第10話 性に合わないわよ

12月。冬が訪れたシエナロッソの港で、カーニャ号が帆をあげた。



「出港――っ!!」



船長ルチアさんの伸びのあるハスキーボイスが船橋から響いて、女船員さんたちが応える。


碇が巻き上げられて、ゆっくりと動き出す、わたしの帆船。


この活きのいいガテン系お姉さんたちのほとんどが、カーニャ号の船員として残ってくれた。



「あたらしい航路を開拓できるっていうのは、船員の夢っスから!!」


「雇ってくれて嬉しいです!!」



と、口々に感謝のことばを伝えてくれた。


もちろん、海賊対策の護衛として帝国騎士の方々も乗ってくれている……、んだけど。



――ビットが、当然のように帝国騎士を連れてきた時点で、なぜ気が付かなかったのか?



と、ギュッと顔面に力をいれてしまう。


思い返すたびに、自分の迂闊さへの恥ずかしさが込み上げて、目を開けられない。



――皇太子ヴィットリオ・ラヴェンナーノ殿下。



身分を明かされてからも、ビットのわたしへの態度はちっとも変わらない。


総督府のとなりにあるビットの商会に招かれて、



「ねぇ、ねぇ、カーニャ! 最初はこの葡萄酒なんかどう?」


「……そ、そうですわね」


「クレールヴァル産、10年物でございます。滑らかな口当たりが特徴で、東方の方々にも好まれる芳醇な味わいとなっております」



ツヤのある黒髪をした支配人が、品のある物腰で解説してくれる。


皇太子殿下の商会で支配人をつとめる、この落ち着いた雰囲気の青年。


初対面で『支配人というよりは執事』という印象を受けた方だけど、それどころではなかった。


帝国の名門セグレーティ侯爵家の長男、自身も爵位を持つマッテオ・セグレーティ子爵。


要するに皇太子殿下の側近中の側近。


ヴィットリオ殿下が即位された暁には宰相候補のひとりになる俊英――、だ。



――ミカンの美味しさに顔をほころばせたところを見られたのは、かなりレアな体験だったのでは?



などと考えながら、リアが価格交渉しているのを横で聞いている。


外交案件にはしたくない――


はずだったのに、これが外交案件でなくてなんなんだ?


そりゃ、わたしもフェルスタイン王国三大公爵家の令嬢だ。


相手がラヴェンナーノ帝国の皇太子殿下だからといって怯む必要はまったくない。


堂々と渡り合う資格は充分にある。


リアなど、すこしも臆するところを見せず、ガンガンに値引きを求めている。



「これは、継続的なお取引を加味していただいたお値段なのでしょうか?」


「もちろんです。しかも殿下肝入りの新航路開拓ですから、かなり破格でご提案させていただいております」


「マッテオ子爵。そこなのですよ」


「と仰られますと?」


「新航路の開拓なのです。将来に渡ってお互いの利益になりますが、初期においてはリスクもあるわけです」



うん。リアのそういうところ、キライじゃない。むしろ好き。


シエナロッソ総督にして皇太子殿下とのコネクションなんて、活用しない手がない最強のコネクションだ。


ついに無料で帝国騎士の護衛を勝ち取ってしまった。



「リアちゃん、やるね~。マッテオがタジタジになるところ、初めて見たよ」


「恐れ入ります」



軽薄そうでナンパな笑みを浮かべて褒めるビットに、恭しくあたまを下げるリア。


支配人のマッテオ子爵も満足そうにうなずく。



「タフな取引先は、この先も安定した取引が期待できますので、こちらといたしましても望むところです」



マッテオ子爵は仕事があるからと部屋を出ていき、リアも帰り支度があると護衛をのこして先に宿に戻ってしまった。


ふたりに気をつかわれてしまった形だけど、おおきな商談のあと、商会の主人同士がかるく歓談の時間を持つのは、別におかしなことではない。


そのままビットとふたり、試飲にあけた葡萄酒がのこっているからと軽い宴席になった。



「このチーズも美味しいでしょ~?」


「ほんとだ。味わいが濃厚。葡萄酒にとても合うわね」


「次はチーズも仕入れておくよ。きっと、東方の人たちにも人気が出ると思うんだ」


「……東方まで流さなくても、フェルスタインでも充分人気が出そう」



他愛もない会話を楽しむのは以前と変わらないのだけど、いまはふたりの間に交易という共通の目標ができた。


自然と話は弾んで、わたしの中のわだかまりというか戸惑いも薄らいでいく。


フェルスタイン王国の30倍はあろうかという広大な版図を誇る大帝国の皇太子とはいえ、ビットはビットだ。


しかし、気軽に口説いてくるのはやめてほしい……。


それって皇太子妃殿下への誘いだぞ?


