見逃してくれ。結構心境は複雑なんだ。


「はいはい、分かった分かった。だからまず安心して仕事終わらせなさいな。」


 ポンと肩を叩かれ励まされる。まるで複雑な心境すらも見通したかのように。

 それから幾分か経った頃。山葵田から一本の電話が入った。


…………


「山葵田、サキちゃんがいないとはどういうことだ!?」


「いや分からんて! 預かった鍵で家に入ろうとしたら鍵は元々開いてて、家の中どこを探してもサキちゃんが見当たらないんだ!」


「っ……!」


 ああ、これか。朝からの嫌な予感は。

 的中してほしくなかったそれに、俺は思わず項垂れる。


「楓真、思うんだけど……サキちゃんはどうやって家から出たんだ? あんな小さな子なら、鍵どころか玄関のドアを開けることすら出来ないじゃない? 手が届かない的な意味で。来客があったとしても鍵を開けられなければ居留守を使うしかない。窓や家の中を荒らされた様子もないし、そう考えると、自ら出て行ったとしか……」


 山葵田の言う通りだ。あんな小さなポメラニアンが我が家のドアを自力で開けられるとは思えない。それなら、それなら……?


「人間に……戻った?」


「確かにそれならドアを開けることも可能だろう。だけどさ、楓真。なんでサキちゃんは逃げる必要があったのかな?」


「さあ……」


 俺はサキちゃん自身じゃないから、現段階では推測することしかできない。


 人間に戻れたとして、ストレスが解消されたと喜ぶことはあれど、逃げる理由にはならないのに……?


 頭の中はいつも以上にサキちゃん一色に染まり、しかしなるべく早く上がれるように手をパチパチと動かしていく。

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