第4話
アナトールに出会ってから、雨の降る日が少なくなった。雨の嫌いなわたしとしては喜ぶべきなんでしょうけど、このときばかりは同類の魔術を羨ましく思ったわ。
会えない日が続くたび、あの笑顔を、あの瞳を見たいという思いが膨らんでいく。
「ソルシエール。ソルシエール? 聞いてる?」
不機嫌そうな高い声が響いてくる。これはフォレッタのものだ。わたしは顔を上げた。
「なんかさー。この間のアナトールって王子が来たじゃん? 胡散臭い。十年もあたしたちをここに閉じ込めておいて、今更何? って思ってたけど……」
フォレッタはそこで声を落とす。
「城に召し上げる魔女を選ぶための偵察だったみたいよ」
「召し上げる? 城に? 何のために?」
たて続けに質問を投げるわたしに、
「は? 何よ、珍しいわね。あんたがそんなに興味を示すなんて、この間来た王子にほだされちゃった?」
とからかうような口調でおどけるけれど、そんなこと気にしている場合じゃない。
アナトールに、また会えるかもしれない。
そんな淡い期待がわたしの心に灯る。フォレッタは、「何よ、変な奴」と不満そうにつぶやきながら、いつもの気だるそうな口調そのままに教えてくれた。
「何か兵士が夜中に話してるのをたまたま聞いたんだけどさ。我がドルミール王国、お隣の国と相当仲悪いらしいじゃん? 両国の和平のためにはるばる海を渡ってきたその隣国の姫がドルミール城にいるんだけど、まあいろいろと物騒らしくて。 暗殺でもされたらどうなる?下手すると戦争になりかねない。だから魔女を一人王宮に召し上げて、その姫の護衛をさせる……とかなんとか」
「本当に? それ、どうやって決まるのかしら」
「らしくないわね。三日後にその適性診断が行われるらしいわ。ソルシエール。あたしたちは敵同士よ。この牢を出たいのは皆同じ。手加減しないからね」
恐ろしいほど低くなった声は流石魔女といったところかしら。壁の向こうではフォレッタの目つきがわたしを射殺しそうなほど低くなったのかも知れない。
「望むところよ」
生憎、フォレッタに対する愛は皆無。やるからには徹底的に潰してあげる。
もう少しで、愛が分かるかもしれないから。
フォレッタの言葉通り、三日後、牢の中の魔女たち全員に、いつも通り不機嫌なおじさん兵士から、隣国チグリジア王国の王女の護衛魔女を決めると発表された。
「それって、この牢から出られるってこと?」
魔女たちが弾んだ声を上げるけれど、
「魔女ごときがため口を利くなど失礼だ! 黙って聞け」
と兵士が持っていた松明をまた魔女に近づける。悲鳴が、上がる。
もう、嫌なのよ、こんな生活。
アナトールと出会ってから、いつもの生活に急に嫌気が差した。ドロドロの王宮でもいい。ここから出られるのならば、もう一度アナトールに会えるのならば、何だってする。
説明をしていた兵士が手を挙げて合図すると、牢の中に次々と他の兵士たちが入ってきて、わたしたちの檻の前に、一人ずついつもより二倍くらい長いパンと、湯気が漂うシチューが置かれた。食べなくても生きていけるとはいえ、鼻をくすぐる久しぶりの料理の香りに、お腹がきゅるっとなる。
「お前らが食べ終わったら、この魔術島で魔力測定と能力検査をする。兵士が檻の扉を開けるまで大人しく待て」
その言葉を放ち、兵士がいなくなったのを合図に、目の前の料理を魔女たちがむさぼり始める音がする。
三日食べていないものね。食べれば魔力が増えるから。この量だったら魔力は全回復するわ。
わたしはそんな同類たちの様子をあきれたように眺める。
馬鹿ね。
流石にわたしもお腹が空くから、一口大にちぎったパンをシチューに浸して、それだけ食べた。
それでおしまい。あとは、兵士が檻を開けるのを待つだけね。
ぐううぅぅ
本当はお腹、空いてるけど。我慢よ。
腹を空かせた魔女たちは、早食いだった。数分経って周りの魔女たちがお腹をさすり始めたとき、百人以上の兵士が牢の中に入ってきた。魔女一人あたりに一人の兵士がついて、檻を開ける。手首の鎖が解かれたと思ったら、代わりに黒い鉄球がついた鎖を両手首に巻かれた。
魔女が暴れないようにするためね。
わたしは大人しくそれに従ったけれど、中には暴れ出す魔女もいた。
