つー・わん

 頭を優しく撫でられている。その振動で目が覚めた僕は、うっすら目を開けた。


「あ、起きたか?」


 強面の大男はベッドに寝そべり、同じ場所で眠っていたらしい僕を撫でながらその表情をピクリとも動かさず問うた。


 その声は顔に似合わずとても優しく、それまで彼に持っていた僕の警戒心が少しだけ和らいだ。誘拐犯(仮)相手だというのに。


「俺は佐藤 楓真ふうまと言う。昨日の夜、路地裏で蹲って衰弱していたお前さんを保護した。お前さんに帰る家があるなら、今から送っていくが……どうする?」


 誘拐犯(仮)なんかじゃなく、とても親切なお人でしたか。悪い人かもしれない、と疑ってしまった罪悪感で心が押しつぶされそうになった。ごめんなさい。


 そして佐藤さんはそんな僕を気遣ってくれているのがよく分かる話しぶりだ。


 だが僕には帰る家などとうに無い。そもそも犬になった今の自分なら余計にあの家には帰れないだろう。あの親戚たちは無慈悲だから犬畜生など不要と家から蹴り出すかもしれない。


 しかしそうだとしても、保護してくれた佐藤さんの迷惑にもなれない。だからあると言わなければ。


「……わふっ」


 ああ……そうだ、僕、犬なんだった。ある、と答えても人間相手に伝わるわけがなかった。


「ああ、そうだったな。犬は人間の言葉は話せないよな。ええと……家があるなら一度、無いなら二度、鳴いてはくれないか?」


「……わふん」


 佐藤さんは代替案を提示してくれた。それに嘘を交えて一つ鳴くと、佐藤さんは訝しむように眉を顰めた。


「今の間は何だ……? もしかして本当は帰る家が無いのか?」


 佐藤さんのその言葉に、思わずギクリと肩を震わせてしまった。ああ、嘘を吐くのが下手な自分に嫌気が差す。そう自己嫌悪に陥っていると、それをどう受け取ったのか佐藤さんはポンと手を打った。


「帰る場所が無いなら、暫くウチに居てくれないか?」


 ちゃんとご飯は提供するから、と謎のアピールを受け、僕は正直迷ってしまった。


 帰る家が無いのは本当だし、野良生活よりも屋根とご飯がある所の方が絶対良いに決まっている。


 だがこんな僕がそんな素晴らしい待遇を受けても良いものか、という卑屈な疑問も浮かび上がってくる。タダより怖いものは無いのだから。


「あ、いや、あのな……」


 僕の迷いを感じ取ったように慌てふためく佐藤さんはかくかくしかじか、その発言について話し始めた。それを纏めるとこうだ。


 曰く、動物好きが高じて社会人になったら元々ペットを迎える気だった


 曰く、その為にこの家──庭付きの一軒家──を買った


 曰く、しかし自分が動物に嫌われる体質故に、今までどの子も迎えられなかった


「君は住む場所を、俺は犬と戯れる癒しを、お互いに与えてやれる。だから迷惑とか考えなくて良いんだ。……行く宛が無いのなら、どうか俺の為にもここにいて欲しい。」


 ここにいても良い。そう言って居場所をくれたのは、佐藤さんが初めてだ。


 僕が人間だった前世(仮)の頃でも、そして前々世の頃でも、僕は一度も他人から必要とされて来なかった。


 そんな僕でも役に立てることに嬉しさを感じて目は潤み、尻尾もブンブンと振り回してしまう。自分では止められないそれに困惑はするが、嫌な気はしない。


 佐藤さんはそんな僕を見て初めて表情を変えた。フッと顔を緩ませ笑ったのだ!


 その変化にまた僕は嬉しくなって一段と大きく尻尾を振り、意図せず佐藤さんのその顔をペロペロと舐め回してしまう。感極まって自分を制御できないと気がついたが、気がついた所で制御できないのならあまり意味はなかった。





──楓真side


 話が一段落し、このポメと一緒に暮らしていくことが決まった。そこでまず初めに知らなければならないことがあった。


「そうだ、君の名前を教えて欲しいのだが……どうしようか。」


 元々人間ということは、この子にも歴とした名前があるはず。そう思い当たり質問するが、現在犬としての音しか発せないこのポメが名前を言えるわけもなく。


 クゥン……と途方に暮れたような声を出した。その声も可愛……いや、そんなこと言っている場合ではないな。


「……あ、文字を指してもらえば分かるかもしれないな。」


「キャン!」


 名案! とばかりにポメは吠える。嬉しそうにパタパタ尻尾を振るサマも、俺の右膝にちょこんとその御御足を乗せるサマも、俺のツボを的確に刺激してくる。うう、可愛すぎて変な声出そう。


「ちょっと待っててな。本を持ってくるから。」


 そう伝えるとポメはその御御足を退けてくれる。(人間だからそうとも言えるが)とても賢い子だ、だなんて早くも親バカ思考を炸裂させながら机まで向かう。


 俺はさして読書家でもないのだが、ある一冊だけ、大事にしている本がある。それを持ち出し──他に碌に本がないとも言える──ポメに見せると、ポメはキョトンと顔を呆けさせる。


「なんだ? この本を知っているのか? 良い本だよな。」


「クゥン……」


 下を向き落ち込んだようだ。今の一瞬の間に、ポメに何が起きたんだろうか。


 意思疎通ができないもどかしさを感じながらも、名前を教えてもらおうと言葉をかける。


「それで、だが……名前を教えてはくれないか?」


 適当なページを開き、ポメに差し出す。するとポメは本を横に引っ掻くような仕草をしてみせた。他のページを出せ、ということか? このページにはアテの文字が無いのか?


 ポメの様子を窺いながらペラペラとページを捲っていくと、表紙にまで戻ってしまった。そしてポメは作者名をその御御足でタシタシと叩く。


「小手 咲羅さきら、か?」


「ワオン!」


 なんと、この本の作者と同名らしい。何という奇跡! ……まさか、本人ではあるまいな?


 いやいや、そんなの確率的に考えてもほぼゼロだろうに。考えすぎは良くない。


「そうか、咲羅か。良い名前だな。だがフルネームだと長いし……呼ぶ時はサキちゃんとかどうだろうか?」


「ぅ、わぅおん……」


 なんとも言えないような返事をされ──それ以上に良い呼び名は思いつかなかった──、しかし無理やりにでも納得してもらった。


 なんだ、名前に何かコンプレックスでもあったのだろうか? 可愛いのに? この子にピッタリだと思うのに?


 不思議なものだ、と首を傾げながら『よろしく』と今一度サキちゃんの頭を撫でるのだった。

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