第41話

「お、お貴族様だ……」


 ミアの登場に、ざわざわとどよめく群衆。ミアはわたしを抱き上げたまま、平民に向き合った。


「この魔女は研究のため預かる。今見聞きしたことは、他の者に漏らさぬように。魔女は、国の所有物だ。平民のお前たちが勝手に処分しようとしたことが露呈すれば、打ち首だ。分かったな?」


 猫の鳴くような可愛らしい声を氷点下まで低くして、ミアが平民に凄むと、群衆は、面白いほどすくみあがった。

 その様子に満足したように口元に笑みを浮かべたミアは、わたしを抱いて颯爽と平民街を出た。



 土埃が舞う舗装されていない路地から、だんだんと石畳の路地に差し掛かる。王都の富裕層や貴族の住宅街に入ったようだ。


「ミア。助けてくれて、ありがとう。どこに向かっているの?」


 わたしはミアの腕の中で、彼女のきりりと整った顔を見つめる。


 わたしがシデリカ様の元にいたころ、ミアはまだ九歳だった。孤児だったところを引き取られ、シデリカ様に命を捧げることを決意した。

 子爵領にある本邸とは別に、王都にあるシデリカ様の別邸で一緒に暮らしていたけれど、もう十年前のことだから、当時のわたしより体が小さかったミアは想像もつかないくらいガタイが良くなっていた。


 まあ、顔が面影があったからすぐに分かったけどね。



「お嬢様は全く変わられていない。安心しました」

「お嬢様って……だから、どこに行くつもりなの?」

 語気を強めると、ミアは少し悲し気な顔をして言った。


「シデリカ様の別邸でございます」


 それを聞いた途端、わたしはミアの腕から逃げ出し石畳を踏みしめた。

「嫌よ。助けてもらったことは感謝するけど、シデリカ様のところには行かない」


 わたしのあまりの形相に、ミアは目を伏せた。

「十年間お嬢様がどれだけ苦い思いをしてきたのか、お察しします」

「勝手に知ったような気にならないで。わたしはシデリカ様に裏切られた」


 そのときの気持ち、火で炙られた時の痛み。それを思い出してわたしは唇を噛む。

 魔女は道具じゃない。一度手放した魔女をなぜまた迎え入れようとするの? 昔はわたしが睨むとすぐに声を上げて泣いていたミアが、随分と心が強くなったようで。

 わたしの怒鳴り声にもびくともせず、瞼を閉じた。


「そのことで、大きな誤解がありました。そのわだかまりを解きたいと、シデリカ様は心を痛めておられました」

 ミアの淡々とした声に、わたしの頭も熱が下がっていく。


 心を痛めていた? 何よ、今更。誤解、って何?


「お嬢様。一生、わだかまりを残したまま生きていくおつもりですか?」


 ミアの声が、嫌に心に響いた。


 わたし、シデリカ様のこと、好きだった。できることならずっとこの人と一緒に居たかった。だから、裏切られたと思ったら、ショックが大きくて、憎しみも大きくて。

 でももし、それが勘違いだったなら?

 わたしは過去にとらわれずに生きていけるの?


「お嬢様。行きましょう。ね?」

 ミアがいつの間にかわたしの袖を掴んでいた。

 少しだけ濡れた目、猫なで声。

 十年前、喧嘩したときに、わたしのご機嫌を取ろうと無意識に謝る少女ミアの面影が重なった。

「……分かったわ。行きましょう」




 シデリカ様の別邸は、十年前とさほど変わらない見た目をしていた。正面の扉をミアが開け、わたしもそのあとに続く。

「おかえりなさいませ」


 シデリカ様の側近も、使用人も、十年前とほぼ同じ顔触れで、ふんわりと甘い香水の香りが漂うお屋敷が、一瞬にしてわたしを十年前に引き入れる。


「ソルシエールお嬢様です。シデリカ様の元へお通しします」


 ミアが数人の使用人ににそう声をかける。ずいぶんと年を取ったメイド頭のおば様と、当時幼かったけれど、ずいぶんと器量よしに成長したシデリカ様の側近たちが歓声を上げる。

「ソルシエールお嬢様⁉」

「よく、お戻りになられましたね」


 涙ぐむ彼女たちに、すっかり気が抜けてしまう。

 わたし、こんなに歓迎されるのね……。


「お嬢様。シデリカ様は、こちらです」


 ミアに手を引かれて向かう、十年ぶりのダイニングルーム。

 暖炉の暖かな空気が頬を撫で、香水の香りが間近に迫る。


「あら、ミア。遅かったわね。お茶にしましょ……」


 部屋の中から柔らかい声が響き、その声の主は、わたしを目に入れた瞬間、大きく顔を歪ませた。


 美しい銀髪に、少し皺が増えた優美な顔立ち。白銀の瞳からは、一筋、涙がこぼれた。

「ソルシエール……」


 名を呼んだ柔和な声が耳に心地よかった。

 あんなに憎んでいたはずなのに、どうしてかしら。彼女の腕にくるまれたくなる。


「シデリカ様。どうして、どうして置いていったのよ……」

 

 わたしの目からも涙がこぼれ、積年の思いが溢れる。


「ごめんね、ソルシエール。ごめんなさい……」

「どうして、助けてくれなかったの? わたしは、道具だったの? 魔女だから? 魔術を使えて便利だから? どうしてわたしを生み出したの? 教えて……教えてよ……」


 わたしは、魔女だった。でもシデリカ様に良くしてもらって、『愛』を分かりたくなった。でも、シデリカ様に裏切られたと思ったら、『愛』が分からなくなった。

 アミルと会って恋に落ちて、アミルを愛そうとしたけど、結局ダメで。でもレオナが愛してるって言ってくれたから、少しだけ、分かった気がした。

 だからシデリカ様が好きだったって、素直に認められたの。


 わたしは、シデリカ様に愛されたかった。だからこんなに苦しいの。


「ソルシエール」

 シデリカ様がわたしの名を、呼ぶ。裏切ったわりには愛しげに。シデリカ様はその声色を崩さないまま、言葉を続けた。

「ソルシエール。十年前あなたは、国の騎士に捕らえられ、魔術島へと連れていかれた。わたくしが、留守の間に。でもそれは、あなたが憎かったから、わたくしが計画して騎士に身柄を渡したわけではないのよ」


 目を潤ませながら必死に語りかけてくるシデリカ様に、わたしは深呼吸を繰り返す。

「じゃあ、どうして? 外出するとき、いつもわたしを連れて行ってくれたじゃない」

 いくらか落ち着いてシデリカ様の顔を見つめると、彼女は不意に扉の方を見つめた。


「いるんでしょう。入ってらっしゃい」


 そう、扉の向こうに声をかけたと思ったら、扉が申し訳なさそうにゆっくりと開く。

 扉に挟まれるようにして立っていたのは、シデリカ様と同じ、銀色の髪をした男の子だった。

「ソルシエール。あなたの弟。ソルトールよ」

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