「触るな! 私の力をもってすれば、お前など敵でもないわ!」
「あーあ。うるさい。お前に何ができる? こんな鎖に繋がれた惨めな姿でよぉ、落ちこぼれ魔女さん?」
人間より遥かに力の強い魔女でも、弱点がある。兵士は、抵抗しようとした魔女を有無を言わさず火で炙った。
阿鼻叫喚、地獄絵図。牢が壊れるほどの魔女の絶叫と、兵士の罵倒する声。全てがわたしの護衛魔女になるという決意を固くさせた。
案の定、牢から出す時点で暴れた魔女は、検査さえ受けさせてもらえなかった。百人いる魔女の半分が外に出すのは危険と判断され、檻の中に押し返され、残りの半分の魔女が両手首を鎖に巻かれ、牢の外に出された。
両手首を縛る鎖の先を兵士が掴み、引っ張られるように誘導されるわたしの目に十年ぶりの太陽の光が届く。不安げな薄暗い雲が薄く広がり、その隙間から漏れる太陽の光を思う存分堪能する。全身に当たる風が気持ち良い。
わたしたちが暮らす牢のある、魔術島は小さなものだった。四方八方を海に囲まれ、北方の端には船着き場があり、泊まり込みの兵士のためのロッジがあるだけだ。あとは青々とした芝生がいっぱいに広がっている。家が三軒建てばいいくらいの広さ。後ろを振り返ると、無機質な長方形の牢がそびえ立っていた。
わたし、こんなところに十年も閉じ込められていたのね。
その芝生に、五十人の魔女が座らされた。
「これから、魔力測定を始める。魔女は動いたら即、殺す。始め!」
兵士長の合図で、わたしの鎖を持っていた兵士が、わたしの腕に金属をはめる。金色の幅の広い腕輪のように見えるけれど、その腕輪はどんどんと腕を締め付けてくる。骨まで砕かれそうな痛みに、わたしはギュッと目を瞑る。
わたしの右隣に座る魔女も腕輪をはめ、同じように顔をしかめていた。しばらく観察していると、その魔女にはめられた腕輪はパカリと綺麗に二つに割れた。
このわたしたちの腕を締め付けている腕輪は、体に流れる魔力圧力を測る魔術具よ。体の中の魔力が多ければ多いほど早く割れて、少ないと割れない。つまり、すぐ割れた右隣の魔女の魔力より、一向に割れる気配のないわたしの魔力の方が少ないの。
負けた、って思ったでしょう? 魔術具の仕組みを知っていて、右隣の魔女はわたしを見て勝ち誇ったような表情を浮かべているけれど。
馬鹿ね。
右隣の魔女は、兵士に腕を掴まれ、立たされる。そしてそのまま、牢の中へと引っ張っていかれた。何が起こったか分からないといった魔女の間抜けな顔を見て、わたしは声を上げて笑い出しそうになるのをぐっと堪えた。
この魔術具は、自分が持ちうる最大限の魔術までは感知できない。だから、直前に食事をとるかとらないかで測定結果が変わってくる。あの食事を全て食べたら、魔力は最大になる。だからわたしはわざと食べなかった。
「へえー。見かけによらず、魔力、少ないのね」
左隣にいたフォレッタが挑発するようにニヤリと笑う。その口元には食べかす。でも腕輪は割れていない。
「ふふっ。あんたこそ。馬鹿みたいにガツガツ食べていた癖にね」
フォレッタはあの食事を全て食べていたのに腕輪が割れなかった。わたしは食べていないからね? だって、わざとだもの。
この検査で五十人の魔女がふるいにかけられ、残りはわずか十人になった。残った魔女は皆最大魔力が少ない奴ばかり。多い奴は檻に戻されたことになる。
「兵士長! 雑魚ばかり集めて、どうするおつもりですか」
一人の兵士が責任者の兵士に囁くのが聞こえる。
「馬鹿か、お前は。弱い魔女の方が安全だからに決まっている」
そう。魔女は人間の力を遥かに上回る。魔女を王宮に召し上げるということは、魔獣を野に放つようなもの。魔力が少ない状態でも人間より強いのに、魔力まで強かったら大惨事じゃない。人間を人間から守るくらい、魔力がなくたって十分よ。
魔力の低い魔女を選ぼうとしていたことに気付いていたから、わたしはわざと食事をとらずに魔力を抑えた。でも人間は、この魔術具は食事量を調節すると本来の力を測れないことに気付かない。ふふっ。
全ては、アナトールと再会するため。
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