第42話

 シデリカ様が放ったのは、わたしを混乱させるのには十分すぎる言葉だった。


 弟? わたしは禁書から生まれた。きょうだいなどいるはずがない。


「ソルシエール。あなたが騎士に捕らえられたとき、わたくしは街の医者の元へ行っていたの。ソルトールがおなかにいたのが分かったから」


 つまり、この男の子は、シデリカ様の、息子。


「ソルシエールを驚かせてしまうのではないかと思って、ギリギリまで黙っていようとしたら……まさか、ソルシエールが攫われるなんて、思ってなかった」


 信じてくれる? シデリカ様の目は、わたしにそう訴えているようだった。

「ソルトール。ソルシエールよ。挨拶なさい」


 シデリカ様の言葉に、ソルトールはわたしの前まで行くと、ニコリと笑った。


「初めまして、お姉様」


 お姉様……この子が? わたしの弟? シデリカ様はわたしを娘と思ってくれていたから弟だなんて言ったの?


 でも、わたしはシデリカ様とは血が繋がっていない魔女。

 でもこの子は、シデリカ様と旦那様の、本当の子ども。


「本当に……わたし、見捨てられたんじゃないのよね?」


 確認するように聞く。


「もちろんよ。十年間も助けてあげられなくて、本当にごめんなさい」

 シデリカ様の頬には何筋もの涙が伝っている。


 その様子を見たら信じられないわけではなかったけど、どうしても一つの疑問が消えなかった。


「息子が生まれるから、もうわたしのことどうでも良くなって騎士に渡した?」


 ポツリと漏れた本音。空気が凍る。


 だって、シデリカ様は長い間子どもがいなかった。

 だから寂しくて禁書でわたしを生み出したのだと思っていた。

 子どもができたらわたしは用済み。何をしでかすか分からない魔女より、血が繋がった息子の方が大事に決まってる。


 それを言ってしまうと、心に穴が空いたように虚しくなって。


 わたしの言葉を聞いたシデリカ様がふらりとよろめいた。手を机についた拍子に、ティーカップが、ガシャリと音を立てる。


「シデリカ様!」

「お母様!」


 ミアとソルトールが叫び、側近が慌ててダイニングルームに入ってくる。

「シデリカ様。少し休みましょう」

 側近に肩を抱かれたシデリカ様は、側近と共に部屋を出ていった。


 そのとき、顔がこわばったわたしを見て安心させるように微笑んだシデリカ様の顔が、やけに目に刻まれた。


「お嬢様。シデリカ様があんなに心を尽くしているのに、まだ信じられませんか?」


 シデリカ様が去ったあと、部屋にはわたしとミア、あっけにとられているソルトールが残された。ミアがわたしを心配するような声音で問いかけてくる。


 もう少し、言葉を選ぶべきだったかもしれない。後ろめたさを覚えながら、わたしはミアに本心を返す。

「だって……血の繋がりは切っても切れない、強固なものよ。それに比べたらわたしなんて……裏切られたとしてもおかしくない」


 だって、まるで計算されたようなタイミングだもの。

 息子が生まれるから魔女のわたしが邪魔になったなんて、ありがちな話。言い訳なんてあとからいくらでもできる。


 でも、ミアの口調は優しい。

「でも、私はこの十年間、お嬢様のこと忘れませんでした。それは、シデリカ様が毎日お嬢様のことをお話していたからです」


 すると、今まで口を閉ざしていたソルトールが屈託のない笑顔を見せた。

「お母様はいつもお姉様の話をしていました。お姉様と一緒に暮らしたいとずっと私もお母様も思っています」


 二人の言葉に、少しだけ心を動かされる。

 城を出たわたしにとっては、身を寄せられる場所はもうないし、愛されるかもしれない可能性があるなら、喜んでここにいることを選ぶだろう。だけど。


「そんなこと言ったって、証拠がないじゃない。わたしがシデリカ様に愛されていた証拠。シデリカ様はわたしを裏切っていないっていう証拠。それに、シデリカ様にはソルトールがいる。女の子が欲しいなら、ミアで十分よ」