ビット、ほんとに分かってる?


と、苦笑いしつつ、葡萄酒の勢いも借りて聞きたかったことを尋ねる。



「ビットは、どうしてわたしに声をかけてくれたの?」


「えぇ~? そりゃ、カーニャが綺麗だったからだよ。シエナロッソに大天使様が舞い降りたのかとビックリしたんだから」


「ふふっ。それで本当は?」


「いや本当だよ? ……見かけないガラのドレス。気品ある振る舞い。どう見ても高貴ないでたち」


「うん」


「ひと目で恋に落ちたのは本当だけどね、……新しい販路を開拓できれば僕の手柄にもなる」


「手柄? 皇太子殿下が?」


「う~ん。皇太子っていったって、地位は安泰じゃないよ。なにせ14人も兄弟がいる」


「……多いとは聞いていたけど、そんなにも」



ビットは穏やかに優しげな微笑みを浮かべた。



「優秀な弟はたくさんいる。武力による領土拡張をひと段落させた帝国の各地に散って、国を富ませるために皆んな頑張ってる」


「そうか……。ビットも大変なのね」


「そんなことないよ~! せっかくもらった総督位だし、帝国の東の端っこに逃げてのんびりさせてもらってるんだから」


「ふふっ。わたしと同じこと言ってる」


「ほんとだ! 気が合うね。どう? 僕のお嫁さんにこない? きっと素晴らしい家庭が築けると思うな~」


「はいはい。お世辞でも嬉しいわ」


「お世辞じゃないんだけどなぁ~」



と、ビットが目をおおきく開いた。



「あ――っ!!」


「え? なに?」



キラキラさせた瞳で、わたしを見る。



「航海が無事に終わったら、僕にキスしてくれる約束だったよ!!」


「あ……」


「いいよね? いいよね?」



と、目をキラキラさせながらソワソワと腰を揺らすビット。


この軽薄な雰囲気の皇太子は、ふだんグイグイくるくせに、ときどき借りてきた子犬のようになる。


ルチアさんに身分を明かしてもらうときなど、いたずらがバレて叱られる子犬そのものだった。



「もう……、仕方ないわね。商いをする者が約束を破るわけにはいかないわ」



わたしが立ち上がると「うん! うん!」と言いながら、目を閉じて唇を突き出す。



――もう、こんなに可愛いなんて……。ほんとにズルいなぁ。



腕を足にはさんで、身体をカチコチにしたビットに近寄って――、



「ええ~!? ……ほっぺた?」


「キスはキスでしょ?」



舌をペッと出したわたしも、きっと顔を真っ赤にしてる。



「ほんとうにありがとう。全部、ビットのおかげよ」


「うん。まあ、いっか」


「これからもよろしくね」


「そうだね。ふたりで、いっぱい儲けよう。それでたくさんの人を笑顔にしよう」



と、はにかんでみせるビット。



――たくさんの人の笑顔。



その言葉の背後には、巨大な帝国のおおくの臣民がいることを知った。


だけど、ビットの笑顔はわたしの目に変わらず映る。


ただ、目のまえにいるわたしを喜ばせようとしてくれている――。


そんな笑顔だ。



   Ψ



ロッサマーレに帰港したら、老農夫のヤンが出迎えてくれた。



「……ほんとに、いただいた代金に見合う価格で売れましたのですか?」



と、恐る恐る尋ねてくるヤン。


わたしとリアは、ふたりでグッと親指を立ててみせた。



「もちろん! ラヴェンナーノ帝国の皆さんにも、たいそう喜んでいただいたのよ?」


「ほんとうですか!?」


「とっても美味しいって、わたしも随分と鼻の高い思いをさせてもらったわ。ありがとうね、ヤン」


「……いや、そんな」



と、うつむいたヤンは、鼻をすすり上げはじめた。


わたしがミカン畑を守るために、無理して高い価格で買い取ったのではないかと、気を揉んでくれていたのだろう。