 わたしはシデリカ様に裏切られたと思ってきたし、愛を求めて城に行って、結局失敗した。そのことでかなり慎重になっていた。


 そして何より、シデリカ様には旦那様、ソルトール。信頼できるミアと側近がいる。


 わたしの入る隙間は、どこにもない。


「お嬢様。それは違います」


 どんよりと重くなった空気に、ミアが明るい声を出した。小さいころから変わらない。猫の鳴くような可愛らしい声。

「お嬢様は女の子は私で十分だとおっしゃいましたが、私はシデリカ様の娘ではありません。あくまでも、シデリカ様の護衛です」


「でも、娘のようなものよ。あんただって母親のように思っているでしょう」

「いいえ。確かに、私はシデリカ様に感謝しているし、愛しています。ですが、シデリカ様にそれを伝えることは、一生ないでしょう」


 意味深な言葉に耳を疑う。ミアは明るい声のまま続けた。

「だって、私は護衛です。護衛になるときに、シデリカ様に命を捧げる覚悟をしました。私がシデリカ様を守って死んだとき、シデリカ様の悲しみを最小限に留めるため、気持ちは伝えてはならないのです」


 ミアのなんてことないような言葉に、レオナを思い出した。


『ソルシエールがわたくしを守って死んでしまったら、わたくしは生きていけません!』


 わたしとレオナはその主従関係が耐えられず、離れる選択をした。でも、一般の貴族社会は護衛に守ってもらうことなど日常茶飯事だ。

 当然、護衛が死ぬことだって念頭に置かなければならない。

 長らく護衛を続けているミアは、主に想いを伝えないことで、愛する主の心を守ろうとしているのだ。


 一応レオナの護衛をしていたのに、考えが甘かった。


「だから、シデリカ様に愛を伝えられるのは、ご家族だけです。お嬢様も、もう一度、シデリカ様の家族になってあげてください」


 ミアの言葉に、涙が溢れた。その言葉に従って、甘えてしまいたい。


 それでも、次、裏切られたら? シデリカ様と一番繋がりが薄いのは、わたし。宙づりの状態で、一番早く切られるのはわたしなのよ。


「そんなこと言われたって……わたし、もうどうしていいか分からないわ……」


 わたしは顔を覆い、しゃがみ込む。

 染み一つないアイボリーのカーペットに、一つ、また一つと涙の染みができ、吸収されていく。


 ミアが背中に手を当ててくれたのが分かった。その優しさに触れると、酷い獄中生活やアミル、レオナのこと。

 いろいろなことを思いだして。涙が止まりそうになかった。


 つんつん


 不意に、袖のフリルが引っ張られた。


 横を向くと、ソルトールがくりくりとした深い青色の目でわたしを見つめたいた。

「お姉様。この服、お母様が作ったものですね?ボロボロなので、着替えてはどうでしょうか」

「……は?」


 意表を突かれて、素っ頓狂な声を出してしまう。あんなに止まりそうもなかった涙が引っ込んでいく。


 確かに、この服は十年前……もう少し前かしら。シデリカ様に作ってもらったものだけど……。

 黒と白を基調としたフリルがたくさんついたエプロンドレス。

 わたしはこれが気に入っていたからずっと着ていたけれど、よく見るとよれているし、ところどころ穴も空いている。


「着替えるって……何に?」


 わたしが問いかけると、それがうれしかったのか、ソルトールは目を輝かせた。

「はい! こちらに来てください!」


 ソルトールに手を引かれ、ダイニングルームを出て螺旋状の階段を上り、二階へ上がる。ミアも一緒に来てくれた。


 応接室を兼ねた、バルコニーに繋がるホールの左側の廊下に、白い両開きの扉がある。

「ここはお母様のお部屋です。今寝ているのでお静かに」


 しーっと指を立てて囁くソルトール。

 繋いでいるソルトールの手は柔らかく、温かい。

 うなずくと、ソルトールはニコリと笑った。


「来てください」


 ソルトールは、シデリカ様の部屋のすぐ右隣、黒く縁どられた白塗りの扉の前で止まった。


「ここが、お姉様のお部屋です」


 何かの聞き間違えかと思った。

 


 

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