学園生活中、領地経営を商会に任せきりだったわたしのせいで、ツラい思いをさせてしまった。


忍び泣きする老農夫の後ろから、琥珀色の髪をおさげにした女の子があらわれて、ヤンの背中に手を置いた。



「よかったね、お爺ちゃん。これで、大好きなミカン畑を、これからも続けさせてもらえるんだから」


「ああ……、ああ……」


「あら? お孫さん?」



と、わたしが尋ねると、女の子がパッと明るい笑顔を向けてくれた。


女の子といっても歳はたぶんわたしとおなじくらい。


農家の娘さんらしく飾らない性格が見て取れる、弾けるような笑顔だ。



「領主様、初めまして! ヤンの孫娘のエリカです」


「エリカ。はじめまして、カロリーナよ」


「領主さまがミカンを高く買ってくださったおかげで、出稼ぎ先から故郷に戻ってこれました! お父さんとお母さんも仕事のキリがついたら戻ってくる予定です!」


「あら、それは良かったわ」


「はい! ほんとうにありがとうございます! 領主様のおかげで、お爺ちゃんのミカン畑を受け継ぐことが出来そうです!」



笑顔のまま元気いっぱいに勢いよく、ふかぶかと頭をさげてくれるエリカ。


交易が生むたくさんの笑顔とは、こういうことなのだろう。


わたしの胸も、ジーンッと熱くなった。



「いまは冬なので、あまりやることありませんけど、ミカン畑の手入れを手伝いながら、お爺ちゃんとのんびり過ごさせてもらってます!」


「……やることない?」


「はい! 冬なので、すこし来年の支度をするくらいです」


「それは、いいことを聞いたわ」


「……え?」


「エリカは料理はお得意?」


「はい……。出稼ぎ先では食堂の下働きをしていましたので、ある程度は」


「それは、ますます好都合ね」



わたしが顔を向けると、リアが「分かっております。私にお任せください」という雰囲気で静かにお辞儀をした。


やるべきことは、まだまだ山積みだ。



   Ψ



エリカに出資して、船員さんたち向けの食堂を開いてもらった。


いつまでも給食形式では、船員さんも飽きてしまう。


それに、おカネをロッサマーレに落としてもらえれば地域も潤う。


エリカは見た目通りシャキシャキ元気よく働いているし、老漁師の奥さんも手伝いに来てくれた。



「いやーっ! 釣っても釣っても、追い付きませんわ!」



と、夫の老漁師もえびす顔だ。


思い返してみれば、この老いた漁師の嵐にあってラヴェンナーノ帝国まで流された経験がなければ、わたしがシエナロッソにまで足を運ぶことはなかった。


喜んでもらえて、わたしも嬉しい。


彼も息子が職を求めて遠くに移住してしまっていたらしく、いま帰郷を促しているそうだ。


王国辺境のロッサマーレが、にわかに活気づいてきた。


きっと、天国のお母様も喜んでくださっているに違いない。



滞在してくれる船員さんたちの環境を整え終わり、いよいよわたしはリアと共に王都に向かう。


仕入れた葡萄酒の販売先を見つけないといけない。


馬車に揺られながら、リアと下打ち合わせ。



「まずは公爵閣下のところに向かわれますか?」


「ううん。お父様にお願いしたら、いきなり事が大げさになりすぎるわ」


「……せっかくの葡萄酒。華々しくデビューさせるのも一手だと思われますが?」


「わたしの性に合わないわよ」


「まあ、それもそうですね」


「まずは、お継母様。フィオナ様のところに持ち込むわ」


「……なるほど。フィオナ様の商会でしたら、王都にも販路を持ち、なおかつ東方との交易にも明るいはず」



原作のカロリーナとは激しく対立していた継母フィオナ・シュタール公爵夫人。


だけど、わたしであるカロリーナは、良好な関係を築けているはず――。

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